村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 29】自治体情報の情報ネットにコンビニや銭湯があってもマンションがないのはなぜ?

災害のニュースでハザードマップのことを解説する人はこの情報の届き方の実情を知っているのだろうか

 月が変わったが、暑さが日ごとに堪える。先月は猛暑や大雨に加えて、いつもと動き方が違う台風まで重なって大変だった。そんな一か月だったが、災害ニュースの中でハザードマップにふれたものが今も何となく気になっている。

 災害は地域ごとに地形や歴史など固有の状況に対応して起こるという意味で、完全に局地的なものだ。だが、その全体像は自分の狭い感覚ではとらえられない。だから、全体像がわかれば目前で起こっている不安な事態にどこかでつながることが確かめられる。

 天気予報がつねに全国の気象概況から始まって各地方ごとの天気に移り、それから都道府県別、さらに場合によってはエリアごとに細分化されていくほどリアルになって期待値に近づいていくことが、何よりもそれを物語っている。

 災害は誰にとっても「自分が今いる場所」を中心とした狭い事態として受け取られるのだが、それだけに眼前の事態がなぜ起こったのか、これからどうなるのかということが自分一人の感覚でとらえきれない心細さを伴う形で残る。

 でも災害に直面している自分の座標を確かめることができれば、そんな不安を減らせることになる。

 だから、そのことを確かめるための情報があれば、その意味の効果は小さくない。ハザードマップが現実的で有効情報になる理由は、そこにある。

 ・・・などと考えてきてふと気がついたのだが、自分の手もとにあるはずの肝心のハザードマップをどこにしまったか、どうしても思い出せない。

 マンションで数年前に管理会社から全戸に配布されたというはっきりした記憶があるのだが、そのときにどこへしまったのか・・・。

 このマンションで居住歴が長くて親しい人にも聞いてみたが、似たような感じで何となくはっきりしない。

 結局、市のサイトで最新のハザードマップで確かめて、少し落ち着いた。

 全戸配布のハザードマップのことを聞いた人は、わざわざ電話で市役所に聞いてくれたらしい。市役所では今年3月に全戸配布しましたと言っているらしいが、これも心当たりがない。

 いくら齢を重ねていても、この3月のことを思い出せないほどおぼつかない状態ではないから忘れてしまっているはずがないのだが。
                   ☆
 岡山や広島の豪雨災害を伝えるテレビで、専門家と称する人が「ハザードマップをよく見ておくといいですよね」などと話していたのを思い出した。だが、すぐそのあとのシーンで「ハザードマップを見たことがありますか?」と聞かれた被災者が「え?何ですって?ハザードマップなんて、そんなの知らない」と答えているのを見て、やはり・・・と思ったことも。

