村井忠夫のマンション管理ブログ

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「分譲マンション管理費 住まぬ人に増額適法 最高裁判決」という見出し:今ごろこんなことがニュースになる???
1月27日の朝日新聞朝刊、一面トップの大ニュースで・・・

 1月27日の朝日新聞朝刊の一面トップの記事には、ちょっと驚いた。「分譲マンション管理費 住まぬ人に増額適法 最高裁判決」という大きな見出し。マンションの管理費のことがこんなに大きなニュースになるなどとは考えたこともなかったから・・・。インターネットで調べてみると、一面トップではないが、どの新聞もそれなりに報じている。

 この記事が伝える最高裁判決のケースは、分譲マンションの賃貸化住戸の不在家主に「協力金」という名目で管理費に毎月2,500円を上乗せすることを認めたということらしい。正直にいうが、どうして今ごろこんなことが・・・というのが実感だ。

 分譲マンションとして売り出された物件が、実際には家賃収益目当ての投資物件として買われた後、賃借人が住むようになったのは、もう昔々からの話。バブルのころは、とりわけひどかった。マンション管理適正化法などが生まれる10年以上前の時代である。手元にある某有名週刊誌には「貸家50戸!給料なんて小ちゃい小ちゃい」などというのが出ている。20年前には、よくもまぁ、こんな恥ずかしい言い方の記事を出していたものだと、こちらの方が赤面する。

 何しろ、マンション管理など、まともに目を向ける人などめったにいない時代だった。マンション管理にはもうそのころから関わっていた。セミナーなどには、いつも大勢の人がやってきて、一様に質問や相談を持ちかけてきた。その一つが、分譲マンションの賃貸化住戸の問題だった。分譲マンションであるにもかかわらず自分の持っている住戸を貸して家賃でメリットを得ているくせに、不在を理由にして理事として管理組合の一員としての義務を果たさない実情を何とかできないだろうかというケースだった。

 埼玉県のあるマンションでは、そうした不在オーナーが在住区分所有者理事の尽力で資産価値を保全しているのをどうにかしたいという意見が強くなって、不在オーナーからは通常管理費の倍額を徴収しようとして管理組合がもめにもめたケースもあった。

 その時代から、分譲マンションの住戸が賃貸化するのはいわばマンション管理の業病のような感じでずっといつも頭痛の種となり続けてきた。何回も関係者の意見を聞いてきたが、分譲マンションは区分所有法や標準管理規約の考え方を原則として進めるべきものだから・・というのが、まぁ通り相場だった。

 こんなことが20年も続けば、問題を理解できない人をあてにしない方がいいという感覚になる。だから、賃貸化した住戸のあるマンションでは、賃借人を同じメンバーとして役員を引き受けてもらえるような管理規約を考えた方がいいと考えて、標準管理規約にはない賃借人の役員就任を認める考え方を、ずっと書いたり話したりしてきた。セミナーでもそう話したし、何冊も出した解説書でもそう書いた。

 今も、20年前の考え方を今も相変らず語り続けている。

 その中で、今度の最高裁判決のニュースを聞いた。驚くというより、やれやれ20年もたって、やっとここまできたか・・という鼻白む気分である。

実行できますか、この判決どおりに・・・

 まぁ、ぼやくのはこのぐらいにしておこう。それよりも、最高裁がやっと示してくれた考え方を、どうやって実行するのかを考えなければなるまい。まったく疑問の余地もない義務的な経費である管理費さえ滞納が増え、近所づきあいで銭金の話は口にしない方がいいという感覚で理事会も敬遠して管理会社任せにする傾向が強い中で、こういう「協力金」の徴収をどこまで実行できるのか。最高裁が扱ったマンションでは賃貸化住戸の率が20%足らず(朝日新聞の記事による)だが、普通の分譲マンションの賃貸化率はもっとはるかに大きい。半分以上に及ぶ例もある。そうしたところでは、この協力金の相場をどう考えたらいいのか。2,500円でいいか、どうか。

 お金を払えば役員にならなくてすむなら、もっと多めの管理費を払ってもいいから役員なんか勘弁してほしいという在住区分所有者が出てきたら、どうするのか。最高裁判例のケースの大阪のマンションでは役員に報酬を払うというやり方だったらしい。役員に報酬を払うケースはまだ少数派だが、協力金を集める中で報酬を払う考え方がよそのマンションにどこまで通用するのか。

