村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【マンションに住む実感を確かめるノート 杠も覚えている住み始めた時の不思議な実感。これがマンションというものか・・・〜45年前には考えたこともなかったことばかり〜

あわただしく決めて入居したマンション。45年はアッという間だったが実感は一口に言い尽せない

 このマンションに住み始めたのは1974年(昭和49年)4月1日だった。
 43歳だった。成り行きで勤め始めた住宅金融公庫で19年目。万博の終わった直後に転勤した大阪勤めが3年目に入る直前になって、また東京に呼び返された。

 住宅金融公庫は住宅問題に直面する人々が「自分の家」を確保するための資金づくりのバックアップ機関だったが、その仕事に携わる当の人間が自分の住宅を確保しなければならなくなってもまったく何一つお構いなしだったから、東京勤務で必要な住まいはすべて自分で探せという話があっただけだった。

 住まいの確保に苦労する人と同じ苦労をすればその経験が仕事の支えになるのは間違いないのだから、自分自身でこういう苦労を経験してみることは決して無駄ではない・・・。

 わかったようなわからぬような、そんなことを言われたっけ・・・。

 理屈はともかく自分が住む所を大急ぎで何とかしなければ、たちまち困ることははっきりしている。

 だから、仕事のあいまにカレンダーに何度も目を向けながら心当たりのあちこちに声をかけた。

 そんな時に聞きこんだのが都下某市の民間マンションでキャンセルが1戸出たという話だった。

 どうしようかと思い悩んだりしている状態ではなかったから、すぐ申し込んだ。

 そんな決め方で住み始めたマンション。45年前だった。

いろんな人が住んでいた45年、人は様々と思い知った45年

 わかりきったことを正確に言えば「今も人が住んでいるマンションの45年」である。マンションが建てられた時のまま「住居としてマンションであり続けてきた45年」だ。多摩川のこちら側、新宿まで30分足らずだが、東京の田舎だったこの辺りにどんどんマンションが建ち並ぶようになった45年でもある。
                   ☆
 何十年も前、毎朝、黒塗りの車が迎えに来る偉そうな人が住んでいた。めったに顔をみることもないままだったが、いつの間にか見かけなくなった。・・・と思っていたら、国会議員になったらしいと、後で聞いた。建設省の官僚だったらしい。

 そう言えば、高名な作曲家や劇作家もいた。難しそうな顔の大学の先生もいたし、まるで能天気な人もいた。

 管理組合の集まりなどで会うことは一度もない人ばかりだったが・・・。

 でも、600戸の大半は普通の人たちだった。そんな普通の人たちも、45年たてば様子が変わっていく。

 それを思い返した時の実感はかなり複雑にして多様である。だが、その実感を通して、マンションが紛れもなく「人の住まい」であることを確かめさせる記憶がいくつも浮かび上がってくる。

かつては言葉を知っていただけの管理組合が身近になってきた竣工後10年のころ

 もともとは商品名だったマンションという600戸の集合住宅に住むようになり、いつのまにか10年を迎えようとしていた。分譲マンションには管理組合というものがあるという程度のことは何人かの人が知ってはいたが、「町内会と同じようなものだね・・」というレベルの認識だった。

 名ばかりに近い管理組合でも時折り役員が集まる程度のことはあったが。そんなところで「マンションは竣工後10年目になると大掛かりな外壁塗装工事をしなければらないらしい」という話が出た。

 しかし、そんな話が出ても具体的にどうしたらいいか肝心なことがわからない。

 何回も話し合ったが、見当もつかないまま、どうしたらいいかという相談が舞い込んだ。

 思えば、これがマンション管理という底の知れない分野へ足を踏み入れたきっかけになった。

| muraitadao | コラム | 19:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
【あらためて「マンション管理の常識」を見直すと・・・】一戸建て住宅との違いをわかった上でマンションを語るジャーナリズムは今までにあったか?そして これからは・・・

マンション管理専門紙の草分けの頃から書いてきた原稿が終わって次から次へ思い出すことは・・・

 「マンションタイムズ」というマンション管理専門紙に連載していた最終回の原稿を送って、一息ついた。最終回のナンバーは209回だった。

 何度か休んだこともあったが、17年あまり書いてきたことになる。掲載紙の名前も、最初は「マンション管理研修情報」というあか抜けしないものだった。

 この専門紙を創業した佐藤量一さんとの縁で、初期からのボランテイア寄稿者だった。

 そんなこともあって、彼はいつも年末になると故郷青森のワカサギの佃煮を必ず送ってくれた。これが年の暮れの楽しみだった。

 高度経済成長期のころマイホームコースという双六まがいのイメージがあり、一戸建て住宅にゴールインするまでの途中にマンションがあるが、いずれはここを抜けだしてこそ一人前・・というのが世間の常識だった。

 マンションなんて、いつまでも住んでいるところじゃないと誰もが考えていた時代だった。

 そんな時期に生まれた数少ないマンション管理専門紙の一つが、のちに「マンションタイムズ」と改名する「マンション管理研修情報」だった。

 世が世ならマンションなんて・・という時代に、早くも佐藤量一さんは専門紙の送り出し手となっていた。

 あらためて、マンションを説明抜きで語れた数少ない一人だったと思う。

 そんなころに書き始めたのが「マンション管理研修情報」の連載だった。正直にいって、最初の頃はせいぜい1年ぐらいもてば・・と思っていたが、そうならなかった。

 1年たっても2年たっても、そうならなかった。・・・・・

 マンションは着実に増え続けて、国会で語られるような時期がやってきた。

 原稿の位置づけも、もうボランテイアではなくなり、それなりの原稿料をくれるようになった。

 その後、もう年末の楽しみだった青森のワカサギはもうこなくなったが・・・。

 でも、でも、連載原稿は相変わらず書き続けていたし、時々急にやってきて会うこともあった。

  先年、そんな佐藤量一さんは、外出先で突然亡くなった。

  言葉もなかった・・・・・。

 そんないきさつで書いてきたマンション管理関連の連載も、これで一区切りついた。たぶんマンション管理だけに焦点を絞って連載原稿を書く機会は、もうないだろう。

マンション専門のジャーナリズムなんて、今だってあるかどうか。ましてマンション管理専門ジャーナリズムなど・・

 思えば、市販の新聞や雑誌に原稿を書くようになってから久しい。

 最初のころ、原稿執筆者として「○○評論家」などと書かれるのが、嫌で仕方がなかった。でも、この頃、すでに「住宅評論家」というクレジットで活動していた人は何人もいた。

