村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【マンションに住む実感を確かめるノートァ柬[Г賄てにできるのか・・。すぐ役に立つ手がかりもなく闇夜の手探りが始まった〜法律の頼り甲斐と頼りなさを嫌というほど思い知った日々〜

管理組合?何もわかっていない人、言葉だけわかっていた人、言葉も意味もわかっているが黙っていた人が隣り合わせて住んでいた時代

 率直に書くのだが、45年前、このマンションに住むようになってから最初の10年間に管理組合の通常総会が開かれたことはまったくなかった。

 管理会社が管理組合の名前でつくった形ばかりの予算決算などが各戸に配られて、「あ、そういえば管理組合とかいうのがあったな…」と思い当たる。

 45年前は、そんな時代だった。

 分譲マンションに住んでいるのだし、結構それなりの意見の持ち主もいたのだから、管理組合の存在を知らない居住者ばかりだったはずはない。建設省の人もいたし、大学の先生もいたし・・・。

 大半の人は、少なくとも管理組合という言葉ぐらいは知っていたはずだと思う。

 だが、実際には言葉だけの管理組合だった。そんな状態だったが、「だから、何とかしよう」とまでは考える人はいなくて、みんな黙っていたわけだ。

 かく言う筆者だって、その「黙っていた人」の一人だった。決して、大きなことは言えない。

 そのことを自覚しつつ、以下に書き続ける。

 言い訳がましいトーンで、書き方が回りくどくなってきた。

 要するに、この大規模マンションには「管理組合なんて聞いたこともない人」と「具体的なことはわからないものの管理組合という言葉だけは知っている人」、「管理組合のことは言葉も意味も知っている人」が隣り合わせて同じマンションに住んでいたことは間違いない。

でも「管理組合を知っている」とは言っても「知っている」のは法律だけ。自分のマンションの話になると誰もかも途端に押し黙ってしまう・・・

 ただし、そんな状態だったから、管理組合のことを「知っている」とは言っても、ちゃんとした「知り方」ではなかった。「知っている」とは言っても、その知り方はせいぜい太平洋戦争までの「町内会」や「隣組」と同じイメージだった。

 だが、もはや死後と化した「向こう三軒両隣」という言葉も、もっともらしい感じで居住感覚の片隅に残っていたことも確かである。

 45年前のこの時代は、どの住戸にも「表札」を必ず出すという感覚があった。マンションとか何とか言ったって、自分の住むウチに名前も出さずに住むなんて・・と誰もが思っていた。

 表札のない住戸があると「人前で自分の名を出せないなんて、きっと何かワケがあるに違いない」と誰もが考えた。自分の住戸の玄関ドアを開けて出会った人の名前はできるだけ早く覚えたい。だって、同じ屋根の下に住んでいる人間同士だもの・・。

 素朴といえるかもしれない。今の感覚で言えば、幼稚に近かったかもしれない。

 当然ながら、管理組合もまだ言葉だけの存在だった。存在感がなくて。ピンとくる組織イメージはなかった。「マンション」というカタカナ言葉と「管理組合」という漢字の硬い響きが結びつきにくかったというも気もする。

 だから、漢字言葉の手に負えない難しさが法律に目を向けさせることになったのは自然な成り行きだったかもしれない。

 だが、そんな感じに法律が対応してくれるはずもなかった。

 当たり前だ。

 そんな生活感覚に対応できる文脈が法律の中にあるはずがなかったから。
                   ☆
 そんな状態でも、年月は確実に過ぎていく。そうした時間の経過は、すべてのものを劣化させていく。

 そうした状況を同じところに住む人間同士なら誰もみんなわかっているはずではないかという共通感覚が、一つの方向に足並みを揃えさせた。

 「このままにしておくわけにはいかない」という感覚は「どうしたらいいだろうか」という感覚をもたらした。その感覚は「どんな手を打てばいいか」という感覚に結びついた、こうした感覚の連鎖は、最終的に「一人一人のバラバラな立場では何ひとつ決められない」ことを気付かせた。

