村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 40】マンションを一戸建て住宅の代替と考える発想はもうなくなったのだろうか、それとも、まだ、どこかに・・・

思えば、最初の大規模修繕工事がマンション管理という課題の底知れぬ重さを痛感するきっかけだった

 住み始めて10年を過ぎたころ、正直に言って、私は、まだマンション管理のことにそれほど関心を持ってはいなかった。住んできたマンションはそんなに古くなってはいなかったし、大した問題があるわけでもなかった。

 その一方で、住宅金融公庫でそろそろ責任のある立場に立たされることが多くなってきた。住宅産業という分野が生まれ始めていたし、今までとは打って変わった民間金融機関の住宅ローン進出が話題になることも多くなってきた。

 中古マンションがそれなりに市場価値を持つことが少しずつ意識されるようになると、いま住んでいるこのマンションは「いくらぐらいで売れるんだろうか」といった言い方が世間話にかぶせて語られることが多くなってきた。

 新築マンションがブームまがいに売り出される中で、建築後年数を経た物件もあらためて、不動産取引面で市場価値が見直されることが多くなり、中古マンション用の住宅ローンが生まれる状況も大規模修繕工事を受け入れる雰囲気の背景にあった。

 ただし、コンクリート建てのマンションが木造住宅よりも長寿命だという常識レベルの理屈だけはわかっていても、居住者個人の感覚では間違いなく不安があった。

 近所の新しいマンションを引き合いに出しながらウチのマンションだって、まだまだ・・と考える人は当然いたから、中古マンションという視点の資産感覚がかなり多くの人に広がってきていたのも確かだった。

 だが、そう考えても、当時あまりポピュラーではなかった「大規模修繕工事」という言葉の提案が総会で賛成されたのは今でも感慨深い気がする。

 大規模修繕工事はその後10数年ごとに回を重ねてすでに3回目を昨年すませたし、ほかにも外壁改修以外の大スケールの共用部分修繕工事をすませてきたが、基本的に大半の居住者の無関心ぶりは相変わらずで、築後45年の今もあまり変わっていない。

 だが、今ではこうした言葉で語れる大半の無関心ぶりだが、最初の大規模修繕工事当時はかなり気分的にきつかった。重かった。

 だが、悩んでばかりいても仕方がない。

 反応がないのは聞いても返事がないと考えるしかない。返事がなければ賛否はわからないが、少なくとも反対ではない。それなら、事実上「提案が否定されていない」と理解することができると考えた。

 よくよく考えてみれば、いくら汗だくで主張しても、当の提案者自身を含めて大規模修繕工事など誰ひとり自分自身で経験していない状態だった。そうであれば、誰も経験していないことを「賛成か反対か」と聞かれたって、答えようがない。

 最終的には、一種の割り切りしかなかった。

 悩みに悩んで割り切った結果浮かび上がった結論は、実態を見て判断するしかないということだった。

「扉の外もマイホーム」という抜群のフレーズがすぐ姿を消してしまったマンション管理センタースタートのころ

 割り切りで見出つけた方向は、その後、今でも大きな支えとなっている。提案することを経験で確かめていなくても、考えられる限り、確かめられる限り正当な必要性を持っていれば、確信を持って進むしかないという考え方が、いつも最大の支えになるということだった。
                   ☆
 かつて、分譲マンションが普及し始めたころ、マンションを「マイホーム」ととらえる考え方があった。マンションは一戸建て住宅の代替イメージの産物と考えるのが常識だった。

 大きな建物の一角に住んでいても、自分の住戸の玄関ドアの内側はまぎれもないマイホームだと考える風潮だった。

 住宅不足解消を目指してスタートしたはずの日本住宅公団でさえ、当初の賃貸団地ばかりでなく分譲団地を供給し始めたし、それに煽られて都道府県市の住宅供給公社が続々と分譲団地を作るようになって、大小さまざまのニュータウンが全国各地に生まれた。

 だが、こうして続出したニュータウンは、結局のところ、あくまでも個人レベルのマイホームイメージの集積体だった。集合住宅特有のイメージはあまりないまま一戸建て住宅感覚が集積されたものが、マンションだったといえる。