 その一人から「もうそろそろ住宅評論家と自分で名乗ってもいいんじゃない?」と言われたことがある。

 それで、腹をくくった。不動産ジャーナリスト会議のメンバーにもなった。発足したばかりのマンション学会にも入った。87歳のいま発言している基盤が揃ったのはこのころからだった。

 もう30年をはるかに超える昔だが、胸の底には、いつも屈折した思いがあった。

 ・・・マンション専門のジャーナリストなんかいない。まして、マンション管理ジャーナリストなんているはずがない。・・・

やがてマンションが増え「買った後のマンション」を気にする人が増えてくると「マンション管理」という聞き慣れない言葉を聞くようになったものの・・・

 「マンションは広い意味での住宅の中の一項目に過ぎない。マンションは一戸建て住宅イメージの延長線上にあるものなのだから・・・」と誰もが考えていた時代だった。

 そんな時代、どうしても住宅評論家は一戸建て中心の活動になるから、住宅ローンの実務を取り上げる人は少なかった。

 そうでなければ、都市問題とか地域開発が中心の天下国家を論じる感じだった。日本列島改造論がどうだとか、ニュータウンがどうだとか・・・。そんなことが主流のテーマだった。

 そうした時代は、いつも長々とした議論があってもしばらくすると「理屈はわかるが、そう言っても土地がねぇ・・」というため息交じりのつぶやきが出るのが常だった。

 何しろ土地価格がこんなに高いのだから立体的な土地活用を考えるしかないという発想が広がった。そんな雰囲気の中で、昭和40年代前半にマンションという言葉が生まれた。

 マンションというのは、しかし、最初は商品名だった。

 発足後20年目だった住宅金融公庫がマンションを融資対象にした頃も、全国各地で生まれた住宅公社が住宅公団といっしょにニュータウンづくりに乗り出したときも、まだ正式用語として認知されていなかった「マンション」は使わないようにと周到に遠ざけられて、「分譲住宅」の名称で供給された・・・。

「ドアの中」の室内中心の時代感覚は「ドアの外」への無関心を生んだ。一戸建て住宅そっくりそのまま感がマンションのイメージを支えた時代だった

 この記憶とともに浮かんでくるのは、集合住宅であるマンションを一戸建て住宅に何とかして似たものに見せかけようとしたことである。

 芝生の庭こそないが、満員電車にもまれてウチに帰っても、わが家のドアを開けて一息つけば、もう一戸建て住宅もマンションも同じではないかという感じだ。

 この感じに『土地価格の高騰や都市への人口集中といった事態をどうにかする決め手は一戸建て住宅へのこだわりを捨てることだ。だから、これからの住宅は上に伸ばして高層化するのが一番だ』という呼びかけが重なった。

 この流れの背景に《一戸建て住宅の代替機能を担うもの》としてマンションが描かれていた。いわば、一戸建て住宅そっくりなイメージづくりに支えられてマンションが登場したことになる。

 こうした感覚づくりの工夫は室内の作り方で集中的に行われた。こうして、ドアの中はもう一戸建て住宅もマンションも変わらないという感じが全国に広がっていった。
                   ☆
 今にして思えば、大きな建物の一角に住みながら玄関ドアの外に広がる共用部分をほとんど視野に入れない発想の産物だった。

 集合住宅も一戸建て住宅も同じという居住実感は、言い換えれば、共用部分を抜きにした生活感覚である。
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  この経過が、いまのマンション管理の実情に様々な影を落とすことなった。現在も続くマンション管理の実情は、こうしたいきさつが生みだしたものだった。

 マンション管理を語る専門ジャーナリズムの様子との関わりについても、感想は尽きない。

| muraitadao | コラム | 14:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
【あらためて「マンション管理の常識」を見直すと・・・】マンション管理関連の連載に一区切りつけて改めて思う「書く言葉」「話す言葉」の重さ

「マンション」を語る専門ジャーナリストはめったにいなかった。まして「マンション管理」となれば・・・

 マンションタイムズというマンション管理専門紙に連載していた最終回の原稿を送って一息ついた。最終回のナンバーは209回だった。

 いろいろな場所で書いてきたマンション管理関連の連載も、これで一区切りになる。たぶんマンション管理だけに焦点を絞って連載原稿を書く機会は、もう、これでおしまいだろう。

 思えば、市販の新聞や雑誌に原稿を書くようになってから久しい。

 最初は、住宅評論家というクレジットだった。住宅そのものを語る文筆家は昔も何人かいたが、住宅ローンの実務を取り上げる人はとても少なかった。実務出身の書き手が少なかった事情もあって、お金や生活との関連でリアルに住宅を語る日々は30年以上になった。

 やがて、いつとはなしにそんな状況も変わり、今度は、マンションに絞って語ったり書いたりすることが多くなった。

 さらに、それが「マンション購入」や「マンション選び」から「マンション管理」という限定された分野になると、「マンションとは・・」といったそもそもの総論よりも、「マンションの何がいま気になるか」という側面について書いたり話したりすることが多くなっていった。

 この状況はまた変わって、今度は、新聞や雑誌がマンションを取り上げること自体が激減していった。

 そうなると、新築分譲マンションが増え続けるのに具体的なことがわからなくて不安を持つ人も増える結果になった。

 だからということではないはずだが、マンション管理センターに協力していた事情もあって、北海道から沖縄までセミナーや講座に足を運ぶことが一気に増えた。都道府県市区やNPOなど公的なケースだけ引き受けることにしていたが、それでも実に様々な人に出会って、熟知していたつもりのマンション管理の認識を改めて確かめ直すことが何度もあった。

