村井忠夫のマンション管理ブログ

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【44年の実感で「マンションの管理」を考える 22】大規模修繕工事調査の新聞記事を読んだ複雑にして屈折した感想

大規模修繕工事費が割高だから注意・・・という見出しの朝日新聞記事はいったい何を伝えたかったのか・・・

 5月12日(土)の朝日新聞朝刊一面のトップに出た記事の見出し。『マンション修繕 割高に注意/75万〜100万円 最多31%/国交省調査』。

 朝刊の一面トップ記事にしては、短くて簡単な記事だった。前文が6行、本文は2段でほぼ全50行。グラフも写真も全くない。記事だけ。

 34面にも次のような関連記事が出ていた。

 『修繕過大見積もり横行/マンション工事 コンサル、見積もり求め』

 こちらは4段で、全文ほぼ90行。別枠に「大規模修繕工事に関する相談窓口」が簡単な形で出ているが、一面同様、こちらもグラフや写真は全くない。

 記事の内容は国交省が発表した大規模修繕工事の実態調査の紹介だが、めったにメデイアが目を向けないマンションの、それも大規模修繕工事の関連情報をわざわざ大きく報じた意味がよくわからない。

 朝日以外の新聞が伝えたのかどうかを見れば何かわかるかもしれないとネットで探してみたが、探し方がわるかったとみえてまったくわからなかった。

 テレビの取り上げ方もわからない。NHKのニュースはいつも気をつけて見ているつもりだが、この調査のニュースはなかったような気がする。
                   ☆
 新聞やテレビのニュースがマンションのことを伝える機会自体がめったにないし、たまに流れるニュースも超高層マンションの売れ方のような市場動向が中心で、売れたあとの管理面の実情が伝えられることはもう滅多にない。まして「マンション修繕」などという字が朝刊一面のトップに出るなどとは夢にも考えたことがなかった。だから、正直、びっくりした。

 でも、読んでみて、いたく失望した。

 単純に国交省の調査結果を紹介するだけの記事だとしても、調査の内容を知る手掛かりとなるグラフや表が全然ない。この調査を大きく取り上げた意味が記事の文章だけではわからない。それほど長くもない記事の文末には「管理組合自ら監視を」という見出しで「住宅問題に詳しい・・・」何とかいう弁護士の話が添えられているが、この弁護士の話が記事の伝える内容とどう関連するのかもよくわからない。

国交省発表の調査本文を見てよくわかった。調査をした国交省やその結果を伝える朝日の認識レベルが・・・

 何回読んでもわからないことだらけでどうにも落ち着かないので、国交省のサイトからプレスシートを探し出した。それでやっと調査本文を見つけて、どうにか、このニュースの本質がわかった。

 記事が取り上げた調査は「マンション大規模修繕工事に関する実態調査」という国交省の調査で、大規模修繕工事の注文を受けた受注者側に工事金額、工事内容などを尋ねた結果をまとめたものである。大規模修繕工事は管理組合が発注するのだが、その意味で唯一の当事者である管理組合がまったく調査の対象となっていない。

 「アンケート調査の概要」には「・・・大規模修繕工事に関する設計コンサルタント業務の実績を有する企業」が調査対象だと書かれている。2352社に配布したアンケートを134社から回収したとあるから、回答率は5.7%ということになるのだろうか。
                   ☆
 それだけのことがわかって、あらためていくつかの感想が浮かんだ。

 まず、第一は、今や600万戸をはるかに超えるマンションが維持管理面で最大の課題となるのが大規模修繕工事だと昔から言葉だけは何度も語られてきたのに、やっと実現した実態調査がこの程度の調査内容だったかという失望である。

 何よりも、大規模修繕工事に直面して苦しむ管理組合の実情がまったく調査対象となっていない。管理組合にとって、大規模修繕工事は計画立案から総会可決までの長い長い過程が大変なのに・・・。

 第二は、そうした基本的な点についての視点をまったく欠いたまま中途半端に記事化した朝日新聞への失望だ。いったい何に着目してどういうことを伝えようとしたのか全くわからない。

 のみならず、記事の伝え方を見ると、伝えようとしている記者が大規模修繕工事について基本的な理解が十分でないのではないかとさえ感じる。よくわからないまま投げ込み資料だけで記事を書いた記者はさぞ苦労したことだろう。

