村井忠夫のマンション管理ブログ

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【43年の実感で「マンションの管理」を考える 10】「広辞苑」改訂版で思い浮かべる戦後住宅事情70余年の日々

待ちに待った「広辞苑」の改訂版が出るというので・・・

 ついこの前の1月12日に「広辞苑」の第7版が出た。広辞苑は昔から身近な存在だ。もう40年近い前に住宅ローンの解説を書く仕事が多かったころ、お金の貸し借りを書くのだから誰にも正確で間違いないように読んでもらいたくて言葉の正確さに気を使う習慣が染みついた。それから、国語辞典をいつも必ず手近に置くようになっていた。

 そんな存在だった「広辞苑」の改訂版が久しぶりに出ると聞いたのは、昨年の秋だった。しかし、発行は来年だという話で、すっかり忘れていた。

 そんな状態だったが、先日の新聞広告で改訂版のことを思い出した。その広告には『10年ぶりの大改訂。充実の最新版、満を持して登場!』という言葉もあった。

 だが、それほど馴染んできた「広辞苑」だったが、逆に、いつもよく目を向けるだけに、かえって言葉の説明が何となく実情と違っている“もどかしさ”を覚えることも多くなってきた。

 だから、それだけ「広辞苑」は次の改訂がいつだろうかと思う気持ちも強くなってきた。そんな中で、待ちに待った改訂版が出ると聞いたのだった。

 当然、すぐ買うことにした。

 しかし、買いたかったのは、ずしりと重い箱入りの「広辞苑」ではない。DVD-ROM版だった、

 「広辞苑」は第4版まではブックスタイルのものしかなかったが、毎回2000ページ超のかさばる大きさが苦になっていたので、第5版からDVD-ROM版が出たのをいい機会だと考えて、以後はこちらに切り替えた。

 当然、今度の第7版もそうするつもりだった。しかし、価格など細かいことがわからない。

メールで問い合わせても返事がない。午前中は電話もダメ。仕方なく、またもう一度メールすると…

 でも、買うつもりだから、どうしても知りたかった。

 最初は、昨年の11月、改訂第7版のDVE-ROM版について発行元の「広辞苑」担当者宛に問い合わせのメールを送った。しかし、何も返事がない。でも、音沙汰なしでも発行はまだ先だから・・と思い、気にもしなかった。

 しかし、その発行時期になってもDVD-ROM版については何もわからない。ネットで問い合わせ先番号を確かめて電話しようとしたが、午前中はダメだとある。早く知りたくて、結局またメールを送った。《昨年11月24日にメール所定のフォームのメールで聞いたのだが、何も返事をくれないので・・》と断った上で、今回、新改訂版発行の広告などを見てもDVD-ROM版については何も情報がないが、今までどおりに今度もデイスク版を発売するのかどうかを問い合わせた。

 すると、今度はすぐ返信が届いた。しかし、それは感心するほど短いものだった。引用が気にならないほどの短さなので、発信人を除いて以下に全文書くとこうなる。

 《返信が大変遅くなりまして誠に申し訳ございませんでした。今回、弊社は『広辞苑 第七版』のDVD-ROM版は発売いたしません。LogoVistaから『広辞苑 第七版』のDVD-ROM版が本日(1月12日)より販売されております。よろしくご検討ください。》

 これで、おしまい。何ともまあ、ぶっきらぼうで愛想も何もない文面だが、確かに、これで知りたいことはわかった。

 で、すぐネットで調べて注文したら、翌日午前中には、もう現品が届いた。

 さっそく調べてみた。長年の説明でもどかしさを否定できなくなっていた言葉の数々を。すると・・・

もはや「広辞苑」よりもWikipediaの方が頼りになる?