 こうした資料を作って配布する市役所や区役所の実情や配布資料を受け取る住民の複雑多様な状況を考えれば仕方がないのかもしれないが・・。

 それにしても・・などと脈絡もないことが浮かんでくるまま、また猛暑の夏の午後が過ぎた。

ネットで見るとどこの市や区でもそれなりの説明が出てくるのだが・・。ネットも見ない、新聞もとっていない人はどうするのだろう・・・

 わが身自身のあいまいさを自覚したのがきっかけで、自分の住む市のハザードマップはネットで何とか確かめることができた。

 探し物を見つけたような気分で一息ついたのだが、この機会によその市や区の様子を知りたくなり、いくつかの市や区のサイトをあたってみた。

 少し時間をかけてあちこちのサイトをみて、どこの自治体もハザードマップを含めた災害情報にはそれなりの方法で取り組んでいるらしいことがわかった。

 しかし、同時に、かねてから気になっている点が多くの自治体で共通しているらしいこともわかった。大ざっぱにあげてみると、こうなる。

.好泪曚覆匹鯀枋蠅靴織好織ぅ襪離咼献絅▲訃霾鵑多いのだが、パソコンもスマホも使わない人にはまったく使いようがない。

△修Δ靴真佑砲郎も紙ベースの情報しか手がない。ところが、その配布が新聞折り込みのチラシといっしょになっていると、新聞をとらない人には情報が届かない。

7覿鼻▲好泪曚發覆ぁ▲僖愁灰鵑皀瀬瓠⊃景垢發箸辰討い覆た佑自治体情報配布ネットの盲点になっている。これにはどこも手を焼いているらしい。

 まだいくつもあるのだが、ブログで論文まがいのことを並べても仕方がないからやめておく。

 だが、居住人口が市人口の2%近いマンションに住む一市民としては、上記のような自治体情報配布の苦労にはかなり共感することが多い。

ハザードマップもさりながら「住民向け情報」発信ネットにマンションを含めた再検討が欠かせない!マンション コミュニテイはお念仏にあらず!

 高齢化や非婚化によってどこでもこうした実情が生まれていることは、とてもよくわかる。管理組合が居住者向け情報を発信するときにも、似たような悩みがあるからだ。どういうことを、どういう方法で、どう伝えるかという難しさは全く同じだから。

 でも、マンションは集合住宅だから、物件の実情に対応したそれなりの方法がある。大小新旧の条件で住む人の属性がある程度まとまっているからだ。
                   ☆
 自治体がこの点に目を向けないのは、なぜなのだろう。今のような時代になって新聞を読まない人への情報配布方法に気づいた自治体は様々な場所に配布スポットを作っているが、その内容を見ると駅や郵便局、コンビニ、スーパーはもちろん書店や銭湯などもあって苦労のほどがしのばれる。

 それなのに、自治体の方ではマンションの場合をどの程度に考えているのかが、あまりよくわからない。中には「オートロックマンションの場合は、戸数分の部数を管理人の方にお渡しする場合もございます」などと断る自治体もたまにあるから、たぶん念頭にはあるのだろうが・・・。

 マンションがこれだけ増えてどこでも存在感が大きくなっているのに、何だかピンと来ない。

 ちょっと前に、マンションのコミュニケーションがどうだとかいう議論がかなり盛んだったことがあるが、こういう地域レベルの情報ネットでマンションの位置づけを考えていた人はどこにもいなかったのではあるまいか。

| muraitadao | コラム | 15:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 28】日本で2番目に小さい市のマンションに住んできた一市民のコミュニテイ実感

この暑さの中で市長選挙。市長がセクハラさえしなければなかったはずの選挙って、いったい・・・

 天気を熟知しているはずの気象庁が、とうとう「災害」並みの認定を打ち出すほど異常な暑さ。その暑さの最中のこの前の日曜日に、市長選挙があった。

 都庁出身の市長がセクハラ批判で急にやめてしまったおかげで、予定外の選挙となった。セクハラなんかしていない・・・と抗弁したようだが、結局、やめる羽目になった。

 何だかあいまいで、事情がさっぱりわからないままの選挙だった。

 市長はやめるという意思表示を確かにしたが、政策上の問題があったということはなかったらしいから、セクハラという言葉だけがやたらに目立つ感じになった。

 わかりにくいことばかりの中ではっきりしていたのは「辞める」ということだけだった。しかし、本当に《辞める》時期はボーナス支給の時期に入ってから・・という話が新聞の地域面に出ていたとかいうことも聞いたが、実際はどうだったのか。一市民のこちらに肝心のことが何もわからないもやもやした不快感が残った。

 日本中で下から二番目に小さいという超ミニシティのローカル選挙だから、結果はすぐ出て、元副市長が当選とわかった。

 何となく着古した洋服にまた浮かない気持ちで袖を通すの似た感じがする。手間、暇、費用をかけて確かめた結果を見て「やれやれ、どうにも、これでは、この先も・・」という気分だった。
                   ☆
 そう言えば、財務省の偉い役人がセクハラで急に辞めたというニュースは、ついこの前だった。このニュースで辞めたのは次官だったという。旧大蔵省の次官がどれほど偉いかは、天下られた時代に余すところなく確かめさせてもらった。思い出したくもない記憶が今もありありと浮かび上がってくる。

