村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【あらためて「マンション管理の常識」を見直すと・・・ 1】年が変わっても昔からの常識は今までと同じように通用するのだろうか

お住まいは戸建てですか、それとも・・・と聞いて大ざっぱに話が展開したものだが・・・

 この頃はあまり顔を出さなくなったが、年が変わるこの時季は何かと集まりで初対面の人と会話をする機会が多い。

 初めて会ったばかりの人と向き合うとあまり共通の話題がないが、幸いにして住宅やマンションの関係の集まりの場合であれば《お住まいはどちらですか》と聞くと、そこそこに会話のきっかけがつかめる。

 地名を聞けば、ごく自然な形で住宅やマンションに話題を持っていけるからだ。

 「お住まいは・・・」と問いかけると大抵の人は大ざっぱに地名をあげて「○○です」と答えるから、その地名でおよその見当がつく。これで話のきっかけができれば「あ、なるほど」とか何とか意味不明の相槌を打ちながら《戸建てですか、それともマンションですか》と聞いて会話のイメージを絞っていくことができる。

 でも、このやりとりができたのは、戸建てとマンションという住宅スタイルの対比で誰にも共通するイメージがあったからだ。

 以前は住宅双六といったイメージがあって、上りは「庭付き一戸建て住宅」だった。この語り方にはマンションにも戸建て住宅にも定型化されたイメージがあったものだ。

 だが、この頃は、ちょっと違う。

 向かいあってやり取りしている同士が頭の中で考えている戸建てとマンションのイメージが必ずしも同じようなものとは限らない場合が多くなってきたからだ。

 特に、マンションは規模の大小、経過年数の新旧を考えると、もはや単純な言い方ができなくなったと思う。

言わず語らずのうちに新築か中古かを探る微妙な展開が自分の住まいの光景を決める・・・

 戸建てかマンションかの区別に話が展開すると、その先が微妙な展開になる。新築か中古かの違いがあるからだ。集合住宅でも一戸建て住宅でも、今や新築か中古かの違いでそこから先の話の進み方が微妙に違ってくることになる。

 マンションの場合は、物件の場所や建築時期で、ここから先の展開がさらに細かく決まってくる。戸数や階数がはっきりすると、もっと話の展開が大きく変わる。場合によっては、管理の様子や建て替えなどにまで話が及ぶ。

 そうした会話の展開は、対話の相手が分譲マンションに持っている関心の度合いによってかなり違う。戸建てにはないマンション特有の生活感覚をどの程度に持ち合わせているかによって、それまでの《どうでもいい》といった取り留めのなさが現実的な共鳴感に絞られていく予感を帯びてくるからだ。

 マンションのイメージに共有できる見込みがありそうだと思わせる感じになると、話の展開によっては、お互いの持っている《住宅への関わり方》も分かってくる。いま住んでいるのが持ち家か借家か、今のところには何年ぐらい住んでいるのか、今の住まいにこれからも永住するのか、それとも・・・といったことにまで話が及ぶことだってある。

 こんな会話を重ねるほどになると、初対面だった相手との距離がぐっと近くなってくる。会ったばかりの人への親近感が生まれてくるという思いがけなさが、こうした会合への期待を大きくする。
                   ☆
 住まいへの関わり方、とりわけマンションなのか戸建て住宅なのかによって対話の展開は一変するのは、当事者としての関わり方が感覚的にまるで違うからだ。住んでいる当事者としての関わり方という意味では、マンションと戸建て住宅との形態的な違いに加えて、住んできた居住年数の長さも大きく関係する。

 新築か中古かという物件条件は、実は、生活感覚の深さや幅の広さを浮かび上がらせる指標にもなるからだ。

 新築か中古かを意識しながら住まいをどんな言葉で語るかによって、暮らしてきた年数の長さがきわめて自然な形で浮き彫りになってくる。

 特に、壁や床を隔てただけの至近距離で多くの人と生活空間を共有するマンションでは、そういう感じになる。

 例えば、年末年始のマンションのゴミ置き場を考えてみるだけでいい。

 《人が生きていく》というのは、実は《ごみを生みだしながら生きていく》という意味にほかならない。それほど住まいにごみの問題は表裏一体なのに、建前やルール、仕組みの上では、具体的なことが何も示されていない。

