村井忠夫のマンション管理ブログ

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【語り尽くされていないこと、見逃されていること66:民泊】管理組合の実感からは程遠いのに早々と標準管理規約改正とは・・・

標準管理規約の改正ってこんなに早くできるのかと驚いた。それにしても何とまぁ・・・

 8月29日、国交省が標準管理規約の改正を発表した。この日は北朝鮮のミサイル報道の物々しさにあふれていた日で、どの新聞もテレビも標準管理規約の改正など流さなかったから、危うく知らずじまいになるところだった。

 北朝鮮のICBMに比べたら標準管理規約の改正などにニュースバリューのかけらもなかったということだろう。

 それにしても、今度の標準管理規約改正は、驚くほど早かった。何しろ昨2016年(平成28年)3月に発表された直前の改正が2012年(平成24年)1月から4年がかりという未曽有の長年月を要する経緯をたどったからだ。この改正ではコミュニテイの考え方などに、かなりの論点があった。肝心の管理組合次元でそうした論点の議論はおろか問題認識さえまだまだ不十分な状態の中に、前回改正から1年そこそこで、もう早々と後を追うような改正が発表されたことになる。

 それかあらぬか、今度の改正についての国交省の発表文を見ると、何とも,まあ素っ気ないものだった。『住宅宿泊事業に伴う「マンション標準管理規約」の改正について』と題された発表資料の冒頭には、次のような3行ほどの前文がある。

――本年6月に住宅宿泊事業法が成立したことを踏まえ、分譲マンションにおける住宅宿泊事業の実施を可能とする場合及び禁止する場合の規定例を示す「マンション標準管理規約」の改正を本日行いましたので、公表します。

 まことにあっさりとそう書いた後の「1背景・経緯」の中には、こんな部分が出てくる。引用が長くなるが、どうしても気になるので関連部分を紹介する。

――分譲マンションにおける住宅宿泊事業を巡るトラブルの防止のためには、住宅宿泊事業を許容するか否かについて、あらかじめマンション管理組合において、区分所有者間でよく御議論いただき、その結果を踏まえて、住宅宿泊事業を許容するか否かを管理規約上明確化しておくことが望ましいと考えられます.・・・

 何とまぁ、他人事めいた感じの言い方だろうか。

たださえ厄介な問題が多いのに「民泊」まで持ち出されたら“区分所有者間の御議論”どころではなくなる・・・

 そもそも今度の改正は、いま大小新旧、様々なマンションで管理組合が直面している実情はいっさい棚に上げて「民泊」だけに焦点を合わせた内容であるところに、不可解な違和感がとても大きい。どこまで実情がわかっているのか、非常に気になる。

 民泊、民泊としきりに言うが、そんなに全国のマンションに広がっているのか。

 民泊は、一部の地域の、一部の限られた問題ではないのか。

 マンションで民泊がそれほど火急な対応を迫られる問題になっているのか。

 民泊よりももっと優先する事態はないのか。
                   ☆
 今度の改正の発表文を見ると、1年前に改正された標準管理規約の第12条だけが改正されている。全体ではない、こういう部分的な形の改正は初めてだが、それは、まぁいい。

 細かいことをここで書く気は全くないが、この第12条というのはまことに古くからのなじみのある条文だ。(専有部分の用途)と題した条文は「区分所有者は、その専有部分を専ら住宅として使用するものとし、他の用途に供してはならない」とあるだけの簡単な条文である。

 コメントも相応にシンプルだから、これもそのまま紹介しておく。

――《コメント》住宅としての使用は,専ら居住者の生活の本拠があるか否かによって判断する。したがって利用方法は、生活の本拠であるために必要な平穏さを有することを要する。

 このコメントには前回の改正から△箸靴橡塾話調慙∋項が加えられたが、それ以外は昔からここにあげた内容が一字一句変わっていない。

 ちなみに、ここに紹介したものは1994年(平成6年)8月発行の縦書きのものから引用した。(1994年8月・住宅新報社発行・中高層共同住宅標準管理規約の解説。この第1刷は1987年・昭和62年)

