村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【マンションに住む実感を確かめるノート】「マンションに住んでいる実感」を語れる自分の言葉がありますか〜マンションを「よそ」の誰かにわかってもらえる言葉や話し方って案外むずかしい・・〜

突然の転勤命令で住まいは自分で何とかしろと言われただけ・・・。でもその時の屈折した心境がその後の言語感覚の方向を決めた

 4棟600戸あまり。居住人口は今も1000人を超える。空き家はめったに出ない。

 「郊外電車」とか「デベロッパー」という言葉が辛うじてまだ生き残っていた時期に、首都圏進出を目指していたローカル某社による物件。

 何といっても、立地がよかった。

 都心まで私鉄の急行なら約20分、昔から住宅地として名高い駅にも近いといえば聞こえがいいが、もとは大雨が降るたびにすぐ水があふれる厄介で使いにくいところだったらしい。

 昔の東京府○○多摩郡だった某市。

 最寄りの駅から次の駅で急行か特急に乗り換えると、都心までは遠くはない。

 田中角栄はまだ健在。“列島改造論”だの“メガロポリス”だのと訳知り顔に政治ジャーナリストが熱っぽく語っていたころの感覚では、そこそこの距離感だった。
                   ☆
 この頃、住宅金融公庫の大阪支店で日照権トラブル対応に明け暮れていた。

 地図では読めない地形の高低差や距離感、街並みの匂いや騒音などの現地感覚も見聞を重ねて対応の呼吸にやっと馴染んだ頃、また東京転勤になった。

 利用者への対応部門強化のために新設する本店の相談部門を統括するようにというオーダーだった。

 でも、言われたのは、それだけ。

 住むところは自分で何とかしろ、適当に探せ、と言われただけでおしまい。
                   ☆
 だが、適当に探せなどと言われても、すぐどうにかできるはずもない。

 個人レベルの情報だけが頼りの綱だった。

 これというほどの話もないまま日が過ぎて気になっていたころ、ある大規模マンションの一戸が急にキャンセルされたが、どうするかという話が舞い込んだ。

 その大規模マンションは数棟の大半が住宅金融公庫融資付で住む人が決まっていたが、公庫融資付ではない棟の1戸が急にキャンセルされたのだった。
                   ☆
 この話は渡りに船だったが、キャンセルは何しろ価格が高くて・・ということだったらしい。

 当然、価格相応の資金づくりには骨が折れた。

 骨は折れたが、この時に経験できたことは想像以上にたくさんあった。誰にでも通用するような公式ではなくて見方を変えればこういう考え方ができるとか、着手時期を分散すると展望が想像以上に開けるとがいうことが、実感として理解できた。

 どれもこれも、それまで聞いたこともない話ばかりだった。

 要するに、総論では分からない話も、条件設定によって考え方を整理すれば、目前の光景の将来が見えてくるという実感だった。

 その後、住宅評論家のクレジットで書いたり話したりするようになったが、そうした時に書くことも話すこともほとんど、このときの実体験で出来上がった気がする。この当時の経験によって書き言葉も話し言葉も、基本的な感覚が決まったといえる。

 例えば、まだ経験で実感していない人が「○○だろう」とか「○○かもしれない」という程度の表現でぼかしてすませることを、はっきり「○○である」とか「○○だ」と断定するようになったのは、この頃からだった。

 今こうしてマンションの実情についてリアルな語り口ができるのも、この頃の経験によるものだったとつくづく思う。

語るにせよ書くにせよ目前に相手がいればこそ。こちらの「伝えたいこと」が相手に伝わらなかったら一人合点になる。それでは・・・

 この実感は、貴重だった。

 住宅融資が景気対策として注目されることが多くなり、今まで考えたこともなかった状況への対応に迫られることが目に見えて多くなってきていた。

 住宅を何とかしたいのに資金が足りない、どうしたらいいだろうか・・という途方に暮れた声が、日ごとに強くなってくる中で、こうした状況は法律談義に明け暮れてきた官僚感覚の人には、もう手に負えるはずもない。

 本店に相談対応部門が生まれた事情の背景には、そういう時代の空気があった。
                   ☆
 そんなある日、突然、住宅ローンの解説本を出したいが・・・という話が舞いこんできた。どういう経緯だったのか、もう忘れてしまったが、この頃、オフタイムには公庫の外にいる人と付き合うことが多くなっていたからだったのは確かである。
                   ☆
 いつも誰かが身近にいる・・・。

