村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 22】大規模修繕工事調査の新聞記事を読んだ複雑にして屈折した感想

大規模修繕工事費が割高だから注意・・・という見出しの朝日新聞記事はいったい何を伝えたかったのか・・・

 5月12日(土)の朝日新聞朝刊一面のトップに出た記事の見出し。『マンション修繕 割高に注意/75万〜100万円 最多31%/国交省調査』。

 朝刊の一面トップ記事にしては、短くて簡単な記事だった。前文が6行、本文は2段でほぼ全50行。グラフも写真も全くない。記事だけ。

 34面にも次のような関連記事が出ていた。

 『修繕過大見積もり横行/マンション工事 コンサル、見積もり求め』

 こちらは4段で、全文ほぼ90行。別枠に「大規模修繕工事に関する相談窓口」が簡単な形で出ているが、一面同様、こちらもグラフや写真は全くない。

 記事の内容は国交省が発表した大規模修繕工事の実態調査の紹介だが、めったにメデイアが目を向けないマンションの、それも大規模修繕工事の関連情報をわざわざ大きく報じた意味がよくわからない。

 朝日以外の新聞が伝えたのかどうかを見れば何かわかるかもしれないとネットで探してみたが、探し方がわるかったとみえてまったくわからなかった。

 テレビの取り上げ方もわからない。NHKのニュースはいつも気をつけて見ているつもりだが、この調査のニュースはなかったような気がする。
                   ☆
 新聞やテレビのニュースがマンションのことを伝える機会自体がめったにないし、たまに流れるニュースも超高層マンションの売れ方のような市場動向が中心で、売れたあとの管理面の実情が伝えられることはもう滅多にない。まして「マンション修繕」などという字が朝刊一面のトップに出るなどとは夢にも考えたことがなかった。だから、正直、びっくりした。

 でも、読んでみて、いたく失望した。

 単純に国交省の調査結果を紹介するだけの記事だとしても、調査の内容を知る手掛かりとなるグラフや表が全然ない。この調査を大きく取り上げた意味が記事の文章だけではわからない。それほど長くもない記事の文末には「管理組合自ら監視を」という見出しで「住宅問題に詳しい・・・」何とかいう弁護士の話が添えられているが、この弁護士の話が記事の伝える内容とどう関連するのかもよくわからない。

国交省発表の調査本文を見てよくわかった。調査をした国交省やその結果を伝える朝日の認識レベルが・・・

 何回読んでもわからないことだらけでどうにも落ち着かないので、国交省のサイトからプレスシートを探し出した。それでやっと調査本文を見つけて、どうにか、このニュースの本質がわかった。

 記事が取り上げた調査は「マンション大規模修繕工事に関する実態調査」という国交省の調査で、大規模修繕工事の注文を受けた受注者側に工事金額、工事内容などを尋ねた結果をまとめたものである。大規模修繕工事は管理組合が発注するのだが、その意味で唯一の当事者である管理組合がまったく調査の対象となっていない。

 「アンケート調査の概要」には「・・・大規模修繕工事に関する設計コンサルタント業務の実績を有する企業」が調査対象だと書かれている。2352社に配布したアンケートを134社から回収したとあるから、回答率は5.7%ということになるのだろうか。
                   ☆
 それだけのことがわかって、あらためていくつかの感想が浮かんだ。

 まず、第一は、今や600万戸をはるかに超えるマンションが維持管理面で最大の課題となるのが大規模修繕工事だと昔から言葉だけは何度も語られてきたのに、やっと実現した実態調査がこの程度の調査内容だったかという失望である。

 何よりも、大規模修繕工事に直面して苦しむ管理組合の実情がまったく調査対象となっていない。管理組合にとって、大規模修繕工事は計画立案から総会可決までの長い長い過程が大変なのに・・・。

 第二は、そうした基本的な点についての視点をまったく欠いたまま中途半端に記事化した朝日新聞への失望だ。いったい何に着目してどういうことを伝えようとしたのか全くわからない。

 のみならず、記事の伝え方を見ると、伝えようとしている記者が大規模修繕工事について基本的な理解が十分でないのではないかとさえ感じる。よくわからないまま投げ込み資料だけで記事を書いた記者はさぞ苦労したことだろう。

 そして、第三。こんな中途半端な形で流れる情報が、ただでさえ無関心で放置状態のままストック戸数だけ増えていくマンションの林立状態にもたらす意味の不安だ。

 新規物件が大規模化・超高層化しながら都心に集中していく一方で、小規模・低層の老朽化したマンションが建ち並びながらストック戸数が600万戸をはるかに超えるという不安である。

法律論第一で明け暮れてきたマンション管理の議論の現状をこれからどうするのか。行政は、メデイアは、学界は、業界は、そして居住者は・・・

 もう何十年も繰り返してきた感想をまたしても繰り返すことになるのだろうか。

 時間が経てば、何でも古くなるというわかりきったことがマンションでも例外でないことに誰もが気づいていながら、いまだにマンションを区分所有するという権利の有無だけを過大視して維持管理を考える発想を一体いつまで続けるのか。

 マンションは《住む》ための建造物であり、《持つ》ことだけでは居住のための建築物である本来の機能を確保する維持管理ができないということが、いつになったら公認されるのか。

 マンションについて法律の視点は欠かせないが、それは個人レベルの一戸建て住宅をとらえる感覚の延長上ではなく、もっと集合住宅独自の発想に基づくものであるべきではないのか。

 維持管理の唯一の当事者となる管理組合を権利者集団としてみるだけで生活者集団としてとらえる感覚が、いつになったら公式に成立するのか。
                   ☆
 築後45年目を迎えた600戸のマンションに住み続けて、3回目の大規模修繕工事がわってまだ数か月。

 今さら、こんな感慨をブログに書くことになろうとは思わなかった。
                   ☆
 何だかむなしくなった。

| muraitadao | コラム | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 21】昨日までの過去が誰にもわからない状態で今日のマンションを管理できるのか

竣工以来住み続けてきたマンションへの追憶が古い記録資料をどうしても捨てさせない。このこだわりの正体はいったい・・・

 いま悩んでいる問題がある。

 80歳代後半も残り少ない自分の状況を考えて、しばらく前から時間をかけながら雑多な資料などを整理し続けている。生来のこだわり症のおかげで、自分が関わってきたことについての記録やメモがたまりにたまっているが、このまま残し続けても意味がなくなるのは間違いないという自覚は年ごとに強くなる。

 だが、いつまで経っても手をつけられなくて、今も残っているものがある。

 竣工したばかりのマンションに住み始めたころや管理組合発足前後のことを書いた記録やメモなどだ。44年も前だから鮮明でないものが多いし、B5やA4でサイズも縦横の向きもバラバラ。管理組合誕生前で入居者有志の手書きメモもあれば、管理会社の不愛想極まる文書もある。名簿には後日、知名度の上がった人の名前も出ている。

 手に取っては目を凝らし、きりもないほどのことを次から次に思い出す。

 いっそどこかから強い風が吹き込んできて色あせた紙の山を吹き飛ばしてくれたらいいのに・・・と八つ当たり気味に思いながら、結局は捨てきれぬまままた元へ戻す。

 もう、こんなことを何回繰り返してきたことか。
                   ☆
 今さら、こんな感想が浮かび上がる理由がある。

 この資料を捨ててしまえば、このマンションの今までの様子がわからなくなってしまうではないか。全600戸の中の一居住者として書きとめてきた記録は所詮600分の1の価値しかないとよくわかっているが、それでも、まあ、それなりの価値はあると思う。

 それに、管理組合の一員として関わってきた時のメモなどは、いま思えば物足りなさがあるものの、11階建て4棟600戸のマンション全体をただ一途に考えながら最初の大規模修繕工事の取り組みも進めてきた。

 手がかりもない中で管理規約の改正もすませた。

 マンション管理センターや今の管理会社もまだ生まれていなかった時代だった。

 闇夜の手探りに似た心境で進めてきたことが次々に思い浮かぶ・・・。

この記憶を共有する仕組みがないマンションでは過去のことがどんどん闇の中に消えていってしまう。それが怖い!