 それに比べれば、今度、急に辞めたのはちっぽけな市の市長だ。都庁の役人だったそうだから、地味ながら実務的には手堅い仕事をしていたのだろうと思うが、正直なとろ、よくわからない。

常識のない人間が影響力のある地位につく不可解さが生まれる理由は「非常識欠陥の隠し上手」か「非常識を全く考えていない仕組み」か

 セクハラは「やってはならないこと」という意味で、人間として当たり前の常識である。財務省の次官とか市長でなくても、人間ならすべての人に当てはまる常識中の常識だ。こういう常識を「道徳」という言葉で語るのが好きな人も多いらしいが、それは棚に上げておこう。

 いずれにせよ、そんなわかりきったことが問題になったという事情だけがはっきりしていて、何か政策上の問題があったのかどうかは全く分からないままの選挙だった。なけなしの費用と汗だくのエネルギーを投じた選挙の意味は、今もってさっぱりわからない。

 そんな選挙をやったのは、いったいなぜだったのか。

 大人なら誰でも心得ている常識があるかないかは、表から見ただけではわからないことが多いから、今度のことは予想外で意表をつくように起こったことが、まず一つの理由だろう。まさかあの人があんなことをやるとは・・・、まさかあれほど優秀な人があんなことをするはずがない・・・と、誰もが思ったに違いないし・・。

 この予想外の感じは、財務省次官の場合も市長の場合も変わらない。

 セクハラ、セクハラでやたらにニュースが流れる理由の一つは、たぶん、このまさかにあるだろう。「まさか」の意外性がテレビの視聴率を上げ、週刊誌の売れ行きを伸ばすわけだから。

 では、セクハラのニュースに「意外性」が生まれるのはなぜか。

 簡単に言えば、《あり得ないと思っていたことが実際に起こった》という驚きがあるからだ。そして、それは《あり得ない》と思ってきたこれまでの考え方が大きく揺らぐからだと気がつく。

 財務省の次官なんて偉い人がまさかそんなことを・・といくら思っても、やはりホントにやっていたと見えて、やめてしまった。市長なんてちょっと違う人が、あんな・・・、といくらいぶかっも、やはりはやめてしまった。

 結局、ああいう人は隠し方がうまいんだね、というのがオチだろう。それとも、そんなことはまるで考えていない仕組みのせいだろうか。

 そう言えば「セクハラ罪という罪はないじゃないか」という、もっと偉い人が語った話もニュースで見たな・・。

 わからないことばかりだが、一つだけはっきりしたのは「信用がなくなる」というのはまさにこういう成り行きで生まれるという点だった。聞いたこと、見たことを素直に受け取らず「ホントにそうなのか?」という疑わしさに時間をかけるという形で信用の薄らぎが進んでいく場面を、いま目撃しているのだろうか。

世の中のことはマンションでも必ず起こる。そうであれば、マンションの 生活次元の論議でも・・・

 もう30年ぐらい言い続けてきたことがある。

 生活インフラを共有するマンションでは、世の中で起こることが、すべてそのまま起こる。いいことも悪いことも、嬉しいことも悲しいことも、安心なことも怖いことも。

 選挙のたびに政治の姿に向ける信頼性がますます薄くなってきた、この感想はマンション管理の実情にも決して無縁ではあるまい。

 マンションの コミュニケーションがどうだとかいう議論も、こうした信頼度の薄らぎ方が必ず影響するはずではないか。
                   ☆
 ここまで考えてきた日に、日経朝刊の経済教室で《タワーマンションの未来》というテーマが始まったのを知った。

 今日は、まず平山洋介さんの見解をじっくり読んだ。いくつもの感想があるが、それは、このテーマの見解をあと2回分を読んだ上で、次回のブログに書きたい。

| muraitadao | コラム | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 27】大規模修繕工事のレポートを読んで感じた今さらながらの安堵感、もどかしさ・・・