 そして、第三。こんな中途半端な形で流れる情報が、ただでさえ無関心で放置状態のままストック戸数だけ増えていくマンションの林立状態にもたらす意味の不安だ。

 新規物件が大規模化・超高層化しながら都心に集中していく一方で、小規模・低層の老朽化したマンションが建ち並びながらストック戸数が600万戸をはるかに超えるという不安である。

法律論第一で明け暮れてきたマンション管理の議論の現状をこれからどうするのか。行政は、メデイアは、学界は、業界は、そして居住者は・・・

 もう何十年も繰り返してきた感想をまたしても繰り返すことになるのだろうか。

 時間が経てば、何でも古くなるというわかりきったことがマンションでも例外でないことに誰もが気づいていながら、いまだにマンションを区分所有するという権利の有無だけを過大視して維持管理を考える発想を一体いつまで続けるのか。

 マンションは《住む》ための建造物であり、《持つ》ことだけでは居住のための建築物である本来の機能を確保する維持管理ができないということが、いつになったら公認されるのか。

 マンションについて法律の視点は欠かせないが、それは個人レベルの一戸建て住宅をとらえる感覚の延長上ではなく、もっと集合住宅独自の発想に基づくものであるべきではないのか。

 維持管理の唯一の当事者となる管理組合を権利者集団としてみるだけで生活者集団としてとらえる感覚が、いつになったら公式に成立するのか。
                   ☆
 築後45年目を迎えた600戸のマンションに住み続けて、3回目の大規模修繕工事がわってまだ数か月。

 今さら、こんな感慨をブログに書くことになろうとは思わなかった。
                   ☆
 何だかむなしくなった。

| muraitadao | コラム | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 21】昨日までの過去が誰にもわからない状態で今日のマンションを管理できるのか

竣工以来住み続けてきたマンションへの追憶が古い記録資料をどうしても捨てさせない。このこだわりの正体はいったい・・・

 いま悩んでいる問題がある。

 80歳代後半も残り少ない自分の状況を考えて、しばらく前から時間をかけながら雑多な資料などを整理し続けている。生来のこだわり症のおかげで、自分が関わってきたことについての記録やメモがたまりにたまっているが、このまま残し続けても意味がなくなるのは間違いないという自覚は年ごとに強くなる。

 だが、いつまで経っても手をつけられなくて、今も残っているものがある。

 竣工したばかりのマンションに住み始めたころや管理組合発足前後のことを書いた記録やメモなどだ。44年も前だから鮮明でないものが多いし、B5やA4でサイズも縦横の向きもバラバラ。管理組合誕生前で入居者有志の手書きメモもあれば、管理会社の不愛想極まる文書もある。名簿には後日、知名度の上がった人の名前も出ている。

 手に取っては目を凝らし、きりもないほどのことを次から次に思い出す。

 いっそどこかから強い風が吹き込んできて色あせた紙の山を吹き飛ばしてくれたらいいのに・・・と八つ当たり気味に思いながら、結局は捨てきれぬまままた元へ戻す。

 もう、こんなことを何回繰り返してきたことか。
                   ☆
 今さら、こんな感想が浮かび上がる理由がある。

 この資料を捨ててしまえば、このマンションの今までの様子がわからなくなってしまうではないか。全600戸の中の一居住者として書きとめてきた記録は所詮600分の1の価値しかないとよくわかっているが、それでも、まあ、それなりの価値はあると思う。

 それに、管理組合の一員として関わってきた時のメモなどは、いま思えば物足りなさがあるものの、11階建て4棟600戸のマンション全体をただ一途に考えながら最初の大規模修繕工事の取り組みも進めてきた。

 手がかりもない中で管理規約の改正もすませた。

 マンション管理センターや今の管理会社もまだ生まれていなかった時代だった。

 闇夜の手探りに似た心境で進めてきたことが次々に思い浮かぶ・・・。

この記憶を共有する仕組みがないマンションでは過去のことがどんどん闇の中に消えていってしまう。それが怖い!