 竣工時からの居住者はもちろん何人かいるが、少なくなった。年老いて一人暮らしの人や病臥中の人もいる。管理組合の一員としての存在感は日に日に薄らいでいく。

 竣工時からの居住者は、今やイリオモテヤマネコと同じ絶滅残存危惧種である。

 当然ながら、管理組合の動きは居住歴の短い人が中心となる。

 こんなに古くなったマンションなのに今でも中古物件としての手ごろ感があるとみえて入居者の入れ替わりは今も続いているので、管理組合運営の中心はこれからもさらに変わっていくだろう。

 管理会社も竣工時のデベロッパー系の会社が旧財閥系大デベロッパーの子会社に変わった。今の管理会社の母体ができたのは最初の大規模修繕工事よりも後だから、この大規模マンションの過去のことを知る人が現在の管理会社にいるはずもない。
                   ☆
 マンションはコンクリート造だから、長寿命だという。

 でも、それは物理的な意味での建造物寿命だ。その意味では、マンションもホテルもオフィスビルも同じである。

 マンションがホテルと違うのは、多くの人間が生活条件を共有しながら住み続けるという点にある。この条件が確保できなくなったらマンションはホテル化して、もうマンションではあり得なくなる。

「時間の経過に伴う劣化対応の視点が管理の本質である」ことを忘れたら空疎な法文解釈だけが残る。とすれば、今のマンション管理は・・・

 すべてのものは時間の経過とともに劣化していく。マンションも例外ではない。建物の劣化や住む人間の交代などの変化が避けられないマンションでは、そうした時間経過への対応がとりわけ重みを持つ。

 だからこそ、マンションでは管理が存在価値を左右することになる。そのことは、昔から気づかれていた。ただし、理屈の上では・・・。

 「管理が重大な意味を持つ」のは《誰が管理を担うのか》という意味になるが、もっと詳しく言えば《管理の当事者になるのは誰か》という意味になる。

 だが、この点を考えると、現在のマンション管理の考え方は明らかに理屈倒れになっていると言わざるを得ない。

 『マンションは管理を買え』などと大真面目にいう人が今もいる状態が、まぎれもなくそれを物語っている。管理は「買う」とか「売る」とかいうものではないのだ、自分自身が「する」ものであって、自分がやらないまま金を払って誰かに「やってもらう」ようなものではない。

 こんなわかりきったことを棚に上げるとマンション管理は他人事になってしまい、当事者がいったい誰なのかがわからなくなってしまう。
                   ☆
 時間経過への対応という視点は、これまでにも中途半端な形で、あるにはあった。

 マンションをあくまでも個人資産として考える視点がそれだ。だが、個人資産中心として考えるマンションは専有部分・住戸中心のとらえ方になり、大きくて複雑な建物であるマンションの全体像は見えにくくなってしまう。全体像の認識が薄いから超高層物件も低層物件も、大規模物件も小規模物件も同じような原則で管理を考えることになってしまう。
                   ☆
 いまだに標準管理規約に示されるマンション管理の原型には、時間経過への対応を考えた組織原則も実務処理イメージも示されない。維持管理の唯一の当事者組織である管理組合のイメージも相変わらずで、多様化したマンションの類型に対応した方向がいまもって示されていない。
                   ☆
 良くも悪くも、管理組合の実情はこうした認識状態をそのまま反映する。過去の経過への対応を公式の仕組みが何も考えていないのだから、当事者能力の弱い管理組合がいちいち過去のことを気にすることもない。

 来年になれば、また新しいメンバーが考えてくれるだろう。

 過去のことに今さらこだわっても仕方がないよね・・・。
                   ☆
 そんな声が聞こえてきそうな気がする。
 

| muraitadao | コラム | 08:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 20】「えん罪弁護士」ではビジネスモデルが成り立たない?マンションではどうか

大抵の弁護士が敬遠する分野があるって?やっぱりね・・・

 4月15日夜のNHK・BS1で「ブレイブ 勇敢なる者“えん罪弁護士”・完全版」を見た。2年ぐらい前の放送で大反響があったものに未放送分を加えて再構成したという。間にニュースが入ったのを除いて100分の長編ドキュメントである。

 有罪率99.9%という実態があって弁護士が無罪をかちとるのはせいぜい1件ぐらいしかないという中で、一人で14件もの無罪判決を実現してきた今村格さんという弁護士がこのドキュメンタリーの主軸になっている。

 昨今の弁護士に多い多弁ぶりと対照的な人柄がにじみ出る感じで、十二分の見ごたえがあった。

 その満足感は別として予想外に興味があったのは、今村さんを語るほかの弁護士の話だった。

 子細な言葉をメモしたわけではないが、こんな意味のことを語っていた。《普通の弁護士なら、今村さんのような仕事はしない。刑事事件を手がけて無罪判決を獲得するのは経済的なメリットがなくて、とても割が合わないからだ。こういう仕事の仕方では弁護士としてのビジネスモデルが成り立たない》。

 弁護士という職業について昔から薄々と感じていたことが、いとも率直にあっけらかんとした感じで語られていた。ちょっと驚くほど率直な語り口だった。

 いつもテレビのニュースショーやバラエティに訳知り顔で出てくる常連の弁護士たち。お笑い芸人とひな壇で笑いながら肩を並べる弁護士たち。いったいこの連中はプロとしての本業である弁護士の仕事をいつしているのだろうかと、かねがね疑問を感じていたからだ。

 限られたエネルギーと知力を集中して投入し、時としては調査費用を自弁してまでかかりきった刑事事件が無罪になれば辯護士としての目標は確かに実現するが、手に入る報酬がそれに見合っているかどうか。

 そんな割の合わないことに時間を費やすよりもテレビのコメンテーターとして適当なことをしゃべっている方がはるかに報酬が多くてはるかにトクだと考える弁護士は多いだろう。

 ゲスの勘繰りだろうか。

適正化法ができたとき若手の弁護士がマンションの勉強会を開いていると聞いて思わず首を傾げたっけ

 何となく10年以上前のことを思い出した。マンション管理適正化法が登場して間もなかったころだ。

 マンション管理の分野では知られた弁護士と雑談をしていた。その時、彼はこうつぶやいた。「適正化法が登場したものだから、この頃になって、急に、若い弁護士連中が勉強会なんか始めましてねぇ・・・」。

 “やれやれ・・”とまでは言わなかったが、表情は明らかにそんな感じだった。

 首都圏ではないある政令指定都市の実情をめぐっての雑談だった。

 こちらは少し驚いて《今さら勉強会なんかしなくても、若い弁護士ならおよそのことは知っているでしょうに・・》と応じたが、何だか話しづらくなってきて、すぐ話題を変えた。

 かねてからマンション管理に詳しい弁護士が本当に少ないと感じていたのは確かだったし、《やはりね・・》という感じになりそうな自覚があったからだ。

 実際、マンションの管理は収益至上感覚の弁護士だったら、まず積極的に取り組む分野ではあるまいという思いは、もうずいぶん前からあったのだ。何しろ持ち込まれる話が厄介だし、経済力はないし、管理組合も管理会社も組織の実情がつかみにくいし、いったい当事者が誰なのかがわかりにくいし、あれやこれやの事情が重なって弁護士に敬遠されても仕方がないとは思っていたが・・。

