村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【語り尽くされていないこと、見逃されていること63:実感的住宅問題】戸数不足から空き家続出までの経過を見てきた62年目の実感

海の物とも山の物ともわからぬまま住宅金融公庫で住宅と関わり続ける日々が始まった・・・

 1955年(昭和30年)8月1日が、住宅に関わって33年に渡る長い歳月の始まりだった。この年は就職難で、卒業したときも就職口を探していた。

 そんな中で、偶然聞き込んだ話を頼りに住宅金融公庫に入った。公庫なんて、名前も聞いたことがなかったし、いったい何をやるところなのかもまるで判らぬままだったが、そんなことをいちいち気にしてはいられなかった。

 2か月ほど過ぎて「今月からもう公務員ではなくなる。ついては住宅公団というところができたので、そちらの方がよければ移ってもいいし、このまま公庫に残ってもいいが…」という奇妙な通知を受けた。考えるのが面倒くさくて、そのまま残った。

 その時は、公庫とか公団とか聞きなれない名前の組織がどう違うのかなどを知りたいとも思わなかったし、聞いてもわかる人はいなかったろう。

 でも、公庫とか公団の区別は、その後、住宅に関わる年数が長くなるにつれて折あるごとに気になるようになってきた。

 住宅金融公庫での33年間、いつも頭の上には建設省から来た人たちがいた。天下りなどという言葉もまだなかったが、住宅のことがわからない割には見当違いの文句が多くて、我慢の日々だったことを思い出す。

 だが、住宅のことはわからないし、まして金融なんて・・・という人たちでも唱え続けていたスローガンがあった。「住宅建設五箇年計画の公営・公団・公庫の三本柱」だった。《住宅は道路と違って票にならないからねぇ》という政治家にもこのスローガンはそこそこに有効だったらしいが、やがて、これに住宅建設の景気刺激効果という強力なメニューが加わった。

 アメリカ仕込みのご託宣に従って、1970年代後半(昭和50年代初頭)から融資政策による住宅建設で内需拡大が景気テコ入れ効果を生むというキャンペーンが有無を言わせぬ形で現場に持ち込まれた。マイホーム、マイホームというCMそこのけのスローガンで。

 住宅政策という名だけが残って、実は、もう、まぎれもなく中身が経済政策にすり替わったのだと思った。

時が流れると住まいと人がどう変わるかをわが身の住生活史に重ねて確かめてきた歳月

 終戦当時の《住宅不足戸数430万戸》のトーンが弱まるのと入れ替わりに「日本人の住宅はウサギ小屋並み」と外国に言われて「量から質へ」といきり立ち、住宅ローンが本格化した。「一億総中流」という言葉と「マイホーム」というスローガンは相性がよかったのだ。住宅ローンの広がりが支えになって関連業界も関連ジャーナリズムも熱気に覆われた。それから、バブルがやってきた。

 だが、その後、かつての熱気は冷めて様相は一変した。湧きに沸いた業界もジャーナリズムも「今は昔」。人は老い、減った。子供が少なくなった住まいには静けさだけがた漂う。・・・・・

 人間にとっても住まいとしての建物にとっても、流れる年数は変わらない。ひたすら住宅に関わり続けてきた者には、何年たったら、何が、どういうふうに変わるかを見つめ続ける歳月でもあった。

 この歳月は、住宅金融公庫での政策実現効果の見極め→住宅ローンを通じた評論活動→自分自身のマンション居住スタート→管理組合組織への関わり→マンション管理センターへの協力→マンション管理サポートという形で、「住まい」が人間存在の根幹に関わっている実感をわが身の住生活史に重ねて確かめる結果になった。

 歳月は流れた長さだけ、すべてのものを確実に変貌させる。何年たつと、何が、どのように変わるかを見つめ続け確かめながら人は誰もが老いていくのだが、私の場合、その実感は住宅に集中していることを、いま、つくづく実感する。