 竣工時からの居住者はもちろん何人かいるが、少なくなった。年老いて一人暮らしの人や病臥中の人もいる。管理組合の一員としての存在感は日に日に薄らいでいく。

 竣工時からの居住者は、今やイリオモテヤマネコと同じ絶滅残存危惧種である。

 当然ながら、管理組合の動きは居住歴の短い人が中心となる。

 こんなに古くなったマンションなのに今でも中古物件としての手ごろ感があるとみえて入居者の入れ替わりは今も続いているので、管理組合運営の中心はこれからもさらに変わっていくだろう。

 管理会社も竣工時のデベロッパー系の会社が旧財閥系大デベロッパーの子会社に変わった。今の管理会社の母体ができたのは最初の大規模修繕工事よりも後だから、この大規模マンションの過去のことを知る人が現在の管理会社にいるはずもない。
                   ☆
 マンションはコンクリート造だから、長寿命だという。

 でも、それは物理的な意味での建造物寿命だ。その意味では、マンションもホテルもオフィスビルも同じである。

 マンションがホテルと違うのは、多くの人間が生活条件を共有しながら住み続けるという点にある。この条件が確保できなくなったらマンションはホテル化して、もうマンションではあり得なくなる。

「時間の経過に伴う劣化対応の視点が管理の本質である」ことを忘れたら空疎な法文解釈だけが残る。とすれば、今のマンション管理は・・・

 すべてのものは時間の経過とともに劣化していく。マンションも例外ではない。建物の劣化や住む人間の交代などの変化が避けられないマンションでは、そうした時間経過への対応がとりわけ重みを持つ。

 だからこそ、マンションでは管理が存在価値を左右することになる。そのことは、昔から気づかれていた。ただし、理屈の上では・・・。

 「管理が重大な意味を持つ」のは《誰が管理を担うのか》という意味になるが、もっと詳しく言えば《管理の当事者になるのは誰か》という意味になる。

 だが、この点を考えると、現在のマンション管理の考え方は明らかに理屈倒れになっていると言わざるを得ない。

 『マンションは管理を買え』などと大真面目にいう人が今もいる状態が、まぎれもなくそれを物語っている。管理は「買う」とか「売る」とかいうものではないのだ、自分自身が「する」ものであって、自分がやらないまま金を払って誰かに「やってもらう」ようなものではない。

 こんなわかりきったことを棚に上げるとマンション管理は他人事になってしまい、当事者がいったい誰なのかがわからなくなってしまう。
                   ☆
 時間経過への対応という視点は、これまでにも中途半端な形で、あるにはあった。

 マンションをあくまでも個人資産として考える視点がそれだ。だが、個人資産中心として考えるマンションは専有部分・住戸中心のとらえ方になり、大きくて複雑な建物であるマンションの全体像は見えにくくなってしまう。全体像の認識が薄いから超高層物件も低層物件も、大規模物件も小規模物件も同じような原則で管理を考えることになってしまう。
                   ☆
 いまだに標準管理規約に示されるマンション管理の原型には、時間経過への対応を考えた組織原則も実務処理イメージも示されない。維持管理の唯一の当事者組織である管理組合のイメージも相変わらずで、多様化したマンションの類型に対応した方向がいまもって示されていない。
                   ☆
 良くも悪くも、管理組合の実情はこうした認識状態をそのまま反映する。過去の経過への対応を公式の仕組みが何も考えていないのだから、当事者能力の弱い管理組合がいちいち過去のことを気にすることもない。

 来年になれば、また新しいメンバーが考えてくれるだろう。

 過去のことに今さらこだわっても仕方がないよね・・・。
                   ☆
 そんな声が聞こえてきそうな気がする。
 

| muraitadao | コラム | 08:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 20】「えん罪弁護士」ではビジネスモデルが成り立たない?マンションではどうか

大抵の弁護士が敬遠する分野があるって?やっぱりね・・・

 4月15日夜のNHK・BS1で「ブレイブ 勇敢なる者“えん罪弁護士”・完全版」を見た。2年ぐらい前の放送で大反響があったものに未放送分を加えて再構成したという。間にニュースが入ったのを除いて100分の長編ドキュメントである。

 有罪率99.9%という実態があって弁護士が無罪をかちとるのはせいぜい1件ぐらいしかないという中で、一人で14件もの無罪判決を実現してきた今村格さんという弁護士がこのドキュメンタリーの主軸になっている。