 しかし、一方では、弁護士たちと話し合う機会に複雑で戸惑う気分に満ちたことが多かったのも否定できない。

 法律の言葉だけでマンションがわかるという勘違いをしている弁護士が気になることがあまりにも多かったからだ。世の中の複雑さといささかも変わらないマンションという世界を語るには、あまりにも実情を知らなさすぎる・・・。

 六法全書は確かに欠かせないが、漢字の言葉だけで書かれた法律の言葉だけではとてもとても・・・。

「虫歯から水虫まで病気は何でもござれ」という医者がいないのと同じことが弁護士にも言えることを管理組合はもっと知っておく方がいい

 この実感が強くなってから、セミナーなどで繰り返すようになった言い方がある。

 《マンションには大勢の人が暮らしているのだから、管理組合が物事を決めようとすると、人の数だけ意見が分かれるという事実に必ず直面する。だから、この厄介な事実に向かいあうと法律などのルールが命綱になるが、その法律を使いこなす時には弁護士などの知恵が必要になることが多い。

 その弁護士を探す時には医者を探すのと同じ考え方が役に立つ

 病気になって駆け込む医者はどこの誰でもいいわけではない。病気によって診療科目が分かれているからだ。

 その点では、弁護士と医者も変わらない。医者の診療科目と同じように、弁護士も専門分野が様々に分かれている。弁護士にも会社紛争や相続問題など手がける専門分野があるから、マンション管理の場合も管理組合に特有の実情などがどのくらい通じるかを見極めながら弁護士を選ぶ方がいい》。
                   ☆
 セミナーに限らず、執筆原稿などでもこの考え方を繰り返すようになった。

 この考え方について、苦情や疑問にぶつかったことは一度もない。

だがマンションに詳しい弁護士が少ない実情は今も・・・

 しかし、実際のところ、この言い方は当面の説明方法に過ぎない。

 医者選びと同じ感覚で弁護士を選ぼうとしても、求めるような弁護士にめぐりあえるかどうかは別の話だからだ。

 病気に苦しんでいる人が求め続けてきたドクターに必ず出会えるとは限らない。いくら探しても見つからないことはよくあるものだ。

 《探している専門医がいるかどうか》は、探し方の問題と違うからだ。もともといないのだったら、いくら探し方に丹精を凝らしても見つかる筈がない。

 高齢化や老朽化といった手に負えない事態に苦しむ管理組合が頼れる弁護士を探す場合にも、どことなく似た感じはないだろうか。
                   ☆
 《刑事事件のえん罪弁護士ではビジネスモデルが成り立たない》という理屈や感覚は、マンション管理の分野では全く無関係だろうか・・・。 

| muraitadao | コラム | 12:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 19】「記憶がない」「文書がない」状態のマンションにどんなことが起こるか

連日、同じようなニュースを聞きながら感じるこの不安がマンションの過去への連想を呼び起こすと・・・

 何かを聞かれて「記憶にない」と答えるケースが毎日のように流れる。

 かと思うと、文書が「ない」とか「あった」とか、同じような、しかし、同じではないようなわかりにくいニュースも交じって、もう、うんざりする。

 こういうニュースに出てくるのは役所や役人のことだが、同じことがマンションで起こったらどうなるか。過去のことを確かめたいときに、記憶している人もいなければ手がかりになる文書もないなどということになったら、どうなるのか。

 こんなことが頭に浮かんでも、それを必ずしも一概に「あり得ない」と打ち消してしまえない気分になるのは否定できない。

 気になる。とても気になる。それだけの理由があるのだ。

 まず第一。マンションは長寿命の建物だと言われるが、それは建物の物理的な年数の話だ。住む人の方は入れ替わるから建物の寿命と居住年数が一致しない。一致したとしても人間の記憶はあいまいになりやすいから、信頼度が薄くなる。記憶する人の個人差もある。

 第二。マンション全体についての過去は個人レベルの区分所有者ではなくて管理組合という組織レベルの課題になるが、現実の管理組合の運営体制や仕組みにはそうしたことへの視点がまったくない。

 竣工後30年を超えるマンションストックが多くなるこれからを考えると、過去の記憶があいまいになりがちなマンションが増えそうな気がする。見たくないものから目をそらせないような不安な感じで浮かびあがってくるのだ。

 大抵の管理組合は現状への対応に精いっぱいで、それ以上のことに取り組む余力がないと思われるのだが、どうだろう。

 管理会社はどうか。どの管理会社も自社の企業的次元の限界があって、とてもではないが過去のことに対応するにはいくつもの限界がある。

 こう考えてくると、マンションの過去は管理組合にも管理会社にも記憶や文書などの手がかりになるものが見当たらなくなる一方だ。

 この言い方が思い当たらないマンションはあるだろうか。

マンションに住む人は誰もみんな忘れっぽいが、マンション全体のことになればそう簡単には割り切れない

 もともと《忘れっぽい》とか《記憶があやふやになる》ということ自体は、個人レベルの話だ。一人ひとりがどれほど忘れっぽくても個人の問題にとどまるが、その個人の立場や関わり方によっては必ずしもそうとばかりは言えなくなる。

 忘れてはならないこと、記憶しておくべきことの内容によっては個人レベルの問題として割り切ってしまえなくなるからだ。
                   ☆
 長年マンションに住んできた今、つくづく実感することがある。

 これまでの暮らしは4棟全600戸の中の一居住者としてだったのだから、自分の住戸の中でのことはどこかでマンション全体と関わっていたことは間違いない。

 今月で44年になるマンション暮らしは、その意味で、マンション全体のことに必ずどこかでつながりながら送ってきたことになる。

 でも、だからと言って、今もすべてのことをつぶさに記憶しているわけではない。3回の大規模修繕工事など管理組合にも関わってそれなりに苦労してきたはずなのに、実際には記憶が薄らいでしまったことばかりだ。

 先日、資料などの整理をしていて、そのことをあらためて実感した。

 メモや議事録など《書いた記録》という文書が忘れっぽさから逃げられない記憶回復の手がかりになることを今さらながら再確認した。

 全600戸で居住経験を共有している人は、40年以上も経てば、もうそんなには住んでいない。だから、記憶があいまいになったり、文書もなかったりしたら誰かに聞くしかないが、そんな時に当てにできる人はもう多くはい。
                   ☆
 いつかは、こういう日がくるだろうと思っていた。だから、手元にある記録資料は、そういう予感めいた気分で作ったものばかりだ。

 管理組合としての記録文書は正式に決まったことの記録だけで、決まるまでのプロセスは公式文書にも残されていない。

 管理組合という世界は、何であれ《物事を決めるまで》が大変なのに・・・。それなのに、公式の手順や文書にそうしたことを示唆することがまったく示されていないのだ。

どのマンションにも固有の言葉がある。そのマンションだけの言葉や考え方が・・・。あとになってからわからなくなるかもしれない言葉が・・・

 手元にある文書を見ていると、いくつものことが思い浮かんでくる。書かれていることに対応する記憶がまだこちらにあるからだ。《書いてあること》と《思い出すこと》とが、このマンションに住んできた経験による記憶を媒体として結びつくわけだ。

 逆に言うと、ここに住んできた経験がなければ、こうならない。

 マンションで過去のことについての記憶とか文書といったものは、結局のところ、すべてこんなふうにそれぞれの物件固有の意味を持つものになっていく可能性があるのではないか。

 もっと突き詰めて言えば、そうした記憶も文書もそれぞれのマンションだけに固有の考え方と固有の言葉で成り立っているような気がしてくる。
                   ☆
 あらためて気がつくのだが、マンションはそれぞれ物件ごとに固有の空気を持つ世界ではないのか。その固有の空気が住んできた人の記憶やそれまでの年月にわたって管理組合が残した文書にとどめられていれば、そうした形で示されるそれぞれのマンションの個性はこれからも続いていくはずだと思う。