 「広辞苑」の初版は、1955年(昭和30年)に出た。よく覚えている。

 この初版は手元にないのだが、1969年(昭和44年)発行の第2版から最近の第6版までは全部持っている。

 だから、同じ言葉を時代の変遷と合わせながら「広辞苑」がどう説明してきたかがわかる。

 そういう考え方で確かめた言葉が、今度の第7版ではどうなったか。

 二つだけあげておこう。

 一つは「住宅難」という言葉。今度の第7版には、次のような説明が出ている。

【住宅が不足し、かつ住宅費がかさむため、住む家を得るのに困難なこと。】

 今度の第7版の説明を見て、愕然とした。なぜか。

 これは、かつて住宅問題が切実だった時代に見た「広辞苑」第2版の説明とまったく同じままだったからだ。第2版からまったく同じということは、ほぼ50年前と全く変わらないことになる。

 この説明には「住宅が不足し・・」という言葉が出てくる。かつて太平洋戦争による住宅不足は430万戸といわれて「住宅不足」という言葉には切実なリアリティがあった。しかし、この第2版発行後から数年で、この住宅不足は解消し、住宅事情は今や「不足」から「過剰」に一変した。いたるところで「空き家」が目立つ。

 では、その「空き家」はどうか。

 第7版の説明は【人の住んでいない家。居住者のいない貸家。】となっている。

 こちらの方は過去の版での説明がどうなっているかを確かめると、50年近く前の第2版から出ていた「人の住んでいない家」という言い方に1991年(平成3年)発行の第4版から「居住者のいない貸家」という言葉が新しく付け加えられた。今度の第7版の説明は、30年近く前からのままとなる。
                  ☆
 国語辞典の改訂は、大変な労作だと思っている。

 だから、単純な粗探しをしているつもりではない。しかし、それを百も承知していながら、やはりこうしたことが気にかかる。

 実感から言えば、広辞苑よりもWikipediaの方が頼りになってきた。

 その実感が、また気にかかる。

| muraitadao | コラム | 09:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える 10】表札がなくても何とかなっているマンションで「名前」の扱いは管理組合の鬼門?

マンションで表札や名札を出す人は減っているのに郵便はちゃんと届く。表札なんかなくても住人同士で「わかる人はわかる」不思議さ

 年が変わった。といっても、格別どうということはない。

 ずっと前、年賀状を出す人が多かったころ戸数の多いマンションでは管理事務所がそれなりに大変だったようだ。管理事務所に行くと大きなバスケットいっぱいに年賀状の山があって、郵便局のいう「元日配達」がマンションでは管理会社の管理員の手で実現しているらしいと気がついたからだ。

 いま、年賀状はひところに比べて激減した。かく言う私自身も、以前は1000通単位で毎年の年賀状が一仕事で苦の種だったが、今はもう昔の話になった。

 申し訳ないが、こちらからの年賀状は出さないことにさせてもらっている。それでもきちんと届く年賀状はけっこう多く、そういう場合は「遅ればせのお詫びに重ねて新年のご挨拶を申しあげます」という書き出しで、数行の短いオリジナルのメッセージを書いた年賀状を出すことにしている。

 いわゆる[返り年賀状]である。

 この返り年賀状が、今年は130通余り。いつもの正月どおり、返信書きの明け暮れだった。

 書きながらあらためて思ったのは、マンションの個人名表示のこと。

 個人情報の議論が多くなって以来マンションの表札やネームプレートを出さない人が増えたという話をよく聞くし、それとほぼ同じペースでマンションのコミュニテイ論議も目にする機会が多くなった。

 しかし、自分自身のマンション居住経験で言えば、とくに近年、目に見えてそういう傾向が強くなったという実感はない。

 43年住み続けてきたが、正面玄関エントランスの郵便受けの名札や各戸専有住戸玄関横のネームプレートを出さない人は昔からけっこういたし、以前に出していた人がこのごろになって出さなくなったという感じもしない。

 今でも郵便受けの名前を出す人がほぼ半分で出さない人の方が少ないが、年ごとに出さない人が増えているから、いずれ出さない方の人が半数を超えるだろうと思う。

 そんな状態でも郵便受けの名札が出ていないために郵便配達ができなくなったという話は、聞いたことがない。メール全盛で昔に比べて郵便が激減した今でも市役所など公式な通知類は郵便で届くから、もし郵便配達不能状態になったら文句の多い人が管理組合や管理会社に何も言ってこないはずがない。

