村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【43年の実感で「マンションの管理」を考える2】マンションが新しかった時期は管理組合の存在感ゼロでも気にならなかったなぁ・・

43年のマンション住まいの初期に管理組合はまだ生まれていなかった

 43年過ごしてきたマンションの日々は、管理組合の歴史よりも2〜3年長い。はっきり言えば、マンションで暮らすようになった最初の2年間は、管理組合がまだなかったからだ。

 マンションの人の大半は、管理組合という言葉など聞いたことがなかった。しかし、全戸入居のあとに生まれた住民の会がやがて自治会となり、さらに管理組合となった。名前が変わっても顔ぶれは同じだったが、きわめて自然な感じだったと思う。

 でも、そうは言っても組織の実感など、まるでなかった。理事会とか総会もなかったし、管理組合が自治会といったい、どこが、どう違うのかと聞かれてもピンと来ない時代だった。

 そんな状態でもよかったのは、格別の問題が何もなかったからかもしれない。この実感を思い起こすと、マンションがまだ新しい間は《管理組合なんかなくても別にそれほど困らない》というのが普通の感覚だったような気がする。

 今にして思えばずいぶん能天気な感覚だったと思うが、実際、新しいマンションではどこもみんな同じように能天気だったに違いない。社会全体も似たような能天気ぶりだった。何しろマンションという言葉だって通じにくさがあったし、関連する仕組みも改正前の区分所有法があるだけで、ほかにはもう本当に何もない時代だった。

 だから、法律論の《区分所有者のいるマンションでは管理組合が必ずあると見なされる》などというお説を聞くと、今でもある種の空々しさと苛立たしさを感じる。いくら《見なされる》などと理屈を並べても、現実の組織は生身の人間集団なのだから、顔をみて名前がわかる人たちのイメージが浮かんでこなければ、結局その組織は《ない》のと同じだと思うから。

 そういう意味で、マンションが新しい間は管理組合が《ない》状態であっても困らないという実感があったのは確かである。

管理組合の存在感がなかった時代は管理会社もさぞかし楽だったろうな

 この時期の記憶を思い浮かべると、名ばかりの管理組合より管理会社の方が鮮明でだ。ほぼ真中の棟の1階に管理事務所があって、そこが全600戸のマンションのあれこれの窓口になっていた。

 創業5年目だった管理会社は分譲したデベロッパー系不動産会社の子会社。その親会社は中堅のローカルゼネコンだった。

 管理事務所には老眼鏡の親会社OBがときどき顔を見せたが、いつも現場にいる初老の「管理人」の方が当てになるという評判だった。

 600戸の中にはいろんな人がいた。偉い人も偉くない人も、有名な人も有名でない人も。

 でも、意見が揃わなくて苦労するような問題はなかったし、入居するとすぐ友だちになった子供同士に引きずられて親同士が家族で付き合うような間柄があちこちで生まれた。玄関やエレベーターで毎日人に会うのが、とても楽しかった。

 そんな時代だったから、管理会社はさぞ気楽だったろう。

 600戸もあれば毎日マンションのどこかで何かがあるが、お互い同士で大抵のことは何とかなった。管理組合や管理事務所が直接言いにくいことのガス抜き機能を務めることもなかった。

 マンションが新しい間はマスコミがそれらしくマンションの解説や論評を流すことも皆無に近かったから、大抵の人は《マンションとは、こういうものだ》という奇妙に予定調和的な落ち着きがあって格別のトラブルも少なかった。

 いま思えば、実は知るべきことを知らなかっただけのことなのだが。

 要するに、みんな鷹揚だったのだ。

やがて鷹揚さの限界が見え始めたころ管理会社が何かにつけて気になってきた

 だが、そういう鷹揚な空気が微妙に変わり始めると、何かにつけて管理会社の存在が気になるような日々が始まった。居住者の目前にいる管理会社は実は現実的な対応が苦手で、話がこじれてくると、最後はいつも分譲した不動産会社が出てくる場面が何度もあるようになった。

 そんな状態だったが、まだ、管理組合は総会を開くこともなく、組織活動の実感は皆無に近かった。これでいいのかな・・という感じはあったが、600戸から毎月管理費を集めて、それを会計処理して・・といった実務を考えると、途端に、もう何も言えなくなってしまう。