 つい数年前まで、標準管理規約のことについて話す機会は数え切れないほどあったが、いつもこの条文については、かなり言葉を選んで慎重に語ってきた。

 自分自身が住む600戸のマンションはもちろん、どこのマンションでも《専有部分を専ら住宅として使用する》という言い方がつねに物議のタネになる厄介千万な実情を見続けてきたからだ。

 そうした実感と上記の引用を考えても、ついこの間に発表された改正は、20年以上にわたって管理組合を悩ませてきたこの問題に、あっと驚くほど、いとも単純な形でけりを付けてきたことに驚くばかりだ。

いっそマンションに住む国交省の職員を対象に民泊の実情を調べてみては

 でも、本心を言えば、こんなに長い間苦しみ続けてきた課題に今度の改正できちんとした答えが出たとは全く思わない。むしろ、逆に、新しい論争のタネが増えたような気する。

 《専有部分を専ら住宅として使用する》という言い方と実情のギャップに視線を向けないまま、いとも簡単に「民泊」だけに焦点を当てた考え方は、もしかすると「寝ていた子を起こす」結果になったのではないか。

 その上、管理規約でYESかNOかをはっきりさせるように言いながら、新築マンションではペット飼育などと同じレベルの使用細則で対応してもいい、というのもよくわからない。まさに《ああ言ったり、こう言ったりする》感じに見えて仕方がないが、そのわかりにくさをどう説明するのか。
                   ☆
 で、ひとつ提案を。6万人近いと聞く国交省の職員の中にもマンションに住む人は必ずいるだろう。そういう職員を対象にしてマンションの実情を調査してもらえないだろうか。そんなに民泊が広がっているのかどうか、管理規約の改正ですぐ対応できるような状態なのかどうか、確かめてほしい。自省の職員に聞くのであれば、この方法でストレートにわかるのではないか。

| muraitadao | コラム | 04:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること65:アラート?】「知らせ方」の条件次第で仕組みの作り手の実情認識程度がわかる!

「Jアラート」って何だかわからないが昔の「警戒警報」や「空襲警報」を連想させるなぁ・・・

 8月最後の月曜日は、朝から物々しかった。北朝鮮のミサイルが・・というニュースなのだが、前にも同じようなことがあったと思う。確か、今度が初めてではない。

 でも、今度の“北朝鮮ミサイル”はどこが、どう違うのか。いくらニュースに気を付けていても、肝心のことがわからない。

 おまけに、Jアラートというのがしきりに出てきて、今までになく騒がしい感じだ。不安そうな人の表情に新幹線や首都圏の電車が止まったというニュースまで混じって、もうただ事ならざる大災害並みの感じになったが、それにしては肝心要のことがまったくわからない。

 首をかしげているうちに9時を過ぎる頃になるとみるみるうちに落ち着いて、それからはいつも通りの感じに戻ってしまった。いったい先ほどまでの物々しさは何だったのかという消化不良気味の気分の中で、「Jアラート」という言葉だけが印象に残った。
                   ☆
 改めて考えた。「Jアラート」という言葉だけは知っているが、具体的なことになるとほとんど何も知らない。

 ただ、この言葉を聞いて直感的に思い出したのは、73年昔の8月まで日常茶飯に聞いていた「警戒警報」と「空襲警報」だった。
                   ☆
 「警戒警報」と「空襲警報」。思えば、小学生になってからの日常生活にはこの二つの言葉がセットになって、いつも日常生活の中にあった。

 どこで何をしていても、いつ警戒警報が出るかもしれない。そうなれば、いろんなところに「警戒警報発令中」という木札が出る。警戒警報はやがて空襲警報が出る前ぶれだから、いつもそのつもりで動かなければならないという意識があった。空襲の覚悟を迫る予告の警戒警報がいつでも出る可能性によって緊張感が強いられる日常生活があった。誰にとっても、防空壕と防火用水と防空頭巾が身近な生活の中でこの二通りの「警報」がいつも頭にあった。