いま見えている光景は過去の流れの中に始まりがある。そこは住宅も同じ。マンションも同じ。

 2017年のいま見えている光景は、脈絡もなく突然生まれたものではない。住宅の現状も、その点は同じだ。

 いま課題となった空き家も、実情は昔から確かめられていた。住宅戸数が世帯数より多いことがわかったのは1968年(昭和43年)、マンションブームを受けてマンションが公庫融資の対象になったのは1970年(昭和45年)、物件情報誌を無視できないほど住宅市場が存在感を増した一方で、「過疎」という言葉を新聞でみて気になり始めたのが1967年(昭和42年)ごろ・・・。

 そんなころ自分自身がマンションに住み始めた。1974年(昭和49年)4月だった。今も、そのマンションに住んでいる。

 居住歴43年ともなれば、管理組合とは無縁でいられない。いやおうなしに、マンションで起こる様々なことに降りかかられて過ごした年月でもあった。

 何年たてば、マンションでは建物がどう変わるか、住んでいる人間が齢を重ねてどう変わるか、世間一般の感覚や常識がマンションの中ではどのくらい通用するか、時がたつとマンションでは竣工時に考えたこともなかった事態がどのくらい起こるか、実情に照らし合わせた建前と実情がどうなっているか、法律などの仕組みをどれくらい当てにできるか・・・。

 際限もないほどのことを山ほど見てきたから、《マンションは管理を買え》などという言い方が、実は、途方もなく真っ赤な大嘘であることもよくわかった。

 ここからあとのことは、次に書く。

| muraitadao | コラム | 09:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること62:年数感覚】字の向う側のイメージで本当の意味が読み取れる戦後72年

何もかもがすっかりなくなってしまった8月。でも明日からの日々への思いを取り戻したのも8月

 今年も、また8月。
                 ☆
 72年前。14歳の少年だった。

 8月14日までひたすら聞いてきたこと、一途に信じてきたこと、未熟ながら懸命に考えてきたことが、すべて8月15日にひっくり返された。「あれは、もう、みんな違うんだよ」と否定された。何もかも「なかったことになる」・・・。そんなことがあるものか、と思った。

 だが、「戦争に負けたんだ」と思いながら、一方で「あぁ、これで、やっと戦争が終わったんだ・・・」とも思った。ほっとした、というのが実感だった。

 夜になるとその実感がさらにはっきりした。電灯をつけても、もう灯りが漏れるのを心配しなくていい。夜になっても明るいってこんなにいいものだったかと思った。

 ラジオの天気予報を聞いて、あ、ずいぶん聞かなかったけれど、そういえばこんな放送があったんだな・・と思った。明日がどうなるかわからない毎日、誰もが天気予報など、とっくの昔に忘れていたが、ラジオを聞いて思い出した。戦争がないから、これからの天気を聞いて明日のことを考える意味があったんだな・・・と気がついた。

 時代や年数は、その時代に生きてきた人間の記憶と切り離せない。

 今、あらためて、しみじみ、そう思う。

終戦後の年月は「その日その日の生活光景」の積み重なりのシーンだった

 正直に言って、言葉としては「敗戦」よりも「終戦」の方に実感がある。でも、その「終戦」後の日々は長かった。

 何もかもがない中で「明日がある」という気持だけにすがる毎日だった。朝が来て、夜になって、「今日も、何とか一日終わったな・・」と誰もが思った。そんな日が続いて一か月過ぎ、気がつけば季節が変わり、そして年が過ぎていった。

 少なくとも1946〜1947年(昭和21〜22年)ごろを思い出すと、そんな気分がよみがえる。
                   ☆
 終戦後の日々を記録文献だけで語ったり論じたりするケースに接することがある。

 一概に文献だけで何かを言うのを非難できないだろう。人によっては文献を頼りにするしか方法がないこともあるから、そういう語り方もやむを得まい。

 しかし、語ろうとする時代によっては、自分が語ることと照らし合わせながら、もう少し謙虚であってほしいと思う場合がある。想像で空疎なイメージをふくらませてほしくないのだ。

 昨年のブログにも書いたのだが、講談社から出た井上寿一著「終戦後史」のことは、この点で気にかかる。この本は一昨年に出たのだが、《押し寄せるアメリカの大衆文化》という見出しの東京裁判にふれた部分にこんな記述がある。

