ペット・児童虐待・婚活・“おひとりさま”を社会学者が語る時代
5月6日の夜、NHKラジオの第2放送で中央大学教授・山田昌弘さんの話を聞いた。山田さんは「パラサイトシングル」とか「婚活」という言葉をつくった家族社会学者で、現実社会の実情を様々な視点で考え続けている人だから興味深い1時間だった。
話の冒頭で、いまや家族社会学者としてもペットの存在を抜きにしては研究が成り立たないという述懐が出てくる。そこで、こんなエピソードが紹介された。
国勢調査の時に「ペットはどこに書けばいいんですか」と聞かれた市役所の人、離婚しようとする夫婦からペットの親権(?)訴訟を持ち込まれた弁護士、ペットの葬儀を専門に手掛ける僧侶…。
山田さんの話は、いまや家族の概念やイメージが一変した時代にわれわれが生きていることをあらためて再確認させた。
この放送の前日は「こどもの日」だったから、どの新聞も子供の人口が31年間減り続けて1,665万人になったことを伝えた。
山田さんの話が念頭にあったので、減り続ける子供と対照的に増加したペットの数を調べてみた。社団法人ペットフード協会が毎年発表している犬猫飼育調査の一番新しいデータ(2011年10月)によると、犬が11,936万頭、猫が9,606万頭。合わせて21,542万頭になるという。
15歳未満の子供が1,665万人だから、犬と猫の方が子供より489万頭も多いことになる。家族社会学の専門研究者がペットの存在を考えないわけにいかなくなってきている実情がわかる。
子供の数が減っているというのは結婚しない人が多いからだというわかりきったことをあらためて考えると、ペットの増加と子供の減少という実態の向こう側に「パラサイトシングル」とか「婚活」という言葉が苦い重さでが浮かび上がってくる。
ファミリーマンションにパラサイトシングルが住む:住居形態とマッチしない管理システムのギャップをどう考えるか
いつもながらの言い方になるが、どんな時代にも世の中で起こることはマンションの中でも同じように起こる。子供が減って犬と猫の方が多くなるという事実、結婚しないままの人が増えて当たり前になっているという実情はそっくりそのままマンション居住者の実態に重なる。
それはどうしようもない現実だから、今さらあらためてどうこういう気はまったくない。ただし、マンション管理の仕組みの前提となっているイメージがこうした実情の変化に合わなくなっている点は、やはり見逃したくない。マンションの居住実態と管理の仕組みのギャップが無視できないほど年とともに大きくなっている実感があるからだ。
600万戸といわれるマンションのほとんどはファミリータイプである。ファミリーでないシングル居住用のマンションならワンルームタイプになるが、こうしたタイプのマンションは基本的にマンション管理の対象とはならない。ワンルームマンションは事実上賃貸用だからである。
だからマンション管理の前提は、どうしても複数の住戸のあるファミリータイプになる。当然ながら、マンション管理システムの担い手となる管理組合を構成する区分所有者もこうしたファミリーイメージで成り立っていることになる。
が、この前提がもはや成り立たなくなっていることは明白だ。マンション管理の仕組みだけは今も以前と同じままだからだ。このギャップがことごとに不都合を生んでいる例は枚挙にいとまがない。高齢化や非婚化の増加を受けた「管理者管理方式」が様々な形で議論されていることも、この事情と無関係ではあるまい。
かつてマンション市場もこうしたファミリーイメージを前提として成り立っていたし、供給された後の維持管理システムもまた同様のイメージを前提にしていた。
しかし、需給という一断面だけで時代変化に関わるマンション市場と違い、居住という側面で年月の経過に関わり続ける維持管理にはこうした時代変化の流れが直接的な形で反映する。ファミリーイメージが過去のものになった居住実態の変化が、マンション管理のシステムと無縁のままでいいはずがない。
最大の問題は管理組合組織イメージの不在
ストレートに問題を提起しよう。こうしたギャップの生まれる背景にあるものは、管理組合という組織のとらえ方が一面的で実情に合致していないままだという実情である。
これを確かめたければ、辞書事典類で「管理組合」という言葉の説明を見るだけでいい。国語辞典や専門用語辞典、百科事典などありとあらゆる辞書事典を確かめてみれば一目瞭然だ。広辞苑からウイキぺディアに至るすべてのものは、「管理組合」という組織を今もなお「区分所有者の団体」という法的視点だけで説明している。
区分所有者という法的権利の有無だけが管理組合の構成要員の基本条件だという考え方なのだから、居住という法的権利と異なる視点は管理組合の説明にはまったく取り上げられることがない。
人間集団である管理組合を、無人格・無性格の法的権利概念だけでとらえようとするから、生身の生きている人間組織としての側面が語られることは何十年来、絶無だった。
管理組合という組織を千差万別の人間集団としてとらえないまま、無機的な語感で「合意形成」を語る感覚が続いてきている。
権利の有無の視点を尊重しながら、それとあわせて《居住》という視点で管理組合組織を確かめ直す感覚が必要ではないのか。
この感覚がなければ、もはやマンション管理は現実的な問題に答えられなくなるのではないか。
子供の声が聞こえず、高齢者とペットばかりが増えていく静まり返ったマンションの維持管理の中心となる管理組合の組織イメージ再点検が避けられなくなっている。にもかかわらず、そうした議論を聞いたことがない。
もどかしい。