 ふと気づいて国語辞典をひいてみると、【警戒警報】は「警戒を呼びかける警報。特に、戦争中、敵機の来襲が予想される場合などに出される」と説明されている。確かにそうだったな、と思う。

 国語辞典に「警戒警報」が出ているのに「空襲警報」が出ていないのは片手落ちの気がするが、今の時代にはこうした「警戒警報」の説明だけで十分だと気がつく。

 だが、今度の「Jアラート」が昔の「警報」を連想させたのは確かだった。

 とすると、「Jアラート」は、かつての「警戒警報」が「空襲警報」に展開していく危機的事態を予告していたのと同じようなイメージの情報なのだろうか。

 幸か不幸か、実際に「Jアラート」の想定するような事態に接した経験がないから、そこがわからない。どうなのだろうか。

思い返すと「警戒警報」と「空襲警報」を有効にしたキーワードは「B29」だった

 あらためて思うのだが、「警戒警報」とか「空襲警報」という言葉が子供にも大人にも通用する効果を持っていた理由を考えて何となく思い当たったのは「B29」という言葉だった。

 B29というのはアメリカの大型爆撃機だった。いつ頃この言葉を聞き覚えたのか今となってはもう思い出せないのだが、戦争末期にはもうB29という言葉が耳タコだった。B29のBはボーイングのBだったとか「空の要塞」といわれたなどということは戦後になって知ったが、あの頃B29と聞けば、すぐ焼夷弾という連想が働いて遅かれ早かれ空襲で丸焼けになるというストレートなイメージが説明抜きで大人にも子供にも染みわたっていたのは、間違いない。

 そんな中で、警報はいつもラジオから流れた。天気予報さえなかったラジオも、警報だけは必ず流した。つけっぱなしのラジオから「○○地方に警戒警報発令中」と伝えるアナウンサーの上ずった声が、今も記憶の片隅に残っている。

「アラート」って「警報」なんだから《誰が、誰に、何を、どうやって知らせるか》という本質は同じでは

 Jアラートについて、ニッポニカには《大災害や武力攻撃などの危険情報を全国民へ短時間で伝える警報システム》という説明が出ている。《誰かが、誰かに、何かを急いで知らせる》という点では、昔の警報も今のJアラートも同じだろう。

 だが、仕組みそのものは同じでも、仕組みの成り立つ条件がまるで違う。《緊急事態に気づいた発信者とまだ気づいていない受信者》という関係を前提としているのは同じだが、情報の受け手の状況がまったく違う。

 情報の効果は送信手段で決まるが、情報の送り手と受け手の実情に対応した送信手段は情報の送り手が受け手の実情をどこまで把握しているか次第で決まる。

 それに、そもそもアラートと呼んで知らせようとしているのが《どんな緊急事態なのか》という最も肝心なことが何一つわからないままだった。地震や台風といった説明抜きで誰もがわかる緊急事態ではなくて、大半の人にとって中身がわからない緊急事態だったのだ。

 今度のJアラートをめぐるニュースで、《急に気を付けろとか安全な場所に避難しろとかいわれても、どうしたらいいかわからない》という当惑を示す人が多かったのは、明らかにこういう点と関係しているだろう。

 《相手のこと》がどこまでわかっているかという極めて平凡だが無視できない事情は、情報の送り手の想像力が決め手になり、その想像力は現実認識で決まることを改めて示している。《情報の受け手は、いつ、どこで、それを聞き、普通の言葉で語られる光景を思い浮かべる想像力がまだまだ足りない気がする。
                   ☆
 多ければ何千人もが住むマンションでも、この点は見落とせない。防災訓練だけでは対応できない課題であることは間違いない。
                   ☆
 ここまで書いてきたら、北朝鮮が過去最大の核実験というニュースが流れてきた。しかし、今度はJアラートの話ははニュースに出てこない。