もっと勉強しなければ・・という感想を聞いた時の苦々しさ。マンションに住むならまず勉強・・という奇妙な空気の腹立たしさ・・・

 こんなころ、ときどき予想外の人に出会った感想の苦々しさを今も思い出す。気分の悪い記憶でもあり、そこはかとない腹立たしさを覚える記憶でもあったが、同時に、この屈折した記憶がこのブログを現在まで長い年月にわたって書き続けさせたことにもなったような気がする。
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 それは、ある大都市で開かれたセミナーが終わった時だった。

 「ぜひお会いしたいという方がホールのロビーでお待ちです」という連絡があった。まったく心当たりもないままロビーに行ってみると、中年の人がひっそりと待っていた。銀行員だと名刺できちんと名乗ってから、その人は次のように言った。

 『今日のお話を聞いて、私も、もっともっと勉強しなければと思いました。』

 で、こう答えた。

 『お越しいただいてありがとうございました。でも、そんなふうには考えないようになさってください。だって、自分のウチに住むのに勉強しなければならないことなんて、ないですからね。』

 そのときに話した内容はもう覚えていないが、このやり取りは、その人が「勉強・・」という言い方で法律談義を持ちかけてきたからだったことを記憶している。

 こうした経験は、ところを問わず何度もあった。郵便や電話だったりしたこともある。神田神保町のマンション管理センターまで遠方から訪ねてきた人もあった。

 大半の人が、ある種の思い違いをしていた。それは、マンションに住むには欠かせない予備知識が要るという思い違いだった。

 この当時、新聞や雑誌、テレビなどが今までと打って変わって、マンションのことをしきりに取り上げていた。普段は、あまりマンションがどうだとかいう情報を聞き慣れていないために不安を覚えた人が増えたはずである。

 そんな時期にセミナーや講座に足を運んできたのだから、マンションに住んで直面している問題の答えを何とかして見つけたいと切実に思っていたはずだ。

 そうは思ったものの、マンションに住むという当たり前のことに「勉強」という言葉が結びつけられているのが正直に言って嫌だったのだ。
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 今も、まったく変わっていない実感がある。

 書くにせよ話すにせよ、必ず使わなければならない言葉をどう考えるか、という点だ。言葉がきちんと通じるためには、その言葉を使う人の想像力が裏付けになっていなければならない。だから、誰でもきちんと「わかっている」ことしか語れない。わかっていなかったら、使う言葉が借りものになる。身につかなくて浮いたものになってしまう。
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 「語る言葉」は「理解できた言葉」に限られるのだ。誰が、いつ、どこで、何を語るときも、そうなる。・・・

 逆に言えば、理解できないことは語れないということになる。
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 とすると、語られることが少ないのは、それほど理解されていないことが多いからだろうか。

 そうことなら、マンション管理を語る人が今もこんなに少ないのは・・・。
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 もう、やめておこう。

| muraitadao | コラム | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
【あらためて「マンション管理の常識」を見直すと・・3】まさか国会でマンション管理のことが・・20年前の2月がすべての始まりだった

国会の、それも衆議院の予算委員会でマンション管理のことが質問されたって?そんなことあるはずないじゃないか・・・

 2月になると、必ず思い出す。1999年(平成11年)2月4日の国会の衆議院、それも予算委員会で分譲マンション管理の問題が議論されるという、それまで誰も考えなかったことが起こったからだった。

 そんな話、あるわけないじゃないか・・・。

 国会でマンション管理の話が出るなんて、そんなはずない。何かの間違いに決まってる。

 でも、間違いではなかった。分譲マンションの管理の仕組みについて現実的な視点で具体的なやりとりが展開されたのだ。

 その記憶は、ちょうど20年過ぎた今も鮮明に残っている。

 それぐらい思いがけなかった。

 実際、あの時の質問がきっかけでマンションをめぐる様々な動きが起こり、マンションという言葉を名称に取り入れた「マンション管理適正化法」が生まれ、この法律による国家試験資格としてマンション管理士などが生まれることになったのだから。

 当然マスコミの視線も一変した。それまでとは豹変した感じの視線が、にわかにマンションの管理に向けられた。テレビも新聞もマンションの管理のことを連日にわたって取り上げた。ある全国紙は、社説でマンション管理のあるべき姿を堂々と論じ立てた。たぶん、社説でマンション管理が論じられたのは日本新聞史上初めてだったのではあるまいか。

 雑誌や単行本にもみるみるうちにマンション管理ブームが広がり、神田の書店街ではマンション管理コーナーまでが売場に特設される光景まで現れた。

 住宅ローンで付き合いがあった新聞や雑誌が、ひっきりなしに電話をかけてきた。テレビやラジオもそうだった。電話で聞いただけでわかったつもりになられると困るし、それがまた新しい問題になりかねないから、きちんと取り上げるつもりならこちらに来なさい、それが嫌だったらもう細かい話はしないから・・とはっきり言ったこともあった。

 でも、こんなにざわめいた様子が長続きするはずがないと思っていた。果せるかな、この熱っぽさは短命だった。その後のことは書くまでもあるまい。

368万戸から644万戸へ。20年間でこれだけ増えたマンション。今や超高層も珍しくはない時代となったが・・・

 国交省の「分譲マンションストック戸数」のデータで見ると、この20年間でマンション戸数は368万戸から644万戸と276万戸の増加となっている。これだけのマンションは規模や立地など様々に違うはずだが、過ぎた年月に対応して古くなっているのは間違いない。

 そんなマンションで、大規模修繕工事とか長期修繕計画などはどうなっているのだろうか。マンションは良きにつけ悪しきにつけ、経過年数が長くなるほど居住性のレベルが下がりやすくなるが、管理の様子はどうなのだろうか。

 空き家は?
 高齢化は?
 外国人は?
 大災害は?
 ・・・・
 そして
 管理組合は?
 管理会社は?
 マンション管理のプロたちは?