 朝日新聞の記事によれば、マンション管理士の団体の「今回の判決が呼び水になって、不在所有者から協力金の徴収を始める動きが加速するとみている」という意見が出ている。へぇ、本当にそうなるのかなぁ・・・という気もするが・・・。分からないことが、次々に浮かんでくる。

管理組合という組織をどう考えるかという視点だけが答探しの手がかりではないのか

 分譲マンションに賃貸住戸があるという現象を「アルハズガナイモノガ、アル」と考えるから、こういう説明しにくい問題が生まれる。ほんらい住宅は「住む」ための場所であって「持つ」ための場所ではない。そこを、権利概念だけを軸にして「持つ」マンションを「住む」マンションと理詰めに区別するから、こういう考え方になる。賃貸マンションだろうと分譲マンションだろうと、集合住宅としての本質はまったく変わらない。「住む」という点は共通しているからだ。現に、売れない分譲マンションは、投資好適物件として家賃収益のための賃貸マンションとして取引されているではないか。

 区分所有法原則によって「持つ」ことだけを重視した区分所有者団体として管理組合を考える発想ではもう説明がつかない事態が、いたるところのマンションで続出している。ペット、ゴミ、高齢化、孤独死、危機管理、コミュニティ・・・。いくらでもある。

 まだまだ議論が足りない。

 今ごろやっと気がついてくれたかなどという文句は、いうまい。
| 村井忠夫 | コラム | 09:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
「マンションに住む」意味を日常生活レベルの感覚で語った本:井形慶子さんの「老朽マンションの奇跡」を読む
軽く読み始めた本だったが・・・

 井形慶子著「老朽マンションの奇跡」という新刊本の広告を新聞で見たのは、昨年秋の終わりごろだっただろうか。発行は新潮社。この出版社がマンションの本を出すなどとは、いささか思いがけなかった。商売上手な出版社だから、きっとマンションを舞台にしたミステリー小説とか恋愛小説の類だろうと思った。しかし、著者が、どうも違う。ノンノベルらしいが、そうだとすればこの書名には何とも見当がつかない。どう考えても新潮社がマンション管理の本など出すはずがないし、抜かりなくマンションを買いたいと思う人のための手引書なら、この書名ではあまりに工夫がなさ過ぎる。

 実物を見るしかないと思い、書店に出かけたときに確かめることにした。で、本を開いて、内容がわかった。要するに、格安の中古マンションを買って、低価格のリフォームで想像以上の効果があったという話らしい。とすれば、時々見かけるマンションリフォーム成功体験記の一つだろう。こういうのが、よくあるから・・・。253ページ。1575円。あらためて買うほどのこともないか・・・、と、正直なところ、思った。しかし、目次をめくってみて、どうも、よく見かけるマンションリフォーム体験記とは少し違うような気がする。それを確かめたくなって、買ってきた。

 が、間もなく12月。読む機会がないまま正月になってしまった。その正月も終わり、昨日、読み終えた。

 この本の著者のことを、あまりよく知らなかったし、発行も専門書の出版社ではないから、まったくといっていいほど先入観も既成概念もなしに、とても素直に読むことができた。おかげで、予想外にいろいろなことを考えさせてもらったような気がする。

 著者はインテリア雑誌の編集者だという。それも、一方ならぬ打ち込み方で蓄積してきたイギリスの生活感覚で日本人の暮らしを見直す発言を重ねている人らしい。しかし、だからといって、この著者は薄っぺらなイギリスかぶれではない。のみならず、イギリスと引きくらべながら日本人自身が見過ごしてしまっていることを、ごく普通の言葉で語る。

 初めて読んだ井形さんの本を終わりまでじっくり読ませてもらった読後感は、予想しなかったヒントに満ちている。

「当事者になってみて初めて分かることは日常の中でたくさんある」なんて専門家にはいえない・・・

 普通の言葉で、普通のことが納得できる形で語られているのは、この本が住宅をテーマに取り上げているからだろう。人間は住むところがなければ生きていけない。住宅を語ることは、人間を語ることに通じる。今の世の中の住宅を語ることは、そのまま今の世の日本人を語ることと同じだ。それを普通の言葉で語れば、おのずと説得感が生まれる。