 Jアラートが出る時と出ない時は、どういう違いがあるのだろうか。

 わからないことが、また一つ増えた気がする。

| muraitadao | コラム | 05:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること64:築後・居住年数】43年住み続けて見届けたマンション管理の建前と実情のギャップ

管理組合の存在感などなかった竣工後の10年が過ぎて最初の大規模修繕工事に直面した頃まで

 1974年(昭和49年)4月から住み続けてきたマンション。竣工したころ周辺はまだごく普通の郊外住宅地だった。多摩川のこちら側で、世田谷の成城はすぐ近くだ。都内最小の市であることが幸いしたのかどうか、NTTの市外電話番号03が、さも誇らしげに語られた時期があった。

 11階建て4棟、約600戸。大半はサラリーマン家族が住む文字通りのマイホームだった。マンションが少しずつ大衆化して区分所有法が始めて改正されたが、マンションに関係する仕組みは何もなかった。全国のマンションストック戸数もまだ50万戸に及ばぬ時代だったから・・。
  自分のマンションに管理組合などあるのかないのか、住んでいてわからない時代でもあった。わからなくて特に困ることはなかったし・・・。

 しかし、せっかく同じマンションでいっしょに住むようになったのだからという意見が出て、まずいくつかのサークルができた。そのあとで、自治会も生まれた。

 きちんとした管理組合が生まれたのは、そんなことがあった竣工後2年が過ぎたころだった。でも、その管理組合も、多くの人に関心を持たれることもないまま年月が過ぎた。存在感がない管理組合だったから、総会を開くこともなく管理費を集めるといった実務は文字通りの管理会社任せだった。この期間に何があったか、あとから片鱗めいたことを何度か聞いたが、今は、もう確かめようもない遠い昔のことである。

 そんなのんきな年月が10年を越える頃、さすがに以前とはマンションの空気が変わり始めた。時間が経つと住む人も顔ぶれが変わり齢を重ねて、入居当時の様子がどんどん変わっていく。

 建物の劣化が目立つようになり、その取り組みに迫られて名ばかりだった管理組合の存在感が次第に大きくなってきたのは、最初の大規模修繕工事が課題になった頃である。

 このころ、いくつかの都市伝説めいた通説があった。その一つに「竣工後10年経ったら大規模修繕工事をしなければならない」とか「修繕費の財源となる修繕積立金は管理費の1割が標準である」というのがあった。でも、そういう通説を確かめようとしても、どこの誰を当てにすればいいのか途方に暮れるほど何もわからなかった。

 でも、どんな方法で大規模修繕工事を実行するにしても、1年任期の管理組合の理事会にはとても手に負えないことだけは誰の目にもはっきりしていた。

 やむなく肚をくくって理事会をサポートするプロジェクトチームを有志で作ることになった。これが、特定の課題に取り組んで理事会に意見具申する組織として、今では標準管理規約にも出てくる「専門委員会」の始まりだった。

 だが、現実には修繕積立金がわずかで、お金が足りなかった。で、ほぼ1か月分の給与を上回るほどの臨時負担金を集めて取り掛かることになった。そのために、それまでめったに開いたこともなかった総会を開かざるを得なくなった。

 初めてのことで心配したが、結果は何とかなった。ずいぶん文句も言われたが、どうしても必要ならやむを得ない、という空気だったから。

 みんな若かった。文句も賛同もみんな同じように実現した。何しろ一億総中流の時代だったから・・・。

管理の意味の重さを切実に感じた竣工後20年目の配管工事、2度目の大規模修繕工事、そして・・・

 この時期からあと建物の劣化に対応した大規模修繕工事の都度、居住実態の変化と管理組合組織能力を思い知る機会がどんどん増えていった。

 相次ぐ水漏れに対応する給排水管改修工事に取り組んだ時、全戸の室内リフォームの実態確認に迫られて実施したアンケート調査の一項目で全戸の居住歴を調べた。回収率が90%を超えたその時の結果で、竣工後20年を迎えたマンションで、竣工時から住み続けてきた人は全600戸の25%だったことがわかった。ちょうど4分の1である。管理組合組織運営と居住実態の変化の関わりの大きさを痛感せざるを得ない時期が来ていた。