 この時代に「住宅双六」というイメージが流行した。自分の住まいはモクチンアパート→公団の賃貸団地住宅→庭付き戸建て住宅という展開だった。

 昭和年代の終わりに近いころ、できたばかりのマンション管理センターに協力を求められて、機関紙づくりに関わった時期がある。

 このころ「扉の外もマイホーム」という言い方を進めたいという意見がでたことがあった。いわゆるマイホームイメージで専有部分である各戸玄関扉の内側だけを考えると、共用部分を含む集合住宅全体のイメージが理解しにくくなる。

 そうなれば、自分のマンションの住みよさを専有部分だけでなく共用部分と一体化して集合住宅特有の住みよさがわかりにくくなってしまう。庭付き一戸建て住宅のマイホームイメージとの絶縁がマンション管理には欠かせないのだからこの言い方は抜群にすばらしいと思った。

 しかし、このとき、この言い方も考え方もまったく反応がなかった。

 マンションはやはり一戸建て住宅のマイホームイメージを膨らませたものだったことをあらためて実感する。

いまマンション独自の集合住宅観がどのくらいあるのだろうか。マンションストック600万戸のこの時代に・・・

 庭付き一戸建て住宅のマイホームイメージとは別次元のマンション特有のイメージは、いまどういう状況なのだろうか。

 もはや珍しさもなくなったタワーマンションはどうなのか。タワーマンションと並び立つ古いマンションは、どうなのか。高齢者や外国人など、昔は考えたこともなかった居住者が住むマンションは、今もマイホームのイメージのままなのか。

 一戸建て住宅のイメージを引きずったままのマンションが前提となっている状態はもうなくなったのだろうか。

 一戸建て住宅にはないマンション独特の共用部分は、生活基盤を共有する集合住宅特有のものとして定着しているのだろうか。

 マンションをまず「持っているかどうか」という視点だけでとらえる区分所有建物としてなく「持って住む」生活共同空間としてとらえる考え方は定着したのだろうか。

| muraitadao | コラム | 09:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 39】書いても書いても書くことが終わらないままブログを書き続けて12年目・・

2006年11月にメモを書く気分で始めたら、いつまでたっても書き終えた気分にならなくて・・・

 このブログも11年が過ぎて12年目に入る。

 と言っても、年数が過ぎたことなど書き手がやっと気づく程度のことにすぎないが・・・。

 普通は、同じテーマを同じ視点から語り続けていれば、いずれは語り終えるところにたどり着く。たどり着いたといえなくても、何とか一区切りつく状態になる。

 しかし、マンション管理ブログと銘打って始めたこのブログは、10年過ぎても一向にそうならないままだ。

 ブログは論文やエッセイと違うから、折々の感想を気持ちのまま日記風に書きとめるプライベートなものである。何を、どういうふうに書こうと、そこは自由だ。書きたければ書けばいいし、書きたくなくなったらいつでもやめればいい。