大規模修繕工事の実情レポートを読んで「やれやれ、今もやっぱり・・・」と感じたら失礼だろうか、それとも・・・

 何十年もの間に、マンション管理の分野でいろいろな縁が生まれた。セミナーや講演会で会った人はもちろん、遠い昔に住宅評論分野で書いたり話したりしていたころの縁が今も続いているようなケースもある。様々な委員会や審議会で一緒になってその専門領域をこちらが頼りにしているうちに、逆に力を貸してくれと言われたのがきっかけで長いお付き合いになった人もある。

 そんな人のひとりが、田辺邦男氏だった。田辺さんは大学の先生というイメージではなく、現場を熟知している専門家という意味で貴重な存在感があった。

 田辺さんはマンションリフォーム技術協会の会長だったから、この協会からは今もmartaという名前の会報が届く。

 7月上旬のある日に送られてきたmartaの第28号にマンション大規模修繕工事のレポートが出ていた。

 ちょうど昨年の今ごろ、3回目の大規模修繕工事の真っ最中だったことを思い出しながら読んだせいもあっていろいろな感想がわいてきた。

大規模修繕工事の主役は管理組合なのに当の管理組合自身の立場で大規模修繕工事にふれたレポートは今でも相変わらず少ない

 大規模修繕工事のレポートというだけなら、正直な話そんなに珍しくはない。大規模修繕工事はこういう時に始まって、こう進んで・・という話なら、いくらでもある。しかし、ここで紹介しようとしているレポートは管理組合のことから始まっていることが目をひいた。

 ・・と書いてきたのだが、気持の片隅ではわざわざこんなことを書くのは何だか奇妙でおかしいのではないかという気もする。

 そうではないか。

 もともと大規模修繕工事の主役は管理組合なのだから、当事者の立場で管理組合のことが述べられるのはまったく当たり前で、何の不思議もない。

 それなのに、管理組合が当事者となる前提で大規模修繕工事を語る例は、今でもそう多くない。

 だから、目をひくことになる。

 奇妙で不思議なことだが、こうなるだけの理由がないではない。当の管理組合にこうしたレポートの書き手が少ないという事情がその理由の最たるものだ。

 関連する業界の関係者にとっても、この難しさはそんなに変わらないようだ。本来の仕事と同じレベルでいつもと同じ感覚で「書く」のはあまり気が進まないという人が多いし、そうでなくても「書く」となればけっこう気が張って厄介だということもあるだろう。

 大規模修繕工事はある意味で「物事の決定」の連続だが、それは個々の段階ごとの意思決定場面で利害関係者の存在が無視できない場合が多いからだ。

 そう考えると、こうしたレポートで管理組合にふれた例がやはり珍しいことがはっきりする。

管理組合自身の立場のレポートが少ないからいまだに大規模修繕工事関連の有効情報が不足する

 大規模修繕工事はどういう段階で始まってどう進むかという手順や展開の解説情報は、けっこう多い。そういう内容の本はたくさんあるし、セミナーなどのテーマにも定番的に取り上げられる。かく言う私自身がそんな本や解説をたくさん書いてきたし、セミナーや講座でもさんざん話してきた。

 しかし、それは、みんな《これから実行する》段階にある人たちを対象とした実行前のガイダンスであって、実行段階の話ではない。

 理詰めに言えば《こうあるべきだ》という話も、やってみれば実情はかなり違うということが多いはずだ。大規模修繕工事は長期間で取り組む「マンションまるごと」の事業だし、大抵の場合、取り組む管理組合は未経験だから、実行段階で事前に予想していなかったことが起こりやすい。

 だから、管理組合にとって大規模修繕工事は手をつけたあと予想通りに進むかどうかの説明が、実は最大の急所にもなる。

 その意味で、大規模修繕工事は、いつ、どういう状態の時に始まり、どんな経過を経て、どういう状態で終わるかという時間幅を前提とした説明こそ望まれるわけだ。大規模修繕工事にはある期間にわたるストーリー展開に似た様相もあるのだ。