 東日本大震災もあったこの20年間で未経験のことが一気に増えたと、あらためて思う。マンション管理の世界は、ある意味で経験原則が重視される分野だ。それだけに、在来の総論原則では手に負えない物件ごとの問題があると固有の練達した経験があっても立ち向かえなくなることが昔から心配だったし、今もそうだ。

 大震災など未曽有の自然災害に超高層マンションの増加という言葉から浮かび上がるシーンは次にどう展開していくのか。経験に裏付けられた予測ができない不安を否定できない。
                   ☆
 マンションが建てられれば、その数だけマンション管理の対応度の必要性が大きくなる。何年たってもマンションがマンションとして同じ場所に建ち続けるのは管理の裏付けがあればこそだ。その意味で言えば、マンションの管理はあくまでも居住性の確保に視線を向け続けてきた経験の集積だと断言していい。

 管理という課題は過ぎていく長い年月の経過への対応なのだ。マンション管理の本質は、物件ごとに固有の居住者としての経験に支えられた時に、初めて真価が実現する。短時間で通り過ぎる旅行者の滞在経験と、長年月にわたる居住者の生活経験は基本的に違うからだ。
                   ☆
 大丈夫なのか。

| muraitadao | コラム | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
【あらためて「マンション管理の常識」を見直すと・・・ 2】45年目の実感:管理組合のわかり方はマンション管理実務への関心次第で決まる!

「お住まいのマンションは何戸ですか」「名前と顔がわかる人は何人ぐらいですか」と聞かれてすぐ答えられる人は・・・

 同じマンションに45年も住み続けていれば、居住年月の記憶に管理組合組織との関わりの記憶が重なるのも当然だろう。

 もっとも、これは目の前の事態から目をそらすことができない人間の話かもしれない。人は様々だから、全然そんなことがない人もいるだろう。

 いや、むしろ、そっちの方が多いのではないか。

 同じマンションに住んで同じ年月の間に同じようなことを見てきたのに、そんなことどこ吹く風・・・という人は、確かにいる。それも、一人や二人ではない。どこ吹く風ではあっても、けっこう社会的な地位の高いその辺とは違う人もいるのだが・・・。

 同じマンションに住んできた人の顔ぶれを思い出すと、竣工後10年ぐらいまでは高級官僚もいたし、大学教授もいた。一部上場大企業の幹部もいたし、劇作家もいた。大メディアの人も、ハイレベルの作曲家もいた。

 みんな、いつとはなしに顔も見なくなってしまったが・・・。

 マンション住ま45年の記憶は、こんな人たちと顔を合わせてきた年月の記憶であり、いつとはなしに顔を合わせなくなってしまった年月の記憶でもある。玄関やエレベーターで出会った時に何気なくとりとめもない言葉を交わしてきた記憶の積み重ねかもしれない。

 しかし、こんな人たちとの交流の記憶が、管理組合と関わってきた記憶に重なることはまったくない。こうした人たちの記憶に管理組合との関わりは、40年以上に渡って、いつも無関係だった。

 同じマンションに住んでいても、年齢や仕事、生い立ちなどはみんな違う。人づきあいに関わる感覚も、性格に応じてかなり違う。加えて、最近は名前さえ出したがらない人が多いから、顔に見覚えがあっても誰だかわからないままの人もいる。何年も前から「○階の○○号あたりの人」といった見極め方しかできない人もいる。

 実感から言えば、そんな人たちが確実に増えている。

 決して名乗らないからどこの誰だかわからないものの、玄関などで見かけるあの不愛想な人は何号室の人だろうとか、何かにつけて見当違いのクレームを持ち込むのに名前がわからないといった人がめっきり目立つようになった。

 何かとこちらの生活感に影を落とす人が壁や床を隔てただけの至近距離のところに住んでいるのに、名前がわからないという不可解さやもどかしさは、もしかすると長期滞在型のホテル住まいと似ているのではあるまいか。

 人は「親を選べない」というのと全く同じ重さで「隣人を選べない」という固い実感がいつの間にか生まれていた。

 こうした環境であれば、マンションだの管理組合だのという言葉など、この人たちには思いも及ぶまいと思うようになる。

 黒塗りの車で送り迎えのあの人物は、自分の住戸以外のことなどほとんど関心を持ったこともないのではあるまいか。
                   ☆
 この実感には、エレベーターで始めて乗り合わせた人に会った時の感じとどこかで通じるものがある。最上階に住んでいるので、1階に着くまで1分足らずのわずかな時間でも、途中階から乗ってくる人の顔ぶれが自然となじみ深くなる。「今日、○階で乗ってきたあの人は、もしかすると昨年の秋に越してきた人だろうか…。あれは、ちょうど3回目の大規模修繕工事が終わった直後だったが…」などと、とりとめない感想がしばらく続く。
                   ☆
 でも、そういう人はマンションの管理組合のことまで確かめて買ったとは、正直なところ考えにくい。チラシの物件概要に出ている管理費や修繕積立金ぐらいは見ているかもしれないが・・。
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 このマンションでは役員が当番階方式で決まるルールになっているから、中古マンションとして引っ越していたばかりの人と管理組合の役員会などで一緒になることがある。やり取りを重ねているうちにその人が「このごろ越してきたばかりで、管理組合のことはあまりよくわかりませんので…」などというのを聞いて、「あ、そうか、やっぱりな…」と思ったことが何度もある。

建築後年数が経ったマンションほど 自分の住むマンションの過去がわかりにくくなっていく

 実感で言うと、どこであろうと古くなったマンションでは竣工以来の居住者が確実に減っているはずだ。そうなれば、自分が住んでいるマンションの過去を知る人は間違いなく減っていきつつあるはずだ。

 竣工したあと、いつごろ管理組合が生まれて実質的に動き始めたのだろうかであろうと…。こんな疑問がわいた時「法律の考え方では区分所有者が複数いれば、そのマンションには管理組合が存在していると見なすものだ」などという理屈は全く役に立たない。

 管理組合では誰にもわからないことがあっても管理会社なら知っているはずだなどと訳知り顔で言う人がいても、その管理会社が倒産したり、企業統合などで一変したりしていることも、もう珍しくない。そんなことがなくても、古い時期のことは担当者だった社員が定年退職でいないなという話はザラにある。