 それだけの話である。締め切りとか行数なども、いっさいフリー。気にしなくていい。気楽この上なし。

 そう思って、書き始めた。

 書きたいから書く。書きたくなくなったら、いつでもやめよう・・という気分は、今も頭の真ん中にあるのだが・・・。

 だが、毎年11月の今ごろになっても一向に「いつでも・・」という気分にならない。今年も、そうなった。書きたいことがなかなか書き終わらないからというのに尽きる。

 なぜ、書くのか。

 書きたいからだ。

 なぜ、書きたいのか。

 自分が感じ、考え、納得し、逆に納得できず、おさまりきれないことをほかの人に知ってほしいからだ。

 なぜ、そう思うのか。

 まだ、知ってほしいことを書き終わっていないからだ。

 それどころか、むしろ増えているような気がする。

だから、もう、書くしかない。

まだ珍しかった「マンションの大規模修繕工事」の連載記事を雑誌に書いたころ、発足早々のマンション管理センターへの協力を理事長から求められて・・・

 ブログを書き始めたのは、住み続けてきたマンションで2回目の大規模修繕工事を終わって間もない時期だった。

 2回目の大規模修繕工事が必要だという話になった時、最初の大規模修繕工事に携わった者に旗振りの求めが来るのは当然の成り行きだっただろう。

 でも、正直に言って、10年ちょっと前の大規模修繕工事の初めから終わりまでを経験済みなのだから、今度は何とかなるだろう・・という気持ちがどこかにあった。

 でも、これは、ある種の思い上がりだった。やってみて大違いだと思い知ることの連続だったからだ。

 第1回目の大規模修繕工事は昭和50年代の末期で、専門の組織もルールもなく、ただ、もう闇夜の手探りの気分だった。

 このころは、まだマンションの大規模修繕工事そのものが珍しくて、雑誌に連載記事を書いたこともある。情報価値が雑誌の売れ行きを動かすだけの重さを持っていたから、大規模修繕工事の記事が出ればそれなりに売れ行きが伸びたのかもしれない。

 そんなころ、できたばかりのマンション管理センター理事長から声がかかった。センターの初代理事長は住宅金融公庫の総裁でもあったから、どこかから大規模修繕工事の旗振りを務めていた私のことが伝わったのだろうと思う。

 確かに発足したばかりのマンション管理センターには、実情がわかっている人がほとんどいなかった。

 でも、自分が納得して関わったのだから、手は抜けない。もともと引き受けたことには一途になる性分がある。

 そう思ったのが、30年を超えるマンション管理との関わりの始まりだった。

マンション管理に関わる30年あまりが始まったが、書くことも語ることもそれほど変わってはいない実感が・・・

 自分の苦労が大きかった分だけ余計な苦労をしなくてもいいような効果をもつ情報を知らせたい気持ちは、マンション管理センターとの関わりでひときわ大きくなった。

 だが、具体的な手段は実に乏しかった。知恵を凝らした月刊誌「マンション管理センター通信」は大して役に立たなかったし、何よりマンション管理センターが知名度の低い超マイナーの組織だったから、存在感がほとんどなかった。

 さすがに、これでは・・・と思ったらしいセンターの担当者から、どうしたらいいでしょうかと相談を受けたときの驚きを今も覚えている。

 センターの人は、こう言った。『ウチのセンターのことを知ってもらえる案内状を郵送します。マンションがあれば必ず管理組合があるはずだし、そこに理事長がいるはずです。名前なんかわからなくてもちゃんと郵便は届くはずですから』

 何だかピンと来なくて、郵便封筒にどう書くのかを確かめてみると《リクルートの「週刊住宅情報」の後ろの方に中古マンションの欄が何十ページもあって、そこでマンションの名前も所在地もわかりますから。》という。

 思わず《名前がわからなかったら、大半の郵便が宛先不明で返送されてきますよ。はずだ、はずだとおっしゃるけれど、実情は違いますからね》と切り返した。

 正直なところ、実情知らずの能天気ぶりに腹が立ったのだ。

 最終的に固まったのがこちらから提案したマンション管理セミナーの開催だった。当時の新聞は開催行事の告知を生活情報として掲載していたので。かねて「住宅評論家」のクレジットで縁ができた各紙に記事の掲載を頼んだ。不安だったが、かなりの新聞がこの要望に応じてくれたのは正直に有難かった。

 それほど有名ではない会場で平日に開いたイベントだったが、自分自身が関与する最初のマンション管理セミナーがこうして実現した。
                   ☆
 セミナーという具体的な機会の実現で、マンション管理という課題が六法全書に出てくる法律や設計図の次元から人間の体温にあふれた現実感を一気に増した。

 竣工以来ずっと住み続けてきたマンションで生活感覚レベルになったマンション管理は、顔の見えるリアルな課題に予想を超えるほど大きく変わった。
                   ☆
 知りたい人へ、知りたいことを知らせる・・・。自分にわかっていることを残すところなく伝える。書くことも話すことも、すべてここに集中している・・・。
                   ☆
 この思いはブログを書き続ける最大の支えになってきたし、今も、そこは全く変わらない。 

| muraitadao | コラム | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 38】電子出版で本を出すようにすすめられて心境複雑になった秋の一日