 「どういう状態の時に始まってどんな状態の時に終わるのか」というリアルな条件で、大規模修繕工事は実情が変わる。同じマンションであっても、その都度、全く違う。工事期間自体が一年足らずとか半年であっても、実際には何月から何月までの何か月間なのかで進み方がまるで違う。年度をまたぐ場合などでは予算の組み方に直接の関係が生まれるし、理事会の顔ぶれにしても変わっている可能性がある。

 結局のところ、管理組合にとって有効な大規模修繕工事の説明は《やる前の説明》もさることながら《やってみた後の説明》も大きな意味を持っているのだ。

管理組合自身による当事者経験がもっと語られるべきではないか:苦労した管理組合ほど語るべきことが多いのだから

 「やってみたらどうなったか」ということは「やってみた人」にしか語れない。

 それは大規模修繕工事でも同じだ。

 その意味で、大規模修繕工事を経験した管理組合ほど語るべきことが多いはずである。「聞いていたこと」と「やってみてわかったこと」は全く同じだったのか、どうか。法律や仕組みの建前は実際と全く食い違いがなかったのか。法律や技術の専門家から聞いたことがないような問題で苦労したことはなかったのか。

 「やってみてわかったこと」は、すべて「聞いていたこと」と同じだったのか。

 実際にやってみた大規模修繕工事の実感はどうだったのか。
                   ☆
 そろそろ、こうしたことを当の管理組合自身が語るべき時期が来ていると思う。やってみてわかったことの多さを知った管理組合が未経験の管理組合に向けて発信できる有効情報は、とても多いはずだ。                           ☆
 大規模修繕工事を経験した管理組合は、かつて自分たち自身が大規模修繕工事実行前に感じていた未経験段階の不安を思い起こしてもいいのではあるまいか。

| muraitadao | コラム | 05:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 26】「相談」という名の情報が理解されていない不安はマンションでも例外ではない?

「相談」の本質は情報。道に迷った人に「行先を教える」程度の軽いイメージで考えるとこの言葉の重さが見えなくなる

 政治家や官僚が何かに対応しようとすると、その構想のどこかに必ず「相談」という言葉が出てくる。

 「相談」という言葉は、ほとんど説明抜きで使われることが普通だ。何しろ相談に乗れる人間さえ揃えれば、そんなに予算や費用をかけなくても対応できるのだから、どんなことに対応するときも簡単に具体化できる。

 「相談」は実現しやすくて誰にもわかりやすいところに最大のメリットがある。

 「相談」がそれほど何かにつけて当てにされるのは、「相談」に即効性のある情報提供という意味があるからだ。目前の問題にすぐ答えられるという期待がスピーディで有効な情報としての価値を生むのであって、「すぐわかる」情報として役立たなかったら「相談」はたちまち出番を失うことになる。

 こういう事情があるから、現場を熟知していることが前提になる「相談」は、エリートにはとても務まらない。理屈通りに進まない現実があるからこそ「相談」が頼りにされるのだ。

 こう考えると、「相談」という言葉の意味の見え方が前提次第でかなり違ってくることになる。

 ふつう「相談」は「わからない人に教えてあげる」という程度の単純きわまるイメージで使われることが多い。難しいことがあったら「わかっている人」に聞けばいいというのが「相談」なのだから。

 そんなイメージは行政の仕組みでも変わらないように見える。「相談」という言葉は「よく知っている人が必ずどこかにいるはずだ」という考え方が説明不要の感じで前提となっているわけだ。行政の仕組みや法律を考えると、そこがよくわかる。

 「マンション管理士」について定義したマンション管理適正化法の「・・・管理組合・・・等の相談に応じ」という言い方などもその典型例だろう。

 そうなれば、「相談」という言葉の意味をわざわざ改めて考えてみたりすることもない。なんでまた、そんなわかりきったことを・・ということになる。

「相談」という言葉では手に負えない重さのあることも・・。「相談」で見つからない答えをどこで探せばいいのか?