 もう、やめておこう。キリがない。
                   ☆
 どんなマンションでも、竣工してから重ねられてきた管理の年月は、こうしてわからないことばかりになっていく。

 どれほどリッチでデラックスであろうと、マンション住まいは大きな建物の一角で暮らすことに変わりがない。そこに気がつかない人は、自分の住戸が位置している建物の全貌についての無知さに自覚がないまま、あたかも自分の住戸だけがぽかりと空中に浮かんでいるかのような錯覚にとらわれている…。
                   ☆
 どこのマンションにも、それぞれ固有の歴史がある。だが、今のマンション管理のシステムには、そういった人間感覚に対応できる仕組みがない。

 辛うじて自分の必要に迫られながら見つけてきたことも、だんだんおぼろげに消え失せ始めている。
                   ☆
 自分の住むマンションのことも知らないのに、物事を決める仕組みではそこにまったく関係なく意思表示できる…。

 おかしくはないか。

| muraitadao | コラム | 08:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
【あらためて「マンション管理の常識」を見直すと・・・ 1】年が変わっても昔からの常識は今までと同じように通用するのだろうか

お住まいは戸建てですか、それとも・・・と聞いて大ざっぱに話が展開したものだが・・・

 この頃はあまり顔を出さなくなったが、年が変わるこの時季は何かと集まりで初対面の人と会話をする機会が多い。

 初めて会ったばかりの人と向き合うとあまり共通の話題がないが、幸いにして住宅やマンションの関係の集まりの場合であれば《お住まいはどちらですか》と聞くと、そこそこに会話のきっかけがつかめる。

 地名を聞けば、ごく自然な形で住宅やマンションに話題を持っていけるからだ。

 「お住まいは・・・」と問いかけると大抵の人は大ざっぱに地名をあげて「○○です」と答えるから、その地名でおよその見当がつく。これで話のきっかけができれば「あ、なるほど」とか何とか意味不明の相槌を打ちながら《戸建てですか、それともマンションですか》と聞いて会話のイメージを絞っていくことができる。

 でも、このやりとりができたのは、戸建てとマンションという住宅スタイルの対比で誰にも共通するイメージがあったからだ。

 以前は住宅双六といったイメージがあって、上りは「庭付き一戸建て住宅」だった。この語り方にはマンションにも戸建て住宅にも定型化されたイメージがあったものだ。

 だが、この頃は、ちょっと違う。

 向かいあってやり取りしている同士が頭の中で考えている戸建てとマンションのイメージが必ずしも同じようなものとは限らない場合が多くなってきたからだ。

 特に、マンションは規模の大小、経過年数の新旧を考えると、もはや単純な言い方ができなくなったと思う。

言わず語らずのうちに新築か中古かを探る微妙な展開が自分の住まいの光景を決める・・・

 戸建てかマンションかの区別に話が展開すると、その先が微妙な展開になる。新築か中古かの違いがあるからだ。集合住宅でも一戸建て住宅でも、今や新築か中古かの違いでそこから先の話の進み方が微妙に違ってくることになる。

 マンションの場合は、物件の場所や建築時期で、ここから先の展開がさらに細かく決まってくる。戸数や階数がはっきりすると、もっと話の展開が大きく変わる。場合によっては、管理の様子や建て替えなどにまで話が及ぶ。

 そうした会話の展開は、対話の相手が分譲マンションに持っている関心の度合いによってかなり違う。戸建てにはないマンション特有の生活感覚をどの程度に持ち合わせているかによって、それまでの《どうでもいい》といった取り留めのなさが現実的な共鳴感に絞られていく予感を帯びてくるからだ。

 マンションのイメージに共有できる見込みがありそうだと思わせる感じになると、話の展開によっては、お互いの持っている《住宅への関わり方》も分かってくる。いま住んでいるのが持ち家か借家か、今のところには何年ぐらい住んでいるのか、今の住まいにこれからも永住するのか、それとも・・・といったことにまで話が及ぶことだってある。

 こんな会話を重ねるほどになると、初対面だった相手との距離がぐっと近くなってくる。会ったばかりの人への親近感が生まれてくるという思いがけなさが、こうした会合への期待を大きくする。
                   ☆
 住まいへの関わり方、とりわけマンションなのか戸建て住宅なのかによって対話の展開は一変するのは、当事者としての関わり方が感覚的にまるで違うからだ。住んでいる当事者としての関わり方という意味では、マンションと戸建て住宅との形態的な違いに加えて、住んできた居住年数の長さも大きく関係する。

 新築か中古かという物件条件は、実は、生活感覚の深さや幅の広さを浮かび上がらせる指標にもなるからだ。

 新築か中古かを意識しながら住まいをどんな言葉で語るかによって、暮らしてきた年数の長さがきわめて自然な形で浮き彫りになってくる。

 特に、壁や床を隔てただけの至近距離で多くの人と生活空間を共有するマンションでは、そういう感じになる。

 例えば、年末年始のマンションのゴミ置き場を考えてみるだけでいい。

 《人が生きていく》というのは、実は《ごみを生みだしながら生きていく》という意味にほかならない。それほど住まいにごみの問題は表裏一体なのに、建前やルール、仕組みの上では、具体的なことが何も示されていない。

 標準管理規約の別表の中に「ごみ集積所」という言葉が出てくる一例を除けば。

「自分の言葉で自分の住まいをどのくらいまで語れるか」―この問いかけの常識感覚が難しくない人はどのくらいいるだろうか

 「住む」ことは「生活する」ことに裏付けられなかったら、意味を失う。住んできた年数の長さは生活してきた年月の長さで支えられてこそ意味を持つ。さらに、もともとは個人レベルの意味だけだった「住む」という言葉に、生活展開の背景となる居住環境というバックグラウンドの意味を重ねると、それなりの広がりを持つエリアの変遷が経過年数によって一場面のシーンとなって、えも言われぬ現実感を持ち始める。
 ・・・・
 自分の住まいが過ごしてきた年数は、そこに生きてきた人間の物語でもある。物語の展開はどんな場所に住んできたかというステージによっても大きく異なる。

