村井忠夫のマンション管理ブログ

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【44年の実感で「マンションの管理」を考える 37】秋の夜。玄関側から見るかベランダ側から見るかで表情が違うマンションの素顔

よそ行き感が漂う玄関側の画一的な夜景、普段着の生活感がただようベランダ側の夜景

 マンションは、どんなところから見るかによって、表情がまるで違って見える建物ではないか。

 帰宅が遅くなったような時、夜道から見たマンションが昼間とはかなり違って見えるような気がする。何十年も住んできたわが住まいのマンションに何も珍しさはないのだが、周りの住宅の中で突き抜けて見える建物の夜景にかすかな安心感を覚えて、いつも、そう思う。

 たぶん、それは灯のせいではないだろうか。

 昼間はコンクリート壁の無機質な外観むき出しのマンションも、夜になると建物自体の大きくて不愛想な感じが暗い闇に消えて灯りだけが見える光景の印象が、そんな感じをもたらすような気がする。

 灯りは、いつも人の気配を生む。

 秋の夜は、とりわけ、そうだ。
                   ☆
 遠い遠い昔、太平洋戦争中。まだ10歳代の後半だったころ、夜はいつも暗くて、不安で、不自由だった。いま息をしているこの自分が、明日はどうなっているのだろうかと思う。灯火管制、警戒警報発令中、明日は学校動員で造船所の工場に行くことだけはっきりしていた。

電灯のまわりを覆った布切れ、ガラス戸に貼った縦横斜めの紙・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 だから、戦争が本当に終わったことを実感したのは、夜になって、何も気にしないまま灯りをつけてもいいよ、ということになった時だった。もう明るい灯を誰にも気兼ねしなくていいとわかった・・・。

 日が暮れてから本当の平和の到来を確かめた記憶は、今もありありと残っている。

 秋の夜の灯は、今もそんな記憶を呼び起こす。

秋の夜の灯の記憶が戦後の生活を思い起こさせ、住宅の飢餓感を思い出させる・・・。そんなトラウマが戦後住宅政策の背景にあったと今にして思い知る

 秋の夜、遠く近くにまたたく灯を眺めた時の記憶は、やがて戦後の暮らしの光景に続く。誰もが、ひもじいすきっ腹の時代だった。誰もかれも、みんなガツガツしていた。

 “ヨイトマケむかし夫人がいま人夫”などという川柳をどこかから聞いてきて大笑いしながら溜飲を下げたことを、今も思い出す。

 住む所がない時代だった。壕舎などという、今はもう死語となってしまったような言葉に他人事でない実感があった。

 だから、誕生して5年目の住宅金融公庫に入った時は、複雑な気分だった。

 やっと就職できたという思いの一方で、住む所がなくて困り果てた人の相手になる苦しさが重なり、大したこともできないのに期待ばかりされる苦しさが来る日も来る日も続いた。

 430万戸。

 これが、そのころ何かにつけて聞かされた住宅不足戸数だった。

 住宅が足りないのだ、住宅が足りないのだ、住宅が足りないのだ・・・。

 朝日新聞に連載された獅子文六の小説「自由学校」が大評判になった。神田川のお茶の水橋に近い土手にバラック小屋を建てて住み始めた男の物語だった。本当にそんなことができるのかと思った人はほとんどいなかったと思う。

 テレビもまだだったこの時代、松竹と大映で異例の2社映画化となったっけ。

 住まい不足が、それほど切実な時代だった。

430万戸の不足から空き家だらけに悩む時代へ。こうなることは昔からわかっていたのに・・・

 住宅金融公庫で住宅に関わり始めて何年たったころだっただろうか。

 丸善だったかもしれないが、書店で「高齢化社会研究」という雑誌だか本だかわからない刊行物を見つけて読んだ。東京大学出版会の発行だった。

 読んだことをもうすっかり忘れてしまったのに、読んだ時のショックを覚えている。いずれ、こんな時代がやってくるのだ、と。

 年月がたてば、モノは必ず古くなり、人は必ず齢をとる。

 それを考えれば、今せっせと建てている住宅が、そのころどうなっているか。
                   ☆
 そうならないように打つ手がある。その真髄が管理だ。