 この実感は住宅のことを「話す」とか「書く」にせよ、すべてそういう相手あってのことだという気分が確信的に染み込む結果になった。

 誰かが、いつも身近にいる・・・。

 そうなれば、「話す」ことも「書く」こともまず目の前の相手の存在を考えるのが先決。話すのも書くのも、ここがはっきりしてからのこと・・・。

 相手あってこそ・・・というなら、身近にいつも誰かがいることを常に考えることになる。

 それも、生活インフラを共有できる身近な人にわかってもらえる人たちが。すぐ近くに・・・。

 壁や床を隔てただけの至近距離に住むマンション暮らしの日々は、この点で実に大きなことを教えてくれた。
                   ☆
 物事は、いつも、もっと奥にあるもう一つの「何か」に通じている。

 マンションは、人の住まいがいったい何なのかを考えることに・・・。

 人の住まいは、どんな人の暮らしの光景が展開するところなのかを思い浮かべることに。

 人の暮らしは、年月が過ぎると、どう変わっていくのかをいつも想像することに。

 そうしたことがあっても大丈夫だといえるようになりたければ、いま見えている光景に、どういう条件を当てはめたらいいかと発想することに。

 ・・・・・・・・・・・・
                   ☆
 どれも。すべてマンションが身近に誰かといっしょに住む世界だという意味に収斂する。

 こんな形のマンションの居住実感を確かめる45年間が、こうして始まった。

| muraitadao | コラム | 11:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノート】自分のマンションに何人住んでいるかわかりますか?マンション管理の急所は「ちょっとした手数」に尽きる〜答えは市役所にあった!住民基本台帳データという答えが・・・〜

住んでいる人がいるからマンションはマンションになれる。誰も住んでいなかったら、もう今頃は・・・

 4棟600戸あまり。居住人口は今でも1000人を超える。空き家はめったに出ない。

 築後45年。けっこう古くなったマンションだが、不動産会社の買取勧誘のビラは、今も連日のように舞い込む。

 竣工以来ずっと住み続けてきて様々な感慨を覚える日々だが、昔からいつも頭に浮かび続けてきたことがある。

 それは、このマンションに「いま何人の人が住んでいるのか」という、とても当たり前だが、実は、ちょっと確かめにくい疑問だ。

 単純で、誰が相手であろうと説明抜きで通用する疑問だ。

 単純すぎて、普通は、誰もこんな疑問を口にすることさえないだろう。

 だが、いま誰かにこう聞かれたら、どう答えるか。

 即答できる人は、たぶん、それほど多くはあるまい。

 「そんなわかりきったこと、急に聞かれたって・・」とか何とかぶつぶつぼやきながら言いつくろって、あいまいにぼやかすことになるのではないだろうか。

 でも、きっと、黙ったまま胸の底でつぶやくだろう。

 「正直、よくわからないけれど、わからないのは、みんな同じじゃないか。毎朝お迎えの車がくる○○省の□□さんだって、△△大学の∇∇先生だって知らないだろうし・・」
                   ☆
 こんなわかりきったことに答えられなくてどうする・・・と一応は誰しも思うのだが、実は、いざとなると、どうやって確かめたらいいのか、情報がまったくない。管理規約がどうだとか区分所有法がどうだとか、舌を噛みそうで読み方さえわからない漢字言葉の理屈を並べ立てても、何人・・という肝心かなめのことがわからなかったら何の役にも立たない・・。
                   ☆
 最初の大規模修繕工事が現実的な課題として気になり始めたころから、この疑問がいつも頭にこびりついて離れなくなってきた。

 竣工後10年があっという間に過ぎた昭和50年代半ばだった。

答えは市役所にあった!市役所の住民基本台帳人口データの中に!ただし、取り寄せた後が・・・

 かなり長い間、頭を離れなかったこの問いの答えは、その後、意外なところにあることがわかった。

 結論を言えば、情報公開制度を利用して市役所から取り寄せた住民基本台帳の人口データが、その答えだった。
 気にかかっていた疑問を解く情報は、手の届くところにあったことを知った。
                   ☆
 ただし、取り寄せた後、管理組合が使える形に加工するのが大変だった。あらましを書くと、こうなる。