 しかし、そうした気配はまったくない。

 表札や名札がなくてもわかる人はわかるし、逆に、表札が出ていて名前だけは知っているが昔からめったに会う機会がなくて顔がわからない人も珍しくない。

 正直なところ、表札や名札の有無がコミュニテイや居住者同士の相互認識を左右するほどのつながりがあるという感じはしないのだ。

居住者表示板でわかったこれだけのこと:同じ姓や別姓併記の住戸がこんなに増えたか・・・

 だが、4棟600戸のマンションには玄関エントランスが5か所あって、壁に居住者表示板がある。郵便受けのネームプレートが出ていない住戸を含めて、ここに全居住者の名前が出ている。昔は管理組合が定期的に居住者名簿を配っていたが、そんなこともできなくなった今はこの居住者表示板が事実上唯一の情報源となっている。

 実は昨年秋、全棟の居住者表示板を細かく確かめてみた。大規模修繕工事の進行で居住者の実情を知っておく必要があったからだ。少し面倒だったが、調べた結果いくつもの興味深いことがわかった。

 主なことだけを書くと、次のようなことになる。

 まず同じ姓の住戸が想像以上に多種多様化していた。大規模マンションでの同じ姓調べは昔からよくあったが、今では、同じ姓の分布が単なる話題レベルを超えている感じがする。具体的に言うと同じ姓では佐藤さんのような姓が10戸以上あったのは予想通りだったが、2戸以上で同じ姓があったのは全部で68姓213戸にのぼった。この同じ姓は異なる別の棟だったり、隣り合っていたり、同じ棟でも階が違っていたりして様々だが、今までに聞いた話などから推察すると、どうも親子世帯がそれぞれの住戸に住んでいるようなケースが多いらしい。

 いずれにしても213戸となると、全600戸の30%を大きく上回る住戸が同じ姓で、居住者同士が近親関係となる可能性を無視できなくなる。

 2姓併記の住戸は12戸。カタカナ表示名の住戸は2戸あった。まだ多いとは言えないが、これからこのケースは多くなるに違いない。

 40年以上前に多くて管理組合のお荷物だった社宅は、さすがに姿を消した。名だたる大銀行の社宅住戸で手を焼いたのは、もう昔のことになった。


プライバシー意識と過剰な個人情報感覚をどうするかをそろそろ考えないと、いまのノールール状態では管理組合が持たなくなるのではないか

 正直なところ、名前の問題は管理組合にとって鬼門である。居住者の世代分化が進むにつれて名前の扱いについての意見が分かれがちになる。ふだん管理組合に関心を押せることもない人がプライバシーを言い立てたり、とかく管理組合が苦手な法律論で個人情報保護法を持ちだされたすると、理事会では手に負えなくなる。

 もめた時の頼みの綱になる管理規約を見ても、こういう場合のことは何も書いてない。標準管理規約とか区分所有法など普段は見ないものを開いても、全く何も出てこない。

 ネットで何か手がかりがないか調べても、どこにでも通用するような総論ばかりで、手こずっているマンションのケースに当てはまるものは全くない。

 こんな状態だから、名前の問題をうかつに扱うと、手が付けられなくなる。

 ・・・というのは、しかし、おかしいではないか。いつまでもこの状態のままでいいはずがないではないか。

 民泊の問題にあれほど熱心だった国交省に、今年はそろそろこの問題について何か方向を示してほしい気がする。まず、このノールール状態が管理組合ではどうなっているのか、実情を調査してほしい。

 管理組合にとっては、こちらの方が民泊問題よりもはるかに切実なのだから。

| muraitadao | コラム | 02:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える 9】理事長解任訴訟が課題となるマンションで大規模修繕工事はできるんだろうか??