 若かった身は、そこまで頭が回らなかった。誰もが、そうだった。こんなに困っている人がいるのだから、一戸でもたくさん建てなければ・・・。

 住む人がいなくて、空き家だらけになる時代が来るなんて、そんなことを夢にも考えなかった時代だった。
                   ☆
 住宅金融公庫に入った若手の新人の仕事は、管理だった。若手には最初から融資などをやらせずに、貸した金の回収をやらせればいいという考え方の仕事だった。

 早く言えば債権回収。当時は取り立てだった。

 政府系の機関でも、管理がそんな感覚で考えられていた時代だった。
                   ☆
 管理はエリートが目を向けることがない分野だった。管理で点数を稼いだ人がエリート官僚として天下ってくることもないと実感する年月の始まりだった。

| muraitadao | コラム | 08:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 36】マンション管理組合の役員をエリート居住者が求められたら・・・

どこのマンションでも管理組合の役員選びで打診された人の心境は・・・

 どこのマンションにも管理組合の役員を絶対に引き受けない居住者が必ずいる。こういってもたぶん間違いあるまい。

 無関心だから引き受けないのではなく、ちゃんとした関心があって理屈も心得ているのに引き受けないのだから、確信犯的な役員拒否タイプとも言える。

 そんなことはないと言えるマンションはゼロではないかもしれないが、限りなく少数だろう。

 理由ははっきりしている。管理組合という組織の運営が決して理屈どおりに進まないことを、マンションに住む人は誰でも知っているからだ。

 区分所有法や管理規約に書いてある理屈通りにことが運ばない管理組合では、すべてのことが応用問題になる。法律に書いてある通りにやればいいと考えて理屈通りに取り組んでいけば答が見つかるなら苦労はないが、実際は決してそうはいかない。

 そうであることは、もう30年近い前からはっきり確かめられてきた。
                   ☆
 だが、そうはいっても、理屈は理屈として尊重しなければならない。もし万が一にも理屈を無視したら、マンションはたちまちにしてノールール化してどうにも収拾がつかなくなってしまうからだ。

 だから、どこのマンションでも、大抵の人は、理屈が欠かせないことも、管理規約が持つ重い意味も理屈の上ではちゃんと理解している。

 しかし、そこまでわかっていてもいざ自分自身がその理屈とどう関わるかということになると、たちまちにして発想が瞬時に変わってしまう。

 「わかっていること」と「できること」は同じではないと、誰もが考えるからだ。「わかったこと」の中には「わかっても実行できるとは限らないこと」が含まれるという理屈が浮かび上がってくるのだ。

 「事情を納得できても、その事情に自分自身が関わるかどうかはまったく別の話」だという気分が必ず胸の底に湧いてくる。「自分がやらなくても、このマンションにはやれる人がほかにまだまだたくさんいるではないか」という気分といっしょに。

 役員選びの時期になって意向のほどを打診された人は、大なり小なりこうした気分を味わったはずではあるまいか。

ウチのマンションにはほかにもたくさん住んでいるのになぜ・・・という感覚を責められるのだろうか

 こんなやりとりの時、多くの人が思い浮かべる「ウチのマンションには、こんなにたくさん住んでいるのに、なぜ自分に…」という心境。

 だが、この心境の思い浮かべ方は人によってかなり違う。

 「たくさんの人」が中村さんと山田さんと、佐藤さんと、木村さんと、鈴木さんと、田中さんと、それから・・・というふうに名前で浮かぶ人と、そうではなくて「1階の玄関から何戸めのあそこ」とか「4階のエレベータ―近くのあの住戸」という名前抜きで住戸の位置だけになる人では、《たくさんの人》のイメージがまるで違うからだ。同じ生活条件を共有して、いつも会う人の顔と名前が一致するかどうか、会った人が固有名詞でわかるかどうかという対人認識の問題でもあるのだ。

 「知っている人」を見極める目安の一つは、普段の生活でいつも顔をあわせるかどうか、会った時に声をかけるかどうかといった点だろうし、それをさらにさかのぼれば、会った人の名前がどのくらいわかるかということにもなる。