 これは、組織の必要性への気付きだった。管理組合という組織の・・・。

| muraitadao | コラム | 09:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノートぁ曠泪鵐轡腑鵑わかる人はまだ少ないと実感した時期に最初の大規模修繕工事が・・〜マンションはまだ公式名でなかったが劣化は確実に進んでいた〜

「マンション」は一戸ずつ買える集合住宅の商品名だった。昔のガソリンのように

 竣工してからの10数年は、あっという間に過ぎた。1974年(昭和49年)からの時期だから、昭和年代末期ということになる。

 マンションという言葉の通じ方が、とても中途半端な時期だったと思う。

 民間住宅ローンはまだ未成熟だったから、住宅金融公庫融資の存在感が圧倒的に大きかった。その公庫融資はもともと一戸建て住宅中心の仕組みだったが、地価が高くておいそれと手が出せない人でも集合住宅なら何とかなるという状態を無視できなくなって、政策的にとうとうマンションを融資対象とせざるを得なくなった。

 だから、最初のうちは「まあ、条件さえ揃えば一戸建て住宅用の融資がマンションにも使えるんだよ・・」という感じの仕組みだった。

 この時代は、とにもかくにも住宅といえば、まず一戸建てという感覚が主流の時代だったとあらためて思う。

 会合などで初対面の人に会って共通の話題がなくても、名刺交換などそこそこの挨拶をすませたあと「お住まいはどちらですか」ときり出せばひとしきりの会話ができたから、住まいはいつも絶好の話のタネになった。

 およその場所を聞いた後「あのへんだったら戸建てが多いですね」などと話の流れを向ける。そんな時「いやいや実はマンションなんです」などという人だったら、けっこう話がはずんだものだ。

本音は一戸建て・・。そのうち、いつかは・・と思いながら住む人には管理なんてピンと来なかった時代

 マンションがようやく公庫融資の対象になったとは言っても、まあ、普通の都市生活感覚から言えば、マンションはまだまだ・・の時代だった。住宅金融公庫とか建設省といった政策分野はまだまだ漢字の法律感覚中心の世界だったし、マンションに公的住宅ローンが使えると言っても、それはと東京と大阪を中心の一部地域だけでしか通用しない話だった。

 何百戸もある大規模マンションの一角に住んでいるうちにいろんな人とも付き合いができたが、誰も彼も、やたらに忙しくてマンションは夜更けに疲れて帰るねぐらに似た感じだった気がする。

 マンションという言葉が説明抜きで通用する人が居住者の大半だったから、それなりに理屈っぽさのある人が多かった。知っている人は知っている・・という職業や社会的な知名度のある人もいた。

 黒塗りの自動車が迎えに来ているのに気づいて驚いたこともある。

 いろんな人がいた。
 ・・・・
 後から少しずつわかってきたのだが、多くの人が腹の中で黙ったまま考えていた。

「マンションはずっと住む所じゃない。そのうち、機会さえあれば、越して出ていきたい。○○さんもこのごろ引っ越していったし、あの□□さんも、いつの間にか転出したらしい・・」

 気がついてみると、黒塗りの自動車も見かけなくなっていた。

中途半端な居住感覚のまま10年が過ぎてある日「大規模修繕工事」という話が突然持ち上がった。でも いったいうどうしたらいいのか・・・

 もともと、マンションは。集合住宅が高額商品として市場に出る状況が生んだ商品名の一つだった。商品化された集合住宅が売りだされた初期の時代は、○○ハイツだの□□レジデンスだのという名前をよく見かけたものだった。

 マンションは都市部の居住者はサラリーマンの住まいというイメージだった。本来なら一戸建てだったはずの代替イメージがマンションライフの実質的な中心だったから、「マイホーム」が実は集合住宅の一部分だっだという実感はあまりなかった。

 むしろ、ドアの内側は集合住宅も一戸建て住宅も同じ・・という感覚が、売り手にも買い手にも共通していたという時代だった。

 中途半端な居住感覚だったと言うべきだろう。

 マンションが集合住宅であるという実態を積極的に認めたがらない居住感覚だったのだから、マンション管理という意識も視点も成り立ちようがなかった。
                   ☆
 そんな中で、ある日、突然「マンションはできてから10年を過ぎたら大規模修繕工事とかいうのをやらなければならないなそうだよ」という話が持ち上がった。