理事長解任の最高裁訴訟・・・。『あ、そう。それが、どうした?』と思う白けた気分は・・・

 12月18日、雑報に近い感じで流れた『最高裁「マンション管理組合理事会で理事長を解任できる」と判断』のニュース。

 この報道で思い出したのは、しばらく前、マンション管理セミナーで受けた質問でこのケースに似たものが多かったこと。いつもこう答えていたっけ。

 《管理規約にそんな条文がないとかあるとかいう議論よりも、そんな人を理事長に選んだのはほかでもない当の理事会自身だったことを思い出してください。そんなことを決めた理事会は、あなたのマンションの管理組合の人たちが選んだことも思い出してください。顔を合わせる人同士の管理組合で、面と向かって解任とか訴訟などということを口に出すようになれば、もう管理組合本来のことができなくなりますよ。まず、自分たちの管理組合の様子を再点検する方が先じゃありませんか?》と。

 正直に言うが、いったい管理規約の解釈を巡ってわざわざ最高裁が下したこの判断のどこに、どれほど現実的な意味があるのだろうか、ピンと来ない。

 このニュースでわかるのは、理事長を辞めさせる理屈と手続きを最高裁が判断したということだけだ。こんな訴訟沙汰が持ち上がる理屈以前の背景にある「選ばれた理事長と選んだ理事会」や「選ばれた理事会と選んだ管理組合」という現実的な関係については何も言っていない。あくまでも字で書かれたルールの言葉をどう解釈して当てはめるかというだけの話だ。

 言葉だけ、現実抜きだから、《あ、そう・・。それがどうした?》という何とも白けた気分にならざるを得ない。

同じマンションに住んでいる者同士が「訴えたり訴えられたりする」ようになったら、その管理組合では実質的な組織活動条件がもう成り立たなくなる

 管理組合は、法理念とは別の実感で言うと、同じマンションに住んで「あ、あの人、○○さんだな・・」と自然に反応する相互認識を前提にした組織でもある。

 だから、法律の「区分所有者の団体」という権利中心の考え方よりも「居住する区分所有者の団体」という生活感覚次元に即した言い方が、現実のマンションでははるかに通じやすい。管理組合は《同じ分譲マンションに住む者同士の団体》という側面があるからこそ、マンションの防災活動やコミュニティづくりにもリアルな意味で説明ができるのだ。

 そうした生活条件を共有しながら壁一枚隔てただけの至近距離で暮らす者同士の相互認識を前提にして、理事や理事長を決めるのが管理組合の現実である。

 だから、その理事会が自分たちの選んだ理事長の解任訴訟を起こす・・などということは、普通のマンション住まいの生活感覚では、とても考えられない話になる。いったん決めておきながら後で解任を求めるような人を理事長に選んだのなら、選んだ方も選ばれた方もお互いによく知らない状態で理事長を決めたとしか考えようがないではないか。

 《辞めろ》と言う方も言われる方も同じマンションに住んでいていつも顔を合わせる状態なのだから、玄関エントランスでばったり出会うことは始終あるだろうし、時には同じエレベーターに乗り合わせて短時間ながら密室で間近に向き合わざるを得なくなる気詰りなこともあるだろう。

 そんな光景を考えたら、とてもではないが、理事長解任訴訟などという事態は平均的な普通のマンションでは想像さえできそうもない。管理規約にそんなあり得ない事態を想定した条文などあるわけがないことは、誰でも気がつくだろう。

 お互い同士の信頼と相互認識が基本となるマンション維持管理の約束事に、そんな《普通でない》事態を想定した条文がある方がいいと考える人がいるなら、その人は分譲マンションにまだ住んだことがないのではないか。マンションに住んでいても、管理組合が自分の生活と大きくつながっていることに思い及ばないレベルの社会常識しかない人ではないだろうか。

 漠然とではあっても、こうしたことをお互い同士でそれなりにわかりあって住むのが分譲マンションだ。このマンションには《借りて住む》のではなく《持って住む》のだから、何か問題があれば管理組合という組織レベルで何とか手を打っていくのがマンション住まいで最低限の常識だ・・・。

 たったこれだけの理屈を承知していないとマンションに住みにくくなり、結局、最後は自分が困ることになる。面倒くさくて難しい法律は苦手でわからないし、面倒なことを自分から買って出るほど熱心さもないが、だからこそ、理事が選んでくれた理事長にはずっと役目を果たしてほしい・・・。