 玄関やエレベータ―などで会った人の顔がわかるかどうか、エレベーターで二人っきりで乗り合わせた時に何か話しかけるかどうかという日常的な生活感覚の問題でもある。

 この点には、その人の年齢や仕事、ライフスタイルなどいろいろな条件が関係するだろう。同じマンションに住んでいても、働き盛りのサラリーマンと年配者の学校の先生ではまるで違う。お互いの顔さえわからないことだって、ないとはいえない。

 そう考えれば、マンションにはこんなにたくさん住んでいるのに・・・とは言っても「たくさんの人をどのくらい知っているかどうか」という点になると、話は微妙に違ってくる。

 まして、竣工後年数が長くなったマンションや大規模マンションでは「知っている」戸数は、むしろ年がたつほど少なくなるという実情がある。顔見知りの人であっても、会う機会が少なければ本人はもちろん家族も大なり小なり実情が変わる。

 マンションは古くなるにつれて対人関係がわかりにくくなっていく世界なのだ。

マンションに住む人の実情を考えれば「管理組合が区分所有者の団体」だという理屈が当てはまる実感は・・・

 要するに、最後は「人と人とのわかりあい方」の問題になるだろう。

 人と人とが《わかりあう》というのは、《よく会うかどうか》という問題でもある。さらに言えば《会った時に声をかけ合うかどうか》という問題になる。

 声をかけるというのは、短い会話だ。会話は目前の人との話題の共通性がなければなり立たない。目前の人と通じ合える言葉で話す話題があるかどうか、身近な場所にいる人への関心があるかどうかということでもある。

 たったこれだけのことだが、日常生活のレベルになると理屈ではない個人差があるような気がする。もう少し詳しく言うと、身辺に漂わせるある種の匂いのようなものかもしれない。

 言葉にして書くのがとても難しいのだが、例えば、駅への行き帰りに出会うこともないし、ゴミ出しの日にエレベータ―で乗り合わせることもない人とでも言ったらいいか。

 しばらく見かけないが、以前は毎朝いつも迎えの黒い車が来ていたなんだか偉そうなあの人、今も住んでいるらしいけれど、管理組合の役員なんてとてもとても・・という感じの、あの住戸の人。管理組合は区分所有者の団体だという理屈を一番よく理解していながら、一番当てはまりにくい人。

 このあたりで、エリートという言葉がだんだん実感を持って浮かび上がってくる感じになる。
                   ☆
 ルールや約束事の上では、そんな感じの人たちも数字の上では同じ扱いになる。

 管理組合という世界の真の難しさは、こういう厄介な人間像と組織イメージ確保のバランスの取り方ではあるまいか。

 この実感は40年をはるかに超える今も変わらない。

| muraitadao | コラム | 09:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 35】わかっているが何も言わない「そのほか多数」が実際には管理組合を動かす

マンションに40年以上住んでいながら管理組合の集会では一度も会わない人って実はけっこう多いよね

 マンションに竣工以来ずっと住んできた人は、もちろんほかに何人もいる。長年住んでくれば会う機会も多くなるからそれなりに顔見知りになるし、お互いの名前や仕事などもそこそこにわかるようになる。

 そのわかり方も、玄関やエレベータ―などで出会った時の短い会話を重ねるたびに回を追って少しずつ深くなっていく。その過程でお互いの共通点があればお互いの認識レベルはさらに大きくなり、時としては普段着の生活で交わした会話から、思いがけなく通じあえる言葉の感覚さえもわかるようになる。

 マンションに住んでお互いが知りあうプロセスは、こんな感じではないだろうか。

 40年以上も住んできて知り合うようになったのは、こういう感じの人ばかりだ。向こうのことをこちらは一応知っているし、向こうもこちらのことをだいたい知っている。たまに会うと断片的な話をするが、その場限りの、どっちでもいいことをお互いに承知の上だ。「じゃ、またね・・」と別れるまでのごく短い時間に声を交わして付き合いを確かめあった、ほんのわずかな安心感が残る。

 マンションで住人同士が会った時の感じは、普通は、まぁ、こんなものだろう。

 もちろん、この感じが逆向きの場合もあるのだが・・・。
                   ☆
 しかし、こういう感じで「知っている」人の中に管理組合の集会ではめったに出会わない人が何人もいる。会えばいつも愛想よく声をかけるし、冗談交じりの世間話もするのに、総会とか説明会などの会場で顔を合わせることはほとんどない・・・。