 何しろ、電卓を秋葉原まで出かけて1万8000円で買ってきた時代だった。コンピュータはまだ大型しかなくて・・・。

 そんな時代だったから、大規模マンションの実務は管理会社を頼るしかなかったのだ。大戸数の区分所有者から多額のお金を収める管理組合は、その実務を引き受ける管理会社だけが唯一の頼りだった。

 そんな管理組合のマンションにも年月が過ぎて竣工後10年目が近くなってきた。

| muraitadao | コラム | 14:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える1】マンションが語る建物と住む人の姿に浮かび上がる歳月の実情

今回からブログはトーンを実感本位に切り替えて書きます

 ずっと昔、住宅評論家というクレジットでいろいろな原稿を書いていた。当時全盛を極めたリクルートの「週刊住宅情報」にも。

 ある時、中古マンションの選び方を書いた原稿の冒頭に《どんなマンションも買って住むようになったその日から、一日ごとに間違いなく中古マンションとなる日が始まります》と書いたら、たちまち編集担当の人からすぐ《こんな夢の壊れる書き方では困ります》というクレームが入った。

 昔の新築は、今の中古。昔の妙齢の美人も、必ず老婆になるのと同じ。

 自分自身もマンションに住み続けて確かめてきたこの実感は、このクレームを受けた時から今もまったく変わらない。

 43年の居住年数はこのブログを書き続けてきた11年間とも重なる。

 長寿命のマンションが住宅として長い年月を過ごすと、どうなるか。

 きわめて根源的だが、実は、ほとんど確かめた人がいない。ブログを書き続けてきた11年は、それを確かめながら書く歳月でもあった。

 そのブログは12年目に入るが、書きたいことがまだまだ山ほどある。

 そこで、今回から、こうした実感をもっと正直に打ち出しながら書いていきたい。

 ブログを書くことには、マンションの経年変化の本当の姿を、少しでもありのままに多くの人に伝えられるメモを書き綴る意味があると思うからだ。

43年・・・。わが人生の半分をこのマンションで過ごしてきた

 1974年(昭和49年)4月に竣工した時から住み続けてきたマンションで43年余りが過ぎた。数日前の10月1日で86歳の誕生日を迎えたから、人生のちょうど半分をこのマンションで過ごしてきたことになる。

 新宿から急行なら30分弱で着く都内最小の市。小田急線の駅から15分以上歩かなければならない程度に離れていたから電車の音は遠かったし、まだ畑があちこちに多くて、11階のベランダから丹沢の山並みと富士山が見えた。

 43年住み続けてきた理由の一つは、たぶんこの眺めだろう。4DKのスペースは不十分だったが、何より立地に満足感があった。

“一億総中流時代”の建物が総中流時代でなくなった今も建ち続ける複雑さ 

 しかし、満足しない人の方が多かったようだ。住み続けているうちに知っている顔ぶれがどんどん減って、名前と顔が一致しない人の数が増える一方だった。

 何しろ、入居当初はみんな誰もが似たようなものだった。どの住戸も家族4人ぐらいで40歳代のサラリーマン。東京オリンピックから10年しかたっていなかった蛙の時代のマンションはファミリータイプばかり。

 何度もマンションブームがあったが、売り出し物件の大半はいつもファミリータイプ。売る方にも、同じような間取りと広さだけで特色を出せばよかった。

 《一億総中流》がそのまま絵になったのが、この時期のマンションだった。

 だが、長寿命のマンションが40年以上過ぎると、この状況が変わってくる。

 年数がたって建物自体は竣工時の様子が古びたまま同じ場所に建ち続けるが、人間の方はほとんど入れ替わってしまう。何年たっても住み手が変わらないままというマンションはめったにない。

 43年が過ぎたマンションに住む人の顔ぶれは変わっていく一方で、表札やネームプレートもない住戸が増えていく。そうなるといつも出会う人が「住んでいる人なのか、よその人なのか」の見分けもつかなくなる。

 エレベーターに乗ると、11階から1階に付くまで40秒かかる。誰かと乗り合わせた時この狭い空間で押し黙ったままの気づまりな感じが嫌で、できる限り声をかけるようにしている。反応は様々だが、何人かは何か応答してくれるから、その後も出会った時に声をかける機会が生まれる。