 市役所から取り寄せた原データは、コンピューターで打ち出した町・丁目別の形になっている。無機的なシートの数字は、男女別・年齢別になっている。

 わかるのはそれだけだが、幸いにして棟別の形になっている。これをエクセルで簡単な見やすい形にアレンジする。

 単純きわまる作業だが、年齢相応の手数と根気が要る。それに数字を正確に入力する時間の覚悟が・・・。

 そこを承知してもわかることは次に書くようなレベルのことだけだが・・。
●いまこのマンションに住んでいる人は何人か
●最高年齢は男女別にみると何歳か
●未成年の子供は何人か
●65歳以上の高齢者は何人か
●65歳から74歳までの前期高齢者は何人か
●75歳以上の後期高齢者は何人か

                   ☆
 事情が詳しくわからないのだが、こうした形のデータをほかの大規模修マンションと並ぶ形でアウトプットしてくれるので、同じ市内のほかの大規模マンションの居住者データもわかる。それで同じエリアでほぼ同じ規模のマンションとの対比ができる状態になる。

 「ウチのマンション」の様子は「よそのマンション」と比べるとわかりやすくなるから。このメリットは大きかった。

で、得られた答は役に立ったかというと・・・

 さて、こうした手数と時間とエネルギーを傾けて得られたデータは、役に立ったか。

 正直に言うと、何とも言い難い。

 通り一遍のマンション管理なら、こんな面倒くさいことはやらなくても困らない。

 だが、そうでない別の見方、例えば、いま《このマンションに住んでいる人が、あと5年ぐらいたったら、どうなるのか》といった疑問が出てくると、このデータが頼りになる。

 さらに、この点を承知して続けていけば、いま見えている自分のマンションのこれからの光景が見えてくる。

 実は、この点の意味が最も大きい。

 一人っきりではわからない将来の不安を少しでもどうにかできるかもしれない。

 マンションは、住む感覚を共有できる世界だ。

 これだけは、一戸建て住宅とまるで違う。
                   ☆
 でも、これだけわかっていながら、誰がこの面倒くさい役目を引き受けるのかを決めなければ・・・。

 誰も手を上げたがらないから、この私がずっと引き受けてきた。

 でも、80歳代も終わり近い。

 そろそろ・・・・・。
                   ☆
 本当の問題が、見えてきたような気がする。

| muraitadao | コラム | 12:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノート─曠泪鵐轡腑鷭擦泙い法屬泙澄ΑΑ廚箸いΩ斥佞癖のようについていたころ胸の中でひそかに思ったこと〜「マイホーム」「マイホーム」の時代が始まった〜

昔はなかった「マイホーム」という言葉がだんだん身近になってきて・・・

 「マイホーム」という言葉。今では、もう誰もが普通に使っているが、昔、こんな言葉はなかった。

 こんな言葉で日常会話を交わした記憶は、まったくない。

 住まいは「持つ」か「借りる」かのどちらかしかないが、どっちにしても「自分の住まい」であることに違いはない。持っていようと借りていようと、どこかに住んでいることに変わりはないのだから、あらためて特別の意味を込めてこんな言葉を使うことはなかった。

 ほかに何か話題になったことがあるとすれば、せいぜい広いか狭いかの違いが頭に浮かぶぐらいだったか・・・。
                   ☆
 戦争が終わった直後の住宅不足戸数は430万戸だった。

 1955年、住宅金融公庫という国営住宅ローン組織に入ったころ、建設省という役所からきた人たちがいて、誰もが「一世帯一住宅」というスローガンを呪文のように口にしていた。

 だが、このスローガン、わかったようで何だかわからない言い方だった。だから、ピンと来なくて当時はほとんど気にならなかった。

 住宅問題が依然として「戸数不足解消」という前提で語られることは相変わらずだったが、このトーンは微妙に変わり始めていた。「住宅が足りない」「一戸でも住宅を」というのではなくて「ちゃんとした住宅を」とか「もっとまともな住宅を」という声が混じり始めていたからだ。

 自分自身の住生活史を思い返してみても、一世帯一住宅という戸数満足だけの単純な考え方では飽き足りなくて、もっと住まいの中身に目を向けたいという願望が強くなってきていた。

 勤めていた住宅金融公庫で、頭の上にいたのは建設省(今の国土交通省)から天下ってきた人が多かった。霞が関の中央官庁で仕事をしてきた人であれば、どうしても全体的な視野でものを考える人が多くなるのは仕方がない。