 でも、これは「相談」が《教える》という何でもない軽い意味に使われている場合のことだ。《聞かれたこと》がそんなに軽くなかったら、《教える》とか《答える》ことは途端に重みを増して手に負えなくなってくる。

 法律相談とか結婚相談などという言葉の存在が、その証拠ではないか。

 「相談」が無造作な軽い意味でやり取りされるのは、《聞かれること》も《教えること》も難しさのない軽い話だけに限られるのだ。

 こう考えていくと、手のつけようがないほど難しくはないが、確かめるのも面倒くさくいので聞いた方が手っ取り早いようなことほど、実は相談向きなのだということがわかってくる。一見して難しそうに見えても、それをいとわず答えの見つけ方を心得ている人があまり相談したりしないことを考えるとそこがよくわかる。

 あらためて確信するのだが、何となく無造作に使われる「相談」という言葉は《答えの見つからない問題などないはずだ》という考え方を前提としていると実感する。

 《どうしたらいいかわからなくて途方に暮れる難しい問題にぶつかっても、必ずその答えはどこかに存在している》ということになるわけだ。

 何と楽天的で自信過剰な、何と能天気な・・・。
                   ☆
 60年以上も昔、現在もまだ続く住宅と関わりのある人生をスタートしたのは、発足してやっと5年目の住宅金融公庫だった。そのとき何でも屋の感じで担当させられた仕事の一つに、相談への対応があった。

 「もはや戦後ではない」とこの頃どこかの偉い人が言っているらしいことは承知していたが、住宅に関する限り、まだまだ不足という圧倒的な言葉の生々しさの方が切実だった。相談にやってきた目の前の人と向かい合う自分とのやり取りがほとんど同じ言葉でできたのだから、ある意味で、相談者と相談対応担当者との感覚は同じだったといえる。

 このとき、「相談」という言葉を使う場面で「答えが見つからない問題がどれほど多いか」という苦しさを思い知った。どう答えればいいか見当がつかなくて「相談」という言葉を気軽に使えなくなったのは、その実感があったからである。

 そのとき以来、この経験が「相談」という言葉では答えが見つからない問題がどれほど多いかという感覚がこの言葉の使い方を用心深くさせてきた。

マンション管理では答えが見つからない問題が増え続けていることを忘れると「相談」は途端に現実離れする!

 この実感は、住宅について書いたり話したりする時にもう無意識のうちに習性化している。本やセミナーの話などでは答えが見つからないという状況の人ほど、ほかとは違う状況に直面している。だから、答えもその状況に中にあるはずだ。となれば、まず持ち込まれた問題に固有の状況をできる限り確かめなければならない。

 マンションをめぐる相談では、この実感がとりわけ強い。だから、相談者の住むところは、どこの、どんなマンションなのか、そのマンションに住んでいるのか、これから買うのか、もう住んでいるなら居住歴はどのくらいかなどということを、いちいち確かめる。そうしたことを確かめていくうちに、相手の方も《いま自分が答えを探している問題は何なのか》を再確認することになる。

 この過程に時間をかけながら問答を重ねていくうちに本当の答えは相談者自身が当事者として探すしかないことに気づくこともある。
                   ☆
 相談という言葉の奥行きの深さが、こういうときによくわかる。それは、相談に来た人だけがわかるのではなくて、相談に乗ろうとしているこちらにもまったく同じ感じのわかり方なのだ。相談は聞く方と答える方の共同作業とも言えるだろう。

 この実感は、現場感覚と裏表である。マンションの場合も、まったく同じだ。

 法律ではなくて、その法律の言葉を自分の口で語れる人間の感覚で決まる。その感覚は、自分のマンションで顔と名前の一致する人の数が多いほど確かになる。

| muraitadao | コラム | 04:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 26】マンションの管理を考え続けながら新聞とテレビにつきあってきた歳月の実感

自治会には入らないと豪語していた記者は言った。「そんなのに入って何のメリットがあるの」と

 先月読んだ「新聞社崩壊」(畑尾一知著/新潮社発行/2018年2月刊)という新書で次のような一節を目にした。今さら驚きもしなかったが、じわじわと浮かんできた嫌な感じがいつまでも頭の後ろ側にこびりついて離れず、さっぱりしない。

