村井忠夫のマンション管理ブログ

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【語り尽くされていないこと、見逃されていること54:賛否を問う】YESとNOは「誰に」なのか「何に」なのかで決めた後が大違い?

外国の選挙結果が他人事でなくなってきた理由はいったい何?

 フランスと韓国で、大統領選挙が終わった。アメリカでは、昨年の選挙で新しく大統領になった人物の言動が何かにつけて物議の種になっている・・・。

 外国の選挙が《遠いよその国》の話ではない感じになってきた。別にさしたる関心もないまま聞くともなしに聞いて、そのうち忘れてしまうのが普通だったが、今はちょっと違う。

 成り行き次第で、いつ、こちらに「とばっちり」が降りかかってこないとも限らないというホンのかすかな気がかりが、ニュースを聞く頭の後ろ側に浮かんでくる。

 あながち市井の一市民の取り越し苦労とも言えまい。

 よその国の選挙の話が気になるのには、そういう「とばっちり」の予感に似た感じが絡んでいるせいかもしれない。

 選挙とか国民投票、住民投票という物事を決める仕組みが世界共通になってきたために、手段の共通性が身近な現実感を生んでいるからだろうか。

 誰もがぶつかる厄介な課題。ほとんどの人が関心を持っているのに、意見が分かれて簡単にまとまらない・・・、どうしたらいいか・・・。いったい、みんなどう考えてるんだろう・・・。いっそ、もう聞いてみたら・・・。

 そこで、選挙とか住民投票や国民投票となる。そこまでいかなくても、世論調査やアンケートぐらいにはなるだろう。こんなこと、もうザラではないか。

 となれば、どんな方法であっても、結局のところ《賛成するかしないか》を数だけで確かめるのがいちばんいい。何しろ数には誰も文句をいえないのだから。

でも 何に「賛成か反対か」を問うた後には 途方もない怖さが待ち受けているかもしれない

 《賛成するかしないか》みんなの胸のうちを聞いてみようじゃないか、ということ自体には誰も逆らえない妥当性がある。その結果が数字になれば、もう説得力は絶対なのだから。

 でも、いったい、何に賛成するかしないか》と《誰に賛成するかしないか》とでは、意味がまるで違う。

 「何に」ならば、仕組みを変えることの是非を聞く住民投票や国民投票になる。この点は、大阪都制もEU離脱も変わらない。《物事の決め方を変えた場合、その結果の変わりようを受け入れるかどうか》で賛否が分かれてもめた話の成り行きが決まるのを誰もが承知しているのだから。

 「誰に」ついて問うのなら、選挙だ。「誰に」というのだから《判断を任せる人間の当否》を聞くことになる。

 住民投票や国民投票のように言葉でイメージを説明できることを聞くのなら、仕組みの変更を決めた結果起こることをある程度まで予想しながら賛否を確かめることができる。

 だが、選挙の方はここが違う。「候補となった人についての賛否」を問うのだから、選んだ人の人間性や判断力への信頼が大前提になる。いったん信頼する人を決めた後は、その人の判断には絶対に従わなければならないのだから。

 いまのアメリカがそうだし、これからフランスや韓国もそうなる。

 日本だって、そこは同じだ。

 でも、「何に」を聞くか「誰に」を聞くかの違いがあっても《賛成か反対か》を問われた人の数だけで結果を確かめる点は全く変わらない。方法が違っても「聞く」「答える」プロセスを数だけで展開する制度の構造は同じだからだ。

 選挙も国民投票も住民投票も、結局《問いかけられたことに投票して答える》形は同じであって、答えた結果が数だけに飲み込まれてしまう。老弱男女、強弱、貧富、賢愚、巧拙・・。答えた人を物語るそんな属性はみんな消え失せてわからなくなる。