 でも、管理組合の総会さえひらいたことがなかった状態でそんな話が出ても何一つわからない。
                   ☆
 マンション管理という未知不可解な世界に入りこんでしまう日が、こうして始まった。

| muraitadao | コラム | 12:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノート】マンションに入居した年の秋の記憶には「岸辺のアルバム」が重なる〜地元感覚はまだまだ未成熟だったな、あのころは〜

マンションに住み始めて半年。9月の日曜日、11階の住まいは地震でもないのにぐらぐらと何度も揺れて・・・
 4月も終わりになる。

 今月でこのマンションの居住年数がまた1年長くなる。

 住み始めた最初の年の9月1日。二百十日の言い伝え通り、台風が襲来した。

 だが、たった半年しか過ぎていない秋だったから、住んでいる町の様子もまだ知らないところの方が多くて、台風がどのくらいのエリアに影響をもたらしたのかまだピンと来ない状態だった。

 でも、住んでいるところから歩いても行ける近くに多摩川が流れていることは承知していた。その多摩川が大水になった。

 記録的な大水だったらしい。

 だが、居住歴が半年そこそこの新住民にはまだその大きさにとても実感がなかった。

 ずっと後になって、TBSで「岸辺のアルバム」(山田太一作)という連続テレビドラマをみた。多摩川の大水で住宅が流されるシーンが毎回トップに出るこの作品は後にテレビドラマ史上の歴史に残る作品とまで評価されるようになったので、今でもときどき一シーンを見る機会があるが、ドラマの舞台となった場所はこのマンションからそれほど遠くはない。ベランダから見ても見当がつくほどの同じエリアだから、およその光景はわかる。
                   ☆
 台風襲来の翌日は土曜日で、台風一過の秋晴れだった。でもどことなく物々しい雰囲気があった。

 多摩川が大水でとうとう堤防爆破という手が打たれそうだ、というローカルニュースを聞いた。昼が近くなったころ、たびたびダイナマイト爆破となった。詳しい状況が何もわからないままドーンという爆破音が何度も繰り返されて、そのたびにこのマンションの11階がゆらゆらと大きく揺れた。

 このときの揺れの記憶は今も鮮明に残っている。

 11階の居住経験そのものが初めてだったせいもあって、このときの揺れ方の記憶は、その後の地震のたびによみがえってくる。何年たってもこの記憶が消えていないことを実感する。こういう感覚的な経験は理屈を超えた形で身体に染みついたまま残るものらしい。

 地震があるたびに、その記憶を確かめている感じがする。

 東日本大震災の時も、そうだった。

住み始めてからの10年ぐらいの記憶は今も鮮明だが、年ごとに通じにくくなるばかり

 しかし、そうは言っても、この時の記憶を語ることは年ごとに難しくなってきた。当然のことだが、住んでいる人の顔ぶれが年ごとに変わり、竣工時から住んできた人はもう僅かになった。話が通じにくくなる一方となるばかり。

 でも、当たり前だ。もう45年も昔のことなのだから。

 あの頃、まだ生まれていなかったような世代の人にいくら力み返って話してみても、一人よがりになるばかりだ。

 年甲斐もないし、みっともない。

 恥ずかしくもある。

 たまに、竣工してからずっと住み続けてきた人に会っても、45年前の話になると向こうもすっかり忘れてしまっているのが普通になってきた。

 考えてみれば、ちょっと前まで健在だったマンションの分譲会社や管理会社も、もう存在しない。個人レベルでその頃のことを記憶している人も、そのうちいなくなるだろう。

 だが、一方では、こうした記憶や感慨が残されていかなければマンションがマンションとして建ち続けるのが難しくなりそうな気もする。 
                   ☆
 おさまりがつきにくいこだわりだ。

| muraitadao | コラム | 11:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノート◆枳樵阿抜蕕一致する人の数が少なくなるほど自分のマンションの明日が見えにくくなる〜〜人間の数だけ意見が違うことに気づくきっかけになった最初の大規模修繕工事直前期〜〜