 気になるその部分には、こう書かれている。

《・・・筆者の知るある記者は、地域の自治会には絶対に入らないと豪語していた。「そんなのに入って何のメリットがあるの」と歯牙にもかけない風である。・・・》

 この後には次のような記述が続く。

《さらに「老人ホームで嫌われるのは、元記者と元学者」ということも聞いたことがある。理由は、似たようなものだろう。》

 これ以上の引用は、やめる。あえて一部分を引用するのは、マンションに住んでメディアのことを長年ずっと考え続けてきた実感に通じるところがあるからだ。 
                   ☆
 今も住んでいるマンションが竣工したのは、「広辞苑」が「マンション」という言葉をやっと掲載してから5年が過ぎたばかりのころだった。それも《(邸宅の意) ホテル風の高級アパートの称。》という珍妙無類の説明だった時代である。マンションはまだまだ新しい存在だった。

 そんな新しさに目を向けた新聞社や放送局の人たちが、このマンションには何人も住んでいた。親しくなって訪問しあった機会のある人もいた。

 でも、そうしたメディア系の人のほとんどは、管理組合なんて・・・という感じだった。ごくわずかな人が順番制の当番年に管理組合の役目を引き受けてくれることもあったが、普通そんなことは滅多になかった。

 冒頭に引用した個所は、そんなことをあらためて思い出させたのだ。

取材を受ける都度それとなく気をつける習慣ができた。取材で正確に説明しないとどんな記事を書かれるかわからないことが多かったから

 40年以上も住んできたから、取材に応じた経験もたびたびだった。

 その経験を通じて、《取材する当の記者本人が実は自分の取材している問題についてあまりよく知らないらしい》ことがわかってきた。取材される立場には《いま聞かれていること》についての聞き方や言葉遣いで、眼前の取材記者がその問題をどのくらい理解しているかが自然とわかってくることがよくわかった。

 ただし、取材のテーマはいつも違っていた。40年ぐらい前までは住宅不足→住宅資金→住宅イメージといった大まかなところだったが、マンションが公的融資対象となった1970年代に入ると取材されることが一変した。

 この時期は、いつのまにか「住宅評論家」という名をつけられてしまった時代でもあった。取材のテーマは金利の仕組み→住宅と将来計画→住宅入手計画となり、このプロセスに「マンションか、一戸建て住宅か」「新築か中古か」という選択肢の考え方がいつも重なっていった。
                   ☆
 マンションと縁ができる20年近く前の1955年(昭和30年)に、私は住宅金融公庫で住宅と関わる歳月をスタートした。住宅ローンという言葉が生まれたのはそれからずいぶん後だったが、リクルートの「週刊 住宅情報」の登場など住宅ジャーナリズムの勃興期でもあったから、新聞や雑誌、テレビなどの取材が年を追って多くなっていった。

 反対に、このころ全盛期だった霞が関の天下り役人たちがメデイアの取材をひどく嫌がって逃げ回り、いつも取材対応を押しつけてきたという事情もあった。

 そんな状況で取材の相手を務めて続けているうちに、いくつかのことに気づいた。

たまにマンションのことを思い出しながら書かれた記事でも間違いがあると影響は小さくない。不正確な情報は存在自体が害となる

 それは、マンションを含む住宅については、専門社でない限り、どの新聞社でも放送局でも継続して担当する部門がないことだった。企業レベルの視点で考えれば仕方のないことだったかもしれないと今では思うが、当時は、いつも飽き足りなさを我慢する方が多かった。

 いずれにせよ、名刺で記者の所属先を見ても全国紙ではいつも家庭部とか生活部、せいぜい文化部などが普通だった。

 昭和50年代に入ってアメリカの経済政策に触発された福田内閣が、住宅融資テコ入れによる内需拡大を経済政策の柱とし始めた時代を迎えた時てさえも、一般紙誌で住宅を専門的に取り組む記者はいなかった。「マイホーム」という言葉が流行語まがいにもてはやされた時代だったが・・・。