 昨今の弁護士に多い多弁ぶりと対照的な人柄がにじみ出る感じで、十二分の見ごたえがあった。

 その満足感は別として予想外に興味があったのは、今村さんを語るほかの弁護士の話だった。

 子細な言葉をメモしたわけではないが、こんな意味のことを語っていた。《普通の弁護士なら、今村さんのような仕事はしない。刑事事件を手がけて無罪判決を獲得するのは経済的なメリットがなくて、とても割が合わないからだ。こういう仕事の仕方では弁護士としてのビジネスモデルが成り立たない》。

 弁護士という職業について昔から薄々と感じていたことが、いとも率直にあっけらかんとした感じで語られていた。ちょっと驚くほど率直な語り口だった。

 いつもテレビのニュースショーやバラエティに訳知り顔で出てくる常連の弁護士たち。お笑い芸人とひな壇で笑いながら肩を並べる弁護士たち。いったいこの連中はプロとしての本業である弁護士の仕事をいつしているのだろうかと、かねがね疑問を感じていたからだ。

 限られたエネルギーと知力を集中して投入し、時としては調査費用を自弁してまでかかりきった刑事事件が無罪になれば辯護士としての目標は確かに実現するが、手に入る報酬がそれに見合っているかどうか。

 そんな割の合わないことに時間を費やすよりもテレビのコメンテーターとして適当なことをしゃべっている方がはるかに報酬が多くてはるかにトクだと考える弁護士は多いだろう。

 ゲスの勘繰りだろうか。

適正化法ができたとき若手の弁護士がマンションの勉強会を開いていると聞いて思わず首を傾げたっけ

 何となく10年以上前のことを思い出した。マンション管理適正化法が登場して間もなかったころだ。

 マンション管理の分野では知られた弁護士と雑談をしていた。その時、彼はこうつぶやいた。「適正化法が登場したものだから、この頃になって、急に、若い弁護士連中が勉強会なんか始めましてねぇ・・・」。

 “やれやれ・・”とまでは言わなかったが、表情は明らかにそんな感じだった。

 首都圏ではないある政令指定都市の実情をめぐっての雑談だった。

 こちらは少し驚いて《今さら勉強会なんかしなくても、若い弁護士ならおよそのことは知っているでしょうに・・》と応じたが、何だか話しづらくなってきて、すぐ話題を変えた。

 かねてからマンション管理に詳しい弁護士が本当に少ないと感じていたのは確かだったし、《やはりね・・》という感じになりそうな自覚があったからだ。

 実際、マンションの管理は収益至上感覚の弁護士だったら、まず積極的に取り組む分野ではあるまいという思いは、もうずいぶん前からあったのだ。何しろ持ち込まれる話が厄介だし、経済力はないし、管理組合も管理会社も組織の実情がつかみにくいし、いったい当事者が誰なのかがわかりにくいし、あれやこれやの事情が重なって弁護士に敬遠されても仕方がないとは思っていたが・・。

 しかし、一方では、弁護士たちと話し合う機会に複雑で戸惑う気分に満ちたことが多かったのも否定できない。

 法律の言葉だけでマンションがわかるという勘違いをしている弁護士が気になることがあまりにも多かったからだ。世の中の複雑さといささかも変わらないマンションという世界を語るには、あまりにも実情を知らなさすぎる・・・。

 六法全書は確かに欠かせないが、漢字の言葉だけで書かれた法律の言葉だけではとてもとても・・・。

「虫歯から水虫まで病気は何でもござれ」という医者がいないのと同じことが弁護士にも言えることを管理組合はもっと知っておく方がいい

 この実感が強くなってから、セミナーなどで繰り返すようになった言い方がある。

 《マンションには大勢の人が暮らしているのだから、管理組合が物事を決めようとすると、人の数だけ意見が分かれるという事実に必ず直面する。だから、この厄介な事実に向かいあうと法律などのルールが命綱になるが、その法律を使いこなす時には弁護士などの知恵が必要になることが多い。

 その弁護士を探す時には医者を探すのと同じ考え方が役に立つ

 病気になって駆け込む医者はどこの誰でもいいわけではない。病気によって診療科目が分かれているからだ。

 その点では、弁護士と医者も変わらない。医者の診療科目と同じように、弁護士も専門分野が様々に分かれている。弁護士にも会社紛争や相続問題など手がける専門分野があるから、マンション管理の場合も管理組合に特有の実情などがどのくらい通じるかを見極めながら弁護士を選ぶ方がいい》。
                   ☆
 セミナーに限らず、執筆原稿などでもこの考え方を繰り返すようになった。