 そういう人がいる、何人も。

管理組合?「え、何それ」という人と「わかってますよ」という人も一枚の壁を隔てただけで同じ建物に住むのは同じなのに・・・

 しかし、こういう人たちも同じマンションに住んでいる以上、何かを決めるときにはちゃんと集会の場所にいるものとして考えなければならない。実際には決める場所に出てきたためしがないのに、そう考えなければならない。

 こうして、「いない」も同然なのに無視できない、きちんとという厄介な存在感だけが間違いなくはっきりしてくる。

 だから、決める場所に出てこないことは百も二百も承知していながら、「決める」仕組みへの参加手段だけは確実に用意しておかなければならない。

 管理組合は、問題に対応するときに、マンションが「わかっている人」と「わかっていない人」を区別できない世界であることをつねに忘れてはならないのだ。

 何かにつけて必要となる管理組合の意思決定で委任状の存在が重大になる理由は、まさしくここにある。「わかっているかどうかがわからない人たち」を必ず視野に入れないとマンションの管理は実現できない。管理組合で物事を決めることが形だけになってしまい、決めたことを実行できなくなるからだ。

「わかっているかどうかがわからない」人たちが黙ったまま胸の中で何を考えているのだろうかという不安感

 同じマンションでも一つのことについてのわかり方は、実は人の数だけ違う。

 ずっと昔、マンションができたばかりのころは一億総中流だのマイホームだのという言葉が説明抜きで通用したから、考えていることは誰も同じだった。パパがいて、ママがいて、その真ん中にボクがいて・・・。土曜日だってまだ休みではなかったが、みんな同じようなものを食べ、同じような話で泣いたり喜んだり・・・。

 今の管理規約は、そんな時代にできたものが基本形ではないのか。法律談義の議論を重ねて部分的な手直しを繰り返しても元々の姿は遠い昔のまま。そんな状態が水の底に残っているような・・・。

 今では、もう中古マンションとして住むようになった人が圧倒的多数になったのに・・・。

 同じ言葉で語られたことでも聞く人によって、意味の受け取り方はまるで違う。同じような言い方であっても、年齢や仕事やライフスタイルの差によって人の数だけ受け止め方はそれぞれに違う・・・。

でも、大抵の人は、何か言うわけではない。胸の中はみんな違うはずだと思うのだが、誰かが何か言うわけでもない。ただ、もう黙ったまま。多くの人たちの不気味なこの沈黙が、管理組合に影を落としているような気がする。

「管理組合って一体、何?」と聞かれたらどう答えるか。「区分所有者の団体」という答えは今も昔ながらに説得力を持つのか

 マンションが多くの人が生活条件を共有する空間だという本質は、昔も今も変わらない。でも、マンションが住宅として持つ本質は同じであっても。その本質の現れ方は人間次第だ。何か月も何年もに渡って住んでいる人間の今の様子によって「住む」ための建物という本質は違った姿で現れる。

 住み始めたときのパパはすでに世を去ってボクはいま外国、老いたママが後に残って一人暮らしという住戸が多くなった時代に、管理組合は区分所有者の団体だという考え方でいいのか。管理組合は区分所有者の団体だから「持つ」ことだけが要点であって、「住む」という条件を「持つ」ことに重ねる必要はないのか。

 100戸足らずのマンションが多いエリアに超高層大規模マンションが生まれたら、適用対象が増加しても同じままの理屈で管理組合が今も成り立つのか。

 外国人が珍しくない時代に管理組合が組織として動く場合の言葉は、やたらに多い漢字と、主語述語の見極めさえ難しいほど日常感覚と離れた法律文感覚が集合住宅の隅々まで通用するのか。

 あれこれ考えるほど、長い年月の経過という事実を前にして管理組合がどの程度まで当事者能力を持てるのか。今のままの理屈で、これからの管理組合は大丈夫なのか。今の経営感覚で、管理会社はそうした管理組合の当事者能力維持をサポートできるのか。