 標準管理規約の別表の中に「ごみ集積所」という言葉が出てくる一例を除けば。

「自分の言葉で自分の住まいをどのくらいまで語れるか」―この問いかけの常識感覚が難しくない人はどのくらいいるだろうか

 「住む」ことは「生活する」ことに裏付けられなかったら、意味を失う。住んできた年数の長さは生活してきた年月の長さで支えられてこそ意味を持つ。さらに、もともとは個人レベルの意味だけだった「住む」という言葉に、生活展開の背景となる居住環境というバックグラウンドの意味を重ねると、それなりの広がりを持つエリアの変遷が経過年数によって一場面のシーンとなって、えも言われぬ現実感を持ち始める。
 ・・・・
 自分の住まいが過ごしてきた年数は、そこに生きてきた人間の物語でもある。物語の展開はどんな場所に住んできたかというステージによっても大きく異なる。

 自分の住まいを、どんな言葉で、どう語るか。

 簡単ではない難しさがあるが、時間をかけながら、答探しをしなければなるまい。

 《当り前》の一語でわかっているつもりだった常識を、あらためて見直したい気持ちが、今さらにして強くなってきた。

 齢甲斐もなく・・・。

| muraitadao | コラム | 06:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 41】マンションの越年でこれまでの記録が大事だと気づいた人はどのくらいいただろうか

マンションが新しいうちは管理組合が開店休業状態でも困らなかったが あっという間に10年が過ぎて・・・

 今年は、5年ごとに回ってくる管理組合役員の当番階の年だった。だが、87歳という年齢になると、正直なところ、もうそろそろ・・・と思う。体調に特別の変わりはないが、何をしても疲れやすくなったのは確かだ。

 長年取り組んできた管理組合組織活動への側面協力も、このあたりで納めにしたいというのが本音である。

 幸せなことに、この齢でも普通の生活を過ごしているし、管理組合のルールに年齢の条件など、どこを探してもまったく出てこないから、何歳になれば役員を引き受けなくていいという理由などみつからない。

 なまじ年齢などに対応する仕組みを取り入れていたら、高齢化社会で長寿命のマンションを管理できる見込みがなくなってしまうと早くも気づいた人がいたのに違いない。はるかな遠い昔、マンション管理の仕組みを考えた人の先見性に驚き、敬服する。

 このままだといずれ、管理組合の理事会に100歳の老人と18歳の若者が隣り合って意見を述べるマンションが珍しくなくなるかもしれない。

 何しろ、管理組合は区分所有者の団体だという、いとも単純にして明快な考え方のルールがあるだけなのだ。持ってさえいれば、何歳だろうと、どんな人だろうと、いっさい決まった条件がないのだから、これはわかりやすい。

 それはともかくとして、45年も住んできた実感で言えば、600戸のマンションに住む大半の人は、それほど管理組合の仕事に熱心でなく、さりとて非協力的でもないという実感がある。

 だから、役員選びの時も自分から進んで手を上げるような人が少なくて時間はかかるものの、結局は、何とかなる。それなりの時間が過ぎれば、大部分の人はどれかの役割を引き受けて、何とか次年度の役員決定のおさまりがつくのが普通だったから。

 自分から進んで引き受けるほどの熱意はないが、居住者である自分自身と関わる役目の意味は心得ている。だから、自分がその関わりの確認を求められた場合はそのまま受け入れるという消極的な感覚がいつもみんなにあった。

 入居したときはまだ40歳代前半。マイホーム、マイホームという掛け声の一端をかついで一番よく働いていた時期だった。大抵の人と同じように、マンションはただもう寝て帰るだけの場所だった。

 誰も彼もが、そんな気分で動き回っているうちに、毎日がどんどん過ぎた。あのころは時間の過ぎ方が早かったなぁ・・・と思う。

 そんな中でも、《マンションは管理を買え》などという意味不明の言い方を訳知り顔で誰かがいうのを聞くことがあったが、《え?それが、どうしたって?》という程度の感じでおしまいになった。管理組合とか区分所有という言葉の実感は、まるでなかった。