 だが、こちらは、住宅、住宅でひたすら一途に住宅のことばかり考え続けてきた。

 考え方に折り合いがつくはずがない。頭の上にいて決定権をもっていても住宅のことは素人同然である。

 まして、マンションのことなど何もわからない、言葉だって通じにくい・・・と言う成り行きになるのは、避けようがなかった。

 こんな実感が生まれてきた頃、ジャーナリストの中で住宅に特化して関心を持つ人に出会う機会にときどき巡り合うようになった。

 自然な形で縁ができた新聞や雑誌の世界の人と付き合いが生まれるようにもなった。

 公庫や建設省の人とはまるで違う新鮮な感じだった。何より説明抜きで話が通じる安心感があった。

 この頃、もともと就職専門誌を出していた日本リクルートセンターが「住宅情報」という住宅専門の週刊誌を出し始めた。ひところの電話帳のような分厚い雑誌が書店や駅の売店の店頭部現れた。それに触発された形で「週刊読売住宅案内」というのが登場した。

 どちらもマンションを中心とした新築物件の販売情報が重点の媒体だった。

 こうして住宅専門誌が並んだが、住宅ローンのガイダンス記事はもともと書き手が少なかった。

 当然の成り行きで、否応なしに書かざるを得なくなる日々が、こうして始まった。

「ウサギ小屋」呼ばわりをされて人生コースの引き立て役に甘んじながら、それでも大規模修繕工事に取り組みながら・・・

 このころに、こんなことがあった。

 EUの公的機関が、経済成長で注目されている日本人だが、実は生活基盤はそれほど重視されていない。馬車馬のように働いている日本人の住まいは非常に貧しくて、ウサギ小屋レベルだと言われているというニュースが流れたことがある。

 それほど大きなニュースではなかったし、どこの誰が、どういうところで言ったのか今もってよくわからないままだったが、経済力に自信たっぷりの時代だったから。“ウサギ小屋”呼ばわりされて、ひどくプライドを傷つけられ、ひそかにいつも気にしていた図星をさされた反応が多かった。

 その証拠に、この時期から後、しばらくの間、住宅関係者とくに住宅行政の立場にいた人が自嘲気味に「何しろ日本人の住宅はウサギ小屋並みなんだから・・・」という言い方をしたものだった。

 だが「ウサギ小屋」という言われ方をそれほど気にしていたそんな時代でも、住宅が狭かろうとどうだろうと「一戸建て住宅」が独立した一棟の建物だったことは間違いなかった。マンションのような集合住宅は、まだまだ「住宅」の想定イメージにはとても含まれてはいなかった。

 土地付き一戸建て住宅は「マンションではない」こと自体に意味があり、価値がある資産だった。

 つねに一戸建て住宅は最高位に評価される存在で、マンションはそういう人生の成功者が住む一戸建て住宅の引き立て役だった。

 マンションは、かつて、人生コース・ゴールの引き立て役となる存在だった。

 いま築後30年以上を迎えたマンションは、ほとんど、そんな感じの時期を過ごしてきたはずである。

 だが、建築後年数の経過は、紛れもなく様々な形の劣化を浮かび上がらせていた。その現実を手つかずのままにしておけば、ほかでもない当の居住者自身が不安になる。一も二もないこの現実が、初期の大規模修繕工事に立ち向かわせた。
                   ☆
 こうして、初めての大規模修繕工事に手をつけざるを得ない時期がやってきた。昭和年代の末期ごろだった。

 情報源となる新聞や雑誌の記事は全く無い。

 当たり前だ、書く人がどこにもいなかったのだから。

 もし居たとしても、そんなものをわざわざお金を出して買う人など、どこにもが居るはずがなかった。

 何もかもわからない。わからないことがあても、尋ねる人は、どこにもいない・・・。

 それでも11階建て4棟600戸のマンションは、汚れ傷みが隠せなくなっていた。

「一世帯一住宅」なんて今ならテレビの政策CMだね。深く考えたりしなければ、誰にでも通じそうな気がするから

 このマンションに住み始めた頃、一世帯一住宅という言い方が繰り返された。いつも、誰かが、どこかで、この言い方をしていた気がする。

 建設省からの天下りはもちろん、天下られた方も、単純に、この言い方を口にした。

 一種のスローガンと化したこの言葉を、自分の行政感覚を語る官僚たちが呪文のように繰り返した。

 「一世帯一住宅」「一世帯一住宅」・・・。

 その「一世帯一住宅」のカウントの中に、マンションが入っていた。

 ふーん、そうか・・、マンションだって確かにマイホームだものね・・・。

 そんな声が、どこかから聞こえてきた気がする。

 そんな時代だった。

| muraitadao | コラム | 14:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノートА曠泪鵐轡腑鵑琶襪蕕梗卒兇板敢嵯覯未鮖廚す腓錣擦襪函船泪鵐轡腑鷭擦泙い亮卒兇歪敢坤如璽燭任匹海泙任錣るか〜