 この頃から管理組合の難しさは、年々増える一方だった。放っておけず、さりとて答えが見つかるわけでもない難題に苦しむ年が続いた。

 経済事情の激変がこれに重なった。

 竣工以来の委託先だった管理会社が変わった。かなりの管理組合で委託先管理会社の変更がリプレイスという名で相次いでいたが、私のマンションではそんなことを誰も考えていなかったのに、委託先管理会社の親会社が最大手の不動産会社に合併したためにこちらの意向と全く無関係に相手が一方的に変わってしまう結果になった。

 別段どうということもないが、今まで《管理組合にわからなくても管理会社に聞けばわかる竣工以来30年の経過に関係したことがわからない》不安が出てきた。

 それぞれのマンション固有情報の保有量は管理組合よりも管理会社の方が圧倒的に多いと、20年前からセミナーなどで管理組合の人たちに話してきたことを、ほかならぬ自分のマンションで確かめる羽目になってしまった。
                   ☆
 書き始めると思い浮かぶことは際限がないからもうやめるが、一つだけはっきり言えることを書いておく。

 時間が過ぎると、すべて物事は変わっていく。人は老い、建物が老朽化するのは当然。しかし、その当たり前のことに長寿命のマンションの管理がどこまで対応できるかという点の心もとなさは想定をはるかに超える。43年かかって確かめたそのことは、次回に書く。

| muraitadao | コラム | 14:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること63:実感的住宅問題】戸数不足から空き家続出までの経過を見てきた62年目の実感

海の物とも山の物ともわからぬまま住宅金融公庫で住宅と関わり続ける日々が始まった・・・

 1955年(昭和30年)8月1日が、住宅に関わって33年に渡る長い歳月の始まりだった。この年は就職難で、卒業したときも就職口を探していた。

 そんな中で、偶然聞き込んだ話を頼りに住宅金融公庫に入った。公庫なんて、名前も聞いたことがなかったし、いったい何をやるところなのかもまるで判らぬままだったが、そんなことをいちいち気にしてはいられなかった。

 2か月ほど過ぎて「今月からもう公務員ではなくなる。ついては住宅公団というところができたので、そちらの方がよければ移ってもいいし、このまま公庫に残ってもいいが…」という奇妙な通知を受けた。考えるのが面倒くさくて、そのまま残った。

 その時は、公庫とか公団とか聞きなれない名前の組織がどう違うのかなどを知りたいとも思わなかったし、聞いてもわかる人はいなかったろう。

 でも、公庫とか公団の区別は、その後、住宅に関わる年数が長くなるにつれて折あるごとに気になるようになってきた。

 住宅金融公庫での33年間、いつも頭の上には建設省から来た人たちがいた。天下りなどという言葉もまだなかったが、住宅のことがわからない割には見当違いの文句が多くて、我慢の日々だったことを思い出す。

 だが、住宅のことはわからないし、まして金融なんて・・・という人たちでも唱え続けていたスローガンがあった。「住宅建設五箇年計画の公営・公団・公庫の三本柱」だった。《住宅は道路と違って票にならないからねぇ》という政治家にもこのスローガンはそこそこに有効だったらしいが、やがて、これに住宅建設の景気刺激効果という強力なメニューが加わった。

 アメリカ仕込みのご託宣に従って、1970年代後半(昭和50年代初頭)から融資政策による住宅建設で内需拡大が景気テコ入れ効果を生むというキャンペーンが有無を言わせぬ形で現場に持ち込まれた。マイホーム、マイホームというCMそこのけのスローガンで。

 住宅政策という名だけが残って、実は、もう、まぎれもなく中身が経済政策にすり替わったのだと思った。

時が流れると住まいと人がどう変わるかをわが身の住生活史に重ねて確かめてきた歳月

 終戦当時の《住宅不足戸数430万戸》のトーンが弱まるのと入れ替わりに「日本人の住宅はウサギ小屋並み」と外国に言われて「量から質へ」といきり立ち、住宅ローンが本格化した。「一億総中流」という言葉と「マイホーム」というスローガンは相性がよかったのだ。住宅ローンの広がりが支えになって関連業界も関連ジャーナリズムも熱気に覆われた。それから、バブルがやってきた。