 この本は、大半の人が《分かりきっている》つもりで深く考えないことの中に、どれほど《分からずじまいのまま残されたこと》が多いかを語る。中古マンションのリフォームというストーリーの形を借りて、今まで当たり前だ、深く考えるまでもないと切って捨てられてきたことにこだわりながら、それを語った。だから、ページを繰るうちに読み過ごしてしまえなくなる言葉が、この本にはいっぱい出てくる。「マンションというものは、自分のものであって自分のものではない。・・・」「当事者になってみて初めて分かることは、日常の中でたくさんある。・・」といった言葉が・・・。

 この本で一番印象に残ったのは、住宅という最も基本的な生活財が、事実上、今の日本人にとっては疑問の余地もない完成済みの商品として受け取られているために、住む人間は、自分の生活をその商品にフィットさせる感覚で暮らすのが当たり前になってしまっているという指摘だ。いわば、足を靴に合わせるという逆転した考え方が不思議でなくなっているという指摘である。なけなしの金をはたいて手に入れた高額商品ではあっても、今の住宅は出来合いの器である。その器の中身になるのは自分の生活だ。何であれ、器の価値は何を入れるかという中身とのバランスで決まる。それは住宅だって同じなのに、住宅に限っては、中身を器に合わせる・・・。何かヘンではないのか。

 この不都合を調整する考え方がリフォームだ。だから、リフォームは自分の生活と住宅のバランス調整の手段となる。ずいぶん昔からそう言い続けてきたのだが、いかんせん、いつも少数派だった。こういう考え方はウケが悪かったらしい。
 
 井形さんの本で、その考え方が、非専門の立場から展開されていることを知った。貴重だと思うし、心強くもある。

 ならば、こうしたことが集合住宅であるマンションでは、もっといろいろな視点から語られるべきだろう。こうした意味でのリフォームの意味は、一戸建て住宅と集合住宅では視点がかなり違うのだから。が、惜しむらくは、そこまでは語られていない。

 もっとも、それは、こういう性質の本に求めるべきことではあるまいが・・・。
                    ◆
 この本が新刊紹介や書評に出る機会はめったにないが、その中で「週刊ポスト」のpost book reviewが取り上げた。しかし、どうもちょっと取り上げ方が違うような気がする。見出しには《日本の住環境問題を浮き彫りにする異色ルポ》などとあるが、どう考えても見当外れとしか言いようがない。

 むしろ、住宅、とりわけマンションに関わりの深い人たちに、この本を読んでほしい。

 たぶん、読後感は一様ではあるまい。しかし、だからこそ、議論されないままの問題がたくさんあることに気づくことになる。
| 村井忠夫 | コラム | 13:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
住宅ローン滞納増加の事態がマンションで例外となるはずがない:管理費滞納の事実確認をめぐる議論をマンション管理士に望みたいのだが・・・・
中小企業金融円滑化法に返済猶予法という名称をつけて報道するニュースが多くなって・・・

 2009年12月4日に施行された「中小企業金融円滑化法」にカッコつきで「返済猶予法」という名称をつけて報道するニュースが多い。法律名にないが個人も対象とするこの法律が、住宅ローン利用者に大きな反響を呼んでいる様子がわかる。

 旧年12月から年明けにかけて、住宅ローン滞納のニュースが目につくようになってきた。1月7日の日経朝刊が大きく報じた「住宅ローン返済相談急増/三菱UFJやみずほ銀、件数5倍/ボーナス減額響く/中小企業金融円滑化、契機に」という記事は、その典型だろう。

 こうした法律のことを聞いて相談する人が一人いれば、その背後には、相談に来ない人が10倍も100倍もいると考える方がいい。住宅ローン返済の相談が急増しているのは収入減に苦しむ人が激増しているからだし、そんなことは、もう何年も前から続いている。その意味で、中小企業金融円滑化法以後になって報じられるようになった住宅ローン滞納相談増加のニュースは、決して予想外ではない。むしろ、ずっと前から続いてきた苦しい実情が表面化してきた事実から目をそらさせない感じが、こうしたニュースには漂う。