 わずかな例外の一人が、当時、読売新聞にいた本吉庸浩さんだった。のちに日本不動産ジャーナリスト会議の2代目・代表幹事になった本吉さんに誘われて日本不動産ジャーナリスト会議に入ったのが、いま思えばこのブログの遠景になっている。
                   ☆
 それはさておき、そんな経験を重ねながら気づいたのは、取材に来た記者の質問を聞くたびに、いつも住宅について肝心のことがあまりわかっていない印象が強かった点だ。正直に言えば住宅については素人だと気づいても相手のプライドに気を使いながら、説明するときの言葉の意味をそれとなくきちんと解らせる用心深さがいつのまにか取材時の心得として習慣化するようになった。

 そうでないと、後から記事を読んで《え?こんなことを・・》と気がついて驚くことが何度もあったからである。

 30年近く前に社会問題化していた住宅ローン返済破たんの取材に来たある全国放送局の記者から、開口一番「住宅ローンを返せなくて首をくくった人の話をご存じだったら、ぜひ聞きたいんですが…」といきなり切り出されて肝をつぶした時の経験が発端だった。

 マンション管理適正化法ができた直後のちょっとしたマンション管理ブームだったころ、ある人気テレビ番組のキー局が当時マンション管理センターにいた私に電話で「大規模修繕工事のことをざっと簡単に聞かせてください」と言ってきたことがある。あまりにもあっけらかんとした能天気で無造作な質問に呆れ果てて「そんなこと電話で簡単に話せるわけないでしょ?時間のある時にこちらへいらっしゃい」と答えた。

 その後、この局からは音沙汰なしでこの企画はいったいどうなったのかと思っていたら、間もなくその人気番組のウソやねつ造が問題となり、とうとう番組そのものが打ち切りになってしまった。

 こんな経験を重ねてきてわかったことは、専門社を除くと、大半の新聞やテレビでは「住宅そのものをトータルな視点で継続して取り組む組織がない」ために住宅に向ける関心がいつも大ざっぱで、せいぜい風物詩レベルの軽いものになってしまっているという実感だった。情報発信者の問題意識も認識レベルも素人並みだったのだから、マンションのこととなれば、言わずもがなである。

 そうしたもどかしい実感が多かったため、いつの時期からか、取材に対応するときは、まず開口一番[あなたはどんなところにお住まいなんですか?一戸建て?それともマンション?]と聞いてから話を始めることが多くなった気がする。

 とはいえ、相手のプライドは考えなければならない。そこに気をつけて話さないと自分の思い込みで書かれる記事がどんなものになるかわからない。

 大抵の場合、取材記者がマンションに向ける関心は、新築マンションがどのくらい売れたかという市況中心の流通面に限られがちだった。管理などとなれば、もうまるで違う。

 「マンションは管理を買え」などという出どころも意味もあいまいで怪しげな言葉だけは知っているが、その管理の実情を承知している人はめったにいない。長寿命のマンションが時間の経過によってどう変貌していくかという管理の基本認識がマンションの居住性理解の鍵になることをそれとなく気づかせながら、具体的な管理組合の実情をめぐる話を進めていく展開になるのが普通だった。
                   ☆
 こうなると、マンションの管理には特有の語りにくさと書きにくさが生まれることになる。背景には、記事を書く方にも読む方にも共通するマンション管理への関心の薄さがあったことは否定できない。さらに、その奥に、一戸建て感覚でマンションに住むという居住感覚のギャップがあるという疑問が浮かび上がってくる。
                   ☆
 冒頭に書いたような「そんなのに入って何のメリットがあるの」という記者の言葉から浮かび上がる風景の実感は、今もなお荒涼としたままだ。

| muraitadao | コラム | 11:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
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    マンション管理の情報屋。。。 (09/22)
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    マンション展望 (02/16)
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    高層マンション (08/27)
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    マンション展望 (08/25)
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