 過ぎた昔に建てられたマンションの光景は、いま住んでいる人間次第で決まることは昔から果たしてどこまで理解されてきたのか。

 多くの人に関係するとはいっても、その中で何も言わずに黙ったままの人が多ければ、はるかな昔にできた手続きの正当性だけでその不安を乗り切れるのか。

  もう、やめよう。 今月1日は87回目の誕生日だった。このマンションで迎える誕生日も、もう44回目になった。

 でも、心境は複雑である。

| muraitadao | コラム | 08:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 34】マンション管理組合の広報イメージはこれからも今のままで大丈夫なのか

新聞はもはや古臭い過去の情報源になり始めたのか・・・

 10月は新聞週間のある月だが、そんなことに気がついている人はもう激減しているのではないか。

 「新聞を読んだ」「新聞に出ていた」という言い方が、どことなく時代遅れめいた古臭い感じになってきたような気がする。

 マンションに住んでいると、毎朝ドアを開けてよその住戸の様子をちょっと見ただけで今どきの新聞購読者の激減ぶりがよくわかる。

 以前は壮観な感じがするほど大半の住戸ごとにずらりと朝刊が差し込まれていたのに、もうそんな光景はない。今では、新聞を差し込まれた住戸はほんの数戸しかない。毎月1回の古新聞回収日、玄関前に置かれた古新聞の束の数も僅かで、新聞の減り方が月ごとにはっきりしていく。

 午後4時過ぎのころエレベーターで乗り合わせた新聞配達員らしい人が持っている夕刊の束を見ても、もう本当に「小脇に挟んでいる」という程度の少なさだ。

 たまに乗る電車の車内風景でも、新聞を広げている人はもう見かけなくなった。座席の人も吊革の人も、ただ、もうスマホばかり。

 かく言うわが身も、以前とは違ってきた。

 何かを知ろうとする時、以前なら「新聞に出ているだろうか」とか「新聞はどう書いているか」と反射的に考えたものだが、今では、もうそんなこともなくなった。

 机に向かっているときはつけっぱなしのラジオが聞こえてくるし、リビングに行けば四六時中テレビがついている。

 新聞をあらためて読み直すことは、もう滅多にない。

 結局、新聞は2紙を1時間から1時間半ぐらいかけて全紙面の半分ぐらいを読む程度で終わる。一度、目を通した新聞をまた読み直して確かめることはまったくない。

 10年以上前までは、毎日のスクラップが一仕事だった。切り抜きの整理がまた一苦労だったし半年ごとの整理も厄介だった。

 でも、座り込んで独自に分類したスクラップを今の目で見直していくと、新聞が伝えようとしてきたことが情報の流れとなって見えてくる。

 そうしたプロセスで読み取れた情報の意味は、想像以上に大きかった。

 その実感は、今月で87歳になったこの身体に間違いなく染みついている。一方で、古臭さの実感もあるのだが・・・。

 あれこれ考えるにつけ、新聞は古臭くなってきたとはいえ、まだまだ手離せない情報源だという気がしてくる。

新聞を読むたびに天下り役人だった昔の上役をふと思い出すことが多いのはどうしてだろうか

 だが、一方で、もう一つの実感が湧いてくるのも否定できない。言葉で説明することが難しいのだが、あえて書くと次のようになりそうだ。

 大抵の場合、読むことの一つ一つが「確かにそうだ」と思わせるような理屈がきちんと成り立っているし、読者の実感と照らし合わせても間違ってはいない。

 しかし、書かれていることを読んでいるこちらが直面しているリアルなケースのあれこれに当てはめてみると「では、どうしたらいいのか」という具体的なことは何も見えてこない。書いてあることは確かに「わかる」のだが、「わかったからやれる」とは限らない。わかっても目の前のことをどうにかするために「何をやれるか」という点につながらないのだ。

 このもどかしさは、ずいぶん昔、住宅金融公庫で多くの人に向かい合っていたころ天下りの上役が口にしていた言葉のあれこれを思い出させる。こちらが来る日も来る日も向かい合っているのはまさに応用問題だから、答の出し方はその都度違う。でも、短い時間で何とかしてその答えを見つけなければならなかった。