 マンション固有の住みよさは、そういう形で確保されると思うのだが。
                   ☆
 竣工後30年以上になるマンションは、それなりの数になるはずだ。そういうマンションでは、間に合ううちにこうしたことに手をつけておくほうがいいいのではないか。
 こんなこと、公式のマンション管理方式にはどこにも出てこないことだが・・・。
 

| muraitadao | コラム | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 18】大規模修繕工事は「ウチの管理組合」に自分も関わっている自覚のバロメーター

「わかっている」から「動く」とは限らない。住む人次第で違う。だから、管理組合の実情も・・・

 マンションに何十年も住んでいると、大抵の人の理屈の理解と生活実感がずれていることに気づく。

 平均的な常識を持っている人なら、誰でもマンションライフの理屈は一応それなりに知っている。マンションの住みよさを支えるためには維持管理が最大の柱になるものだとか、それを支えるのは《こういう考え方》や《こういう仕組み》であり、そのために《こういう法律》があるのだとかいうことを誰でも心得ている。

 しかし、実際上、そうした理屈は、何百戸、何十戸もある集合住宅の一角で暮らしている一個人としてわかっているだけにとどまる。はっきり言えば、どんなにすばらしい人であろうと、マンションでそういうことをどれほど正確にわかっていても、事実上の意味が何百分の一、何十分の一の立場を超えることはできないのだ。

 わかっていることが期待通りに実現するかどうかは、同じマンションに住む自分以外の人も同じようにわかっているかどうか次第だが、そこは何ともわからない。

 だから、自分が《わかっている》ことは実際のところ一人だけでは何も意味が完結しないことになる。

 マンションの維持管理は、《理屈を理解した個人》がどのくらいの割合で住んでいるかを事実上の前提とした時にはじめて実現するといえる。

 そう考えると「維持管理の主体が管理組合だ」というのは、あくまでも言葉の上の理屈に過ぎないことがはっきりする。

 現実の管理組合の様子は“区分所有権を持つ個人が区分所有者となる”という言葉で書かれただけの理屈の意味をきちんと理解した人が多いか少ないかで、よくも悪くも決まる。この理屈を理解している個人が多いマンションなら管理組合は組織力が充実するし、逆に、少ないマンションでは管理組合は名ばかりの存在となってしまう。

 この状況は、同じマンションであっても時間の経過によって間断なく変わる。建物が長寿命でも居住者はいつも入れ替わるし、そうでなくても同じ居住者は住み続けながら確実に高齢化していくからだ。同じマンションで、ある時期は居住者の意識レベルが高くて管理組合の存在感が大きくても、何年かが過ぎてしまうと、そうした居住者の入れ替わりでこの状態が逆転してしまうことは珍しくない。

 念のために付け加えれば.わざわざ《わかっている人》とだけ書いて「区分所有者」という言葉をあえて避けたのは、マンションの実態を左右する管理組合の実情は区分所有者ではなく四六時中生活している生身の居住者次第で決まるからである。
44年の実感で確かめた言葉でいま語りたい!「マンションは建物が長寿命でも人間は違う」ことを

 これは、竣工時から同じマンションに住み続けてごく自然に生まれてきた実感だ。マンション管理の考え方や取り組み方を言葉でいくら理詰めに説明できても、《いまウチのマンションにどんな人たちがどのくらい住んでいるか》という事実にはかなわない。管理組合のあるべき姿や建前を現実に左右するのは、法律の言葉ではなくて《何歳ぐらいの、どんな生活をしている人たちが何人ぐらい住んでいるか》という目の前の実情なのだ。

 区分所有法とか標準管理規約とかいうのはよく知らないが、マンションにはルールがあってその中身までは目を通したことがないものの、管理組合がそのルールを動かしているらしいぐらいのことは誰もが承知している・・・。

 何ともあいまいだが、600万戸を超えるマンションに住む人たちは大抵こんな感じだろうといったら言い過ぎだろうか。

 要するに、マンションに住んでいる「普通の人」のイメージをどう考えるかという話なのだ。どんなマンションでも見かけるはずの「普通の人たち」をどんなイメージで思い描くかということが具体的なマンション管理の進め方を決めることになる。

 厄介なのは、この状況があいまいである一方で、理屈のわかり方や考え方にはかなり大きな個人差がある点だ。

 同じ言葉であっても理屈と実感が個人差を反映しながら大きくずれていて、「わかっている」からその通りに「動く」とは限らないという面倒くさい状況が生まれる。しかも、その状況はそれぞれのマンションに住む人たちの属性によってかなり違ってくる。

 この点については際限がなくなるからこれ以上のことは書かないが、一つだけはっきり書いておきたいことがある。

 それは、分譲マンションに住んでいながら外ならぬ我が身が管理組合のメンバーの一人であることに思い至らない人ほど「わかっている」ことと「動く」ことのずれ方が大きくなりやすいという点だ。だから、ずれている人の場合、いつも管理組合の話が他人事になる。

 厄介なのは、こうしたずれの原因が年齢や仕事に始まって性格や家族像、経済力、居住歴など個人差によって千差万別の広がりを持つ点だ。

管理組合の理解度は関わり方の自覚で決まる。管理組合をわが身との関わりで考えるか、それとも・・・

 この広がりは、同じマンションであっても時代が変わるとどんどん変わっていく。

 同じマンションに住んできて、そのことが実によくわかった。

 44年住むうちに、いろいろな機会にできたいろんなマンションとの縁で、この実感はますます強くなった。

 これまでに関わってきた3回の大規模修繕工事は、それを嫌になるほど痛切に実感させた。管理組合の当事者能力を持ちこたえていく道のりの容易でない実感は、大規模修繕工事の回を重ねるごとに大きくなっていった。

 しかし、そんな中で回を重ねるたびに強くなっていった実感がある。それは、大規模修繕工事に限らず管理組合の当事者能力を決めるのは、結局のところ一人ひとりの居住者自身が管理組合への帰属感をどの程度に持っているかという点が最大のキーポイントになる点だった。

 この4月で同じマンションに住み続けた年月が44年目になった。これは、そんな感慨と一緒に浮かび上がってくる実感である。

| muraitadao | コラム | 04:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える 17】大規模修繕工事を目前にわかった。管理組合には自分の知恵と工夫が要ることが・・

マンション居住44年目前で今さらわからなくなってきたこの実感・・・

 分譲マンションを買って住めば、そのまま管理組合のメンバーになる。43年前にそうなった。

 初めは、居住実感と矛盾なく納得できる仕組みだと思っていた。

 だが、この納得感に陰りがただようようになったのは竣工後の年数がたって10年近くなったころからである。

 最初の大規模修繕工事を実行する段階に差し掛かったとき、現実の管理組合の役割がこの仕組みではすっきり説明できないことがいくつもあると気づいたからだ。

 今でも覚えている・・・。管理組合と関わるきっかけになったころのことを。
                   ☆
 管理組合に力を貸してほしいと言われたとき、正直に言って、あまり気が進まなかった。

 このころ、雑誌や新聞に住宅全般の論議や問題提起の原稿を書くのにとても忙しかった。住宅ローン関連の原稿も、ずいぶん書いたものだ。

 そんな時期でマンション関連分野の人との接触も多かったから、ようやく普及し始めたマンションという世界の実情を聞く機会もたびたびだった。自分自身もマンションに住み始めてからそれなりの年数を過ぎていて、この世界の実情を知りたい気持も強かったから。

 しかし、実際には、マンションを買って住み始めたあとの様子については何もわからないことばかりだった。よくわからないが、何となく厄介な世界らしいという程度の認識がいつもの印象だった。

 《住宅のプロ》と呼ばれるような人たちも、みんなそうだったと思う。

 だから、普通の人よりも住宅との関わりが大きいはずの人たちと話していても、マンションの話題を持ち出して、やれ管理組合がどうだとか大規模修繕工事で面倒だなどという話になると、微妙に通用しにくくなることが普通だった。