 あいまいといえば実にあいまいで無関心すれすれで気がかりはあるもののの、こんな状態が大半の管理組合の現実だろう。そう考えれば、わざわざこの状態を否定するような訴訟が話に出るようでは、そのマンションの住みよさなど、もう、とても実現できまい。何しろ維持管理を担うはずの管理組合がまともに動く見込みがなくなるのだから。

 そうなれば、このマンションはもう管理不在状態になってしまう。

 こうなると、もう大規模修繕工事どころではなくなる。年月の経過につれて間違いなく劣化が進んでも手を打てないままになるのだから、もはやその先は・・・。   
「大規模修繕工事」は単なる修繕工事ではない!管理組合の組織総力を問われる課題のとてつもない重さに気づかないマンションにはもう未来がないのでは

 もう30年以上前からマンションで使われてきた「大規模修繕工事」という言葉。マンションの管理組合なんて関心がないというレベルの人が多いマンションでも、この言葉は説明抜きで通用すると言えそうだ。

 それは、この言葉が単純な修繕工事を意味するやや軽い響きでやり取りされているからだ。何しろ「修繕」という字が入った言葉なのだから、重々しい法律論議とは違う。その証拠に、いまも「大規模修繕工事」という言葉は正式な制度論などでは出てこない。

 だが、実情は違う。ただの「修繕」ではないからだ。あまりよく知らない大きくて複雑なマンション全体が対象となる大事業なのだ。どこを、いくらの費用で、どのくらいの日数で、どこの工事会社に、どういう方法で発注するのか・・・。

 これまで経験したこともなかった課題が管理組合にとって軽くない感じで次々に出てくる。大半は組織集団を当事者となる課題ばかりだ。長く住んでいてもマンションの全体には無関心で自分の住戸玄関ドアの内側しか知らない人には理解できないことばかりになる。

 共用部分という抽象的な言葉がほんの少ししか書いていない管理規約では、多額の費用を使う修繕工事の対象個所の決め方にも面倒くさい議論が必要になる。

 間違いなく言えるのは、大規模修繕工事が、決して単なる「修繕工事」のレベルではなく管理組合の総力が試される必修課題になるという事実だ。

 この必修課題の対応の中心は理事長を中心とする理事会である。当然ながら、理事会が理事長解任の訴訟を起こすような場合にはとうてい不可能だ。

 だが、不可能でも大規模修繕工事の必要性自体は、どこのマンションでも変わらない。

 最高裁の判断を、どう考えたらいいだろうか。

| muraitadao | コラム | 09:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える 8】大規模修繕工事を重ねるうちに直視を迫られる「いま住んでいるマンションの将来」

回を重ねるたびにはっきり見えてくる大規模修繕工事の難しさ、その向う側にだんだん浮かんでくるマンションのこれから

 このブログを書いている窓の外で、大規模修繕工事の足場の解体が始まった。

 43年住み続けてきた11階建て4棟600戸のマンションで、3回目の大規模修繕工事が終わり近くなっている。最初は30年以上前、2回目は13年前。どちらも旗振りを引き受けたが、今度の3回目では、もう引っ込むつもりだった。

 だが、そうもいかず相談相手ぐらいは・・という感じで4年前から関わってきたのが、今度の3回目の大規模修繕工事だった。

 何らかの形で自分の住むマンションですべての大規模修繕工事に関わることになった人はほかにもいるかもしれないが、それほど多くはあるまい。たださえ敬遠されがちなのだから。

 その分だけ、経験して始めてわかることがいくつもあると言えそうだ。実感することは山ほどあるが、二つほど書く。

 第一は生活している空間の中で進める大規模修繕工事は回を重ねるたびに難しくなるという点だ。どんな解説やセミナーでも誰も語らないが、絶対に無視できない実情である。

 二つ目は、40年以上を経たマンションがいずれ迎える建て替えか大規模修繕工事かという将来像選択時期の接近である。何十年も住んできたマンションの現状確保という目標実現の方法をどうするかという最も難しい課題だ。