 何でもそうだが、管理という考え方にはモノを所有する実感を裏付ける重さがあるはずだが、持ち物が新しいうちはそれほどピンとくる実感がない。まして共有建物であるマンションでは住み始めた当初から自分一人の単独所有ではないという意識があったから、管理が自分と関わるなどという自覚は誰にも薄かったと思う。

 世が世なら、もともとは一戸建て住宅に住みたかったが、こと志と違ってマンション住まいで妥協している・・・。

 その意味で、今はもう死語に近くなった「マイホーム」感覚が、いつもマンションの居住感覚の真ん中にあった。

建物の全体像抜き自分の住戸だけがマンションだった時代のマンションは住宅双六の通過点でしかなかった

 一種の屈折したこの感覚がマンション管理の自覚を妨げる結果となったのは、否定できない。マンションがマイホームという言葉で語られていた時期は、専有部分となる玄関ドアの内側だけが頭にあり、大抵の人にとって自分の住まいとしてのイメージではマンションも一戸建て住宅も同じだった。

 こんな居住感覚の時代は、マンションは専有部分だけが念頭にあったから、共用部分は頭の中に浮かばない。マンションが大きな建物の全体像イメージで思い浮かべられることがあっても、それは正面玄関ホール、廊下、階段など自宅までのごく限られたスペースだけだった。長い間住んでいても、まだ足を踏み入れたことがない未知の空間が誰にも必ずあった。でも、それを不思議にも思わなかった。

 毎朝、玄関に迎えの黒いハイヤーが来る霞が関の偉い人も昔は住んでいた。のちに政府の高官になったと聞いて、あ、なるほど・・ね、と思った。あんな人でもやっぱり管理組合のメンバーなのかなぁと思った不可解さも覚えている。

 管理組合は、機会さえあれば、自分もいずれは一戸建てに・・・というイメージが多くの人の頭の中にある組織だった。

 今はもう死語になったと思うが、昔「住宅双六」という言葉があった。人の一生を住まいの面から考えて、結婚したらまず賃貸アパート、子供が生まれたら賃貸団地、それから賃貸マンション、それから分譲マンションを経て最終的なゴールは庭付き一戸建て住宅という展開で、そのイメージは平均的な日本人すべてに当てはまる人生コースそのものだった。

 分譲マンションは、そうした住宅コースの通過点だった。口にこそ出さないが、誰にとってもマンションは一戸建て住宅を目指す途中で通過するだけのものだったから、何年も分譲マンションに住んでいると甲斐性がないとか、よほどの信念があるかのどちらかだろうというのが通念だった。

 引っ越して出ていく人にはゴールを実現した人へのかすかな羨望を交えた視線が向けられたものだった。年数のたったマンションは、もはやマイホームではなくなっていた。

やがてバブル。売り出した会社は姿を消し、竣工後の居住者が増えて マンションの昔は年ごとに遠くなっていった

 45年の間にバブルが起こって、消えた。マンションの分譲会社も姿を消したし、居住者もすっかり変わって、竣工当初からの居住者は絶滅残存危惧種と化した。

 だから、かえって45年住み続けてきた今の居住実感は貴重だと、つくづく思う。年月が過ぎたマンションでは物事がどれほど変わるかをいろいろな形で嫌になるほどじっくり見せてもらってきたからだ。

 45年経ってわかったこと、ほかの人にもぜひ伝えたいことは、もう本当に限りがない。

 マンションは長寿命の建物だが、住んでいる人間の方はまるで違う。建物はそれほど予想を超えて変わることはないが、人間の方はまるで違う。やや年月の経過を見せながら建ち続けるマンションで、人間の方は予想を超える変わり方を見せた。

 今のマンション管理の仕組みも、いずれ変わらざるを得まい。変わらなかったら、どうなるか。放置されて無人化し管理どころではなくなったマンションの実情も、この秋のブログに書いた。

 そんなことも記録があればこそ、何とかなる。

 この時期に、そんなことを考える人は、いまどのくらいいるのだろうか。

| muraitadao | コラム | 04:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 41】マンションの12月は管理の正直な素顔が現れるシーズンではないか?管理組合にとっても管理会社にとっても

○○号室に住んでいる人は何という名前ですか?