もうこの齢になったら本を出すようにすすめられることなどないと思っていたのに・・・

 先月で、また齢をとった。

 だんだん90という数字が近づいてくる。

 住宅ローンやマンション管理の本をいろいろ書いてきたが、この齢になればもうこんなこともしなくていいと思っていたが、先週のある日、出版社と名乗る人から電話がかかってきた。

 聞いたことがない社名だった。かけてきた人も「たぶん、ご存じないと思います」といっていた。もしかしたらスタートしたばかりの会社かもしれないと思いながらの話は、次のような成り行きになった。

 「10年ちょっと前に出された本を国会図書館で見たんですが、これは、ぜひこれから長くいろんな人に読まれるべき本だと思います」

 「そう言われると、書き手としてはとてもうれしいんですが、それで?」

 「お電話したのは、その本を電子出版で出していただいたらと思うからです」

 「電子出版のことは知っていますが、いきなり、そう言われても・・・」

 「そうだと思います。資料をまずお送りしますから、それを読んでください。今日は、まず、その送り先のご住所を教えていただけませんか」

 あまり気は進まなかったが、話の成り行きで、住所やメールアドレスを話した。やり取りを重ねていくうちに、相手がそれほど気になるような人ではないことがわかってきたからだ。

 だが話しているうちに、向こうから「やはり、一度お目にかかってお話した方がよさそうですね」と言い出した。こちらの方もそんな気分になってきたから、ではそうしようという話になった。

 だが、日時と場所を相談する前に、ちょっとこう聞いた。

 「ちょっと確かめておきたいのですが、この件は、私の方が費用を負担する前提の話なんですか?」と聞くと、言下に「そうです」という。

 で、金額を聞くと、優に、若い人の1か月分の月収レベルの金額を告げられた。

 そんな金額が前提となる話を、せめてメールのやり取りを重ねたあとならともかく、会ったこともない人との電話のやり取りだけで進める気にはならない。

 だから、すぐこの話は断った。

 数日たって郵送された資料が届いたので、一応は封を切ってみた。きちんとした会社資料やこちらが負担することになっているという経費の見積書、電話してきた人の名刺、写真入りのパンフレット、手書きのメモなどが入っていた。

 知らせたアドレスにメールがくるかとも思っていたが、何も送信されてこない。
                   ☆
 資料などで判断すると、自費出版のセールスだったらしい。なるほど、それなら・・と得心がいった。

 だから、話は、ここでおしまいになる。

以前なら自費出版でも・・・という話もあっただろうが、今では、もう、とても、とても・・・

 気になるところもなかったし、それなりのきちんとした印象の話だった。聞いた社名などを電話のあとネットで確かめても、しっかりした出版社だったし・・・。
                   ☆
 でも、これまでの経験では、こちらが費用を負担してまで刊行を出版社に持ち込むようなことはまったくなかった。本を出したいのだが・・という出版社から持ち込まれた要望の内容をよく確かめて納得できれば、会って話を進めていくのがいつものやり方だった。

 今度は、そこが違う。こちらから費用負担を前提として刊行の要望を持ち込む形になると聞いて、ただ、もう驚くばかり。

 どこからの求めもないのに単独で原稿を書いてオリジナルの本を出すのは簡単な話ではない。本を出すのは、政治家がゴーストライターなどに頼んでばらまくのは別として、書きたいから書くというほど簡単なことではない。

 まして、住宅ローンとかマンション管理のようなリアルな内容の本を書くときは、読み手の表情を思い浮かべながら自分の書く言葉の一つ一つが読んだ人の判断にどう結びつくかという責任の重さを考えながら書くのだから、かなり気が張る。

 一冊の本を一人で書く気分の重さは、年齢を考えると慎重にならざるを得ない。

 一念発起して書いたとしても、その本が書店の棚に並ぶかどうか。

 いまや毎月一軒ずつの書店が姿を消しているという時代。本を読む人が減りに減って、もう書店が成り立たなくなっている。

 本を出すという話は、もう以前のような感覚ではとてもとても語れなくなった。昔なら自費出版ということもあったのだろうが、よほど考えてかからないと自費出版は単なる自己満足の代名詞まがいのイメージになりつつあるのではないか。