「・・・その時判決が下る。国民は街中で、駅のプラットフォームで、家の中で、ラジオの実況中継に耳を傾けた。・・・」

 ここを読んで、反射的に、あ、これは想像で書いたなんだな・・と思った。

 戦後間もないこの頃、ラジオに実況中継などまだなかったし、ラジオ自体が真空管式の大きくて重い箱状だった。携帯ラジオなど想像したこともなかった時代だったから、《街中で》とか《駅のプラットフォームで》とか書かれると、《そんなこと、いったいどこの話なんだ》と言いたくなる。

 どう考えても文献資料で読んだ時代記録にあとから著者が独自の想像イメージをかぶせて書いたとしか思えない。

 (この本にはほかにもこういう感じの個所がいくつかあるのだが、ここでは書かない。)

 ただ、著者は有数の実績がある高名で有数のな政治学者・歴史学者だ。そんな人の書いたこの本は説得力のある立派な本であって、この時代を生きてきた人間も知らなかったことや気づかなかったことをたくさん教えてくれた。そのことは、きちんと明記しておきたい。

 その上であえて言うのだが、この本の書名は「終戦後史」ではなく『政治外交面からの終戦後史』とすべきだった。この時代を鮮明に記憶している人間が想像したこともないようなイメージを書くべきではなかった。読後感は複雑である。

住宅の絶対的戸数不足で始まった戦後72年のいま、空き家が課題となる意味を考える手がかり

 年数を考えるときには、文字の向う側に何を読み取るかという点で、特有の感覚が欠かせないと痛感する。経過した年の積み重ねから浮かび上がる連続した時の流れから何かを思い描いた時に、はじめて年数の語る意味が浮かび上がるのではあるまいか。

 そう考えないと、《現在が過去から続く時間の流れの上にある》というわかりきった肝心なことが読めなくなってしまう。

 時代や年代のイメージの思い描き方が人によって難しくなるのは当然だが、語ろうとする時代や年代によってこの点が重い意味を持つのは間違いない。
                   ☆
 終戦の時、住宅不足戸数は430万戸だった。

 72年が過ぎた今、人口減少や少子高齢化に直面して、いま空き家が深刻な課題となる。

 住宅という側面から見た戦後年数を読み取るヒントはどこかにあるのだろうか。
 

| muraitadao | コラム | 17:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること61:特区?民泊?】二つの記事の“民泊”が語るマンションの実情認識レベル

「マンション民泊可否を規約に 国交省、管理組合に要請へ」という日経の記事が伝えていること

 まず、この7月21日の日本経済新聞朝刊に出た1面の記事を確かめてみよう。見出しと記事をできる限りそのまま引用する。

見出し
マンション民泊 可否を規約に/国交省、管理組合に要請へ/新法施行控えトラブル防止

記事の前文
住宅に旅行者を有料で泊める民泊を全国で認める法律の成立を受け、国土交通省はマンション管理組合に民泊の受け入れ可否を管理規約に明記するよう、8月にも要請する。同省は規約のひな型を改正して民泊の対応に関する文案を盛り込み、業界団体などを通じて周知する。法施行前に各組合で方針を決めてもらい、トラブル防止につなげることが狙いだ。

記事の主要部分
 国交省が改正するのは「マンション標準管理規約」と呼ばれる管理規約のひな型。同省によると全国のマンションの管理組合の8割以上が憑依順管理規約を参考にして各自が規約を定めている。…改正案はこの条項の後に「専有部分を住宅宿泊事業に使用できる」「専有部分を住宅宿泊事業に使用してはならない」などの文言を盛り込むよう求める。

 家主が民泊をおこおなう際は「事前に管理組合へ届け出るよう規約に定めることが有効」と記載。・・・同省は・・8月にも業界団体や自治体に対して、管理組合へ周知を求める通達を出す。・・民泊は訪日外国人の宿泊の受け皿となる一方、ごみ出しや騒音などを巡り近隣住民とのトラブルが頻発。国交省は各管理組合で民泊可否の方針決定に時間がかかることを考慮し、法成立直後に標準管理規約改正を決めた。・・・