 そんな形でのマンション住まいだから、マンションでのコミュニティ論議も理屈倒れな話であれば、その中身も語る人もすぐ見極めがつく。

 すべて、一億総中流時代にできた当時のままのマンションが、一億総中流ではなくなった時代に建ち続けているからこその実感だと思う。

40年以上過ぎたいま中古マンションの買い手が今も相変わらず

 竣工したころ何もなかった周辺に、この10年足らずでマンションが激増した。この人口減少時代に、市の人口が増え始めたほどである。

 こちらは市内最古のマンションだが、売れ行きに苦労する新築マンションが1年以上チラシをまく中で、連日のように不動産会社の売却勧誘の呼びかけが続く。

 たまさかの成約事例を見ると、間違いなく43年前にここを買った時の価格の何倍かにはなっているようだ。

 そんなことになる理由は、例の「マンションは管理を買え」というご託宣のおかげか。

 でも、あれは、まぎれもない大ウソだ。マンションの「管理」がわかっていない人がありがたそうに唱える嘘っパチである。

 住み続けてきた43年は、こんな言い方の嘘を確かめる年月でもあった。
 

| muraitadao | コラム | 07:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること67:聞く・答える】小学生でも知っている「集団で物事を決める時の大前提」だが

「わからないから聞く」→「わかるように答える」という流れを軽視した時に怖いことが起こる

 もうヤブから棒の感じで、解散とか総選挙とかいうニュースがいきなり流れ始めた。

 よく分からなくて首を傾げているうちに、憲法のどこの決め方の案づくりが、どこだかへの一任で決まる、とかいう話が重なったりして、ますます分からなくなってきた。

 何かあると、この頃の政治家は《丁寧な説明》というのが口癖で《丁寧の上にも丁寧に》とか《真摯に》とか簡単にいうが、実際に「丁寧な説明」なるものを聞いたためしがない。

 ときどきペラペラと早口にテレビのCMまがいの安っぽい言葉が並ぶ演説のニュースを聞いた当座は、それらしい気分にさせられるが、しばらく時間がたつと、はて、さっき何となくわかった気分になった「あれ」はいったい何だったのか…という感じに入れ替わってしまう。
                   ☆
 分からないことがあれば、聞く。それに答える。そのやり取りを重ねて「分からないことが分かる」ようになる、という実に平凡で当たり前の流れが、このごろ、とてもヘンだ。

《当たり前のことがさっぱり分からない》ことが当たり前になってきたのではないか。

 このヘンな感じが日常生活の次元であればとるに足らぬことだろうが、何かを決める場合になると、そうも言ってはいられなくなる。決めようとしていることが重ければ、なおさらだ。

YESだかNOだかわからぬまま黙っている多数も事実上決定には関わる「暗黙の了解」の怖さ!

 いつの間にか、「聞く」ことと「答える」ことが対応しなくなってきているような気がする。

 テレビの記者会見などを見ていると、「聞く」方もヘンだし、「答える」方もヘンだと思うことが多い。聞かれたことにちゃんと答えていないことは、もう日常茶飯で珍しくもない。

 だが、「聞く」ことと「答える」ことの対応関係が物事を決める時の大前提であることは、確かだ。

 何かを決めようとして分からないことがあれば、まず「聞く」。聞かれた方は、それに「答える」。この対応の積み重ねで、大抵のことが決まっていく。家族内のことでも組織のことでも。
                   ☆
 しかし、これが自分の身辺から遠ざかるほど、何となく違ってきているような気がする。とりわけ、自分が属している組織レベルのことになると、そう思う。

 いま自分が関わっていることは知っていても、別に、自分にとって何も影響がない、何がどうなろうと、自分がすぐ困ることなどないという感覚。

 こういう人の場合、聞いたことに納得できていようと疑問があろうと、別に大したことではない。だから、聞くことがなくても、別にどうということはない。

 しかし、かと言って、それほど納得しているわけではない。逆に、そんなに反対しているのでもない。

 よくわからないのだが、何となく・・・という実に曖昧模糊とした状態。これが、今の時代にはとても多いのではないか。

 でも、何かを決める時には、そんな曖昧模糊とした人たちにも、一応は意向のほどをきちんと聞かなければならない。多数決原理の民主主義的意思決定には、メンバーが曖昧模糊かどうか、などということはまったく無関係だからだ。