 自分の住まいを、どんな言葉で、どう語るか。

 簡単ではない難しさがあるが、時間をかけながら、答探しをしなければなるまい。

 《当り前》の一語でわかっているつもりだった常識を、あらためて見直したい気持ちが、今さらにして強くなってきた。

 齢甲斐もなく・・・。

| muraitadao | コラム | 06:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 41】マンションの越年でこれまでの記録が大事だと気づいた人はどのくらいいただろうか

マンションが新しいうちは管理組合が開店休業状態でも困らなかったが あっという間に10年が過ぎて・・・

 今年は、5年ごとに回ってくる管理組合役員の当番階の年だった。だが、87歳という年齢になると、正直なところ、もうそろそろ・・・と思う。体調に特別の変わりはないが、何をしても疲れやすくなったのは確かだ。

 長年取り組んできた管理組合組織活動への側面協力も、このあたりで納めにしたいというのが本音である。

 幸せなことに、この齢でも普通の生活を過ごしているし、管理組合のルールに年齢の条件など、どこを探してもまったく出てこないから、何歳になれば役員を引き受けなくていいという理由などみつからない。

 なまじ年齢などに対応する仕組みを取り入れていたら、高齢化社会で長寿命のマンションを管理できる見込みがなくなってしまうと早くも気づいた人がいたのに違いない。はるかな遠い昔、マンション管理の仕組みを考えた人の先見性に驚き、敬服する。

 このままだといずれ、管理組合の理事会に100歳の老人と18歳の若者が隣り合って意見を述べるマンションが珍しくなくなるかもしれない。

 何しろ、管理組合は区分所有者の団体だという、いとも単純にして明快な考え方のルールがあるだけなのだ。持ってさえいれば、何歳だろうと、どんな人だろうと、いっさい決まった条件がないのだから、これはわかりやすい。

 それはともかくとして、45年も住んできた実感で言えば、600戸のマンションに住む大半の人は、それほど管理組合の仕事に熱心でなく、さりとて非協力的でもないという実感がある。

 だから、役員選びの時も自分から進んで手を上げるような人が少なくて時間はかかるものの、結局は、何とかなる。それなりの時間が過ぎれば、大部分の人はどれかの役割を引き受けて、何とか次年度の役員決定のおさまりがつくのが普通だったから。

 自分から進んで引き受けるほどの熱意はないが、居住者である自分自身と関わる役目の意味は心得ている。だから、自分がその関わりの確認を求められた場合はそのまま受け入れるという消極的な感覚がいつもみんなにあった。

 入居したときはまだ40歳代前半。マイホーム、マイホームという掛け声の一端をかついで一番よく働いていた時期だった。大抵の人と同じように、マンションはただもう寝て帰るだけの場所だった。

 誰も彼もが、そんな気分で動き回っているうちに、毎日がどんどん過ぎた。あのころは時間の過ぎ方が早かったなぁ・・・と思う。

 そんな中でも、《マンションは管理を買え》などという意味不明の言い方を訳知り顔で誰かがいうのを聞くことがあったが、《え?それが、どうしたって?》という程度の感じでおしまいになった。管理組合とか区分所有という言葉の実感は、まるでなかった。

 何でもそうだが、管理という考え方にはモノを所有する実感を裏付ける重さがあるはずだが、持ち物が新しいうちはそれほどピンとくる実感がない。まして共有建物であるマンションでは住み始めた当初から自分一人の単独所有ではないという意識があったから、管理が自分と関わるなどという自覚は誰にも薄かったと思う。

 世が世なら、もともとは一戸建て住宅に住みたかったが、こと志と違ってマンション住まいで妥協している・・・。

 その意味で、今はもう死語に近くなった「マイホーム」感覚が、いつもマンションの居住感覚の真ん中にあった。

建物の全体像抜き自分の住戸だけがマンションだった時代のマンションは住宅双六の通過点でしかなかった

 一種の屈折したこの感覚がマンション管理の自覚を妨げる結果となったのは、否定できない。マンションがマイホームという言葉で語られていた時期は、専有部分となる玄関ドアの内側だけが頭にあり、大抵の人にとって自分の住まいとしてのイメージではマンションも一戸建て住宅も同じだった。

 こんな居住感覚の時代は、マンションは専有部分だけが念頭にあったから、共用部分は頭の中に浮かばない。マンションが大きな建物の全体像イメージで思い浮かべられることがあっても、それは正面玄関ホール、廊下、階段など自宅までのごく限られたスペースだけだった。長い間住んでいても、まだ足を踏み入れたことがない未知の空間が誰にも必ずあった。でも、それを不思議にも思わなかった。

 毎朝、玄関に迎えの黒いハイヤーが来る霞が関の偉い人も昔は住んでいた。のちに政府の高官になったと聞いて、あ、なるほど・・ね、と思った。あんな人でもやっぱり管理組合のメンバーなのかなぁと思った不可解さも覚えている。

 管理組合は、機会さえあれば、自分もいずれは一戸建てに・・・というイメージが多くの人の頭の中にある組織だった。

 今はもう死語になったと思うが、昔「住宅双六」という言葉があった。人の一生を住まいの面から考えて、結婚したらまず賃貸アパート、子供が生まれたら賃貸団地、それから賃貸マンション、それから分譲マンションを経て最終的なゴールは庭付き一戸建て住宅という展開で、そのイメージは平均的な日本人すべてに当てはまる人生コースそのものだった。

 分譲マンションは、そうした住宅コースの通過点だった。口にこそ出さないが、誰にとってもマンションは一戸建て住宅を目指す途中で通過するだけのものだったから、何年も分譲マンションに住んでいると甲斐性がないとか、よほどの信念があるかのどちらかだろうというのが通念だった。