 ・・と考えてきて、先日の電話はいったい何だったのかという気がしてきた。

「読む」人があるという見極めがあるからこそ「書く」ことに意味があると今も信じているのだが、ならばブログはいったい・・・

 書くには書いたものの、それを誰かの目に触れる形にする機会を望んでいる人は、きっと多いに違いない。

 自費出版社が成り立つのだから、そうしたニーズは間違いなくあるのだろう。それも、書いたものが必ず誰かに読まれるという見通しを前提にしたニーズが。

 書いたものを必ず読んでもらえるという一種の自信のようなものがあるはずだろう。自費出版の経験がないので推測の域をでないものの、「書く」という仕事に関わる感覚だけはわかるから、そんな気がする。

 でも、本一冊分の原稿を書くというのは、やはり容易ではない。

 そんな骨の折れる仕事を求められる機会もないまま自発的に取り組む人が、それほど多いのだろうか。「書く」ということは、本当に骨の折れることなのに・・・。
                   ☆
 と書いてきて、はたと思い当たった。

 このブログは、今月で12年目に入る。日本不動産ジャーナリスト会議の一メンバーとして誘われて書き始めたのが、こんなに長くなった。まさかこんなに長く書き続けることになるとは思ってもいなかったが・・。

 書いていることに終わりが見えなくなるということなのだろうか。

 何だか、「書く」という行為の意味が、少しわからなくなってきた。

| muraitadao | コラム | 07:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 37】秋の夜。玄関側から見るかベランダ側から見るかで表情が違うマンションの素顔

よそ行き感が漂う玄関側の画一的な夜景、普段着の生活感がただようベランダ側の夜景

 マンションは、どんなところから見るかによって、表情がまるで違って見える建物ではないか。

 帰宅が遅くなったような時、夜道から見たマンションが昼間とはかなり違って見えるような気がする。何十年も住んできたわが住まいのマンションに何も珍しさはないのだが、周りの住宅の中で突き抜けて見える建物の夜景にかすかな安心感を覚えて、いつも、そう思う。

 たぶん、それは灯のせいではないだろうか。

 昼間はコンクリート壁の無機質な外観むき出しのマンションも、夜になると建物自体の大きくて不愛想な感じが暗い闇に消えて灯りだけが見える光景の印象が、そんな感じをもたらすような気がする。

 灯りは、いつも人の気配を生む。

 秋の夜は、とりわけ、そうだ。
                   ☆
 遠い遠い昔、太平洋戦争中。まだ10歳代の後半だったころ、夜はいつも暗くて、不安で、不自由だった。いま息をしているこの自分が、明日はどうなっているのだろうかと思う。灯火管制、警戒警報発令中、明日は学校動員で造船所の工場に行くことだけはっきりしていた。

電灯のまわりを覆った布切れ、ガラス戸に貼った縦横斜めの紙・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 だから、戦争が本当に終わったことを実感したのは、夜になって、何も気にしないまま灯りをつけてもいいよ、ということになった時だった。もう明るい灯を誰にも気兼ねしなくていいとわかった・・・。

 日が暮れてから本当の平和の到来を確かめた記憶は、今もありありと残っている。

 秋の夜の灯は、今もそんな記憶を呼び起こす。

秋の夜の灯の記憶が戦後の生活を思い起こさせ、住宅の飢餓感を思い出させる・・・。そんなトラウマが戦後住宅政策の背景にあったと今にして思い知る

 秋の夜、遠く近くにまたたく灯を眺めた時の記憶は、やがて戦後の暮らしの光景に続く。誰もが、ひもじいすきっ腹の時代だった。誰もかれも、みんなガツガツしていた。

 “ヨイトマケむかし夫人がいま人夫”などという川柳をどこかから聞いてきて大笑いしながら溜飲を下げたことを、今も思い出す。

 住む所がない時代だった。壕舎などという、今はもう死語となってしまったような言葉に他人事でない実感があった。

 だから、誕生して5年目の住宅金融公庫に入った時は、複雑な気分だった。

 やっと就職できたという思いの一方で、住む所がなくて困り果てた人の相手になる苦しさが重なり、大したこともできないのに期待ばかりされる苦しさが来る日も来る日も続いた。