 マンション正面玄関の光景には、そこに住む人が管理をどう考えているかが正直に浮かび上がっているような気がする。

 ○○号室には何という名前の人が住んでいるかという当たり前の事実を誰にもわかるような形で示すというのは、マンションがマンションとして成り立つための基本条件である。ビジネスビルと違ってマンションの本質は人の住まいなのだから、そこには必ず誰かが住んでいるという状態の表示は当然の話だ。

 だが、この頃は必ずしもそうとは言えなくなったようだ。マンションに住んでいる人自身が名前を出さないようにしようという風潮が強くなってきている。

 こんな風潮の生まれる原因は、はっきりしている。名前が個人情報だからという理由だけで、とにかく名前を出さずにすませよう、名前はできる限り出さない方がいいと考える人が多くなっているからだ。

 名前が個人情報だというのは、当たり前のわかりきった話である。集合住宅で住んでいる者が自分の名前を出すのも、今さらいうほどもない常識だ。

名無しの権兵衛でもあるまいし、住宅に自分の名前は出すのは当たり前。名前が出ていなかったら、あのウチはきっと何か人に言えないワケがあるに違いないと誰もが思ったもの・・・

 集合住宅であろうと一戸建て住宅であろうと、自分の住まいに自分の名前を出すのは常識中の常識だった。マンションが一戸建て住宅に代わる住まいとして登場した半世紀前の昔から今もこの常識は変わらない。

 無人の空き家やワケあって人目をはばかる隠れ家でない限り、住宅に名前を出すのは当たり前の話だった。

 子供のころ「○○寓(ぐう)」という表札の家を見かけることがあった。もともと「寓」は人の住まいの意味だから「安倍太郎」とか「麻生二郎」とかフルに氏名を書けばいいのになぜそう書かないのかと、いつも不思議だった。

 ずっと後になってから、それは「名前を書けないワケがあるからだ」と聞いて少し納得した。

 やがてそのワケはわかったが、人に知られたくない事情があっても無人の空き家ではなくて、れっきとした人の住まいであることを示す表札は欠かせないもので、住まいに氏名を全部出せないことがあっても苗字だけは表札に出すものなのだと、子供心に思っていた。

 だから、表札がない家なのに誰かが住んでいる様子があったりしたら、あそこは、きっと何か表に名前を出せないようなよくよくの事情があるのに違いないと単純に決めていた。自分の住まいには自分の名前を出すものなのだから、名前を出さないウチは何か特別の事情があるのに違いない・・・。

 マンションだって人の住まいだから、そこは同じはず。

 そう考えてきた。

 今も、そう考えている。

隣の人が誰だかわからないマンションはホテルと同じ。実質的に賃貸マンション化した名ばかりの分譲マンションでは…

 何も問題のいないマンションなら近隣の人と同じところで朝晩いっしょに過ごしていても、短期間なら隣の人の名前がわからなくても別に困ることはない。

 ホテルで隣り合った部屋に泊まるのと同じだ。隣の部屋に泊まっている人の名前など知らなくても、いずれどこかへ行ってしまうのだから、いちいち気にする必要もない。同じところで過ごす期間が短ければ会う機会が少ないし、まして共通する生活条件などもないからだ。

 隣に誰がいようとかまわないし、それは逆に隣から考えても全く同じである。
                   ☆
 だが、マンションはそこが違う。

 ホテルは泊まるところだが、マンションは住むところだからだ。

 ホテルは借りた空間で生活条件の確保も他人任せだし限られた期間だけ借りて使う場所だが、マンションは生活条件の確保は自分が持ち主として何とかしなければならない場所だ。自分が何とかすることもできなかったら、費用を払ってどこかに頼まなければならない。

 その場合も、自分が持ち主であることにはまったく変わりがない。

 お金を払って泊まるホテルと、持ち主として住むマンションは、ここが違うというだけのことだが・・・。

 でもこの違いがわからなかったら、住む人の感覚はホテルと同じになる。そうなれば、分譲マンションとは名ばかりで、実質的には賃貸マンションと化してしまうはずだが・・・。
                   ☆
 住んでいる人の名前がすぐわかる状態のマンションは、そういう状態を確保している人がいる。