 うっかりすると、話が白けた感じになってくることもあったような気がする。

 いずれにせよ、マンションの管理組合とか大規模修繕工事という言葉に何となく特有のわかりにくさや触れたくない重さがあったのは否定できない。

 そんな時代だったから、自分の住むマンションで管理組合に協力してほしいという声をかけられた時も、あいまいな対応を重ねていたのだ。

 でも、何回目かに声をかけられたとき、気持ちが固まった。

 11階建て4棟600戸のマンションにこうして住んできたのだから、集合住宅居住者の一員として600分の1の役目が自分にもあるのは間違いない。だから、その役目について、これまでおよそのことを知っているつもりで書いたり話したりしてきた。そのことを改めて考えざるを得なくなったのだ。

 分かっているつもりで語ってきた役目を今度は自分自身が確かめる機会が、いま目前に来ている。それなのに、何度も声をかけられてこれ以上もう黙っているわけにはいくまい。

 自分の中にもう一人の自分がいて、そうつぶやく声が聞こえてきた。・・・

やがて「マンション管理暗黒時代」の始まりを確かめる日々が始まった

 今にして思えば、一種の義務感があったような気がする。もともと、そういう考え方になる自分の性格をいつも自覚していたという事情もある。

 いずれにせよ《目前の課題をどうしたらいいか他人に説明できる程度にわかっているのなら、逃げずにそれを自分自身で確かめてみるべきではないか》という気持があった。

 口に出して何かを言うなら、その分だけ何かすべきだ。動きもせず、何をするつもりもないなら、いっそ黙っている方がいい。・・                   ☆
 やがて、こうした呼びかけで気持が固まった人たちが10人足らず集まった。でも、腹を決めたといえば聞こえはいいが、その先が、もうたいへんだった。

 何しろ、この時代にはマンションという分野に関わる感覚が行政にも学界にも業界にもマスコミにもあまりなくて、どの分野にも当事者意識がなかったから、現実に対応できる情報が本当に少なかった。マンション管理センターもまだなかったし、区分所有法とか何とかいうマンション関連の法律があって、初めての大改正があったらしいという話もどこかで聞いていたが、その法律を読んでもやたらにまわりくどくて難しいだけで、大規模修繕工事を目前にした管理組合が今すぐ知りたいことは、何もわからない。

 聞き覚えた《大規模修繕工事》という言葉を使って議論はするものの、現実の問題として《ウチのマンションのどこを、いくらのお金で、どういう修繕をするのか》という肝心のことになると、もう誰もわからなかった。

 未経験の難題でもできるだけ早くどうするかを決めなければならないのに、途方に暮れるほど何もわからない。参考書もない、雑誌にそうした記事が出るわけでもない、セミナーや講習会などはまったくない・・・。

 情報不足どころかゼロ。何も手がかりはない。意気込みだけを頼りに進むしかないマンション管理暗黒時代を実感する日々が、こうして始まった。

プロジェクトチーム方式を思いついたのが専門委員会づくりに結びついた

 だが、600戸のマンションの大規模修繕工事の実行にはけっこうな日数がかかる。それなのに管理組合の理事会は毎年全部が変わってしまう。これでは、いつまでたっても進みようがない。今まで、それを理由にして見送ってきた大規模修繕工事だが、劣化の実情は誰の目にももう先送りが難しいことを示していた。

 でも、どうしたらいいのか。誰が、どこから、どんなふうに手をつけたらいいか。何よりもこの点が何とかならないと大規模修繕工事実行の目途がたたない。
                   ☆
 この難題を話し合っているうちに、ある人が勤務先の会社で特別な課題への取り組みがプロジェクトチームを作ったおかげで目途がついたという話を持ち出した。

 東京オリンピックから10年以上が過ぎていたが、バブルはまだもう少し先だった。ドラッカーとかトフラーとかいう名前を口にしながらアメリカ経営学ブームを語る空気が大企業にあって、実験的な取り組み方がよく話題になっていた。プロジェクトチームもそんな話題の一つだった。

 法律などの漢字だけの抽象的な仕組みではどうにもならない大規模修繕工事という難題に頭を抱えていた私たちにとって、この発想は新鮮だった。
 今すぐ取り掛からなければならないことに直面していた40歳代のメンバー10人足らずにとって、この発想にはまさに天啓に似た響きがあった。

 たたき台づくりに専念できるチーム編成の提案に、理事会が一も二もなく賛成だったのはいうまでもない。

 法律やいろんな仕組みにはない独自の知恵と工夫で生まれた取り組み方だが、何よりも《当てにされている》という実感が、10人近いメンバーの支えとなる日がこうして始まった。

| muraitadao | コラム | 05:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える 16】管理組合は今も昔と同じ家族イメージのままで存在感を実現できるのか・・

マンションごとの「住む空気」はお互いの居住者属性でわかるのだが・・

 いま住んでいるマンションは総戸数約600戸。11階建てが4棟。だが、どの棟の郵便受けにも名前を出していない住戸がかなり多い。

 でも郵便受けの横には居住者表示板があって、ここに住戸番号ごとの姓が表示されている。空き室でない限り、これをみると少なくとも住戸番号ごとに姓だけは確かめられる。

 そこで、先月5か所の玄関でこの居住者表示板を子細に確かめてみた。

 築後40年を超えたマンションに住んできたが、今では住む人の顔ぶれがすっかり変わってしまった。加えて、この数年、同じマンションの棟に親子で住む住戸が増えたらしいことをよく聞くようになった。

 こんど思い立ったこともそんな実情を確かめたいというだけの単純なきっかけだし、姓を見ただけでわかることなど、もともといくらもない。それに、居住者はたえず入れ替わる。引っ越しらしい様子を目にするのは日常茶飯のことだもの。

 だから、手間暇かけてせっかく居住者表示板の姓を確かめてみても骨を折って調べた結果がまたすぐ変わってしまうことは、やる前からはっきりしている。こんなことをやっても変わり続ける居住者実態の時間の一断面がわかるだけに過ぎない。

 間違いなくそうは思うのだが、反面、やってみれば今まで漠然としていた居住実感をはっきり確かめられることがいくつもある。

 第一は、築後年数の経過とともに変わってしまったマンション特有の空気、つまり住みながら良きにつけ悪しきにつけて感じる居住感は居住者属性の現状をいくらかでも見極めればわかること。マンションでは住んでいる者同士が玄関やエレベーターで顔を合わせるたびにちょっとした声をかける機会を積み重ねながら名前と顔が自然に一致してお互いを自然に知り合っていくのだが、そんなことは昔の話になってしまい、もはや普通の方法では居住者同士がお互いを確かめられなくなってしまったこと。

 第二は、そうして確かめた居住者属性の変化がもたらしている管理組合組織への影響を確かめて、「昔からこの方法でやってきた・・」という感覚で続けてきた組織運営方法の有効性を確かめてみたいこと。理事会の運営方法や情報の知らせ方など大半の組織運営実務は区分所有法などを見ただけでは何もわからないのだ。

 第三は、最大の問題だが、居住者属性の変化による世代差や生活条件の違いがもたらす意見の違いの実情を確かめる必要が大きいこと。人の数だけわかれるとはいえ、ある程度までは共通していた居住者同士の共通属性が薄くなってしまった実情を確かめないと、昔のままの感覚ではもう何も物事を決められなくなっているのではないか。

同じ姓が10数戸、2姓併記が10戸。そして高齢化率の上昇

 面倒ではあったが、やってみてよかったとも思う。これは一種の自己確認作業だから、居住者自身の感覚でやってみるしかないことも、あらためて再確認できた。

 わかったことを二つだけ書く。一つは予想通りだったこと、もう一つは予想以上だったことである。以下に書くことは築後43年を過ぎた4棟600戸のマンションの様子ではあるが、どこのマンションにも起こり得ることではないかと思う。