 その難しさが、いつも苦労のタネだった。

 天下りの上役がそう言うときにわかった顔で並べる理屈は、どんな場合にも通用するものばかりだった。確かにそうなのだが、「では、こういうときはどうするか」という肝心かなめのことになると、もう何も言わない。

 知識としての理屈が、問題に直面した人間の求める個別条件のレベルでは効果を発揮する有効な情報とならない無力感があった。理屈で固まった総論が個別ケースに対応できる応用問題を解く鍵にならないのだ。
                   ☆
 このもどかしさに似た感じが、新聞にあるといったら言い過ぎだろうか。毎月の購読料4000円ぐらいを払って付き合ってきたのに・・と思うのだが。

マンション管理の盲点・広報が新聞を事実上のよりどころとしてきた状況は今も・・

 マンション管理では、今も相変わらず広報が盲点のまま残されている。

 大勢の人が居住条件を共有しながら住むマンションで望ましいレベルの管理を確保するための情報発信は欠かせないから広報は間違いなく管理組合の組織維持を左右する基本条件の一つなのだが、管理組合向けに有効な広報活動のための情報が送り出された試しがない。

 だから、法律論に熱をあげる人ばかりで広報を語る人は滅多にいない。

 そんな状態だから、何かを知らせる必要にいつも迫られ続けている管理組合は、有効な情報が何もないまま、自分たちの知恵で何とかしなければならなくなる。

 しかし、管理組合は組織運営の素人集団だから、何とかしなければとは思っても、具体的な取り組み方がわからない。

 そこで、大抵の管理組合はなけなしの知恵を傾けて、おぼつかない感覚の広報を進めようとする。

 こう言うときに、情報発信に不慣れな管理組合が《知らせ方の目安》として考えるのが、新聞である。

 しかし、実は、そういうふうに思っているのは年配層の管理組合役員だけであって、知らされる方の立場ではもう新聞を読んでいない人が大半なのだ。

 「知らせる」立場と「知らされる立場」の間に、こういうギャップが生まれているのだが、そのギャップはそれほど気づかれていないことが多い。

 そこで、どうなるか。

 知らせ方に慣れていない管理組合が、不慣れなまま「これなら大抵の人に知らせられるはず」と考えて発行する広報は新聞スタイルになる。

 しかし、イメージのモデルに想定される新聞は、今もそれほどのものになってはいない。情報発信側は経験もないまま費用と時間とエネルギーを傾けて何かを知らせようとするのに、肝心の居住者、区分所有者には有効に情報が届く見込みが極めて薄いという状態が生まれる。

 こんな状態が生まれる理由の一つは、今もなお新聞が《何かを知らせる》情報の有効手段として想定されているからではあるまいか。

| muraitadao | コラム | 09:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 33】マンション管理を支える仕組みは「人とつながって住む」気づきだと知っている人はどのくらいいるか

マンションがホテルと違うのは「泊まる」のではなくて「住む」ところだからだが・・・

 大きな建物の一部屋をある日数にわたって自分だけが使うという意味で、ホテルとマンションはちょっと似ている。その証拠に、リッチな有名人のホテル住まいの話は、よく聞く。

 だからと言って、マンションもホテルも似たようなものとは言えない。壁や床を隔てただけで名前も知らないよその人と同じ建物の中で幾日も過ごすのだからマンションもホテルも同じようなものさ・・・というふうに、さもわかったような顔で、わかったような口をきかれては、迷惑この上ない。

 わかりきったことを百も二百も承知の上で、あえて書く。

 ホテルは「泊まる」ところだが、マンションは「住む」ところだからという点が、この二つの言葉の勘違いにこだわる理由だ。

 こだわりついでに、国語辞典を開いてみた。「広辞苑」「大辞林」「新明舞国語辞典」「岩波国語辞典」の4種。どれも刊行中の最新版だが、以下のように書かれている。なお、旧版でも特に説明の仕方は変わっていない。

住む
【大辞林】所を定めて,そこで生活する。 «住» 「町に ─ ・ む」
【広辞苑】居を定めてそこで生活する。すまう。
【岩波国語辞典】所を定めて,そこで生活する。 「東京に――」「マンションにー―」
【新明解国語辞典】[人が]決まった場所で暮らす。