 かくて賛成でもないし反対でもない曖昧な状態で大多数の人が黙ったまま、形だけは「聞く」手順を踏んで物事が決まっていく。

 その結果、《とくに反対もないから》という考え方で、みんなが《わかった》、つまり同意して了解したという暗黙の了解が成り立つことになる。

 形式的な集会決議、惨憺たる低い投票率の選挙・・・。

 内容は別として形だけは何とか…という例が、こうしてあっちにもこっちにも並ぶようになっているのではないか。

「聞く」「答える」の対応状況を再点検した方がいい。マンションで物事を決める時ももちろん

 「聞く」ことは、決めなければならぬ事柄に自分が目を向けているからこその話だ。目を向けていなければ、聞く気など起こりようがない。

 そう考えると、聞くことの前提は《聞くベきことの中身をまず「知る」こと》にあると気がつく。

 しかし、今の時代、「知る」ことは実際には「知らされ方」の問題でもある。

 賛成でも反対でもない、そんなことどうでもいいよという考え方は、知るべきことをきちんと知らされているかどうかとどうかの反映でもある。
                  ☆
 「聞く」から「答える」。「答える」から「わかる」。「わかる」から「決められる」。この対応関係は、いま大丈夫なのだろうか。

 聞くたびに気になって仕方がない。北朝鮮のニュースも、解散総選挙の話も・・・。
                   ☆
 そして、マンションの民泊の話も、標準管理規約の改正の意味も・・・。
 

| muraitadao | コラム | 11:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること66:民泊】管理組合の実感からは程遠いのに早々と標準管理規約改正とは・・・

標準管理規約の改正ってこんなに早くできるのかと驚いた。それにしても何とまぁ・・・

 8月29日、国交省が標準管理規約の改正を発表した。この日は北朝鮮のミサイル報道の物々しさにあふれていた日で、どの新聞もテレビも標準管理規約の改正など流さなかったから、危うく知らずじまいになるところだった。

 北朝鮮のICBMに比べたら標準管理規約の改正などにニュースバリューのかけらもなかったということだろう。

 それにしても、今度の標準管理規約改正は、驚くほど早かった。何しろ昨2016年(平成28年)3月に発表された直前の改正が2012年(平成24年)1月から4年がかりという未曽有の長年月を要する経緯をたどったからだ。この改正ではコミュニテイの考え方などに、かなりの論点があった。肝心の管理組合次元でそうした論点の議論はおろか問題認識さえまだまだ不十分な状態の中に、前回改正から1年そこそこで、もう早々と後を追うような改正が発表されたことになる。

 それかあらぬか、今度の改正についての国交省の発表文を見ると、何とも,まあ素っ気ないものだった。『住宅宿泊事業に伴う「マンション標準管理規約」の改正について』と題された発表資料の冒頭には、次のような3行ほどの前文がある。

――本年6月に住宅宿泊事業法が成立したことを踏まえ、分譲マンションにおける住宅宿泊事業の実施を可能とする場合及び禁止する場合の規定例を示す「マンション標準管理規約」の改正を本日行いましたので、公表します。

 まことにあっさりとそう書いた後の「1背景・経緯」の中には、こんな部分が出てくる。引用が長くなるが、どうしても気になるので関連部分を紹介する。

――分譲マンションにおける住宅宿泊事業を巡るトラブルの防止のためには、住宅宿泊事業を許容するか否かについて、あらかじめマンション管理組合において、区分所有者間でよく御議論いただき、その結果を踏まえて、住宅宿泊事業を許容するか否かを管理規約上明確化しておくことが望ましいと考えられます.・・・

 何とまぁ、他人事めいた感じの言い方だろうか。

たださえ厄介な問題が多いのに「民泊」まで持ち出されたら“区分所有者間の御議論”どころではなくなる・・・

 そもそも今度の改正は、いま大小新旧、様々なマンションで管理組合が直面している実情はいっさい棚に上げて「民泊」だけに焦点を合わせた内容であるところに、不可解な違和感がとても大きい。どこまで実情がわかっているのか、非常に気になる。

 民泊、民泊としきりに言うが、そんなに全国のマンションに広がっているのか。

 民泊は、一部の地域の、一部の限られた問題ではないのか。

 マンションで民泊がそれほど火急な対応を迫られる問題になっているのか。

 民泊よりももっと優先する事態はないのか。
                   ☆
 今度の改正の発表文を見ると、1年前に改正された標準管理規約の第12条だけが改正されている。全体ではない、こういう部分的な形の改正は初めてだが、それは、まぁいい。