 考えてみると、これは、とても怖いことではないか。

 その怖さを何とかしたければ、《[聞く]ことの説明に十分な手数をかけ「答える」べきことを考える時間を確保する》しかあるまい・・・・  

マンション管理の現実が「物事の決め方」にあることに現在のルールが対応できる限界が来ているか

 ・・・などと考えているうちに、マンションの管理組合では、この辺のことがいったいどうなんだろうといういつもながらの感想が浮かび上がってきた。

 感想は簡単だ。「選挙」とか「投票」などという手段に言い及ぶのを避けたまま、法的な有効性や賛否の確認手続きが比率によって示されているだけのルール。

 いちばん大事な点がすっぽり抜けて、手順と数字による結果の確認だけが法的な強制力に裏付けられてきたルール。

 《マンションが大邸宅》の意味だという博物館レベルのイメージで考えられていた時代の発想に支えられたルールが、ストック戸数600万戸を超え新旧大小高低、様々となった今も中心になる実情。

 マンションは動物園ではない。様々な人間が大勢集まって住むところだ。至近距離で異なった意見や考え方が絶えずぶつかり合い、誰かが折り合いを求められる世界だ。

 ならば、そうした厄介な実情をどうにかできそうな方向を探り当てて意見の違う者同士が同じ顔ぶれのまま住み続けるためのルールが欠かせなくなる。

 ・・・でも、ここから先はいつもと同じことになりかねない。またにしよう。

| muraitadao | コラム | 14:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること53:憲法】マンションは国、管理規約が憲法、総会は国会・・と説明できたよき時代

憲法が生まれて3年過ぎたころ朝鮮動乱が、その数日後に空襲警報が・・・

 4月末から5月にかけて北朝鮮のミサイルがどうだとかこうだとか、けっこう気になるニュースが続いている。

 そんな中で迎えた憲法70年の節目。

 憲法ができた時代。今にして思えば、本当に、もう何もない時代だった。

 テレビなど、まだ先の先。電話などもまだ身近なところにはなかった。いま何が起こっているのかを知る手がかりは新聞とラジオだけ。4ページぐらいしかない新聞と「NHK」といういいかたもなかったラジオが流す数分間の短いニュースしかなかった。ニュースの後に「尋ね人の時間」なんていうのもあったっけ・・・。

 そんなニュースには、やたらにGHQという字が出てきた。GHQ、つまり連合国軍最高司令部。だが、連合国といっても普段あちこちで目にするのはジープに乗ったアメリカ兵ばかりだった。

 手紙や葉書はすべて検閲されていた。名前さえ隠したがる人もいる個人情報過敏の現在では、とてももう理解不可能な仕組みが当たり前の感じだった。

 新憲法ができて2年ほどたった6月下旬に朝鮮動乱が起こった。「動乱」なんていうが、戦争じゃないか。ちょっと前の「事変」だってれっきとした戦争だったし・・などとと考えていた数日後の夜、空襲警報が出た。戦争は終わったはずなのに何でまた・・・。

 にわかにGHQという3文字がリアルになった。
 ・・・・・・・・・・・・・・
 きりがない。ここまでにしておこう。

マンションは「国」、総会は「国会」、管理規約は「憲法」・・という説明が納得できた

 昔々のことを考えているうちに思い出したのは、30年以上前、マンション管理がまだ本当に何もなくて手がかりも何もいない時代によく使われた言い方だった。

 《一つの建物に大勢の人が住むマンションを国のようなものだと考えれば、管理規約は憲法、総会は国会と同じです。⦆

 大抵のマンションはまだまだ新しくて管理がどうだなどと考える人はめったにいなかったが、そんな時代でも、マンションは建てられた時代に対応して間違いなく古びていくことに気づく人は、やはり、いた。そうした人たちは、長寿命のマンションで『管理』という課題にかけがえのない重みがあることをいつも考えていた。

 今にして思えば、そういう人たちは先見の明があったと実感する。しかし、その分だけ苦労が多かったことも間違いない。

 マンションの管理が組織レベルの集団的な課題である以上、管理の意味を自分一人だけが知っていてもまったく意味がない。自分の知っていることを実現するためには自分の周辺の人にも管理の意味の重さをわかってもらうことが絶対に必要だった。

 そうした状況で、まだ《わかっていない人たちをわからせる》時に使われたのが、「マンションは国、管理規約は憲法、総会は国会」という説得表現法だった。

 だが、最近はもうこういういい方をする人が少なくなったような気がする。

 なぜだろうか。

 マンションは国・・・などといっていた時代、マンションも、そこに住む人もみんな一様で変わりがなかった。一つの言葉で思い浮かべるイメージはみんな同じだったから、わかり方も変わらなかった。