 予想通りだったのは、同じ姓の住戸がとても多かったことだ。今度確かめてみてわかったのは「同じ姓が全体で13戸ある」ことだったが、大規模マンションで同じ姓の住戸が多いこと自体は珍しくないからあらためてどうということもない現象である。
しかし、竣工して間もないころ同姓住戸はもともとそんなに多くなかったのだ。これは、竣工後5年程度で配布された名簿と照らし合わせるとはっきりする。

 昔と比較していくうちに《おや・・》と思ったのは、同姓住戸がどの棟にも必ずあることだった。100戸台の一棟で、同姓住戸が4戸になるケースもあった。

 想像の域にとどまるのだが、これは親子などのケースが多いのではないかという気がする。近年どうかした機会に、どの住戸とどの住戸が実は親子だといった話を聞く機会が多くなってきたことを思い合わせると、そんな気がしてならない。

 どの棟にも同姓住戸があって不思議ではないが、以前はなかったことを考え合わせると、この現象がまず棟ごとにあり、違う棟でも同じマンション全体では同姓住戸となっているケースを含めると、やはり昔と違う傾向が生まれていると思う。

 もう一つは、2姓併記の住戸が予想外にあったこと。二つの姓が並んで表示されているのを見て始めは夫婦別姓のようなケースを考えたが、そうではなくて親子同居のケースもあるだろうから、よくわからない。

 いずれにしても同姓住戸や2姓併記の住戸が多くなったことは、明らかに高齢居住者の増加を連想させる。同じマンションですぐ近くの住戸や自分と同じ住戸に老いた親と子の世帯がいっしょに住むことを意味するからだ。

 となれば、居住者全体の高齢化率が上昇することははっきりしてくる。その点は毎年、管理組合の委員会が取り寄せている市の住民基本台帳人口データで、今年のこのマンション居住者人口約1200人の高齢化率が40%を超えている点で裏付けられる。

核家族居住が前提だった管理組合像は今も有効に成り立つのか

 このマンションが建てられた40年以上前はマンションという言葉が説明抜きでやっと通じるようになったころだった。家族向けタイプのマンションが主流だったから「ファミリータイプ」と銘打って、4人の核家族向きの設計が中心だった。パパがいて、ママがいて、ボクがいて、アタシがいて、間取りは4DKか3DK。どの住戸も昼間は留守で土曜も忙しかったから、管理組合の仕事は日曜日しか時間がなかった。管理組合のカレンダーで一か月は30日ではなく5日しかないという考え方だった。

 ところが、マンション管理の仕組みの方は、基本構造が今もこんな時代のままである。今でも管理規約の類型が基本的に同じ形のままであるのは、その典型例だろう。ストック戸数600万戸を超えて新旧大小千差万別に多様化しているのに、今も「単棟型」「団地型」「複合用途型」の3タイプだけ。3階建て30戸のマンションも30階建て300戸のマンションも一棟という点では同じ単棟型になるなんて・・・。

 建てられた時代から長い年月が過ぎて、今やパパもママも年老いて二人暮らしか一人暮らし。昼間も大半が在宅。たまに開かれる管理組合の集会は老人会さながら。年代差が重なって意見の集約は年ごとに難しくなる。・・・

 実情が一変しているのに、マンション管理の基本的な仕組みはすべて以前のまま。当然ながら、仕組みと実情がマッチしない。管理組合はルールも当てはまりようがない事態にぶつかり続けて独自の判断を迫られることがたびたびになる。

 当事者能力の乏しい管理組合にとっては実情に即した標準管理規約改正への期待が切実だが、そんな気配は、まだとてもとても・・・。

 「分譲マンションのいま」の実態確認を急いでほしい。対応の大前提となる事実確認をしないままであっても、確実に年月が過ぎていくのだから。

| muraitadao | コラム | 10:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える 15】居住歴が多様化した管理組合に昔から同じままのルールが今もあてはまるのか・・・

竣工した時から住んでいる人と去年引っ越してきた人が同じ立場で意見を主張できる状態は???

 改めて言うまでもないことなのだが、今の管理組合では居住歴が一切ルールに反映しない状態で組織が運営されるようになっている。

 では、どんな状態が生まれるか。

 管理組合での物事はルールにしたがって、すべて総会や理事会という組織で決めることになっている。そうした組織のメンバーは基本的に「管理組合のメンバー」となる権利中心の条件さえ満たされれば他はいっさい問われないから、居住歴や家族構成条件といった実質的に組織活動要件と関連する属性は全く関係しないことになる。ビジネスビルやホテルと違うマンションでは集合住宅の住みよさを支える管理が不可欠だが、その管理が成り立つためには集合住宅全体の状況を居住実感によって認識できることが裏付けとなる。

 この意味で「住む」という形の生活条件の認識を左右する居住歴や家族構成条件がとても大きな意味を持つのだが、いまの管理の基本原則にはこの点が全く反映しない。単に《区分所有権》があるかないかが問われるだけだ。

 生活感が全く関係しない仕組みの現実離れした不可解さは、昔から折々に気づかれてはいた。だが、この点が気になるケースがあっても例外的だから・・という一種の割り切りで片付けられてしまい、あまり議論されなかった。

 《個人が所有して住む》はずの分譲マンションに社宅化した住戸が混在してもあまり問題とならなかったのは、その典型例だろう。

 竣工した時から43年間、同じマンションに住み続けてきた人間には間違いなくそういう実感があった。

 しかし、そういう実感も近年は薄くなってきた。社宅そのものがもう何となく過去のイメージになってきたのと入れ替わりに、居住者の実態が以前には考えたこともなかったほど多種多様になってきたからだ。

 非婚化や高齢化による単身世帯住戸の増加や複雑化した職業形態の違いによる在宅時間の多様化、外国人住戸の増加など思い浮かぶケースはきりがないほどだ。

 そういうことを感じる機会が多くなってくるにつけ、総会とか理事会に限らず集まって意見を語る場面で話の通じにくさを感じることが多くなってきた。今までと違う質問や意見を聞くたびに《この人、いつからこのマンションに住むようになったのかなぁ・・・?》と思うことも多くなった。

 《この頃は以前のような考え方や言い方が通用しなくなってきたな・・・》という実感が確かに強くなった。以前なら説明抜きですんだ話が、いつのまにか通じにくくなっていたという違和感めいた実感が・・。

 いつから住んでいようと、もともとそんなことはルールと関係がないのだから別にどうということはないとは思いながら、正直なところ、やはり気にかかっていた。

新築マンションの売れにくさと反比例的に増えた中古マンション売却の勧誘がこの実感とどこかで関係しているのかも・・・

 この感じを確かめているうちに思い浮かんできたことがある。以下に、正直な感想を述べる。
                   ☆
 数年前から気がついていたことがある。

 新しいマンションがそこここで売り出されている割には結構な高値で売り悩んでいるらしい。だが、小規模ながら建売住宅の方は結構よく売れている。もう10年以上続けている新聞折り込みチラシを子細にチェックしていると、そうしたことがとてもよくわかる。

 こんなことを感じるようになったころ、中古マンション売却の勧誘がめっきり多くなってきたことに気がついた。

 いま住んでいるのはもう竣工後43年にもなる古いマンションだから今更どうして?」という気分だったが、うるさいほど玄関ポストに入れられるビラのほかに結構な値段をかかげたダイレクトメールまでが頻繁に届くようになった。

 そう気づいたころ《この人、ウチのマンションに前から住んでいたっけ?》という感じを持つ機会も多くなった感じに思い当たった。
                   ☆
 この感想には明らかに居住歴が関係していると思う。