 細かいことをここで書く気は全くないが、この第12条というのはまことに古くからのなじみのある条文だ。(専有部分の用途)と題した条文は「区分所有者は、その専有部分を専ら住宅として使用するものとし、他の用途に供してはならない」とあるだけの簡単な条文である。

 コメントも相応にシンプルだから、これもそのまま紹介しておく。

――《コメント》住宅としての使用は,専ら居住者の生活の本拠があるか否かによって判断する。したがって利用方法は、生活の本拠であるために必要な平穏さを有することを要する。

 このコメントには前回の改正から△箸靴橡塾話調慙∋項が加えられたが、それ以外は昔からここにあげた内容が一字一句変わっていない。

 ちなみに、ここに紹介したものは1994年(平成6年)8月発行の縦書きのものから引用した。(1994年8月・住宅新報社発行・中高層共同住宅標準管理規約の解説。この第1刷は1987年・昭和62年)

 つい数年前まで、標準管理規約のことについて話す機会は数え切れないほどあったが、いつもこの条文については、かなり言葉を選んで慎重に語ってきた。

 自分自身が住む600戸のマンションはもちろん、どこのマンションでも《専有部分を専ら住宅として使用する》という言い方がつねに物議のタネになる厄介千万な実情を見続けてきたからだ。

 そうした実感と上記の引用を考えても、ついこの間に発表された改正は、20年以上にわたって管理組合を悩ませてきたこの問題に、あっと驚くほど、いとも単純な形でけりを付けてきたことに驚くばかりだ。

いっそマンションに住む国交省の職員を対象に民泊の実情を調べてみては

 でも、本心を言えば、こんなに長い間苦しみ続けてきた課題に今度の改正できちんとした答えが出たとは全く思わない。むしろ、逆に、新しい論争のタネが増えたような気する。

 《専有部分を専ら住宅として使用する》という言い方と実情のギャップに視線を向けないまま、いとも簡単に「民泊」だけに焦点を当てた考え方は、もしかすると「寝ていた子を起こす」結果になったのではないか。

 その上、管理規約でYESかNOかをはっきりさせるように言いながら、新築マンションではペット飼育などと同じレベルの使用細則で対応してもいい、というのもよくわからない。まさに《ああ言ったり、こう言ったりする》感じに見えて仕方がないが、そのわかりにくさをどう説明するのか。
                   ☆
 で、ひとつ提案を。6万人近いと聞く国交省の職員の中にもマンションに住む人は必ずいるだろう。そういう職員を対象にしてマンションの実情を調査してもらえないだろうか。そんなに民泊が広がっているのかどうか、管理規約の改正ですぐ対応できるような状態なのかどうか、確かめてほしい。自省の職員に聞くのであれば、この方法でストレートにわかるのではないか。

| muraitadao | コラム | 04:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること65:アラート?】「知らせ方」の条件次第で仕組みの作り手の実情認識程度がわかる!

「Jアラート」って何だかわからないが昔の「警戒警報」や「空襲警報」を連想させるなぁ・・・

 8月最後の月曜日は、朝から物々しかった。北朝鮮のミサイルが・・というニュースなのだが、前にも同じようなことがあったと思う。確か、今度が初めてではない。

 でも、今度の“北朝鮮ミサイル”はどこが、どう違うのか。いくらニュースに気を付けていても、肝心のことがわからない。

 おまけに、Jアラートというのがしきりに出てきて、今までになく騒がしい感じだ。不安そうな人の表情に新幹線や首都圏の電車が止まったというニュースまで混じって、もうただ事ならざる大災害並みの感じになったが、それにしては肝心要のことがまったくわからない。

 首をかしげているうちに9時を過ぎる頃になるとみるみるうちに落ち着いて、それからはいつも通りの感じに戻ってしまった。いったい先ほどまでの物々しさは何だったのかという消化不良気味の気分の中で、「Jアラート」という言葉だけが印象に残った。
                   ☆
 改めて考えた。「Jアラート」という言葉だけは知っているが、具体的なことになるとほとんど何も知らない。

 ただ、この言葉を聞いて直感的に思い出したのは、73年昔の8月まで日常茶飯に聞いていた「警戒警報」と「空襲警報」だった。
                   ☆
 「警戒警報」と「空襲警報」。思えば、小学生になってからの日常生活にはこの二つの言葉がセットになって、いつも日常生活の中にあった。