 必要なら名前を出すことを知っている人が、住んでいる。

 名前がわかるのは約束事があって名前を聞く人には誰もが名前を知らせるからだ。

 そうしなければ住みにくくなる仕組みがあるからだ。

 住んでいる人は誰もがその仕組みを知っているからだ。

 その仕組みが、そうしなければならない約束事と必要なお金の支払いで成り立っているからだ。
                   ☆
 マンション管理とは、結局のところ、そういうことではないか。

| muraitadao | コラム | 08:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 40】マンションを一戸建て住宅の代替と考える発想はもうなくなったのだろうか、それとも、まだ、どこかに・・・

思えば、最初の大規模修繕工事がマンション管理という課題の底知れぬ重さを痛感するきっかけだった

 住み始めて10年を過ぎたころ、正直に言って、私は、まだマンション管理のことにそれほど関心を持ってはいなかった。住んできたマンションはそんなに古くなってはいなかったし、大した問題があるわけでもなかった。

 その一方で、住宅金融公庫でそろそろ責任のある立場に立たされることが多くなってきた。住宅産業という分野が生まれ始めていたし、今までとは打って変わった民間金融機関の住宅ローン進出が話題になることも多くなってきた。

 中古マンションがそれなりに市場価値を持つことが少しずつ意識されるようになると、いま住んでいるこのマンションは「いくらぐらいで売れるんだろうか」といった言い方が世間話にかぶせて語られることが多くなってきた。

 新築マンションがブームまがいに売り出される中で、建築後年数を経た物件もあらためて、不動産取引面で市場価値が見直されることが多くなり、中古マンション用の住宅ローンが生まれる状況も大規模修繕工事を受け入れる雰囲気の背景にあった。

 ただし、コンクリート建てのマンションが木造住宅よりも長寿命だという常識レベルの理屈だけはわかっていても、居住者個人の感覚では間違いなく不安があった。

 近所の新しいマンションを引き合いに出しながらウチのマンションだって、まだまだ・・と考える人は当然いたから、中古マンションという視点の資産感覚がかなり多くの人に広がってきていたのも確かだった。

 だが、そう考えても、当時あまりポピュラーではなかった「大規模修繕工事」という言葉の提案が総会で賛成されたのは今でも感慨深い気がする。

 大規模修繕工事はその後10数年ごとに回を重ねてすでに3回目を昨年すませたし、ほかにも外壁改修以外の大スケールの共用部分修繕工事をすませてきたが、基本的に大半の居住者の無関心ぶりは相変わらずで、築後45年の今もあまり変わっていない。

 だが、今ではこうした言葉で語れる大半の無関心ぶりだが、最初の大規模修繕工事当時はかなり気分的にきつかった。重かった。

 だが、悩んでばかりいても仕方がない。

 反応がないのは聞いても返事がないと考えるしかない。返事がなければ賛否はわからないが、少なくとも反対ではない。それなら、事実上「提案が否定されていない」と理解することができると考えた。

 よくよく考えてみれば、いくら汗だくで主張しても、当の提案者自身を含めて大規模修繕工事など誰ひとり自分自身で経験していない状態だった。そうであれば、誰も経験していないことを「賛成か反対か」と聞かれたって、答えようがない。

 最終的には、一種の割り切りしかなかった。

 悩みに悩んで割り切った結果浮かび上がった結論は、実態を見て判断するしかないということだった。

「扉の外もマイホーム」という抜群のフレーズがすぐ姿を消してしまったマンション管理センタースタートのころ

 割り切りで見出つけた方向は、その後、今でも大きな支えとなっている。提案することを経験で確かめていなくても、考えられる限り、確かめられる限り正当な必要性を持っていれば、確信を持って進むしかないという考え方が、いつも最大の支えになるということだった。
                   ☆
 かつて、分譲マンションが普及し始めたころ、マンションを「マイホーム」ととらえる考え方があった。マンションは一戸建て住宅の代替イメージの産物と考えるのが常識だった。

 大きな建物の一角に住んでいても、自分の住戸の玄関ドアの内側はまぎれもないマイホームだと考える風潮だった。

 住宅不足解消を目指してスタートしたはずの日本住宅公団でさえ、当初の賃貸団地ばかりでなく分譲団地を供給し始めたし、それに煽られて都道府県市の住宅供給公社が続々と分譲団地を作るようになって、大小さまざまのニュータウンが全国各地に生まれた。