背景の実情が同じならマンションの管理費滞納が増えていないはずがない・・・

 新しい法律が生まれるときには、そうした法の登場を必要とする事態が必ず先行している。個人情報保護法がそうだったし、動物愛護法がそうだった。マンション管理適正化法も・・・。収入が減って払うべきものを払えないという不安な経済事情が社会全体に広がってきた実情が、中小企業金融円滑化法を生んだ。その実情が、膨大なストック戸数を数えるマンションだけ例外となるはずがない。

 昨年8月11日に国土交通省が「維持管理・再生に取組むマンションのモデル支援開始」を発表したときのプレスリリースにも、「分譲マンションは・・・平成20年末で545万戸、居住者数は国民の約1割に当たる1,400万人と推計される」とある。返済猶予法を頼りにする住宅ローン滞納の不安に直面する人が、マンションに住む1,400万人の中にも必ずいるはずだ。世の中で起こることは、マンションでもつねに起こるものなのだから。

 となれば、どうしたって管理費滞納のことが思い浮かぶ。住宅ローンを滞納すれば成り行きによって自分の住まいを手放さなければならないことは、誰でも知っている。返すべきものを返さなかったらどうなるかも、大抵の人は承知している。

 しかし、そういう人が、住宅ローンの返済と同時に管理費のことも思い浮かべるだろうか。住宅ローンを返済できなかったら住まいを出なければならないと知っている人が、管理費を払わなかったらどうなるかを考えるだろうか。管理費を払わなかったら、同じマンションに住んでいる人たちにどういう迷惑をかけることになるかに、思い及ぶだろうか。

 住宅ローンを滞納していなくても、マンションに住む人たちが自分の住まいの確かさは「全員が、ルールで決められた管理費や修繕積立金をちゃんと納める」という約束事の実行で支えられていることを考えるだろうか。「払うべきものを払わない人がいたら、その分を自分たちの負担で肩代わりすることになる」ことを知っているだろうか。いつも玄関ホールやエレベーターで会うことが多い人の中に管理費を払っていない人がいたら早く払ってほしいと面と向かっていえるだろうか。払うべきお金を払わない人をそのまま放っておけば、払わない人の言い分を認めることになると気がついている人がどのくらいいるだろうか。

 お金のことは近所づきあいでは角が立って口にしたくない話題だから、管理会社に任せておけばいいと思っている人が多いのは仕方がないとしても、嫌なことを管理会社に任せっきりにしていることはないだろうか。

 あれこれ考えると、際限もないほどいろんなことが浮かんでくる。思いつくままに書き並べたことが見当違いならば、けっこうだと思う。しかし、たぶん見当違いではあるまい。

ニュースがなくても事実は起こっている。とすれば、事実を確かめて間に合ううちに手を打つ必要があるだろう

 住宅ローン滞納のニュースが流れても、マンションで管理費滞納のニュースが流れることは、滅多にない。なぜか。あえて言うまい。わかる人はわかるだろうし、わからない人はいつまでたってもわかるまいから。

 ただ、はっきりいえることがある。ニュースがなくても、事実は起こる。管理費滞納のニュースがないから、管理費滞納の事実が起こらないわけではない。住宅ローン滞納をもたらす状況は、管理費滞納も同じようにもたらす。ニュースが伝えることだけをひたすら信じてマンションに住んでいる人が多ければ、この認識のズレが何をもたらすかはいうまでもあるまい。

 議論はいろいろあるだろう。しかし、どんな意見が展開されるにせよ、まず必要なことは事実の確認ではないか。国土交通省のいう545万戸のマンションに住む1,400万人の中で管理費滞納がどのくらい起こっているかという事実を確かめることが、まず必要だろう。

 こう書くと、そういわれても、管理費滞納の実態を調べる方法がないではないかという意見が出そうだ。でも、別に、全国調査をしてしかるべき対応策を講じてもらいたいなどというつもりは、まったくない。事実の確認が必要なのは、それぞれの管理組合が自分のマンションで管理費の滞納がどうなっているかを自主点検すればいいということに過ぎない。自分のマンションの実情を確かめられなかったら、管理組合はやるべきこともやれないだろう。