 よかったな、あのころは・・・。

 今は、そこが違う。

 マンションは大きさや建て方に始まって築後年数も様々になった。分譲マンションの入手目的も自己居住だけでなく投機手段にもなる。区分所有者イコール居住者とは限らない。その居住者が日本人だけでないことも珍しくない・・・。

 そんな状態で、昔と同じ気分で「マンションは国、管理規約は憲法・・」などと単純ないい方はもうできなくなったような気がする。

 だが、それは、もうマンションだけのことではなくなった。

 マンションがなぞらえられた国、管理規約がなぞらえられた憲法、総会がなぞらえられた国会。

 どれもイメージは多様化して一つの言葉ではとてもいい尽くせなくなった。

 あのころは楽だったな・・・。
                   ☆
 だが、あのころマンション管理が成り立つ仕組みの大前提となっていた考え方は、今もまったく変わっていない。

 ●マンションは賃貸と分譲にわかれる
 ●その区別は区分所有者になるかどうかだけであって居住者かどうかではない
 ●だからマンション管理の大原則はいまも区分所有法である
 ●だからその大原則に沿った標準管理規約がデファクトスタンダードになる
 ●どんなマンションも一戸建て住宅と同じ個人資産である
 ●集合住宅であるマンションに欠かせない集合居住という視点は考えなくてもいい

・・・・・

 何だか気になる。今もこのいい方は当初と同じ意味のままで成り立つのか・・・。

 まだまだ、いくらでもある、まだまだ言わなければならないことが、たくさんある。まだまだ、一人でも多くの人に知らせたいことが尽きぬほどある。

 機会をあらためよう。
 

| muraitadao | コラム | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること52:年齢】「今の自分」は「昔の自分」の延長上にある。それが誰もみんな同じなら・・

「年齢」が生きてきた年数なら 言葉にも考え方にも それだけの時代の流れが必ずどこかに隠れている

 このごろ何かにつけて「年齢」という言葉の意味を改めて考えるようになった。「年齢」はこれまで生きてきた年数をストレートに示す言葉だから、何十年と続いてきた時間軸の延長上にある。自分の生まれた年に始まった長い長い時の流れの上で起こってきたきたことは、すべて《今の自分》にどこかで必ずつながっている。

 そのつながりは、自分自身が気づくかどうかに全く関わりなく、有無を言わせぬ形で《今の自分》の姿にどこかで関わっている。《今の自分》がふと語る言葉にも生きていく気持を動かす考え方にも、年齢や時代の鮮明なイメージがどこかで間違いなく隠し絵のように影を落としている。

 私自身についていえば、1931年(昭和6年)に生まれてから2017年4月25日の今までに起こったこと、そのすべてを自分がどう受けとめてきたかが、このブログのどこかにあらわれていることになる。それは、このブログを書いている私の存在に生きてきた時代がまるごと切り離せない状態で否応なくつながっているからだ。

 少し気恥しい気持にもなるが、正直な実感である。

 この点に誰一人として例外はあるまい。政治家であろうとジャーナリストであろうと無名の一市民であろうと全く変わらないはずだ。

 その人が語ったり書いたりする言葉を通して私たちが知り得るその人の考え方は、その人が生まれた時代を背景として生まれてきたものだからだ。

2017年に見えている《今のマンション》は何年も前に建てられた《昔のマンション》だから そこには竣工した時代がいたるところに映っている

 この感慨は、そっくりそのままマンションに当てはまる。

 《今の自分》が長い年月を経た《昔の自分》であり、長い年月の流れがほかならぬ《今の自分》に反映しているのと同じように、《今のマンション》は竣工以来、何十年も過ぎた《昔のマンション》であり、はるかな昔に建てられた時代のすべてが目前の建物の光景に反映しているといえるからだ。

 この点は、《昔》という言葉を具体的に何年前と考えるかによってかなり違ってくるが、仮に30年という言葉を当てはめてみると、どうなるか。

 築後30年のマンションを考えてみるなら、1987年(昭和62年)竣工ということになる。昭和も末の時代だが、今にして思えば、気づかぬうちにバブルがもう始まっていたことに思い及ぶ。