 この考え方について、苦情や疑問にぶつかったことは一度もない。

だがマンションに詳しい弁護士が少ない実情は今も・・・

 しかし、実際のところ、この言い方は当面の説明方法に過ぎない。

 医者選びと同じ感覚で弁護士を選ぼうとしても、求めるような弁護士にめぐりあえるかどうかは別の話だからだ。

 病気に苦しんでいる人が求め続けてきたドクターに必ず出会えるとは限らない。いくら探しても見つからないことはよくあるものだ。

 《探している専門医がいるかどうか》は、探し方の問題と違うからだ。もともといないのだったら、いくら探し方に丹精を凝らしても見つかる筈がない。

 高齢化や老朽化といった手に負えない事態に苦しむ管理組合が頼れる弁護士を探す場合にも、どことなく似た感じはないだろうか。
                   ☆
 《刑事事件のえん罪弁護士ではビジネスモデルが成り立たない》という理屈や感覚は、マンション管理の分野では全く無関係だろうか・・・。 

| muraitadao | コラム | 12:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 19】「記憶がない」「文書がない」状態のマンションにどんなことが起こるか

連日、同じようなニュースを聞きながら感じるこの不安がマンションの過去への連想を呼び起こすと・・・

 何かを聞かれて「記憶にない」と答えるケースが毎日のように流れる。

 かと思うと、文書が「ない」とか「あった」とか、同じような、しかし、同じではないようなわかりにくいニュースも交じって、もう、うんざりする。

 こういうニュースに出てくるのは役所や役人のことだが、同じことがマンションで起こったらどうなるか。過去のことを確かめたいときに、記憶している人もいなければ手がかりになる文書もないなどということになったら、どうなるのか。

 こんなことが頭に浮かんでも、それを必ずしも一概に「あり得ない」と打ち消してしまえない気分になるのは否定できない。

 気になる。とても気になる。それだけの理由があるのだ。

 まず第一。マンションは長寿命の建物だと言われるが、それは建物の物理的な年数の話だ。住む人の方は入れ替わるから建物の寿命と居住年数が一致しない。一致したとしても人間の記憶はあいまいになりやすいから、信頼度が薄くなる。記憶する人の個人差もある。

 第二。マンション全体についての過去は個人レベルの区分所有者ではなくて管理組合という組織レベルの課題になるが、現実の管理組合の運営体制や仕組みにはそうしたことへの視点がまったくない。

 竣工後30年を超えるマンションストックが多くなるこれからを考えると、過去の記憶があいまいになりがちなマンションが増えそうな気がする。見たくないものから目をそらせないような不安な感じで浮かびあがってくるのだ。

 大抵の管理組合は現状への対応に精いっぱいで、それ以上のことに取り組む余力がないと思われるのだが、どうだろう。

 管理会社はどうか。どの管理会社も自社の企業的次元の限界があって、とてもではないが過去のことに対応するにはいくつもの限界がある。

 こう考えてくると、マンションの過去は管理組合にも管理会社にも記憶や文書などの手がかりになるものが見当たらなくなる一方だ。

 この言い方が思い当たらないマンションはあるだろうか。

マンションに住む人は誰もみんな忘れっぽいが、マンション全体のことになればそう簡単には割り切れない

 もともと《忘れっぽい》とか《記憶があやふやになる》ということ自体は、個人レベルの話だ。一人ひとりがどれほど忘れっぽくても個人の問題にとどまるが、その個人の立場や関わり方によっては必ずしもそうとばかりは言えなくなる。

 忘れてはならないこと、記憶しておくべきことの内容によっては個人レベルの問題として割り切ってしまえなくなるからだ。
                   ☆
 長年マンションに住んできた今、つくづく実感することがある。

 これまでの暮らしは4棟全600戸の中の一居住者としてだったのだから、自分の住戸の中でのことはどこかでマンション全体と関わっていたことは間違いない。

 今月で44年になるマンション暮らしは、その意味で、マンション全体のことに必ずどこかでつながりながら送ってきたことになる。

 でも、だからと言って、今もすべてのことをつぶさに記憶しているわけではない。3回の大規模修繕工事など管理組合にも関わってそれなりに苦労してきたはずなのに、実際には記憶が薄らいでしまったことばかりだ。