『「特区民泊」現状は・・・』など専門紙の記事がたびたび伝えていること

 次に、専門紙のマンション管理新聞が2月15日号で伝えた記事を同様にできる限り見出しと記事をそのまま引用して紹介する。

見出し
東京医・大田区 分譲マンションは7件/「特区民泊」、現状は/大阪市は1止まり/ごみ出し・騒音「苦情相談ない」

記事の前文
 昨年2月に東京都大田区が「特区民泊」を開始して約1年。その後も大阪府・市が特区民泊を始め、今年1月には北九州市も申請の受け付けを開始した。各地で特区民泊が広がりを見せる中、この4特区に実情を聞いてみた。

記事の主要部分
 ・・・(本紙の調べでは)大田区は・・分譲マンションは7件38室投資型マンションが多いようだ。…ごみ出し・・によるトラブル・・の苦情や相談は1件もなく、・・今後も管理規約の提出などを義務化する予定はない・・・。大阪市も…分譲マンションは1件1室のみ・・、北九州市は…解禁から日が浅いこともあり、申請はまだないようだ。・・・

 この後、同紙が伝えた民泊関連記事は、見出しだけをあげておく。

●3月24日号  東京都大田区「特区民泊」マンションの現況/ファミリータイプも1件認定/大きなトラブルはなし

●5月25日号  国交省 管理適正化でアンケート 管理組合・区分所有者対象に/民泊 9割が「NO」

●6月25日号  国交省 標準管理規約改正案公表 民泊可否 条文例を提示

●7月15日号  管理協 民泊対応で意見提出 マンション管理業と民泊事業 宿泊者が違い分からず/管理事務室に『トラブル持ち込みも』

加計学園も「特区」、マンション民泊も「特区」。でも「特区」っていったい何だ?

 このブログを書いている横のラジオが国会の閉会中審査の様子を伝えている。問題の一つは加計学園の特区のこと。

 この話はいくらニュースを用心して聞いてもわからない。そもそも「特区」というのが、いったいどういう趣旨なのかがわからない。

 マンションにも「特区」とやらがあって「民泊」というのが前から問題になっているのだが、どの新聞もテレビも全く取り上げない・・・と思っていたら、日経が書いてくれた。

 でも、書いた記者が記事の内容の問題をどこまで理解していたのかどうかがわからない。

 そもそもいまのマンションには「民泊」なんかよりももっと早く考えてほしい問題が山ほどある。国交省のデータではいま全国で600万戸をはるかに超えるマンションがあるのに、その中で、あるかないかといったごく僅かなマンションの「民泊」がなぜ現実の課題になっているのだろう。わざわざ法律を作ったり標準管理規約をいつになく早々と改正するのは、いったいなぜなのか。

 そこがわからない。

 わからない、わからない、わからない・・・。

| muraitadao | コラム | 10:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること60:過去不問】「記憶がない」と答える空々しさはマンションでは命取りになるかも・・

「たった1年前のことを覚えていないエリート役人がこんなに多い」という空々しさは・・・

 7月8日の朝日新聞朝刊1面の記事が目に留まった。見出しは、こうなっている。

『公文書廃棄指針、見直しへ/内閣府管理委 保存「1年未満」縮小』。

 地味な見出しだし、1面のほぼ中ほどとはいえたった3段しかない。もしかすると、このニュースは朝日新聞だけだったかもしれないような気がする。

 しかし、一見つまらない感じのこの記事の裏側に浮かんでくる光景が気になる。

 もうこの何か月も問題になり続けてきたことが、結局のところ「言ったか言わなかったか」のやりとりであり、それも肝心なことになると必ず「記憶がない」という定番中の定番の応答になり、最後に「公文書が見つからない」という言い分にすり替わってしまう様子ばかりをうんざりするほど繰り返し見せられてきたからだ。