 引っ越して出ていく人にはゴールを実現した人へのかすかな羨望を交えた視線が向けられたものだった。年数のたったマンションは、もはやマイホームではなくなっていた。

やがてバブル。売り出した会社は姿を消し、竣工後の居住者が増えて マンションの昔は年ごとに遠くなっていった

 45年の間にバブルが起こって、消えた。マンションの分譲会社も姿を消したし、居住者もすっかり変わって、竣工当初からの居住者は絶滅残存危惧種と化した。

 だから、かえって45年住み続けてきた今の居住実感は貴重だと、つくづく思う。年月が過ぎたマンションでは物事がどれほど変わるかをいろいろな形で嫌になるほどじっくり見せてもらってきたからだ。

 45年経ってわかったこと、ほかの人にもぜひ伝えたいことは、もう本当に限りがない。

 マンションは長寿命の建物だが、住んでいる人間の方はまるで違う。建物はそれほど予想を超えて変わることはないが、人間の方はまるで違う。やや年月の経過を見せながら建ち続けるマンションで、人間の方は予想を超える変わり方を見せた。

 今のマンション管理の仕組みも、いずれ変わらざるを得まい。変わらなかったら、どうなるか。放置されて無人化し管理どころではなくなったマンションの実情も、この秋のブログに書いた。

 そんなことも記録があればこそ、何とかなる。

 この時期に、そんなことを考える人は、いまどのくらいいるのだろうか。

| muraitadao | コラム | 04:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 41】マンションの12月は管理の正直な素顔が現れるシーズンではないか?管理組合にとっても管理会社にとっても

○○号室に住んでいる人は何という名前ですか?

 マンション正面玄関の光景には、そこに住む人が管理をどう考えているかが正直に浮かび上がっているような気がする。

 ○○号室には何という名前の人が住んでいるかという当たり前の事実を誰にもわかるような形で示すというのは、マンションがマンションとして成り立つための基本条件である。ビジネスビルと違ってマンションの本質は人の住まいなのだから、そこには必ず誰かが住んでいるという状態の表示は当然の話だ。

 だが、この頃は必ずしもそうとは言えなくなったようだ。マンションに住んでいる人自身が名前を出さないようにしようという風潮が強くなってきている。

 こんな風潮の生まれる原因は、はっきりしている。名前が個人情報だからという理由だけで、とにかく名前を出さずにすませよう、名前はできる限り出さない方がいいと考える人が多くなっているからだ。

 名前が個人情報だというのは、当たり前のわかりきった話である。集合住宅で住んでいる者が自分の名前を出すのも、今さらいうほどもない常識だ。

名無しの権兵衛でもあるまいし、住宅に自分の名前は出すのは当たり前。名前が出ていなかったら、あのウチはきっと何か人に言えないワケがあるに違いないと誰もが思ったもの・・・

 集合住宅であろうと一戸建て住宅であろうと、自分の住まいに自分の名前を出すのは常識中の常識だった。マンションが一戸建て住宅に代わる住まいとして登場した半世紀前の昔から今もこの常識は変わらない。

 無人の空き家やワケあって人目をはばかる隠れ家でない限り、住宅に名前を出すのは当たり前の話だった。

 子供のころ「○○寓(ぐう)」という表札の家を見かけることがあった。もともと「寓」は人の住まいの意味だから「安倍太郎」とか「麻生二郎」とかフルに氏名を書けばいいのになぜそう書かないのかと、いつも不思議だった。

 ずっと後になってから、それは「名前を書けないワケがあるからだ」と聞いて少し納得した。

 やがてそのワケはわかったが、人に知られたくない事情があっても無人の空き家ではなくて、れっきとした人の住まいであることを示す表札は欠かせないもので、住まいに氏名を全部出せないことがあっても苗字だけは表札に出すものなのだと、子供心に思っていた。

 だから、表札がない家なのに誰かが住んでいる様子があったりしたら、あそこは、きっと何か表に名前を出せないようなよくよくの事情があるのに違いないと単純に決めていた。自分の住まいには自分の名前を出すものなのだから、名前を出さないウチは何か特別の事情があるのに違いない・・・。

 マンションだって人の住まいだから、そこは同じはず。

 そう考えてきた。

 今も、そう考えている。

隣の人が誰だかわからないマンションはホテルと同じ。実質的に賃貸マンション化した名ばかりの分譲マンションでは…

 何も問題のいないマンションなら近隣の人と同じところで朝晩いっしょに過ごしていても、短期間なら隣の人の名前がわからなくても別に困ることはない。

 ホテルで隣り合った部屋に泊まるのと同じだ。隣の部屋に泊まっている人の名前など知らなくても、いずれどこかへ行ってしまうのだから、いちいち気にする必要もない。同じところで過ごす期間が短ければ会う機会が少ないし、まして共通する生活条件などもないからだ。

 隣に誰がいようとかまわないし、それは逆に隣から考えても全く同じである。
                   ☆
 だが、マンションはそこが違う。

 ホテルは泊まるところだが、マンションは住むところだからだ。

 ホテルは借りた空間で生活条件の確保も他人任せだし限られた期間だけ借りて使う場所だが、マンションは生活条件の確保は自分が持ち主として何とかしなければならない場所だ。自分が何とかすることもできなかったら、費用を払ってどこかに頼まなければならない。

 その場合も、自分が持ち主であることにはまったく変わりがない。

 お金を払って泊まるホテルと、持ち主として住むマンションは、ここが違うというだけのことだが・・・。

 でもこの違いがわからなかったら、住む人の感覚はホテルと同じになる。そうなれば、分譲マンションとは名ばかりで、実質的には賃貸マンションと化してしまうはずだが・・・。
                   ☆
 住んでいる人の名前がすぐわかる状態のマンションは、そういう状態を確保している人がいる。

 必要なら名前を出すことを知っている人が、住んでいる。

 名前がわかるのは約束事があって名前を聞く人には誰もが名前を知らせるからだ。

 そうしなければ住みにくくなる仕組みがあるからだ。

 住んでいる人は誰もがその仕組みを知っているからだ。

 その仕組みが、そうしなければならない約束事と必要なお金の支払いで成り立っているからだ。
                   ☆
 マンション管理とは、結局のところ、そういうことではないか。

| muraitadao | コラム | 08:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 40】マンションを一戸建て住宅の代替と考える発想はもうなくなったのだろうか、それとも、まだ、どこかに・・・