 しかし、管理組合なんて、素人集団だから,そんな難しいことはやれないし、知恵も力もない・・・。

 そういう状態の管理組合に方法を考える力と知恵を貸せる人がいないだろうか・・・。

 マンション管理士が、こういうときに頼りになるのではないか。今日は15日。昨年の試験に合格した人の発表日。

 マンション管理士の世界では、どちらかというと、すでに滞納してしまった一人ひとりの滞納者対策をめぐる法的督促論や訴訟手続きを考える事後的な個人レベルに焦点を合わせた議論が多かったようだ。それはそれでいいが、滞納が増えないようにする事前対策の議論がこれからは必要になるだろう。マンション特有の近隣感覚で管理組合全体の視点からの組織レベルの管理費滞納策を考えるところに、この資格制度が想定している本来のマンション管理士の役目があるのではないかとも思う。集合住宅での生活者集団として管理組合を考える視点が、マンション管理には欠かせないのだから。
| 村井忠夫 | コラム | 04:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
21世紀の一〇年間がもう過ぎた:歳月の経過が物語る「住宅」の意味、「マンション管理」の意味
十年一昔って、やはり本当だ!

 2010年。21世紀に入ってからの最初の10年が、もう過ぎた。2000年、つまり平成12年当時、間もなく新世紀を迎えるという言い方が多かったが、その新世紀はあっという間にやってきて、あっという間に始めの10年間が通り過ぎていったことになる。十年一昔というのは、本当だとつくづく思う。

 だって、そうではないか。10年前に、どんなことがあったかを思い浮かべればすぐわかる。10年前、小泉内閣のころ、改革なくして成長なしとか、聖域なき改革とか、今にして思えば、メッキがはげて怪しくなった言葉が飛び交っていたものだ。今は、もう遠い昔々の記憶でしかない。

 一〇年たつと、見聞きしたことが本物かどうかが、わかってくる。当てにできる代物かどうかも、見極めがつくようになる。年数の経過は、物事の本質をあぶりだすからだ。

建てられた住宅がどうなるかを考えるところにストックの認識が成り立つ

 そのことが、住宅の場合にどういう意味になるかを考えてみたい。住宅が住宅として機能するためには、人が住んで、そこに人の暮らしが普通の状態で繰り広げられるための条件が継続的に確保されていなければならない。1か月か、2か月ではない。1年か、2年でもない。その住宅が建ち続けている限り、“ずっといつまでも”という継続性がなければならない。これを実現する手法が、「管理」にほかならないのだから。

 住宅は年数経過とともに劣化し、機能が低下していく。この過程に例外はない。だから、管理は、住宅にとって絶対不可欠な条件となる。管理されない住宅は、住宅として成り立たなくなっていく。逆にいえば、適切に管理されれば、住宅は相当の年数経過にも耐えられるわけだ。古い民家などの例を引くまでもない。

 住宅をストックという側面から考える場合に、管理という発想が想像以上に大きな意味を持つことははっきりしている。“住宅を住宅としてもたせていこう”とする意識が管理の重要性に気づかせ、そのための維持管理手法が住宅をストックして成り立たせる。

 しかし、こうした意味での管理を意識し、そのための手法を実行するのは、住宅の売り手ではなく買い手だ。商品として売られた住宅を買って自分の資産として所有する立場の課題となるのが、管理である。そこが、どこまで認識されているだろうか。

 かつて、住宅産業全盛だったころ、新築着工住宅のかなりの割合が建替えで占められていた。その建替えは戦後のものが多く、当然ながらそれほどの年数にはならないケースが多かったと思う。建てられてからせいぜい30年前後を過ぎると、もう惜しげもなく壊して建て直す形の住宅需要が住宅産業を支えていたし、そうした需要が景気刺激効果を生むことを期待して一連の公的住宅融資に財投資金がせっせと投入される図式が長く続いてきた。

 暮も押し詰まった12月28日、国土交通省が発表した「平成20年住生活総合調査」を見ると、それがはっきりする。「住生活総合調査」というなじみのないこの調査は今までの「住宅需要実態調査」が名称を変えたものらしいが、この調査の対象となった住宅の建築時期がいま述べたことをありありと示している。