 先日、資料などの整理をしていて、そのことをあらためて実感した。

 メモや議事録など《書いた記録》という文書が忘れっぽさから逃げられない記憶回復の手がかりになることを今さらながら再確認した。

 全600戸で居住経験を共有している人は、40年以上も経てば、もうそんなには住んでいない。だから、記憶があいまいになったり、文書もなかったりしたら誰かに聞くしかないが、そんな時に当てにできる人はもう多くはい。
                   ☆
 いつかは、こういう日がくるだろうと思っていた。だから、手元にある記録資料は、そういう予感めいた気分で作ったものばかりだ。

 管理組合としての記録文書は正式に決まったことの記録だけで、決まるまでのプロセスは公式文書にも残されていない。

 管理組合という世界は、何であれ《物事を決めるまで》が大変なのに・・・。それなのに、公式の手順や文書にそうしたことを示唆することがまったく示されていないのだ。

どのマンションにも固有の言葉がある。そのマンションだけの言葉や考え方が・・・。あとになってからわからなくなるかもしれない言葉が・・・

 手元にある文書を見ていると、いくつものことが思い浮かんでくる。書かれていることに対応する記憶がまだこちらにあるからだ。《書いてあること》と《思い出すこと》とが、このマンションに住んできた経験による記憶を媒体として結びつくわけだ。

 逆に言うと、ここに住んできた経験がなければ、こうならない。

 マンションで過去のことについての記憶とか文書といったものは、結局のところ、すべてこんなふうにそれぞれの物件固有の意味を持つものになっていく可能性があるのではないか。

 もっと突き詰めて言えば、そうした記憶も文書もそれぞれのマンションだけに固有の考え方と固有の言葉で成り立っているような気がしてくる。
                   ☆
 あらためて気がつくのだが、マンションはそれぞれ物件ごとに固有の空気を持つ世界ではないのか。その固有の空気が住んできた人の記憶やそれまでの年月にわたって管理組合が残した文書にとどめられていれば、そうした形で示されるそれぞれのマンションの個性はこれからも続いていくはずだと思う。

 マンション固有の住みよさは、そういう形で確保されると思うのだが。
                   ☆
 竣工後30年以上になるマンションは、それなりの数になるはずだ。そういうマンションでは、間に合ううちにこうしたことに手をつけておくほうがいいいのではないか。
 こんなこと、公式のマンション管理方式にはどこにも出てこないことだが・・・。
 

| muraitadao | コラム | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 18】大規模修繕工事は「ウチの管理組合」に自分も関わっている自覚のバロメーター

「わかっている」から「動く」とは限らない。住む人次第で違う。だから、管理組合の実情も・・・

 マンションに何十年も住んでいると、大抵の人の理屈の理解と生活実感がずれていることに気づく。

 平均的な常識を持っている人なら、誰でもマンションライフの理屈は一応それなりに知っている。マンションの住みよさを支えるためには維持管理が最大の柱になるものだとか、それを支えるのは《こういう考え方》や《こういう仕組み》であり、そのために《こういう法律》があるのだとかいうことを誰でも心得ている。

 しかし、実際上、そうした理屈は、何百戸、何十戸もある集合住宅の一角で暮らしている一個人としてわかっているだけにとどまる。はっきり言えば、どんなにすばらしい人であろうと、マンションでそういうことをどれほど正確にわかっていても、事実上の意味が何百分の一、何十分の一の立場を超えることはできないのだ。

 わかっていることが期待通りに実現するかどうかは、同じマンションに住む自分以外の人も同じようにわかっているかどうか次第だが、そこは何ともわからない。

 だから、自分が《わかっている》ことは実際のところ一人だけでは何も意味が完結しないことになる。

 マンションの維持管理は、《理屈を理解した個人》がどのくらいの割合で住んでいるかを事実上の前提とした時にはじめて実現するといえる。

 そう考えると「維持管理の主体が管理組合だ」というのは、あくまでも言葉の上の理屈に過ぎないことがはっきりする。

 現実の管理組合の様子は“区分所有権を持つ個人が区分所有者となる”という言葉で書かれただけの理屈の意味をきちんと理解した人が多いか少ないかで、よくも悪くも決まる。この理屈を理解している個人が多いマンションなら管理組合は組織力が充実するし、逆に、少ないマンションでは管理組合は名ばかりの存在となってしまう。