 だが、その後、かつての熱気は冷めて様相は一変した。湧きに沸いた業界もジャーナリズムも「今は昔」。人は老い、減った。子供が少なくなった住まいには静けさだけがた漂う。・・・・・

 人間にとっても住まいとしての建物にとっても、流れる年数は変わらない。ひたすら住宅に関わり続けてきた者には、何年たったら、何が、どういうふうに変わるかを見つめ続ける歳月でもあった。

 この歳月は、住宅金融公庫での政策実現効果の見極め→住宅ローンを通じた評論活動→自分自身のマンション居住スタート→管理組合組織への関わり→マンション管理センターへの協力→マンション管理サポートという形で、「住まい」が人間存在の根幹に関わっている実感をわが身の住生活史に重ねて確かめる結果になった。

 歳月は流れた長さだけ、すべてのものを確実に変貌させる。何年たつと、何が、どのように変わるかを見つめ続け確かめながら人は誰もが老いていくのだが、私の場合、その実感は住宅に集中していることを、いま、つくづく実感する。

いま見えている光景は過去の流れの中に始まりがある。そこは住宅も同じ。マンションも同じ。

 2017年のいま見えている光景は、脈絡もなく突然生まれたものではない。住宅の現状も、その点は同じだ。

 いま課題となった空き家も、実情は昔から確かめられていた。住宅戸数が世帯数より多いことがわかったのは1968年(昭和43年)、マンションブームを受けてマンションが公庫融資の対象になったのは1970年(昭和45年)、物件情報誌を無視できないほど住宅市場が存在感を増した一方で、「過疎」という言葉を新聞でみて気になり始めたのが1967年(昭和42年)ごろ・・・。

 そんなころ自分自身がマンションに住み始めた。1974年(昭和49年)4月だった。今も、そのマンションに住んでいる。

 居住歴43年ともなれば、管理組合とは無縁でいられない。いやおうなしに、マンションで起こる様々なことに降りかかられて過ごした年月でもあった。

 何年たてば、マンションでは建物がどう変わるか、住んでいる人間が齢を重ねてどう変わるか、世間一般の感覚や常識がマンションの中ではどのくらい通用するか、時がたつとマンションでは竣工時に考えたこともなかった事態がどのくらい起こるか、実情に照らし合わせた建前と実情がどうなっているか、法律などの仕組みをどれくらい当てにできるか・・・。

 際限もないほどのことを山ほど見てきたから、《マンションは管理を買え》などという言い方が、実は、途方もなく真っ赤な大嘘であることもよくわかった。

 ここからあとのことは、次に書く。

| muraitadao | コラム | 09:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること62:年数感覚】字の向う側のイメージで本当の意味が読み取れる戦後72年

何もかもがすっかりなくなってしまった8月。でも明日からの日々への思いを取り戻したのも8月

 今年も、また8月。
                 ☆
 72年前。14歳の少年だった。

 8月14日までひたすら聞いてきたこと、一途に信じてきたこと、未熟ながら懸命に考えてきたことが、すべて8月15日にひっくり返された。「あれは、もう、みんな違うんだよ」と否定された。何もかも「なかったことになる」・・・。そんなことがあるものか、と思った。

 だが、「戦争に負けたんだ」と思いながら、一方で「あぁ、これで、やっと戦争が終わったんだ・・・」とも思った。ほっとした、というのが実感だった。

 夜になるとその実感がさらにはっきりした。電灯をつけても、もう灯りが漏れるのを心配しなくていい。夜になっても明るいってこんなにいいものだったかと思った。

 ラジオの天気予報を聞いて、あ、ずいぶん聞かなかったけれど、そういえばこんな放送があったんだな・・と思った。明日がどうなるかわからない毎日、誰もが天気予報など、とっくの昔に忘れていたが、ラジオを聞いて思い出した。戦争がないから、これからの天気を聞いて明日のことを考える意味があったんだな・・・と気がついた。