 中古マンションとして最近から住むようになった人だろうと思うからだ。

 でも、区分所有者となったからには、最近からだろうと昔からだろうと区別なく管理組合のメンバーとなる。だから、総会や理事会で何はばかることなく意見を述べることもできる。

 だが何しろ4棟600戸もあるマンションだから、そのことがあまり実感できないのも事実だ。どれほど長く住んでいても,棟や階が違えば接触する機会に偏りができるのはどうにもならない。

 大規模マンションで年数がたてば、そうした居住者や区分所有者の入れ替わりがあってもお互い同士でわからないのはその意味で当然だろう。

ルール万能主義がこの実情に結びつくと理屈倒れのトラブルの温床になって管理組合“官僚化”の不安が・・・

 簡単に言えば、長く住んでいると、年ごとに《顔と名前が一致しない人》が増えるということに尽きる。そんな中で、管理組合の役員は順番制だから一定の年ごとに顔を合わせることになる。

 理事会はいちばん最初の時は自己紹介で始まることになっている。こんなやり方が必要になるぐらいだから、お互い同士の考え方や理解の仕方など、もう全く分らないまま役員の仕事が始まる。

 でも、そういう状態で、相互認識も何もない状態でリアルな管理組合としての仕事が務まるものなのか。

 居住歴が異なると、それぞれのマンションに固有の様々な過去の実情がリアルに理解できなくなる。マンション管理の本質は区分所有法や標準管理規約の言葉もさることながら、新旧・大小さまざまに異なるマンションごとの実情と認識の中にこそあるのだから。

 それが痛切にわかるのは、大規模修繕工事のようなスケールの事業と管理規約の対応関係の理解が、居住歴に応じてかなり異なることが多くなってきたからだ。

 この点については、管理組合自身の当事者能力の現実認識が大きく関係するから、これ以上のことを書くのは別の機会に譲る。
                   ☆
 だが、一つだけはっきり指摘しておきたいことがある。

 それは、管理規約を構成する要素の中に、竣工後年数の経過に対応した管理組合組織の運営条件が全く欠けている点だ。

 区分所有者の居住歴などが全く反映していない事態の背後には、マンション居住の実態がいまも昔と同じままだという認識があるのではないか。その認識不足があるから、今も昔と同じ内容のルールが機能しているはずだという錯覚があるのではないか。

 実情を確かめないまま言葉でつづられた観念が現実に当てはまるはずだという思い違いが官僚主義となって、昔からいろんな場面で独特のもどかしさと苛立たしさを生む。

 もしかすると、マンション管理の世界でもそういう官僚主義が生まれつつあるのではないか。

| muraitadao | コラム | 10:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える 14】このマンションで人生の半分を過ごしてきた実感を残したいから本音をブログで書く

更新400回目の機会にアクセスを確かめてわかった、これだけの人が本音に付き合ってくれたことが…

 このブログの更新も今回で400回目となる。更新回数だけを考えるなら、400回ぐらいザラのまたザラかもしれない。

 1年だけ毎日ちょこちょことメモ程度の数行を書き続けて2年目の2月ごろ幕を下ろしても、更新回数は400回になる。

 こちらは愚直に月3回のペースで12年間書き続け、更新を重ねた後の400回目だ。本音を言えば、更新回数もさることながら書き続けてきた年数の方にこだわりがある。《続く》ことが、何よりも決定的に大きい意味を持つと思うからだ。

 とりわけブログの場合、いったい《何のために》《何を》《誰に向かって》書くのかという意識がはっきりしていないと、とても書き続けてはいけない。

 とはいっても、書く方がそう思っているだけでは結局のところ独りよがりにとどまる。誰かが目を向けてくれてこそのブログなのだから。

 だが、このブログはイラストがあるわけでもないし、大うけするような素材を書くわけでもない。いったい、どのくらいの人が目を向けてくれているのだろうか・・ということは、いつも気になっていた。

 だから、正直に書くとアクセス数が気になっていた。面白おかしい気楽さとは程遠いブログだから、アクセスの多さなど始めから考えていなかった。まぁ、せいぜい3桁ぐらいで、いいところ年賀状レベルの一定数の人の目に触れて続けていればいいと思っていた。

 そんなつもりで書いてきたブログだが、毎月のアクセスを確かめてみた。
 わかった限りで書けば、こうなる。
【2012年】2,700〜 5,800
【2013年】4,800〜 8,500
【2014年】3,800〜17,400
【2015年】2,000〜10,800
【2016年】1,400〜 5,700
【2017年】2,000〜 4,200
 これは、毎月3回のペースで発信してきたブログの書き手に6年間つき合ってもらった読み手の記録でもある。今回の更新までの直近250回あまりになる。《続ける》ことにこだわってきた書き手の思いが、読み手にはこれだけ受け止められたのだという感じでもある。

 正直、地味で面白さもないのを承知の上で不愛想なブログを一途に書き続けてきた身には、文句なしにありがたいと思う。書き手にとっては勲章のようなものである。

「マンション管理ブログ」を書く思いは前よりも強くなってきた。マンションの「いま」、どのくらいの人が「いま」に気づいているかを書くために・・・

 30年以上前からもともと住宅のことを《書く》仕事だったから、マンションについて書く機会は多かった。だが、その大半は購入ガイダンスの情報だったから、高額なマンションをなけなしのお金で買って住み始めたあとの情報ではない。

 良きにつけ悪しきにつけ、住み始めた後の段階を書くなら管理ステップの情報だが、はじめのうちは、いずれ誰かがそういう情報を書くだろうと思っていた。

 しかし、その気配は一向にないままだった。

 誰かが…と思っているだけでは、と思い始めたころに機会があって始めたのがこのブログである。でも、格別の宣伝や広告があるわけでもないから、こんなブログの存在は気づかれにくい。

 誰でもそうだろうが、いったい、どこの、誰が読んでくれるんだろうかというおぼつかなさを気にしながら、毎月3回の更新原稿を書く時期が続いた。

 ところが、どういうふうに…という感じは今もわからないままなのだが、しばらくたつと、何かが少し違ってきた。時たまだが、はっきりした反応がいろいろな形で届き始めたからだ。

 そこではたと気が付いたのは、マンションの管理を語り続けるこのブログには書き手の個人的レベルの単純な随想や断片的な所感の類ではなく、一般的なメデイアでは取り上げられることがないマンション現場の今日の問題をとり上げる必要が大きいことだった。少し書き慣れてきたブログに特有の表現法があることに気付いた時期でもあった。
                   ☆
 そこに気づくと、マンション管理セミナーや各種の講座で出会った人からブログのことを聞かれることがとても多くなってきた。

 自然な実感として、このブログで書く情報には個人レベルを超えた集合住宅特有の広がりがあるはずだという意識も回を追って明確になってきた。

 自分自身のマンション居住経験、かつて住宅ローンを通じて住宅事情そのものに多面的に触れてきた視点、住宅問題の書き手として接してきたジャーナリズム世界の一端とつきあった経験などが重なって、ブログに書く問題意識はますます鮮明になってきた。

 新聞にもテレビにもSNSにも出ないから大抵の人が気づかぬままの「マンションの今日」を書き留めておきたいという気持ちが・・・。

ブログを書くことで伝えたいもう一つの真実。「マンション管理の本質は過ぎた年数への対応。年月が過ぎるとマンションはどうなるかの確認」であること

 もうひとつ、更新400回の機会に述べておきたい本音の中の本音がある。

 それは《何年経過したらマンションではいったい何が起こるか》をありのままに語ることだ。

 マンションは長寿命の建築物である。取り壊される日まで同じ場所に建ち続けながら、経過した年数に対応して建物も住む人も確実に変貌していく。どんなマンションも過ぎた年数だけ建物が古くなり、居住者は高齢化と入れ替わりを重ねながら複雑に変貌する実情には全く例外がない。