マンションでオープンした鮮魚店は半年そこそこで閉店してしまった。お客のバラバラな注文に付き合いきれなくて・・・

 数棟あるマンションの中ほどの棟の1階は店舗になっていた。45年前に公的住宅ローン付きで分譲された数棟のうちの1棟は、1階が店舗付きで設計することが融資条件になっていたからだ。

 まだスーパーマーケットなどができる前の時代で、近隣に店らしい店がほとんどなかった。子供が2人いる4人家族がテレビCMでも標準的なファミリーイメージだったから、構内に生活利便施設を求めたのは妥当な分譲条件だった。

 そんな考え方を前提にしてつくられた店舗の中の1軒に鮮魚店があった。けっこう好評だった。

 ところが、この鮮魚店が半年そこそこで閉店してしまった。

 理由はいくつもあった。開店してしばらくすると予想しなかったほど苦情や注文が続き、とうとう店がそんな客の言いたい放題に対応しきれなくなったためらしかった。確かに、やれ生臭いだの、魚を焼く煙が迷惑だのという人がいて、手に負えなくなってしまったらしいという話は、それまでに聞いていた。

 何しろ4棟で600戸あまり。いろんな人がいる。ものわかりのいい人もいるし、逆に文句の多い人もいる。

 これだけの人が住んでいれば、人の数だけ暮らし方も考え方も違う。まして個人の好みが別れる魚のことになれば呼び名も違うだろうし、食べ方も様々に異なる。

 そんなにわがままでバラバラな客を相手にした商売は想像以上に厄介だろうなと、ひそかに思ったことを覚えている。

 名前と顔が一致する人もいるけれど、そうでない人もいる。

 何しろ、バラバラだ。4棟600戸のバラバラワールド。

 マンションって、こういう世界か・・・。

 でも、そのとき同時に思ったのは、住む人たちのこんなバラバラぶりが、いずれ商店の成立ちにとどまらず、もっと身近な場面で目の前に立ちはだかる日がくるのではないかということだった。

 だが、こうも思った。ほとんどのことは管理会社が対応するはずだ。そのために安くもない費用を払って管理会社に委託しているのだから、と。

 大抵の人も、そう考えていた。

別に問題もなくて管理組合も名ばかり。そんな開店休業状態で誰かが言い出した「大規模修繕工事をしなければならないそうだが、一体どういうふうにやればいいんだ・・・」

 管理会社は、このマンションを建てて分譲したディベロッパーの子会社だった。マンションの中の管理事務室には親会社で定年を迎えた感じがありありとわかる人が何人もいた。

 だが、こんなに何人もいるにしては・・・という意見が、ときどき出るようになっていた。管理会社には親企業の分譲会社にいた人が多いとは聞いていたが、「それにしては痒いところにほとんど手が届いていないね」という声も出るようになった。

 分譲マンションには管理組合という団体があるということだけは、多くの人が、一応は知っていた。しかし、それは建前がそうなっているというだけの話であって、具体的に考えた時には何がどうなるのか、分譲マンションの一戸を持っている自分はその管理組合とどう関わるのかという肝心のことになると、わかっている人は一人もいなかった。

 もしかすると、わかってはいたが黙ったままの人がいたのかもしれないが、それが誰なのかとなると、まったく見当がつかなかった。

 大抵の人にとって、管理組合は町内会と同じような組織だという程度の認識だったからだ。町内会がわかっているようで実はあまりはっきりしないのと似たようなあいまいさが管理組合という言葉に漂っていた。天下国家のことを論じたりする理屈っぽい人も、管理組合のことになるとそんなものだった。

 必ずしも低いとはいえない管理費を収めていながら・・・

 あるにはあったが、名ばかりの管理組合。

 その管理組合は、竣工後10年あまりは総会も開いていなかった。
                   ☆
 そんな状態で竣工後10年を過ぎかかったころ、誰かが心配顔で言い出した。