 だが、こうして続出したニュータウンは、結局のところ、あくまでも個人レベルのマイホームイメージの集積体だった。集合住宅特有のイメージはあまりないまま一戸建て住宅感覚が集積されたものが、マンションだったといえる。

 この時代に「住宅双六」というイメージが流行した。自分の住まいはモクチンアパート→公団の賃貸団地住宅→庭付き戸建て住宅という展開だった。

 昭和年代の終わりに近いころ、できたばかりのマンション管理センターに協力を求められて、機関紙づくりに関わった時期がある。

 このころ「扉の外もマイホーム」という言い方を進めたいという意見がでたことがあった。いわゆるマイホームイメージで専有部分である各戸玄関扉の内側だけを考えると、共用部分を含む集合住宅全体のイメージが理解しにくくなる。

 そうなれば、自分のマンションの住みよさを専有部分だけでなく共用部分と一体化して集合住宅特有の住みよさがわかりにくくなってしまう。庭付き一戸建て住宅のマイホームイメージとの絶縁がマンション管理には欠かせないのだからこの言い方は抜群にすばらしいと思った。

 しかし、このとき、この言い方も考え方もまったく反応がなかった。

 マンションはやはり一戸建て住宅のマイホームイメージを膨らませたものだったことをあらためて実感する。

いまマンション独自の集合住宅観がどのくらいあるのだろうか。マンションストック600万戸のこの時代に・・・

 庭付き一戸建て住宅のマイホームイメージとは別次元のマンション特有のイメージは、いまどういう状況なのだろうか。

 もはや珍しさもなくなったタワーマンションはどうなのか。タワーマンションと並び立つ古いマンションは、どうなのか。高齢者や外国人など、昔は考えたこともなかった居住者が住むマンションは、今もマイホームのイメージのままなのか。

 一戸建て住宅のイメージを引きずったままのマンションが前提となっている状態はもうなくなったのだろうか。

 一戸建て住宅にはないマンション独特の共用部分は、生活基盤を共有する集合住宅特有のものとして定着しているのだろうか。

 マンションをまず「持っているかどうか」という視点だけでとらえる区分所有建物としてなく「持って住む」生活共同空間としてとらえる考え方は定着したのだろうか。

| muraitadao | コラム | 09:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 39】書いても書いても書くことが終わらないままブログを書き続けて12年目・・

2006年11月にメモを書く気分で始めたら、いつまでたっても書き終えた気分にならなくて・・・

 このブログも11年が過ぎて12年目に入る。

 と言っても、年数が過ぎたことなど書き手がやっと気づく程度のことにすぎないが・・・。

 普通は、同じテーマを同じ視点から語り続けていれば、いずれは語り終えるところにたどり着く。たどり着いたといえなくても、何とか一区切りつく状態になる。

 しかし、マンション管理ブログと銘打って始めたこのブログは、10年過ぎても一向にそうならないままだ。

 ブログは論文やエッセイと違うから、折々の感想を気持ちのまま日記風に書きとめるプライベートなものである。何を、どういうふうに書こうと、そこは自由だ。書きたければ書けばいいし、書きたくなくなったらいつでもやめればいい。