 430万戸。

 これが、そのころ何かにつけて聞かされた住宅不足戸数だった。

 住宅が足りないのだ、住宅が足りないのだ、住宅が足りないのだ・・・。

 朝日新聞に連載された獅子文六の小説「自由学校」が大評判になった。神田川のお茶の水橋に近い土手にバラック小屋を建てて住み始めた男の物語だった。本当にそんなことができるのかと思った人はほとんどいなかったと思う。

 テレビもまだだったこの時代、松竹と大映で異例の2社映画化となったっけ。

 住まい不足が、それほど切実な時代だった。

430万戸の不足から空き家だらけに悩む時代へ。こうなることは昔からわかっていたのに・・・

 住宅金融公庫で住宅に関わり始めて何年たったころだっただろうか。

 丸善だったかもしれないが、書店で「高齢化社会研究」という雑誌だか本だかわからない刊行物を見つけて読んだ。東京大学出版会の発行だった。

 読んだことをもうすっかり忘れてしまったのに、読んだ時のショックを覚えている。いずれ、こんな時代がやってくるのだ、と。

 年月がたてば、モノは必ず古くなり、人は必ず齢をとる。

 それを考えれば、今せっせと建てている住宅が、そのころどうなっているか。
                   ☆
 そうならないように打つ手がある。その真髄が管理だ。

 若かった身は、そこまで頭が回らなかった。誰もが、そうだった。こんなに困っている人がいるのだから、一戸でもたくさん建てなければ・・・。

 住む人がいなくて、空き家だらけになる時代が来るなんて、そんなことを夢にも考えなかった時代だった。
                   ☆
 住宅金融公庫に入った若手の新人の仕事は、管理だった。若手には最初から融資などをやらせずに、貸した金の回収をやらせればいいという考え方の仕事だった。

 早く言えば債権回収。当時は取り立てだった。

 政府系の機関でも、管理がそんな感覚で考えられていた時代だった。
                   ☆
 管理はエリートが目を向けることがない分野だった。管理で点数を稼いだ人がエリート官僚として天下ってくることもないと実感する年月の始まりだった。

| muraitadao | コラム | 08:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 36】マンション管理組合の役員をエリート居住者が求められたら・・・

どこのマンションでも管理組合の役員選びで打診された人の心境は・・・

 どこのマンションにも管理組合の役員を絶対に引き受けない居住者が必ずいる。こういってもたぶん間違いあるまい。

 無関心だから引き受けないのではなく、ちゃんとした関心があって理屈も心得ているのに引き受けないのだから、確信犯的な役員拒否タイプとも言える。

 そんなことはないと言えるマンションはゼロではないかもしれないが、限りなく少数だろう。

 理由ははっきりしている。管理組合という組織の運営が決して理屈どおりに進まないことを、マンションに住む人は誰でも知っているからだ。

 区分所有法や管理規約に書いてある理屈通りにことが運ばない管理組合では、すべてのことが応用問題になる。法律に書いてある通りにやればいいと考えて理屈通りに取り組んでいけば答が見つかるなら苦労はないが、実際は決してそうはいかない。

 そうであることは、もう30年近い前からはっきり確かめられてきた。
                   ☆
 だが、そうはいっても、理屈は理屈として尊重しなければならない。もし万が一にも理屈を無視したら、マンションはたちまちにしてノールール化してどうにも収拾がつかなくなってしまうからだ。

 だから、どこのマンションでも、大抵の人は、理屈が欠かせないことも、管理規約が持つ重い意味も理屈の上ではちゃんと理解している。

 しかし、そこまでわかっていてもいざ自分自身がその理屈とどう関わるかということになると、たちまちにして発想が瞬時に変わってしまう。

 「わかっていること」と「できること」は同じではないと、誰もが考えるからだ。「わかったこと」の中には「わかっても実行できるとは限らないこと」が含まれるという理屈が浮かび上がってくるのだ。

 「事情を納得できても、その事情に自分自身が関わるかどうかはまったく別の話」だという気分が必ず胸の底に湧いてくる。「自分がやらなくても、このマンションにはやれる人がほかにまだまだたくさんいるではないか」という気分といっしょに。