生活のエリアで進む大規模修繕工事の具体的な進み方が回を重ねるたびに難しくなる。居住者生活への影響が大規模修繕工事の進行を応用問題化する

 大規模修繕工事はリフォーム工事の一種だ。いつもと同じ生活が展開する中で大掛かりな工事が進むのがリフォームだという点では、一戸建て住宅もマンションも同じだと言える。

 しかし、集合住宅であるマンションでは、その難しさが一戸建て住宅と比較にならない。生活場面で工事の影響を受ける当事者が集団レベルの規模で多数かつ多種多様を極めるからだ。

 それも単に《大勢の人》というだけの意味ではない。経年変化の影響によるメンバーの変貌を考えなければならない。マンションの中古化とともに《大勢の人》の顔ぶれは入れ替わるし、同じままで変わらなくても高齢化や世代差が生まれるからだ。

 30年以上前の最初の大規模修繕工事のときは方法も手探り状態だったが、工事の行われる昼間は大半の住戸が留守だったから、騒音も振動もそれなりの方法で対応できた。建物の劣化も経過年数が短かったから、それほどではなかった。

 13年前2回目の大規模修繕工事の時は、ちょっと状況が変わった。リタイアした居住者が最初の時よりも増えて在宅率が大きくなったので、昼間在宅者の生活への配慮事項がかなり多くなったからだ。近隣の新築マンションが増えて「あそこのマンションのような・・」という設備についての要望が外装工事以外にも格段に増えた。

 そして、今度の3度目の大規模修繕工事。築後40年を超えると居住者の高齢化率はもう40%に近くなる。大抵の住戸に高齢者が昼も暮らしているし、その一方で若年単身者も増えた。一人住まいの住戸も目立つ。

 周辺の新築マンションと並ぶ中での外観比較も軽視できなくなった。

 何よりも大きい違いは、居住者の入れ替わりだ。昔のことなど何も知らないし、こだわりもないから、43年もたったマンションの過去など大半の人にはわからない。

 そんな状態のマンションの外側に足場が組まれて薄暗さや狭さが気になる人が増える。仕事の関係で在宅時間が変則的な人には昼間の騒音も無視できない。

 ベランダの使用制限などへの理解も以前とは一変して、過剰な自己主張のために協力したくない居住者が多くなった。工事会社任せにできない場面で、管理組合の対応の判断が試されるケースが続く。

 ほとんどのことは、居住者の生活面への影響によって起こる物件固有の問題ばかりだ。それも「ウチのマンション」特有の・・・。

 それに気づき、それに手を打てるのは、そのマンションの管理組合しかない。

これからも年数がたてば何回目かの大規模修繕工事を重ねるのか、それとも…。やがて何年もたった時のウチのマンションを語れるのはいったい誰か

 漠然としているが、大規模修繕工事には周期がある。30年ぐらい昔は都市伝説的な感じで10年と言われていたが、いまは15年ぐらいが目安か。

 正確な年数や確たる論拠は、今も知らない。だが人間の高齢化と同じくマンションの経年変化は必ず起こるから、それに対応する大規模修繕工事が避けられないことやそれにも対応できなくなる限界があることは今までのマンションの歴史ではっきりしている。

 相当の年数がたったマンションでは、これからもまだ大規模修繕工事を続けるのか、それとも建て替えを考えるべきなのかという選択を迫られる時期が必ずやって来ることを大半の人が頭に浮かべるようになっているはずだ。

 大規模修繕工事も建て替えも、総会で議決しなければならない。総会議決を単に手続きとして考えてはなるまい。これからも修理を重ねていくのか、それとも修理に見切りをつけて建て替えるかを、そのマンションと所有関係で関わりあう多数の人間がどのように思い描くかによって結論を出すべき課題なのだ。