調査でマンションを本当に語れるのだろうか? 客観的な数字だけで浮き上がらせる可能性と限界

 昔に比べると、マンションのことを語る人はずいぶん多くなった気がする。

 そのせいかもしれないが、マンション総合調査のデータを引き合いに出して語る人が少なくない。

 まぁ、わからぬことでもないが・・。

 こんなに増えたマンションのことを実証的に確かめられる材料は、ほかにないのだから。

 マンションの調査と言っても、実際には需給段階のものが多い。

 しかし、マンションは住むための生活財なのだから限られた短い期間の需給段階での調査に比べて継続した居住段階での調査の方がはるかに大きな情報価値を持つことはいうまでもない。

 その意味で、竣工後年数の長い物件を対象としたストック次元での調査は、際立って重要である。マンションストック全体の様子を客観的に確かめようとすると、手がかりはストック面の調査数字データを使わなければならないのだから。

いずれにせよ、数年ごとに公表されるマンション総合調査は今でも希少価値が大きい。

 でも、その点をはっきり認識した上でいうのだが、あれは、実のところ、マンションという名の建物の調査という意味の方が大きいのではないか。

 住んでいる人間のことも、確かに、少しばかり、あるにはあるが・・。

 率直に言えば、やはり実情をつかみにくい人間の様子がわかる調査ではないような気がする。

 そんなこと、当たり前だろう・・という声が、どこかから聞こえてくるような気もするが・・・。

 あれは。マンション居住者実態調査ではないんだから・・・という声も続いて聞こえてくる。

区分所有者イコール居住者という建前を信じる人なんて今でも本当にいるんだろうか?

 もはや超古典的と言っていい感じになってきた課題がある。

 ここに書くのも気がひけるような気がするが、分譲マンションの区分所有者は居住者であるはずだという発想が何十年もにわたって今なお基本的な仕組みの前提となっている点だ。

 この実感を、いったいどう理解したらいいのだろうか。

 念のために書くのだが、物事が建前の理屈通りになるものではないなどという分かりきったことは、今さら言われたくない。
                   ☆
 昔々の大昔、マンションには賃貸マンションと分譲マンションの区分があって、マンションを長持ちさせるための管理システムは分譲マンションが前提となっていた・・・。

 だから、マンション管理の仕組みは、いつも区分所有者自身がそのまま居住者でもあるはずだという大前提があった。望ましい維持管理によって実現するマンションの住み良さがやがて商品価値を持つようになるはずだという密かな資産価値上昇への期待は棚に上げて。

 少し前までは、いつまでも、このマンションに住む積もりはない。いずれ、そのうちに・・・と誰もが考えていた。

 そんな空気の中のマンション管理だったから、わざわざ「永住できるマンション」などというタイトルの本が出たりした。永住する気がない人の方が多いからこそ、こういう書名が商品価値を持つという実情があったのは否定できない。

 ひと頃まで土地付き一戸建て住宅願望というのがあって。マイホームという言葉が流行語まがいに使われた時期があった。誰もが、《いつの日にか庭のある家に・・》を夢見て、そこへゴールするまでの長い道のりの中にマンション住まいを考えていた。

 マンションはその長い道のりの途中にあったから、いつまでも住んでいるようなところではなかった。表札やネームプレートがどんどん変わっていく中で、同じままの住戸があると、「あの人、まだ住んでいるみたいだね」と囁かれたりした。           
 《マンションって、いつまでも住んでいる所じゃない》というのは、目端(めはし)の聞く人の口から出た時代もあった。「そのうち引っ越すつもりなので・・」と、大規模修繕工事の時に言われたこともあった。

 そんな人たちは。もう誰もいなくなった。

| muraitadao | コラム | 18:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノートΑ曄屮泪鵐轡腑鵝廚鮴睫世任る人なんていないのでは〜「マンション」が馴染まれるまでの長い年月〜