 景気効果を期待して「マイホーム」のイメージで国策機関の住宅金融公庫融資が年利4.5〜5.0%というレベルでマンションの売れ行きを支えた時代だった。

 マンション市場の広がり方に気づいた新規参入のデベロッパーが相次いだ。マンションの需要を支えたのは団塊の世代で働き盛りの40歳代。パパがいてママがいて、かわいい子供が二人いて・・というイメージの核家族が圧倒的な買い手で、どのマンションもファミリー向けLDKタイプが中心だった。

 マンションはコンクリートの長寿命建造物だから、堅牢な頼もしいその眺めも、やがていつの日か古びていく時期が来ることは、誰もが頭の隅で思い浮かべていた。だが、そんなことはすぐ頭から消えてしまって差し迫った実感はまだまだ遠い時代だった。

新しいマンションで管理にまだ実感がなかった時代の仕組みが今もそのまま・・。これって大丈夫?

 筆者が住む4棟600戸マンションは、この頃、築後13年目を迎えていた。最初の大規模修繕工事が課題となり、成り行きで旗振りを務めることになってしまった時代だった。

 ここから後のいきさつや記憶はもうとても簡単には言い尽くせないから、すべて別の機会に譲る。

 ただ、一つだけはっきり語っておきたいことがある。

 それは30年前に様々な機会を通して胸に浮かんできた実感や腹立たしさをこらえながら押し殺してきた疑問が、今もなおほとんどそのままの強さで残っている点だ。

 ほんの少しだけ、本当にいくつかだけあげてみよう。

●マンションに住む人が一戸建て住宅と同じ感覚で暮らすのはなぜだろう・・。

●マンションに住む常識が偉い人やお金持ちや難しい理屈を述べ立てる人に全くいないのは、どうしてだろう・・・。

●マンションが大きくて複雑なわかりにくい住居だというわかりきった当たり前のことをはっきりいう人が、今もめったにいないのはなぜだろう・・・。 

●『マンションは管理を買え』なんてまことしやかに真っ赤なウソをいい出したのはいったいどこの誰だろう・・・。

●働き盛りでマンションに関わろうとする人がエリートになる例が少ないのはなぜだろう・・。

●「マンション」っていったい何だろう・・・。

●「管理組合」っていったい何だろう・・・。

・・・・・・・・・・・・・・ 

 むなしくなってきた。もうやめる。

| muraitadao | コラム | 09:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること51:教育勅語】言葉だけのつまみ食い解釈でわかった顔をするとは笑わせる

「教育勅語」を訳知り顔で議論する人はあれが生きていた時代に思い及ばぬ鈍感さに気がつかない?

 バカバカしい。苦々しい。くだらない。あほらしい。片腹痛い。「教育勅語」がどうだとかこうだとかいう議論が・・・。

 「教育勅語」が、実は中身の意味などまるでお構いなしのやたらに難しい言葉の塊の押しつけだったことに気がつかないのか。

 「教育勅語」が生きていた時代に教育された小学生から見れば、あれは何だか、まるで中身のわからないチンプンカンプンの代物だったのだ。紫色の布に包まれた巻物のような正体不明のモノがのっている黒塗りのお盆を恭しく捧げ持った校長先生が、目の前を通る時ひたすら頭を下げていなければ、いつもひどく叱られた。そんな代物をしまってある別棟のお宮のような小さな建物が「奉安殿」だった。その前を通る時も、必ず頭を下げなければならなかったな・・・。

 中学生になったら、今度は「軍人勅諭」。それに「戦陣訓」。どれもめちゃくちゃに棒暗記させられたから、意味などそっちのけで、ただもうお経と同じ代物だった。

 奇妙な成り行きでよみがえってきた思い出したくもない記憶は、嫌が応もなく名ばかりの授業と並んでいた「軍事教練」や「工場動員」を連想させる。
                   ☆
 「教育勅語」がどんな意味の代物だったのか正体がわかったのは、すべて戦争が終わってからだった。すべて、後で知ったことだった。
                   ☆
 こんな代物でも有無を言わせぬ意図で重くのしかかったのは、そういう時代だったからだ。言葉はそれが使われた時代の空気の中でこそ本当の意味を持つという肝心なことにまるで気がつかないまま、《憲法とか教育基本法に照らし合わせて》どうだとかこうだとかいう議論がさも重大な意味ありげに伝えられる。