 どこで何をしていても、いつ警戒警報が出るかもしれない。そうなれば、いろんなところに「警戒警報発令中」という木札が出る。警戒警報はやがて空襲警報が出る前ぶれだから、いつもそのつもりで動かなければならないという意識があった。空襲の覚悟を迫る予告の警戒警報がいつでも出る可能性によって緊張感が強いられる日常生活があった。誰にとっても、防空壕と防火用水と防空頭巾が身近な生活の中でこの二通りの「警報」がいつも頭にあった。

 ふと気づいて国語辞典をひいてみると、【警戒警報】は「警戒を呼びかける警報。特に、戦争中、敵機の来襲が予想される場合などに出される」と説明されている。確かにそうだったな、と思う。

 国語辞典に「警戒警報」が出ているのに「空襲警報」が出ていないのは片手落ちの気がするが、今の時代にはこうした「警戒警報」の説明だけで十分だと気がつく。

 だが、今度の「Jアラート」が昔の「警報」を連想させたのは確かだった。

 とすると、「Jアラート」は、かつての「警戒警報」が「空襲警報」に展開していく危機的事態を予告していたのと同じようなイメージの情報なのだろうか。

 幸か不幸か、実際に「Jアラート」の想定するような事態に接した経験がないから、そこがわからない。どうなのだろうか。

思い返すと「警戒警報」と「空襲警報」を有効にしたキーワードは「B29」だった

 あらためて思うのだが、「警戒警報」とか「空襲警報」という言葉が子供にも大人にも通用する効果を持っていた理由を考えて何となく思い当たったのは「B29」という言葉だった。

 B29というのはアメリカの大型爆撃機だった。いつ頃この言葉を聞き覚えたのか今となってはもう思い出せないのだが、戦争末期にはもうB29という言葉が耳タコだった。B29のBはボーイングのBだったとか「空の要塞」といわれたなどということは戦後になって知ったが、あの頃B29と聞けば、すぐ焼夷弾という連想が働いて遅かれ早かれ空襲で丸焼けになるというストレートなイメージが説明抜きで大人にも子供にも染みわたっていたのは、間違いない。

 そんな中で、警報はいつもラジオから流れた。天気予報さえなかったラジオも、警報だけは必ず流した。つけっぱなしのラジオから「○○地方に警戒警報発令中」と伝えるアナウンサーの上ずった声が、今も記憶の片隅に残っている。

「アラート」って「警報」なんだから《誰が、誰に、何を、どうやって知らせるか》という本質は同じでは

 Jアラートについて、ニッポニカには《大災害や武力攻撃などの危険情報を全国民へ短時間で伝える警報システム》という説明が出ている。《誰かが、誰かに、何かを急いで知らせる》という点では、昔の警報も今のJアラートも同じだろう。

 だが、仕組みそのものは同じでも、仕組みの成り立つ条件がまるで違う。《緊急事態に気づいた発信者とまだ気づいていない受信者》という関係を前提としているのは同じだが、情報の受け手の状況がまったく違う。

 情報の効果は送信手段で決まるが、情報の送り手と受け手の実情に対応した送信手段は情報の送り手が受け手の実情をどこまで把握しているか次第で決まる。

 それに、そもそもアラートと呼んで知らせようとしているのが《どんな緊急事態なのか》という最も肝心なことが何一つわからないままだった。地震や台風といった説明抜きで誰もがわかる緊急事態ではなくて、大半の人にとって中身がわからない緊急事態だったのだ。

 今度のJアラートをめぐるニュースで、《急に気を付けろとか安全な場所に避難しろとかいわれても、どうしたらいいかわからない》という当惑を示す人が多かったのは、明らかにこういう点と関係しているだろう。

 《相手のこと》がどこまでわかっているかという極めて平凡だが無視できない事情は、情報の送り手の想像力が決め手になり、その想像力は現実認識で決まることを改めて示している。《情報の受け手は、いつ、どこで、それを聞き、普通の言葉で語られる光景を思い浮かべる想像力がまだまだ足りない気がする。
                   ☆
 多ければ何千人もが住むマンションでも、この点は見落とせない。防災訓練だけでは対応できない課題であることは間違いない。
                   ☆
 ここまで書いてきたら、北朝鮮が過去最大の核実験というニュースが流れてきた。しかし、今度はJアラートの話ははニュースに出てこない。

 Jアラートが出る時と出ない時は、どういう違いがあるのだろうか。

 わからないことが、また一つ増えた気がする。

| muraitadao | コラム | 05:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
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