 「10年経ったら大規模修繕工事というのをやらなければならないんだそうだよ。でも、どういうふうにやればいいんだ?」

 東証一部上場の大企業の丸の内本社に務めていた人が会社で聞き込んできた話だった。

| muraitadao | コラム | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノート 杠も覚えている住み始めた時の不思議な実感。これがマンションというものか・・・〜45年前には考えたこともなかったことばかり〜

あわただしく決めて入居したマンション。45年はアッという間だったが実感は一口に言い尽せない

 このマンションに住み始めたのは1974年(昭和49年)4月1日だった。
 43歳だった。成り行きで勤め始めた住宅金融公庫で19年目。万博の終わった直後に転勤した大阪勤めが3年目に入る直前になって、また東京に呼び返された。

 住宅金融公庫は住宅問題に直面する人々が「自分の家」を確保するための資金づくりのバックアップ機関だったが、その仕事に携わる当の人間が自分の住宅を確保しなければならなくなってもまったく何一つお構いなしだったから、東京勤務で必要な住まいはすべて自分で探せという話があっただけだった。

 住まいの確保に苦労する人と同じ苦労をすればその経験が仕事の支えになるのは間違いないのだから、自分自身でこういう苦労を経験してみることは決して無駄ではない・・・。

 わかったようなわからぬような、そんなことを言われたっけ・・・。

 理屈はともかく自分が住む所を大急ぎで何とかしなければ、たちまち困ることははっきりしている。

 だから、仕事のあいまにカレンダーに何度も目を向けながら心当たりのあちこちに声をかけた。

 そんな時に聞きこんだのが都下某市の民間マンションでキャンセルが1戸出たという話だった。

 どうしようかと思い悩んだりしている状態ではなかったから、すぐ申し込んだ。

 そんな決め方で住み始めたマンション。45年前だった。

いろんな人が住んでいた45年、人は様々と思い知った45年

 わかりきったことを正確に言えば「今も人が住んでいるマンションの45年」である。マンションが建てられた時のまま「住居としてマンションであり続けてきた45年」だ。多摩川のこちら側、新宿まで30分足らずだが、東京の田舎だったこの辺りにどんどんマンションが建ち並ぶようになった45年でもある。
                   ☆
 何十年も前、毎朝、黒塗りの車が迎えに来る偉そうな人が住んでいた。めったに顔をみることもないままだったが、いつの間にか見かけなくなった。・・・と思っていたら、国会議員になったらしいと、後で聞いた。建設省の官僚だったらしい。

 そう言えば、高名な作曲家や劇作家もいた。難しそうな顔の大学の先生もいたし、まるで能天気な人もいた。

 管理組合の集まりなどで会うことは一度もない人ばかりだったが・・・。

 でも、600戸の大半は普通の人たちだった。そんな普通の人たちも、45年たてば様子が変わっていく。

 それを思い返した時の実感はかなり複雑にして多様である。だが、その実感を通して、マンションが紛れもなく「人の住まい」であることを確かめさせる記憶がいくつも浮かび上がってくる。

かつては言葉を知っていただけの管理組合が身近になってきた竣工後10年のころ

 もともとは商品名だったマンションという600戸の集合住宅に住むようになり、いつのまにか10年を迎えようとしていた。分譲マンションには管理組合というものがあるという程度のことは何人かの人が知ってはいたが、「町内会と同じようなものだね・・」というレベルの認識だった。

 名ばかりに近い管理組合でも時折り役員が集まる程度のことはあったが。そんなところで「マンションは竣工後10年目になると大掛かりな外壁塗装工事をしなければらないらしい」という話が出た。

 しかし、そんな話が出ても具体的にどうしたらいいか肝心なことがわからない。

 何回も話し合ったが、見当もつかないまま、どうしたらいいかという相談が舞い込んだ。

 思えば、これがマンション管理という底の知れない分野へ足を踏み入れたきっかけになった。

| muraitadao | コラム | 19:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
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