 ちゃんちゃらおかしい。まともなレベルの大人の話ではない。

時代の視点を忘れると目的と手段がすり替わって言葉だけの空疎な手続論になってしまう

 そもそも「教育勅語」が過去のものになったのは、遠い昔のことだ。存在すら忘れられていたはずなのに、このごろになって急に議論されること自体が奇妙ではないか。

 大阪のヘンな学校経営者と、それに共鳴したどこやらの気楽な奥さんが絶好の話題作りの種になっただけの話ではないか。国会で議論したり新聞が社説で取り上げたりするような重みのあるレベルの話ではないだろう。

 要するに、議論のための議論ではないか。今ごろホコリを叩いて「教育勅語」を引っ張り出すなら、断片的に言葉のつまみ食い論議をするのではなくて《あの代物が、誰によって、どんな使い方をされたのか》という時代背景を考えた広がりのある視点が必要ではないか。

 仮にも「教育」と名乗った文書だ。「教育」が時代の視点抜きで語られるべきものではないことを、なぜ誰も考えないのか。

 時代を抜きにして考えるから、目的と手段が入れ替わって干からびた意味のない手続き論になり下がってしまう。CMまがいの空っぽな言葉だけになってしまう。

 目的と手段がすり替わっても、手続きだけは空っぽな形のまま言葉の上では成り立つ。だから、小難しい言葉で、さも、もっともらしく語ることはできる。

 それが議論倒れになっていることにも気づかぬまま・・・。


目前の建物が何十年も昔に建てられた事実を忘れるとマンション論議はむなしくなる怖さ!

 時代抜きで考えると自分の語る言葉が空っぽになってしまう怖さは、マンションの場合、とてもリアルな実感がある。

 いま見ているマンションは、実は、もう何十年も前に建てられたものなのだ。いま見えているマンションの光景は、もしかすると自分が生きてきたよりも長い年数の歴史を物語っているかもしれないのだ。

 だが、その長い年月は世界遺産のような《これまで経過した年数の長さ》とは違う。そこに人が住んできた時間の流れが今もなお確実に進んでいる最中の光景なのだ。今日の光景は昨日の、昨年の、そして建てられてから現在まで何十年にも及ぶ光景の続きなのだ。

 マンションが人の住まいである限り、その流れの光景の中にはいつも老若男女、様々の大勢の人がいたし、今もいる。これからも、いるだろう。

 マンションを考える人は、そういう意味で建てられた時代を背景としていつも考えなければならない。いま竣工後30年ぐらいのマンションならバブルの時代背景を、40年ぐらいたったマンションなら日本列島改造論にまだ実感があった時代を思い出しながら、考えなければならない。

 マンションは決して《いつの時代もみんな同じ》ではないからだ。
                   ☆
 「教育勅語」論議のむなしさは、マンション論議の隠れた盲点を気づかさせる。

| muraitadao | コラム | 07:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること50:メール】使い慣れた人とまるで使えない人が隣り合って住むマンションで・・・

メールでわかりあう世界。挨拶抜きでいきなり用件が分かりさえすればいい、と言えば確かにそうだが・・

 安倍首相夫人のメールが、何かにつけてニュースに流れる。

 なじんで久しいメールだが、考えてみると身辺には今でも使っていない人が珍しくない。思い返すと、メールのやりとりを始めて間もないころは、メール特有の文章スタイルや言葉の使い方が毎回いつも気になっていた。

 例えば、メールの冒頭に必ず出てくる《いつもお世話になります》というあの書き方。会ったこともないし顔も知らないような人からのメールの文面なのに、始めて読む文面が《お世話になります》で始まる。ご丁寧にそういわれても、「お世話になる・・」といわれるほどの実感はまるでないのだが。

 その一方、普通の手紙文ならまずくだけたやり取りで書き出し始める言い方は、メールでは全く関係ないらしい。

 メールの書き方はよくいえば率直ということだろうが、挨拶抜きでいきなり用件に入るむき出しの書き方が相手にどんな感じで受け取られるだろうかと気になる場合は、逆にその率直さが気がかりの種になる。そんなことをいちいち気にしても仕方がないといわれれば、確かに、もう、そうなのだが・・・。