 役員選びの時期になって意向のほどを打診された人は、大なり小なりこうした気分を味わったはずではあるまいか。

ウチのマンションにはほかにもたくさん住んでいるのになぜ・・・という感覚を責められるのだろうか

 こんなやりとりの時、多くの人が思い浮かべる「ウチのマンションには、こんなにたくさん住んでいるのに、なぜ自分に…」という心境。

 だが、この心境の思い浮かべ方は人によってかなり違う。

 「たくさんの人」が中村さんと山田さんと、佐藤さんと、木村さんと、鈴木さんと、田中さんと、それから・・・というふうに名前で浮かぶ人と、そうではなくて「1階の玄関から何戸めのあそこ」とか「4階のエレベータ―近くのあの住戸」という名前抜きで住戸の位置だけになる人では、《たくさんの人》のイメージがまるで違うからだ。同じ生活条件を共有して、いつも会う人の顔と名前が一致するかどうか、会った人が固有名詞でわかるかどうかという対人認識の問題でもあるのだ。

 「知っている人」を見極める目安の一つは、普段の生活でいつも顔をあわせるかどうか、会った時に声をかけるかどうかといった点だろうし、それをさらにさかのぼれば、会った人の名前がどのくらいわかるかということにもなる。

 玄関やエレベータ―などで会った人の顔がわかるかどうか、エレベーターで二人っきりで乗り合わせた時に何か話しかけるかどうかという日常的な生活感覚の問題でもある。

 この点には、その人の年齢や仕事、ライフスタイルなどいろいろな条件が関係するだろう。同じマンションに住んでいても、働き盛りのサラリーマンと年配者の学校の先生ではまるで違う。お互いの顔さえわからないことだって、ないとはいえない。

 そう考えれば、マンションにはこんなにたくさん住んでいるのに・・・とは言っても「たくさんの人をどのくらい知っているかどうか」という点になると、話は微妙に違ってくる。

 まして、竣工後年数が長くなったマンションや大規模マンションでは「知っている」戸数は、むしろ年がたつほど少なくなるという実情がある。顔見知りの人であっても、会う機会が少なければ本人はもちろん家族も大なり小なり実情が変わる。

 マンションは古くなるにつれて対人関係がわかりにくくなっていく世界なのだ。

マンションに住む人の実情を考えれば「管理組合が区分所有者の団体」だという理屈が当てはまる実感は・・・

 要するに、最後は「人と人とのわかりあい方」の問題になるだろう。

 人と人とが《わかりあう》というのは、《よく会うかどうか》という問題でもある。さらに言えば《会った時に声をかけ合うかどうか》という問題になる。

 声をかけるというのは、短い会話だ。会話は目前の人との話題の共通性がなければなり立たない。目前の人と通じ合える言葉で話す話題があるかどうか、身近な場所にいる人への関心があるかどうかということでもある。

 たったこれだけのことだが、日常生活のレベルになると理屈ではない個人差があるような気がする。もう少し詳しく言うと、身辺に漂わせるある種の匂いのようなものかもしれない。

 言葉にして書くのがとても難しいのだが、例えば、駅への行き帰りに出会うこともないし、ゴミ出しの日にエレベータ―で乗り合わせることもない人とでも言ったらいいか。

 しばらく見かけないが、以前は毎朝いつも迎えの黒い車が来ていたなんだか偉そうなあの人、今も住んでいるらしいけれど、管理組合の役員なんてとてもとても・・という感じの、あの住戸の人。管理組合は区分所有者の団体だという理屈を一番よく理解していながら、一番当てはまりにくい人。

 このあたりで、エリートという言葉がだんだん実感を持って浮かび上がってくる感じになる。
                   ☆
 ルールや約束事の上では、そんな感じの人たちも数字の上では同じ扱いになる。

 管理組合という世界の真の難しさは、こういう厄介な人間像と組織イメージ確保のバランスの取り方ではあるまいか。

 この実感は40年をはるかに超える今も変わらない。

| muraitadao | コラム | 09:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
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