「マンション」って一体、何だ?誰もが持て余した問いかけ

 住み始めて10年がアッという間に過ぎた頃から、何かにつけて頭に浮かんでくる一つの実感があった。その実感を言葉にすれば、「マンションって、何だ?」という問いかけになる。

 住宅金融公庫の務めもかれこれ30年が過ぎようとしていた。国営住宅ローンというビジネスを通して、住宅の世界の様子も一通りの見当がつくようになっていた。「住宅金融公庫三十年史」を書かされることになったという事情もあった。

 そんな私たちの頭の上に霞が関から来た人が、何人もいた。そういう人たちは、いつも個室にいて、よくこう言ったものだ。

 『公庫の人は、みんな驚くほど住宅に詳しいねぇ・・』
                   ☆
 言われるたびに、いつも思った。

 当たり前だろ、そんなこと。

 何十年も住宅、住宅でメシを食ってきたんだ、こちらは。

 あっちこっち、つまみ食いみたいに、あれこれやってきたわけじゃないのだ! 
                   ☆
 もともと住宅とか金融には特有の専門性がある。だから、この分野の仕事にはそれなりの奥行きやハードルがあった。当然ながら、判断を問われるような仕事にぶつかると、意思決定の上で住宅に携わってきた年月の違いによる考え方の違いが生まれることになる。

 そんな時、いつも頭には「住宅って、いったい何だ」という問いかけが浮かび上がったものだ。

 「一世帯一住宅」という政策スローガンめいた言い方が、その頃はいつもあった。終戦直後に430万戸と言われた住宅戸数不足のトラウマが、まだまだ消え残っている時代である。

 実際には、1968年(昭和43年)の住宅・土地統計調査で、すでに住宅戸数が世帯数を超えていたことが後になってからデータでわかったのだが、まだそんな実感はなかった。都市化や通勤ラッシュの問題が議論され、都市近郊の土地利用効率のレベルアップが課題だったから疑問を持つほどの余裕もなかった。

 それに、この時代は、誰の頭に在来工法による戸建て住宅しかなかったのだ。

 そんな中で、プレハブとか、住宅産業とかと言った聞き慣れない言葉といっしょに使われ始めたのが「マンション」という言葉だった。

 だから、最初はピンとくる響きがなくて、説明しにくかった。「マンション」は、そんな経過の中で生まれた言葉だった。

「マンション」は商品名。公認されない俗名だったから和文邦訳が必要だった

 そんな雰囲気だった公的住宅ローンが、「マンション」を融資対象メニューに加えたのは1970年(昭和45年)だった。だが、融資案内など利用者向けのガイド情報では「マンション」という言葉は一切、使われなかった。

 「マンション」は商品名だったからだ。

 制度上は「高層分譲住宅購入資金」という名称で、利用できる地域も東京都と大阪府の一部に限られていた。

 このころ財政投融資特別会計という仕組みがあって、すべて政策レベルで物事が決まっていた。固い漢字の法制用語の言葉が多くて、普通の人にはわかりにくかった。そのため利用者と向き合う立場では、この難しい言葉を日常生活次元のわかりやすい言葉に言い換えることが、いつも必要だった。

 これを「和文邦訳」と呼んだ。

 マンションは、和文邦訳しなければ通用しにくい典型例だった。

取材も生活部あたり。経済部とか社会部はこなかった。まして政治部なんて・・

 でも、政策の対象になったのは、やはりマンションの存在感が大きくなってきたからである。当然、マスコミが取り上げる機会が多くなってきた。

 テレビが全盛期に差し掛かっていた頃でもあったから、新聞のほかにテレビの取材が混じることもあった。

 事前の打ち合わせや取材当日、相手になるのがどうしてだか学芸部とか文化部というケースが普通だった。こちらとしては、マンションが生活基盤の住宅だという思いがあるから生活部とか社会部ではないかと考えるのだが、実際にそういう部門の取材という機会は滅多になかった。

 今でもそうらしいが、取材対象としての住宅そのものの位置づけがどうも違うらしい。いわば、分類不可能な雑報並みの位置づけのような気がする。

 それは、新聞に出る住宅やマンションの記事掲載面が主として雑報並みであることを見れば見当がつく。
                   ☆
 別に今さらの感想でもないが・・・。

| muraitadao | コラム | 17:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
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