 これは容易なことではない。《総会で決める》という手続きを意味する言葉の背後には、10数年を過ぎたマンションの光景の中でほかならぬ自分自身がどのようにたたずんでいるかを思い描く必要があるからだ。あまり気の進まぬ課題が、だんだんはっきり見え始めるよういになってくるのだ。

 こういう段階になった時、手続きの当事者は管理組合しかない。だが、その管理組合は、手続きの背後の光景をどう思い描いているだろうか。

 これから何十年かが過ぎて建物や居住者に放置できない経年変化が起こった時も、当事者は管理組合しかない。

 メンバーが一変している可能性は少なくないが、そうなっても仕組みの上では管理組合だけが依然として意思決定できる唯一の当事者となるのだから。

 今の制度はそう決めているのだ。 

| muraitadao | コラム | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える7】大規模修繕工事のたびに居住者の世代差が広がり管理組合組織は難しくなる

長い年数が過ぎたとき大規模修繕工事で気づくのは「何年たっても組織力が変わらない管理組合だけがマンション管理の主役を担えること」

 竣工してから同じマンションに住み続けてきたなどということは、もともとどうというようなことではない。まして、わざわざ公言するようなことでもない。

 だが、単純至極な生活感覚で《何年過ぎたら何がどう変わるか》を見つめ続けてきた経験からわかることがいくつもあるのも、確かだ。《マンションは年数がたつほどあらゆる側面が古くなっていく》ことは間違いないのだから。

 時間がたてば何でも古くなるというわかりきった話がマンションにも当てはまる以上、過ぎた年数分だけ建物は古くなって劣化し、住む人は老いて高齢化する。

 賃貸でも分譲でもまったく同じだ。

 ただし、ここからが違う。古び方に対応する仕組みが、賃貸と分譲ではまったく違うからだ。

 年数経過による資産価値の低下に対応する仕組みが「管理」であり資産所有者自身の課題だから、賃貸マンションと分譲マンションでは管理の当事者がまるで違う。

 賃貸マンションでは所有者が数社か数名という僅かな数だが、分譲マンションでは住戸ごとに所有者がいるのだから、管理の当事者はかなりの複数となる。加えて、そうした多数の当事者に共通の管理を一体の建物で実行しようという現実的な条件があるから、組織レベルで考えないわけにはいかない。

 こういう意味での管理が進められる建物はコンクリート建造物で長寿命だから、その管理も建物寿命に対応した長い年数を前提としたものでなければなるまい。

 マンションの寿命が50年とか60年に及ぶのに、管理の方はもっと短くてもいいと考えるわけにはいかない。

 マンションがある程度の年数を過ぎた時、そのあとは年月の経つまま荒れ放題になるのに任せて住居としての機能を失った無人の廃墟になってもいいとはいえないのだから。まして、市街地の一角で周辺エリアへの影響が一戸建て住宅に比べてはるかに大きいマンションが放置されて廃墟化することになれば無視できない問題となる。

※具体的な表示は控えるが、もう何十年も前から放置されたままの実例がある。

当の管理組合自身は自分の過去年数がわかりにくいのに維持管理の当事者にならざるを得ないという難しさ。でも、大半の人はそこに気づいていない!

 そうなってならないとか、そのためにマンションの管理が必要なこと、それこそが管理組合の役割であることを大半の人は理解しているはずだ。

 問題は、その先である。

 建物が長寿命なのだから管理も長寿命でなければ・・というところまでで、思考停止状態になってしまいがちだからだ。建物の長寿命を考えた後には「管理の担い手となる管理組合もまた長寿命でなければならない」というしごく当たり前のステップを思い受べるはずなのだが、どういうわけか、そこには思いが及ばない。

 管理組合を想定したマンション管理のイメージから時間的側面が抜け落ちてしまう実情があるからだ。自分が住んでいるマンションに当てはまる現実的な課題が当事者としての自分自身の重い課題になるはずなのに、そう思わない。

 思おうとしない、あえて気づこうとしないといった方がいいかもしれない。

 マンション管理が他人事感覚の話になってしまうのだ。

 うすうす気がついている人がいても、それを口にして語ることはめったにない。

 実際、43年住み続けてきたマンションの管理組合でそんなことを語る人に巡りあった記憶はないし、自分のマンションに限らず、いろいろな機会に巡りあったマンション管理分野の人からそういう論点を聞いたためしも全くない。

 こうして、長寿命のマンションを管理する仕組みに時間的な側面が欠かせない重みを持っていることが大半の人の頭に浮かばなくなっている状態のまま、今やマンションストック600万戸時代を迎えていることになる。

マンション居住の実態を把握して管理組合組織の本質を早く見直さないと過去の素性不明マンションがあちこちに続出する!間に合ううちに早く議論を!