 この状況は、同じマンションであっても時間の経過によって間断なく変わる。建物が長寿命でも居住者はいつも入れ替わるし、そうでなくても同じ居住者は住み続けながら確実に高齢化していくからだ。同じマンションで、ある時期は居住者の意識レベルが高くて管理組合の存在感が大きくても、何年かが過ぎてしまうと、そうした居住者の入れ替わりでこの状態が逆転してしまうことは珍しくない。

 念のために付け加えれば.わざわざ《わかっている人》とだけ書いて「区分所有者」という言葉をあえて避けたのは、マンションの実態を左右する管理組合の実情は区分所有者ではなく四六時中生活している生身の居住者次第で決まるからである。
44年の実感で確かめた言葉でいま語りたい!「マンションは建物が長寿命でも人間は違う」ことを

 これは、竣工時から同じマンションに住み続けてごく自然に生まれてきた実感だ。マンション管理の考え方や取り組み方を言葉でいくら理詰めに説明できても、《いまウチのマンションにどんな人たちがどのくらい住んでいるか》という事実にはかなわない。管理組合のあるべき姿や建前を現実に左右するのは、法律の言葉ではなくて《何歳ぐらいの、どんな生活をしている人たちが何人ぐらい住んでいるか》という目の前の実情なのだ。

 区分所有法とか標準管理規約とかいうのはよく知らないが、マンションにはルールがあってその中身までは目を通したことがないものの、管理組合がそのルールを動かしているらしいぐらいのことは誰もが承知している・・・。

 何ともあいまいだが、600万戸を超えるマンションに住む人たちは大抵こんな感じだろうといったら言い過ぎだろうか。

 要するに、マンションに住んでいる「普通の人」のイメージをどう考えるかという話なのだ。どんなマンションでも見かけるはずの「普通の人たち」をどんなイメージで思い描くかということが具体的なマンション管理の進め方を決めることになる。

 厄介なのは、この状況があいまいである一方で、理屈のわかり方や考え方にはかなり大きな個人差がある点だ。

 同じ言葉であっても理屈と実感が個人差を反映しながら大きくずれていて、「わかっている」からその通りに「動く」とは限らないという面倒くさい状況が生まれる。しかも、その状況はそれぞれのマンションに住む人たちの属性によってかなり違ってくる。

 この点については際限がなくなるからこれ以上のことは書かないが、一つだけはっきり書いておきたいことがある。

 それは、分譲マンションに住んでいながら外ならぬ我が身が管理組合のメンバーの一人であることに思い至らない人ほど「わかっている」ことと「動く」ことのずれ方が大きくなりやすいという点だ。だから、ずれている人の場合、いつも管理組合の話が他人事になる。

 厄介なのは、こうしたずれの原因が年齢や仕事に始まって性格や家族像、経済力、居住歴など個人差によって千差万別の広がりを持つ点だ。

管理組合の理解度は関わり方の自覚で決まる。管理組合をわが身との関わりで考えるか、それとも・・・

 この広がりは、同じマンションであっても時代が変わるとどんどん変わっていく。

 同じマンションに住んできて、そのことが実によくわかった。

 44年住むうちに、いろいろな機会にできたいろんなマンションとの縁で、この実感はますます強くなった。

 これまでに関わってきた3回の大規模修繕工事は、それを嫌になるほど痛切に実感させた。管理組合の当事者能力を持ちこたえていく道のりの容易でない実感は、大規模修繕工事の回を重ねるごとに大きくなっていった。

 しかし、そんな中で回を重ねるたびに強くなっていった実感がある。それは、大規模修繕工事に限らず管理組合の当事者能力を決めるのは、結局のところ一人ひとりの居住者自身が管理組合への帰属感をどの程度に持っているかという点が最大のキーポイントになる点だった。

 この4月で同じマンションに住み続けた年月が44年目になった。これは、そんな感慨と一緒に浮かび上がってくる実感である。

| muraitadao | コラム | 04:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
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