泊まる 
【大辞林】 自分の家以外の所で夜を明かす。 「もう遅いから ─ ・ っていきなさい」
【広辞苑】(居を定めて)滞在する。住みつく。
【岩波国語辞典】ある期間そこに宿る。 「ホテルに――」
【新明解国語辞典】自分の家以外の所で、夜を過ごす。

自分の日常がほかの人との関わりに支えられているという気づきがマンション住まいのセンスをありありと浮かび上がらせる・・

 「泊まる」「住む」という二つの言葉を並べてみると、何となく気になる点がいくつか浮かび上がってくる。

 どちらにも共通しているのは、建物の一部分を自分だけで使う意味になる点だ。どんな建物で、「誰が」という具体的な条件は全く関係しない。

 この言葉が当てはまるのは、それなりの規模の建物の一部分を想定したシーンである。くどさを承知の上で重ねて書くが、建物の全体ではない。

 「泊まる人」であれ「住む人」であれ、この言葉の主語となる人物は、何らかの意味で建物全体に関わらざるを得ない状況の中にいるのだ。

 だから、もしも全体との関わりを拒否するなら、その建物から「出る」しかない。ホテルにせよマンションにせよ、「泊まる」こと「住む」ことによって自分以外の人たちと一緒になる世界に関わることを最初から承知していることになる。

 これは、長距離バスに乗るのと同じ状況だといえるかもしれない。目的地まで乗ったら、後は、着くまでの時間をほかの乗客と同じ共通条件に直面しながら過ごすことになる。同じバスで同じ目的地まで同じ条件を共有する形で、ほかの人と否応なく関わりあうわけだ。

 ホテルの場合にも、同じようなことが言えるだろう。

 マンションに住む場合も・・・。
「マンションはホテルと同じ」なんて言わなくてもホントはどうなのか。黙ったままの人がどうなのかはかわかりようがない・・・

 いつも気づいているかどうかに関わりなく、事実上、大抵の人は本音をそのまま表に出したりしないで暮らしている。だから、黙っているときに何を考えているのかは必ずしも明らかではないが、ある程度までわからないころを推測しながら暮らしている。あいまい至極だが、世間という言葉が使われるときには、事実上こんな感じが漂うのは誰にも否定できまい。

 マンションがこういう生活感覚の世界であることも間違いない。

 法律だけやたらに詳しい人が、管理組合では必ずしも説得力を持たない理由も、ここにある。逆に、法律なんぞどうにでも・・・という本音丸出しが管理組合で通用しない理由でもある。

 管理組合が、どことなくあいまいな気分を持つ世界である理由は、たぶん、この点と関わりがあるだろう。
                   ☆
 であるならば、マンションなんてホテルと同じようなものさ・・と思っている人がいても、そういうことを口に出す人はいないのが普通だろう。

 だから、逆に「そんなことを言う人が一人もいない」から「そんなことを考えている人はいない」はずだ・・と、言えるかどうか。

 ホントのところは、わからない。

 「マンションはホテルと同じ」などとはまさか考えていまいと思うのだが、黙ったままの人がみんなそうなのかどうか・・・。

 黙ったままの人が、ホントはどう考えているのか。管理組合の実情の見極めにくさがこの点と大きく関わっていそうな実感は無視できない気がする。

 何も言わないまま、黙っている人は、どう考えているのか。

 名前と顔だけしかわからないあの人たちは、どんな意見を持っているのだろうか。

 名簿には載っていても総会に来たことがないあの人たちの本音はどうなのか。
                   ☆
 黙っている人の考え方がどうなっているのか。手続きさえ揃えば「どうにかなる」可能性が、実は、管理組合組織を支えていることも事実だろう。

 黙ったままの人が多い状態への向き合い方も、手続きによって正当化される。総会で物事を決める手法をあげるまでもいない・・・。
                   ☆
 ホテルで黙ったままでも別にどうということはない。しかし、マンションでは、そうならない。
                   ☆
 黙ったままの状態をどう考えるかという点で、マンションとホテルは、まるで違うのだから。

| muraitadao | コラム | 14:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
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