 こうなる理由はあるし、手がかりもある。いくつかあげてみよう。

●マンションのイメージを一戸建て住宅の延長上で考える時期は、もう遠い昔のものとなった。一刻も早く生活条件を共有する集合住宅独自のイメージの把握を!
→いつまでたってもマンションを一戸建て住宅の集積体と考える昔ながらの単純なイメージがある限り、集合住宅独自の視点は生まれない。今のイメージのままでは3階建ても30階建ても30戸も300戸も変わらない仕組みの無意味さが解消しない。

●『住む』ための建物には『所有』のみでなく『居住』が最大視される前提でマンション管理システムを見直すこと!マンションを資産価値重視の経済財だけで考えるのでなく、物件ごとに固有の価値を持つ生活財として一体的に考える必要がある。
→マンションを所有という権利面だけで賃貸と分譲に区別する発想のままだと、マンションもホテルも変わらないことになる。マンションは「持って住む」のか「借りて住む」のかを前提とした管理を考えないと《マンションは損が出ないように10年で売り飛ばしなさい》といった本が売れ続けることになる。

●管理組合という組織の本質を基本的に見直す時期が来ている!管理組合を「区分所有者の団体」とだけ考える何十年も昔からの発想では、マンション巨大化時代の管理組合の組織の実情に対応できなくなるばかりだから。
→組織はメンバーの状況で実情が決まる。竣工当時のまま永遠不変の区分所有者などあり得ない以上、現在の区分所有原則だけで管理組合をとらえる素朴な視点ではとうてい組織実情に対応できない。在来のマンション管理をめぐる議論で感じる現実離れした一種のもどかしさは、この点に関係があるはずだと思う。

 今さら、年数経過に伴う区分所有者の交代や年数経過による区分所有者の高齢化などを持ちだすまでもあるまい。
                   ☆
 ブログで書くにしては、いささか大上段になった。これぐらいにしておく。

 ただ、ひとつだけはっきり言っておきたい。売買段階を過ぎて居住段階に入ったマンションの複雑な現状を関係者がもっと的確に確かめることが絶対に欠かせない。

 実情確認抜きの議論は、もういい。

 何も知らないことに気づかない人たちの議論は、もう聞きたくない。

| muraitadao | コラム | 10:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
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  • マンガ説明入りの規約解説本があってもいいじゃない?でも実際には簡単にいかないけどね
    マンション管理士情報ナビ (05/27)
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  • 女児マンション転落事故のニュースが浮かび上がらせたこと:どこのマンションでも同じことが起こる可能性にどれだけの人が気づいているか
    MANSIONS-COMMUNITY blog (04/15)
  • 「億ション」は最高が1億円なのか、最低が1億円なのか、それとも・・・:管理の基本原則は何億円でも関係ないが
    マンション展望 (02/16)
  • 「美しい国」で、これ以上「美しくないこと」が起こらないように:もっと集合住宅に住む不安を減らすための議論を
    マンション展望 (12/01)
  • 8年前の2月、国会でマンション管理をめぐる史上初の議論が行われた。そして、昨日の朝刊には・・・
    NONブログ (11/27)
  • 書名は買い手にとって本のすべて。本の名前と内容はなるべくなら、あまり違わない方がいいと思うのだが・・・
    高層マンション (08/27)
  • 新しい住宅が建たなくなったというニュースの怖い連想:暗い窓ばかりのマンションが思い浮かぶ・・
    マンション展望 (08/25)
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