 それだけの話である。締め切りとか行数なども、いっさいフリー。気にしなくていい。気楽この上なし。

 そう思って、書き始めた。

 書きたいから書く。書きたくなくなったら、いつでもやめよう・・という気分は、今も頭の真ん中にあるのだが・・・。

 だが、毎年11月の今ごろになっても一向に「いつでも・・」という気分にならない。今年も、そうなった。書きたいことがなかなか書き終わらないからというのに尽きる。

 なぜ、書くのか。

 書きたいからだ。

 なぜ、書きたいのか。

 自分が感じ、考え、納得し、逆に納得できず、おさまりきれないことをほかの人に知ってほしいからだ。

 なぜ、そう思うのか。

 まだ、知ってほしいことを書き終わっていないからだ。

 それどころか、むしろ増えているような気がする。

だから、もう、書くしかない。

まだ珍しかった「マンションの大規模修繕工事」の連載記事を雑誌に書いたころ、発足早々のマンション管理センターへの協力を理事長から求められて・・・

 ブログを書き始めたのは、住み続けてきたマンションで2回目の大規模修繕工事を終わって間もない時期だった。

 2回目の大規模修繕工事が必要だという話になった時、最初の大規模修繕工事に携わった者に旗振りの求めが来るのは当然の成り行きだっただろう。

 でも、正直に言って、10年ちょっと前の大規模修繕工事の初めから終わりまでを経験済みなのだから、今度は何とかなるだろう・・という気持ちがどこかにあった。

 でも、これは、ある種の思い上がりだった。やってみて大違いだと思い知ることの連続だったからだ。

 第1回目の大規模修繕工事は昭和50年代の末期で、専門の組織もルールもなく、ただ、もう闇夜の手探りの気分だった。

 このころは、まだマンションの大規模修繕工事そのものが珍しくて、雑誌に連載記事を書いたこともある。情報価値が雑誌の売れ行きを動かすだけの重さを持っていたから、大規模修繕工事の記事が出ればそれなりに売れ行きが伸びたのかもしれない。

 そんなころ、できたばかりのマンション管理センター理事長から声がかかった。センターの初代理事長は住宅金融公庫の総裁でもあったから、どこかから大規模修繕工事の旗振りを務めていた私のことが伝わったのだろうと思う。

 確かに発足したばかりのマンション管理センターには、実情がわかっている人がほとんどいなかった。

 でも、自分が納得して関わったのだから、手は抜けない。もともと引き受けたことには一途になる性分がある。

 そう思ったのが、30年を超えるマンション管理との関わりの始まりだった。

マンション管理に関わる30年あまりが始まったが、書くことも語ることもそれほど変わってはいない実感が・・・

 自分の苦労が大きかった分だけ余計な苦労をしなくてもいいような効果をもつ情報を知らせたい気持ちは、マンション管理センターとの関わりでひときわ大きくなった。

 だが、具体的な手段は実に乏しかった。知恵を凝らした月刊誌「マンション管理センター通信」は大して役に立たなかったし、何よりマンション管理センターが知名度の低い超マイナーの組織だったから、存在感がほとんどなかった。

 さすがに、これでは・・・と思ったらしいセンターの担当者から、どうしたらいいでしょうかと相談を受けたときの驚きを今も覚えている。

 センターの人は、こう言った。『ウチのセンターのことを知ってもらえる案内状を郵送します。マンションがあれば必ず管理組合があるはずだし、そこに理事長がいるはずです。名前なんかわからなくてもちゃんと郵便は届くはずですから』

 何だかピンと来なくて、郵便封筒にどう書くのかを確かめてみると《リクルートの「週刊住宅情報」の後ろの方に中古マンションの欄が何十ページもあって、そこでマンションの名前も所在地もわかりますから。》という。

 思わず《名前がわからなかったら、大半の郵便が宛先不明で返送されてきますよ。はずだ、はずだとおっしゃるけれど、実情は違いますからね》と切り返した。

 正直なところ、実情知らずの能天気ぶりに腹が立ったのだ。

 最終的に固まったのがこちらから提案したマンション管理セミナーの開催だった。当時の新聞は開催行事の告知を生活情報として掲載していたので。かねて「住宅評論家」のクレジットで縁ができた各紙に記事の掲載を頼んだ。不安だったが、かなりの新聞がこの要望に応じてくれたのは正直に有難かった。

 それほど有名ではない会場で平日に開いたイベントだったが、自分自身が関与する最初のマンション管理セミナーがこうして実現した。
                   ☆
 セミナーという具体的な機会の実現で、マンション管理という課題が六法全書に出てくる法律や設計図の次元から人間の体温にあふれた現実感を一気に増した。

 竣工以来ずっと住み続けてきたマンションで生活感覚レベルになったマンション管理は、顔の見えるリアルな課題に予想を超えるほど大きく変わった。
                   ☆
 知りたい人へ、知りたいことを知らせる・・・。自分にわかっていることを残すところなく伝える。書くことも話すことも、すべてここに集中している・・・。
                   ☆
 この思いはブログを書き続ける最大の支えになってきたし、今も、そこは全く変わらない。 

| muraitadao | コラム | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
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