 時代や年数は、その時代に生きてきた人間の記憶と切り離せない。

 今、あらためて、しみじみ、そう思う。

終戦後の年月は「その日その日の生活光景」の積み重なりのシーンだった

 正直に言って、言葉としては「敗戦」よりも「終戦」の方に実感がある。でも、その「終戦」後の日々は長かった。

 何もかもがない中で「明日がある」という気持だけにすがる毎日だった。朝が来て、夜になって、「今日も、何とか一日終わったな・・」と誰もが思った。そんな日が続いて一か月過ぎ、気がつけば季節が変わり、そして年が過ぎていった。

 少なくとも1946〜1947年(昭和21〜22年)ごろを思い出すと、そんな気分がよみがえる。
                   ☆
 終戦後の日々を記録文献だけで語ったり論じたりするケースに接することがある。

 一概に文献だけで何かを言うのを非難できないだろう。人によっては文献を頼りにするしか方法がないこともあるから、そういう語り方もやむを得まい。

 しかし、語ろうとする時代によっては、自分が語ることと照らし合わせながら、もう少し謙虚であってほしいと思う場合がある。想像で空疎なイメージをふくらませてほしくないのだ。

 昨年のブログにも書いたのだが、講談社から出た井上寿一著「終戦後史」のことは、この点で気にかかる。この本は一昨年に出たのだが、《押し寄せるアメリカの大衆文化》という見出しの東京裁判にふれた部分にこんな記述がある。

「・・・その時判決が下る。国民は街中で、駅のプラットフォームで、家の中で、ラジオの実況中継に耳を傾けた。・・・」

 ここを読んで、反射的に、あ、これは想像で書いたなんだな・・と思った。

 戦後間もないこの頃、ラジオに実況中継などまだなかったし、ラジオ自体が真空管式の大きくて重い箱状だった。携帯ラジオなど想像したこともなかった時代だったから、《街中で》とか《駅のプラットフォームで》とか書かれると、《そんなこと、いったいどこの話なんだ》と言いたくなる。

 どう考えても文献資料で読んだ時代記録にあとから著者が独自の想像イメージをかぶせて書いたとしか思えない。

 (この本にはほかにもこういう感じの個所がいくつかあるのだが、ここでは書かない。)

 ただ、著者は有数の実績がある高名で有数のな政治学者・歴史学者だ。そんな人の書いたこの本は説得力のある立派な本であって、この時代を生きてきた人間も知らなかったことや気づかなかったことをたくさん教えてくれた。そのことは、きちんと明記しておきたい。

 その上であえて言うのだが、この本の書名は「終戦後史」ではなく『政治外交面からの終戦後史』とすべきだった。この時代を鮮明に記憶している人間が想像したこともないようなイメージを書くべきではなかった。読後感は複雑である。

住宅の絶対的戸数不足で始まった戦後72年のいま、空き家が課題となる意味を考える手がかり

 年数を考えるときには、文字の向う側に何を読み取るかという点で、特有の感覚が欠かせないと痛感する。経過した年の積み重ねから浮かび上がる連続した時の流れから何かを思い描いた時に、はじめて年数の語る意味が浮かび上がるのではあるまいか。

 そう考えないと、《現在が過去から続く時間の流れの上にある》というわかりきった肝心なことが読めなくなってしまう。

 時代や年代のイメージの思い描き方が人によって難しくなるのは当然だが、語ろうとする時代や年代によってこの点が重い意味を持つのは間違いない。
                   ☆
 終戦の時、住宅不足戸数は430万戸だった。

 72年が過ぎた今、人口減少や少子高齢化に直面して、いま空き家が深刻な課題となる。

 住宅という側面から見た戦後年数を読み取るヒントはどこかにあるのだろうか。
 

| muraitadao | コラム | 17:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
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