 そんなはずはないだろう。かつて暗記力を磨きに磨きながら難しい競争をくぐり抜けて出世してきた頭脳明晰で有能な人たちがそんなに忘れっぽいはずはないじゃないか・・・。本当にそれほど忘れっぽかったら、今のようなエリートになれるはずがないじゃないか・・・。

 それもこれも、記憶喪失は「言った」事実を裏付けとなる公文書がないからの言い分だ。公文書があれば、たちまちにしてよみがえる記憶力。過去のことは、すべて公文書次第。《公文書がない→記憶がない》という公式は《公文書を残すかどうか》という判断の結果であり、その判断は《どんな公文書を残すか》、逆に言えば《どんな文書は残さない方がいいか》という判断も、手がかりになるルール次第となる。

 結局、すべて仕組みの問題だから《判断》という属人的な個人能力の問題にならないように制度のレベルでガードできるように、何とか対応しようという役人世界特有の回りくどさが浮かんでくることになる。

「記憶にない」のは「文書がない」から・・という過去を不問にする感覚はマンションでも他人事ではない?

 見え透いているなどとは言うまい。

 ただし、こういうやり取りが臆面もなく展開されるということは、今の世の中では「過去のことは文書があるかないかで、すべて決まってしまう」という不文律めいた感覚が、いつの間にか世の中全体に広がりつつあることを否応なしに考えさせられる。

 これは、もう間違いなくれっきとした官僚主義感覚の産物だが、《こういう場合には、こういうふうにやり取りすればいいんだ》という感覚や風潮の広がりは、マンションでも決して無視できないだろう。

 その結果、言い方次第、文書の有無次第で過去のことは不問になるというおかしな風潮が生まれることになる。

 世の中で起こることは、必ずマンションの中でも起こる。世の中で通じる言い方や言葉遣いは、必ずマンションの中でも再現する。

 多くのマンションで、その様子は管理組合の総会など一定のルールで意見の発言が許された機会にまざまざと実感されることが多いはずだ。

 こういう機会にだけ顔を出して、マンションの維持管理についての理解や関心の有無とは全く離れて、マスコミ情報の受け売りで聞き馴染んできた論理や言葉遣いの主張を並べ立てる。それに応答する方もまた、そういう感覚で発言する。

 やり取りの大部分は「いま目前に見えている問題」ばかりであることが普通だ。マンションでは、きょう見えている光景の背後に過去までさかのぼらないと問題の本質がわからないことばかりなのだが、そこがまるでダメなのだ。管理組合の役員は毎年変わるのが普通だし、発言する方も過去のことなどわからぬままの展開になる。

 かといって、過去のことを確かめる資料もこれというほどのものがない。管理規約や法律の条件に対応した議事録などが中心だから、《いったい、いつ、そんなことを、誰が決めたんだ》という肝心のことになると、もう誰にもわからない。

 管理組合の世界には、こんな形で積み重ねられた組織運営慣習が驚くほど多い。その大部分はいつから始まったのか確かめようがないのだ。

 まさに「記憶がない」状況そのものである。その状況は「文書がない」から確かめることもできない。まして、そうしたことを想定したルールもない。・・

 かくて、連日のニュースがもたらすもどかしさは、マンションでも他人事ならざる不安な現実感を呼び起こすことになる。

ストックの増加でマンションごとの過去の再点検が管理の命綱になるはずなのだが・・・

 ここまで考えれば、問題はもうはっきりする。過去の経過を記録する感覚も手段もないのだから、竣工以来の長い歳月の間に、それぞれのマンションごとにどんな課題が生まれ、どう取り組んできたかという物件固有の歴史が誰にもわからない状態が広がっている。

 マンションは長寿命の建造物だが、同じ経過年数が住む人間の方には建物の経年変化とはまるで異なる変化を生む。高齢化や空室住戸の発生は、その典型だ。こうした事態を生んだマンション固有の歴史を探らなければ対応の仕方も考えようがない。

 国交省のマンションストック戸数は633.5万戸。歴史の再点検による管理の充実が命綱となるマンションが増えていることは誰に目にも明らかだろう。

 霞が関の役人とは違って、マンションの方は、もう「記憶がない」などと言っていられない状態なのだ。

| muraitadao | コラム | 14:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること59:言行信頼度】「朝のあいさつ励行」を霞が関の役所が期間限定で呼びかける意味は・・