 この項目をみると、住宅産業全盛期に当る1981年(昭和56年)から2008年(平成20年)に建てられた築後年数30年足らずの住宅が63%を占めている。まだ住宅産業という言葉さえなかった1951年(昭和26年)から1980年(昭和55年)の住宅は、その半分にもならない27%に過ぎない。建築後年数が28年から1年というまだまだ新しい住宅が半分以上で、築後58年から29年という住宅はかなり少ない。これ以上古い住宅になると3%しかないから、もはや「ない」も同然だ。

 つい数年前から言われ始めた「200年住宅」とはまったく逆な状態であることがわかる。30年にもならない住宅をあっさり壊しては建て直す形の住宅需要に見切りをつけたからこそ、やっと「200年住宅」という考え方が遅まきながら生まれてきたのに違いない。

 しかし、こうしたプロセスは、とりもなおさず、年数経過に伴う劣化や機能低下対策となる「管理」が今まで長い間にわたってどれほど軽視されてきたかを明白に物語っている。その反省が「リサイクル」とか「200年住宅」というスローガン的な言葉を生んだのかもしれない。

 いずれにせよ、ほかの分野はいざ知らず、住宅に関する限り、管理のレベルは今もってまだまだ低いことが明白だろう。

ましてマンションは・・・・

 一戸建て住宅でみられるこの状況は、マンションの場合、どうなるか。結論をいえば、もっと管理の実情は低い。何しろ、マンションをめぐる仕組みにハードルが多すぎる。

 管理という課題は、所有しているかどうかという権利の有無よりも住んでいるかどうかという生活実態に直結するにもかかわらず「所有」と「賃貸」という権利中心の仕組みしかないために賃貸化した状況に対応しきれないギャップとか、高齢化などまだまだ遠い先だった時代に生まれた法律が今も基本原理になっているもどかしさ、あるいは、バラバラに細切れとなった区分所有原則では限界がある管理組合組織運営のイメージ欠落、さらに集合住宅の一角で暮らす状態では知るべくもない巨大化したマンションのわかりにくさなどなど、管理の発想や実行を成り立たせるための難題かうんざりするほどいくつも浮かび上がってくる。

 そして、何より気になるのは、マンションの管理をめぐるこうした実情に気がついていない人が、いまだに多いという事実だ。いずれ600万戸に近づくという膨大なマンションストック。しかし、そのストックを社会資産として成り立たせるための議論の低迷。

 正月の都市光景を浮き彫りにするように立ち並ぶマンションを目にしながらたどりつくのは、いつも、この連想だ。

 今年も、こうした状況に不満を言い続けなければならないような気がする。
| 村井忠夫 | コラム | 09:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
国家予算成立のニュースが思い起こさせる昨年までの記憶:物事が決まるまでのプロセスで連想するのはマンション管理のことだけではない
以前、この時期の予算のニュースは向こう一年分の日本の住宅の実情を決める重大ニュースだった

 押し詰まって、ようやく国家予算の成り行きが落ち着いてきた。政権交代から100日とか何とかマスコミはしきりに書きたてるが、たった100日しかない中で、よくここまでやってきたと思う。選挙期間中のことを考えれば重々覚悟の上、百も二百も承知の上だったはずとはいいながら、実際には、まったく経験したこともなければ情報の蓄積もない状態で責任を負う立場になったのだから、もしかすると、ここまでたどり着けなかった可能性も少なくなかっただろう。

 新聞やテレビの伝えるニュースを見ながら、率直に、そう思う。その感想は、そのまま何年も前の、この時期の予算をめぐる過去の記憶につながっていく。

 かなり以前、この時期の予算成立に関連する情報は、住宅産業の世界に決定的な影響力を持っていた。日本の住宅は、事実上、持家政策一本やりで塗りつぶされていたから住宅はそのまま商品となり、その需給がそれなりの市場を形成していた。市場スケールが消費動向を左右することを考えて、住宅政策よりも景気刺激政策の方が重視されて、住宅金融公庫融資や年金住宅融資、財形住宅融資といった公的住宅ローンが日本の住宅事情の成り行きを実質的に決めていた。