 そんなことぐらい、誰だって知っている。言葉や理屈の上では・・・。

 でも、マンションの経年変化の実情は物件ごとに違う。古び方はマンションの数だけ多種多様なのだ。新旧大小の差に反映しながら物件の個別差が経年変化を多様化していくのだから。

 さらに、同じ物件でも大半の場合は居住者が入れ替わり、入れ替わらぬまま同じ居住者が住み続けても高齢化する。

 同じマンションの同じ住戸に43年住み続けてきた実感は、まさにこの一点に絞られる。

 となれば、そうしたマンションの経年変化の実情を語り残さなければ・・・。
                   ☆
 いま86歳。居住歴ももう43年を超えた。長寿命のマンションで年数が経過したら、どこがどう変わっていくかを、個人レベルで目の当たりに嫌というほど確かめ続けてきたことになる。

 たった一人の区分所有者ではあるものの、人生の半分の期間を通して、管理組合や管理会社、マンション管理センター、国土交通省、マンション学会が、マンションの現実にどこまで認識して実際に何ができるかを確かめ続けてきたことになる。

 当然、それなりの感想を書き残さなければならない。

 多数決民主主義を絵に描いたような区分所有原則が実情にどれだけ有効に対応できるかも見続けてきた実感を残しておかなければならない。一つの建物空間で大勢の人が生活の基礎条件を共有する考えの理想と現実を書き残さなければならない。集合住宅という居住形態がその時々の社会事情と切り離せないほど密接に関連しあっている実感を書き残さなければならない・・・。

 だから、ブログを書く。

 間に合ううちに、伝えておきたいことをブログに書く。本音で書くのだ。

| muraitadao | コラム | 08:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える 13】インフルエンザでうとうとしながら思い返した「ウチのマンション」の40年

とうとうインフルエンザにやられた・・・。そういえば あのとき・・・

 私のマンションでは、昔から1月最後の日曜日の午前10時から管理組合の通常総会が開かれる。管理規約や細則には何も書いてないが、《昔から、そういうことになっている・・》と歴代の理事長が考えて、このやり方を続けてきた。

 総会に限らず、管理組合にはこの手の不文律めいた慣習が想像以上に多い。管理規約などいくら読み返しても何一つ書いてないが、いつからこうなっているのか誰も知らないのに昔から《こうしてきた》とか《こうするものだそうだ》と聞いてあいまいなまま伝わっている慣習が想像以上に多い。

 40何年も過ぎたマンションともなれば、とりわけそうだ。

 何かというと法律論を持ちだす人も、多くの人に是認されてきた長年の事実に支えられたこの慣習には、とても歯が立たない。

 …というわけで、今年も例年通りの日曜日に通常総会が開かれた。

 「例年通り」だったのは委任状多数で形式的に総会が成立したことや、不慣れな議長による議事進行、あるいはふだん滅多に顔を見なくても総会では必ず異論を唱える常連の高齢者なども、まったく同じだった。

 それでも、総会は総会。管理組合にとって総会の開催負担は決して小さくない。

 これは、紙の上の言葉だけで一筋縄では手に負えない管理組合運営に汗を流してきた経験がない人にはまず理解できない実感だ。

 だから、今年も通常総会が何とか無事に終わって、まあ、やれやれよかった・・と思った。

 ところが、その日の夜から体調がおかしくなった。
                   ☆
 高熱で身体が動かなくなり診てもらった病院で、言下にインフルエンザと言われて、あ、やっぱりと思った。そういえば、あのときもらったような・・・
                   ☆
 結局、2月5日のブログは休んだ。もう齢も齢だからこじらせたくなかった。薬をのんでひたすら寝ていた。うとうととしながら、今度の通常総会のことを脈絡もなく思い返していた。

 そのうち、例年通りのようだったと思う一方で、今までとは違うやり取りが多かったことを思い出した。

居住歴の違いや世代差が意見の違いを拡大して、今まで通じていた話が通じにくくなる・・・

 眠るともなくぼんやりした頭でうとうとと思い返していた総会でのやり取り。

 今までは通じていた話が奇妙に通じにくくなってきたことに思い当たる。ここ数年前から漠然としていた実感が、今回はいつになく目立ったな、という気がする。

 そういえば、今日の発言者には新顔の人が多かった。新顔に交じって長広舌をまくしたてた人も、昔から顔だけは見覚えがあるものの総会でしか見かけないなという感じだった。

 そういう人が管理規約を振りかざしてルール違反を声高になじり、それをいつも総会だけに出てくる老人が怒鳴り返す。見る見るうちに会場の空気は刺々しさを増して壇上の議長は、おろおろと途方に暮れるばかり・・。

 でも、今日は、なすすべもないまま議長が成り行き任せで放っておいたことが、かえって、ガス抜きの効果を生んだらしい。なじる方もいきり立つ方もくたびれ果てたか馬鹿馬鹿しくなったか、そこはわからぬまま白けた沈黙がそのあとに続いて、このやり取りの意味は事実上わけのわからぬまま雲散霧消してしまった。

 後には、いつもながら管理組合ならではの曖昧模糊とした本質だけが残った。

 管理組合というのはいつもこうだ。40年以上も見てきた光景だから、珍しくも何ともないが・・。

 でも、どうしてこうなるのか。

 思い当たったことがある。

 《何かを言う》ために誰もが管理規約をよりどころとして持ち出すわりには、その主張に説得力がなくて、まるで支離滅裂な点だ。簡単にいうと、こうなる。

 大抵の人は管理規約の全文を読んだことがない。まくし立てられる意見を忍耐強く聞いてはいるものの、実は管理規約の存在さえも忘れている。

 それに対して《何かを言う》人は何十条もある管理規約の中のごく一部分だけを自分の主張に合わせてつまみ食い状態で持ち出す。

 だから、聞いている方には何一つピンとこない。

 まして、その管理規約の中身がウチのマンションに当てはめるとどうなるのかなど考えたこともないから、大半の人には《あの人、いったい何を言ってるんだろう》という気分になるしかない。

 ルールの有効性についてリアルな実証性のチェックをしないまま棚ざらしになり果てた管理規約。無関心のシンボルとなってしまったルールを、いったいどう考えたらいいか。

 この状態に気が付いた人は今までにもいたし、今も、いる。

 しかし、別に、何か言うわけではない。誰も言わなければ、何も動かない。

 《理屈ではそうなるが、今ごろ何か言ってもねぇ・・・》という白けた感覚が、気づいたことを目に見えないままにしてしまう。

 たぶん、管理組合世界の曖昧模糊とした状態はこうして生まれる。

組織の実情と照らし合わせながら管理規約の存在そのものを検証しないと管理組合組織の存在感は遠からず限界に直面する時期が来る!

 もともと管理規約は、それぞれのマンションが個別の実情を反映させながら独自に決めるべきものなのだ。だから、規模や新旧に対応して、マンションの数だけの管理規約があるはずである。

 だが、そんなことは全くあり得ない。個々のマンションの実情に対応して管理規約が作られているかどうかの調査など聞いたことがないから、マンション管理分野に触れてきた長年の経験だけで断言するのだが、たぶん日本中の分譲マンションの管理規約は標準管理規約の丸写し状態に近いのではないか。

 30戸しかないマンションなら小規模物件の実情に対応した管理規約があり、500戸の超高層マンションなら大規模大戸数の実情を映した管理規約がある・・。そんなことはあるまい。だから、日本中、どこのマンションの管理規約も金太郎飴状態で・・・。

 やめておこう。これが下種の勘繰りであることを切望したいから、この先は我慢して書かないことにする。
 

| muraitadao | コラム | 05:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
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