厚労省の「働き方改革中間報告書」がこんなことを自省の役人に呼びかけているなんて、まさか・・・

 6月30日の日経朝刊の2面で見た「砂上の安心網/当事者の証言5/持て余された3万人」という記事の一部にこんなことが出てきて、ちょっと驚いた。

 《・・・厚労省は5月、省内の働き方を見直すべく中間報告書を公開した。対策にコミュニケーション強化月間(仮称)」の創設を掲げた。その一つが「朝のあいさつの励行。目を見て明るく元気にさわやかに」。・・・》

 最初、ちょっとこの記事の意味がわからなかった。

 霞が関の中央官庁である厚生労働省の空気を伝えている記事の中に「朝のあいさつの励行」などというきわめてありふれた普通の生活感覚の言葉が出てくるとは、ちょっと思いがけなかったからだ。

 役所とか役人の世界の言語感覚は、普通こうではない。《できるだけ早く》と言えば済むことを『可及的速やかに』と漢字交じりの難しい言葉で言わないと落ち着かない世界だからだ。そんな世界で、まさか、こんな普通の言葉が公文書に出てくるはずがないという先入観があったから驚いたのかもしれない。

 でも、日経の記事にはこの言葉が出てくる中間報告書を公開したと書かれているから本当はどうなのか確かめてみるのが一番いい。

 そう思ってネットで探してみると、確かに見つかった。

 平成29年5月という日付けで「厚生労働省業務改革・働き方改革加速化チーム 中間とりまとめ」と題したレポートに、日経が伝えているようなことが出ている。

 市井の一市民に過ぎないこちらにはこのレポートの具体的な内容は全く分からないのだが、この文書全体に“お上”がいつも民間に向かって言っていることが、実は、当の役所自身で少しも実行できていなかった感じがありありと浮かびあがってくる。・・・・・

 だが、そんな気分はしたものの正直に公表した率直さは評価したい。何であれ、自己正当化に固まっていて《自分のことを考え直さない》《謝らない》昔からの役人の習性を考えれば、こんな率直さを誰が予想できただろうか。

 この感想は、先日来ありのままを語ってきた文科省元事務次官のことを聞いたときの「いまどき、こんなに気骨のある役人がいたのか」と驚いた感じに結びついた。

にしても、これは、それだけ否定できない事実があるからではないかと考えると・・・

 それにしても、こんなことが正直さ丸出しの感じで「中間報告」に出てくるのは、そういわざるを得ない実態があるからではないのかと思う。

 そうではないか。

 厚労省には「朝のあいさつを励行していない人」や「目を見て明るく元気にさわやかになっていない人」がたくさんいるという実情があるからからこそ、こういう提言が行われたのだから。

 だが、その提言も「コミュニケーション強化月間(仮称)」とかいう期間を限った呼びかけなら、その月間が終わってしまった後はいったいどうなるのだろうか。こういう呼びかけは無期限に長続きしなければ意味があるまい。何月何日から何月何日までの期間だけの朝のあいさつや明るく元気なさわやかさも期間が終わったら“おしまい”なら、結局のところ《一時の気休め》ではないか。期間限定の呼びかけなら、期間が終わった後は否応なしに後戻りしてしまうだろうに・・・。

 テレビCMもどきのスローガンで何度も何度も聞かされてきた《一億総活躍》とか何とかいう言い方にも、そんな感じが漂ってはいないか。

 こういうことは厚労省だけなのか。文科省や経産省、国交省はどうなのか。

 ・・・・・と書いてきたころで、東京都議選の結果を聞いた。都民税の税額決定通知書を改めてみたばかりの時期で、今度はまことに複雑な気分の投票だった。

 今日のブログに書く心境は、この選挙結果を聞く複雑さとどこかで通じている。

聞かされ続けている言葉の信用が問われる時代、管理組合や管理会社は大丈夫か

 昔から《世の中で起こることはマンションでも必ず起こる》と言い続けてきた。良いことも悪いことも、世の中で起こることはマンションでも必ず同じように起こる。

 マンションは、まさに文字通り社会の縮図なのだ。

 マンションは人間の住まいである。考え方も生き方も人の数だけ違う大勢の人々が同じ建物での生活条件を共有することで成り立つ集合住宅では、そこに住む人間次第ですべてが決まる。