 そんなわけで、何かを伝えたい相手にメールの表現感覚で書いていいかどうかは、今でもけっこう気になっている。何かを伝えようとする時に、《拝啓》とか《時下ますます・・・》とか紋切り型で書かなくても、《桜がほころぶ時期になりました》といった程度のことはこちらも書きたいし、もらった時もその方がいい。

 これは、全く理屈では説明できない気持なのだが。 

「冗長度」のある文章の方がわかりやすいという考え方の真実。“無駄”の重み

 ここまで書いてきて、突然思い出したことがある。

 もう40年以上も前になる。昨年(2016年)亡くなられた唐津 一さんに教えていただいた言葉だ。情報工学の大学者だった唐津 一さんはこの頃まだ松下通工だったか・・。

 注)唐津 一氏は情報工学者。旧電電公社、松下通信工業(現・パナソニックモバイルコミュニケーションズ)から東海大学へ。電子計算機時代初期の実情からニッポンそのものまで独特の語り口で飽かず論じ続けた。昨年の終戦記念日に97歳で世を去った。

 持ち前の気さくな雑談の中で《冗長度》という言葉があることを雑談の中で教えられた。英語では《リダンダンシー》というのだとも。

 精密性が欠かせない運転席などの設計で、無駄な操作を一切しないことばかりを重視する考え方で計器の位置などを設計すると、かえって操作者がミスを起こしやすくなる。理屈通りにならない厄介なこの現象を防ぐために、あえて無用な計器をわざわざ紛れ込ませた設計をした方がいい場合がある。

 判断源となる情報データを読み取る人間の理解能力には合理的な必要度だけでは割り切ってしまえない側面があることを考えて、あえて必要性のないものを意図的に介在させて人間の緊張度を緩めるという考え方だ。この考え方を《冗長度》というのだ、と。

 40年も前に聞いたこの考え方や言葉が、その後どうなっているのかは全く知らないのだが、人間の理解能力にはこういう考え方が必要となる側面があると気づかされた衝撃は、とても大きかった。

 《冗長度》という言葉を知って以来、一概にムダといわれることを気軽に見過ごせなくない発想が身体に染みついてしまった気がする。

 昔、私の文章は、建設省からきた天下りの役人たちから、いつも《回りくどい》とか《余計なことを言いすぎる》などと文句の言われ通しだった。

 逆に、普通の人たちには喜ばれた。わかりやすいとか、納得できて安心する、とも。この当時の経験は《和文邦訳》を表現上、最大に重視する習性となって、その後の執筆活動の支えになった。その点は、今も変わらない。 

《冗長度》という言葉の中にメール全盛時代のマンションで欠けているものが見つかるかもしれない

 マンションは大勢の人が住んでいるのに、コミュニケーションが足りないなどといった嘆きを聞くようになってから久しい。誰もがそういうのに、どうしたらいいのかわからない。

 そんなもどかしさが、もう長らく続いている。

 このごろ何かにつけて気になるのだが、管理組合の中で以前にはなかった形で意見が対立することがある。そういう場合、意見の出し方、もっと詳しく言えば、自分の考え方を表現する方法や言葉の使い方が原因ではないかと思えることが多い。自分の考え方を相手にわかってもらえるような言い方を考えないまま、自分の考え方ばかりが露骨に並ぶ言い方がきっかけになったりする。

 この現象にメール的表現感覚と非メール的表現感覚の違いが関係してはいないだろうか。相手の受け取り方をあまり考えないまま、いきなりむき出しの書き方で短い言葉を並べる感覚で意見を述べ、物事を決めている傾向はあるまいか。

 メールが無縁な高齢者世代とメール万能の世代との間に『伝えてわからせる』ための表現感覚にギャップが生まれているのではないか。
                   ☆
 表現感覚は属人的な問題だ。だから、どんな人たちの住むマンションなのかが実情にことごとに関係する。それだけに管理の現場を知らない人には通じない問題だ。

 いろんな人の意見や経験を聞きたい。

| muraitadao | コラム | 20:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
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