 その成り行きの向こう一年分が国家予算という仕組みでこの季節に集中して決まっていたのだから、予算決定までの経過がニュースにならないはずがなかった。

 こうしたわけで、以前は、年明けが大変だった。正月が終わって年度末に近づくと、その先に4月の新年度が待っている。桜咲く春4月が住宅産業の最大のシーズンだった。それを念頭においたスケジュールが、もうこの時期に始まるのがつねだった。

 日本の住宅のほとんどは、こうした動きの中から登場してきた。プレハブであれツーバイフォーであれ在来工法であれ住宅需要は、何十年もの間、そうした流れの中で作り出されてきた。

 ほかならぬマンションもまた、そうだった。

建てられた住宅やマンションは今もそのまま建ち続けている。いま、ここから先の急所になる管理の仕組みを見直すべき時期にきているのいではないか

 いま、事情は一変した。住宅金融公庫を中心とした公的住宅ローンはもはや姿を消し、昔は目もくれなかった民間金融機関が打って変わって住宅ローンに熱い目を注ぐ。40年ぐらい前から余り始めていた住宅の多さはもはや誰の目にもわかる空き家と化してはっきり姿を現すようになった。持家を当てにできない人が頼りにしたい賃貸住宅には、いまだに良質の物件が少ない。持家を手に入れた人は、昔広々したマイホームで満足しきって暮らした日ももう遠い昔のことになり、いまや高齢化した夫婦二人きりで広すぎる住まいに住む日々を送っている。

 ・・といった光景は、いまマンションの中でも起こっている。すでに500万戸の大台に乗るほど増えに増え続けてきたマンション。これほど多くなったマンションで、世の中で起こることは何でも起こる。

 しかし、建てられて買い手にわたったマンションは、売れた瞬間から供給者の手を離れる。借りて住むのではなく買って住む分譲マンションなのだから、世の中で起こるのと同じ状態が生まれても、売り手には何の責任もない。買って持ち主になった方が、すべてのことに取り組むべき話になる。

 ・・・というのが、分譲マンションの管理を支える基本的な考え方だった。今もそうだし、当分の間はこのままだろう。

 しかし、ここから先が容易ではない。なけなしの金をはたいて持ち主にはなったものの、自分の持つマンションなのだから管理は自分たちでやれなどといわれても、何をどうすればいいか、さっぱりわからない。そういえば、昔、このマンションを買ったときに「マンションは管理を買え」とかいう言い方があるって誰かに聞いたなぁ・・。それなら、その管理を買えばいいじゃないか、買えばすむものにわざわざ骨を折ることもないし・・。

 こういった感覚の人が、500万戸をはるかに超えたマンションに、いまもたくさん住んでいる。

 マンションの管理は、大丈夫なのか。区分所有法と標準管理規約を大事にするのはいいが、こうしたルールで答が見つからないことを、どうしたらいいのか。自分で手がつけられないことは、いったい誰をあてにしたらいいのか。

 でも、こういったことをぼやいていても、何もできない。一人っきりで何かやれるわけでもない。法律は大事だが万能ではない。となれば、どこにいるかわからない玄人を当てにする前に、自分でやれることを考える方が先ではないか。十分知っているつもりで住んでいるマンションの建物全体の様子や住んでいる人のことをよその人に話せるほど、自分の住まいを知っているか。知らなかったら、それを確かめるのが先ではないか。

 マンションは管理を買えというのは、本当は、違う。マンションの管理は売ったり買ったりするものではなくて自分で「する」ものなのだから。

 ・・といったことを、もう10年以上前から話したり書いたりしてきた。今年も、それは同じだった。来年もそうなりそうだ。

 なぜ、なのか。住宅の世界の仕組みが、根底から変わってきたからだというのに尽きる。住宅を「売る」「買う」「住む」というすべての立場が関わってきた仕組みや約束事の根っこの部分が、もう一度見直さなければ成り立たない時期が来ているからだ。

 マンションだけがそうではない。住宅をめぐるすべてのことで、そういうことがいえるはずだが・・・。

 国家予算のニュースを見ながら、果てしもなく連想が広がり続ける年末の一日。
| 村井忠夫 | コラム | 08:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
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