 マンションの建前や仕組みも、この点の例外ではない。

 建前や仕組みの本当の意味も、マンションに住む人にとっては、自分に向ってそれを求めている人自身が、いま《自分の言っていること》がいつであれ《自分でもできる》という実行可能性で確かめているかどうかで本当のところが決まる。

 この点は、総会に出るかどうか役員を引き受けるかどうかには全く関係がない。すべての人が黙ったまま同じような感覚で受け止めているはずなのだから。

 マンション管理の建前や仕組みの成り立つ背景には、そういう本質が隠れている。

 管理組合の命綱である管理規約の有効性も、この事情と無関係ではない。

| muraitadao | コラム | 12:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
  • 【番外】11年目。公開遺言のつもりでブログを書き続けます
    マンション・チラシの定点観測 (11/26)
  • 文庫本より重くて330ページもある箱入りの「東京防災」という本が届いたが、さて・・・
    村井忠夫 (12/07)
  • 文庫本より重くて330ページもある箱入りの「東京防災」という本が届いたが、さて・・・
    尾下 義男 (12/07)
  • 文庫本より重くて330ページもある箱入りの「東京防災」という本が届いたが、さて・・・
    村井忠夫 (11/23)
  • 文庫本より重くて330ページもある箱入りの「東京防災」という本が届いたが、さて・・・
    尾下義男 (11/23)
  • 2年半ぶりでメンバーも変わって再開のマンション管理検討会、たった1か月で結論を出すとは・・・・
    とおりすがり (04/24)
  • 最新の「マンション総合調査」から読めること、読めないこと
    村井忠夫 (09/06)
  • 最新の「マンション総合調査」から読めること、読めないこと
    まるーべり (09/06)
  • 都議ヤジ問題の本当の理由は議員の当事者感覚の貧しさ
    村井忠夫 (06/26)
  • 都議ヤジ問題の本当の理由は議員の当事者感覚の貧しさ
    ポリス (06/26)
+ RECENT TRACKBACK
  • 「沈黙は賛成じゃない」という論理。選挙や総会では?
    マンション管理の情報屋。。。 (09/22)
  • マンションの中の喫茶店が話題になる・・・・:マンションの共用空間の新しい意味をもっと考えていいのではないか
    神園良輔の『マンション展望』 (05/05)
  • マンガ説明入りの規約解説本があってもいいじゃない?でも実際には簡単にいかないけどね
    マンション管理士情報ナビ (05/27)
  • マンガ説明入りの規約解説本があってもいいじゃない?でも実際には簡単にいかないけどね
    マンション管理士情報ナビ (05/27)
  • 女児マンション転落事故のニュースが浮かび上がらせたこと:どこのマンションでも同じことが起こる可能性にどれだけの人が気づいているか
    MANSIONS-COMMUNITY blog (04/15)
  • 「億ション」は最高が1億円なのか、最低が1億円なのか、それとも・・・:管理の基本原則は何億円でも関係ないが
    マンション展望 (02/16)
  • 「美しい国」で、これ以上「美しくないこと」が起こらないように:もっと集合住宅に住む不安を減らすための議論を
    マンション展望 (12/01)
  • 8年前の2月、国会でマンション管理をめぐる史上初の議論が行われた。そして、昨日の朝刊には・・・
    NONブログ (11/27)
  • 書名は買い手にとって本のすべて。本の名前と内容はなるべくなら、あまり違わない方がいいと思うのだが・・・
    高層マンション (08/27)
  • 新しい住宅が建たなくなったというニュースの怖い連想:暗い窓ばかりのマンションが思い浮かぶ・・
    マンション展望 (08/25)
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ LINKS
+ PROFILE