思えば、最初の大規模修繕工事がマンション管理という課題の底知れぬ重さを痛感するきっかけだった

 住み始めて10年を過ぎたころ、正直に言って、私は、まだマンション管理のことにそれほど関心を持ってはいなかった。住んできたマンションはそんなに古くなってはいなかったし、大した問題があるわけでもなかった。

 その一方で、住宅金融公庫でそろそろ責任のある立場に立たされることが多くなってきた。住宅産業という分野が生まれ始めていたし、今までとは打って変わった民間金融機関の住宅ローン進出が話題になることも多くなってきた。

 中古マンションがそれなりに市場価値を持つことが少しずつ意識されるようになると、いま住んでいるこのマンションは「いくらぐらいで売れるんだろうか」といった言い方が世間話にかぶせて語られることが多くなってきた。

 新築マンションがブームまがいに売り出される中で、建築後年数を経た物件もあらためて、不動産取引面で市場価値が見直されることが多くなり、中古マンション用の住宅ローンが生まれる状況も大規模修繕工事を受け入れる雰囲気の背景にあった。

 ただし、コンクリート建てのマンションが木造住宅よりも長寿命だという常識レベルの理屈だけはわかっていても、居住者個人の感覚では間違いなく不安があった。

 近所の新しいマンションを引き合いに出しながらウチのマンションだって、まだまだ・・と考える人は当然いたから、中古マンションという視点の資産感覚がかなり多くの人に広がってきていたのも確かだった。

 だが、そう考えても、当時あまりポピュラーではなかった「大規模修繕工事」という言葉の提案が総会で賛成されたのは今でも感慨深い気がする。

 大規模修繕工事はその後10数年ごとに回を重ねてすでに3回目を昨年すませたし、ほかにも外壁改修以外の大スケールの共用部分修繕工事をすませてきたが、基本的に大半の居住者の無関心ぶりは相変わらずで、築後45年の今もあまり変わっていない。

 だが、今ではこうした言葉で語れる大半の無関心ぶりだが、最初の大規模修繕工事当時はかなり気分的にきつかった。重かった。

 だが、悩んでばかりいても仕方がない。

 反応がないのは聞いても返事がないと考えるしかない。返事がなければ賛否はわからないが、少なくとも反対ではない。それなら、事実上「提案が否定されていない」と理解することができると考えた。

 よくよく考えてみれば、いくら汗だくで主張しても、当の提案者自身を含めて大規模修繕工事など誰ひとり自分自身で経験していない状態だった。そうであれば、誰も経験していないことを「賛成か反対か」と聞かれたって、答えようがない。

 最終的には、一種の割り切りしかなかった。

 悩みに悩んで割り切った結果浮かび上がった結論は、実態を見て判断するしかないということだった。

「扉の外もマイホーム」という抜群のフレーズがすぐ姿を消してしまったマンション管理センタースタートのころ

 割り切りで見出つけた方向は、その後、今でも大きな支えとなっている。提案することを経験で確かめていなくても、考えられる限り、確かめられる限り正当な必要性を持っていれば、確信を持って進むしかないという考え方が、いつも最大の支えになるということだった。
                   ☆
 かつて、分譲マンションが普及し始めたころ、マンションを「マイホーム」ととらえる考え方があった。マンションは一戸建て住宅の代替イメージの産物と考えるのが常識だった。

 大きな建物の一角に住んでいても、自分の住戸の玄関ドアの内側はまぎれもないマイホームだと考える風潮だった。

 住宅不足解消を目指してスタートしたはずの日本住宅公団でさえ、当初の賃貸団地ばかりでなく分譲団地を供給し始めたし、それに煽られて都道府県市の住宅供給公社が続々と分譲団地を作るようになって、大小さまざまのニュータウンが全国各地に生まれた。

 だが、こうして続出したニュータウンは、結局のところ、あくまでも個人レベルのマイホームイメージの集積体だった。集合住宅特有のイメージはあまりないまま一戸建て住宅感覚が集積されたものが、マンションだったといえる。

 この時代に「住宅双六」というイメージが流行した。自分の住まいはモクチンアパート→公団の賃貸団地住宅→庭付き戸建て住宅という展開だった。

 昭和年代の終わりに近いころ、できたばかりのマンション管理センターに協力を求められて、機関紙づくりに関わった時期がある。

 このころ「扉の外もマイホーム」という言い方を進めたいという意見がでたことがあった。いわゆるマイホームイメージで専有部分である各戸玄関扉の内側だけを考えると、共用部分を含む集合住宅全体のイメージが理解しにくくなる。

 そうなれば、自分のマンションの住みよさを専有部分だけでなく共用部分と一体化して集合住宅特有の住みよさがわかりにくくなってしまう。庭付き一戸建て住宅のマイホームイメージとの絶縁がマンション管理には欠かせないのだからこの言い方は抜群にすばらしいと思った。

 しかし、このとき、この言い方も考え方もまったく反応がなかった。

 マンションはやはり一戸建て住宅のマイホームイメージを膨らませたものだったことをあらためて実感する。

いまマンション独自の集合住宅観がどのくらいあるのだろうか。マンションストック600万戸のこの時代に・・・

 庭付き一戸建て住宅のマイホームイメージとは別次元のマンション特有のイメージは、いまどういう状況なのだろうか。

 もはや珍しさもなくなったタワーマンションはどうなのか。タワーマンションと並び立つ古いマンションは、どうなのか。高齢者や外国人など、昔は考えたこともなかった居住者が住むマンションは、今もマイホームのイメージのままなのか。

 一戸建て住宅のイメージを引きずったままのマンションが前提となっている状態はもうなくなったのだろうか。

 一戸建て住宅にはないマンション独特の共用部分は、生活基盤を共有する集合住宅特有のものとして定着しているのだろうか。

 マンションをまず「持っているかどうか」という視点だけでとらえる区分所有建物としてなく「持って住む」生活共同空間としてとらえる考え方は定着したのだろうか。

| muraitadao | コラム | 09:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
【44年の実感で「マンションの管理」を考える 39】書いても書いても書くことが終わらないままブログを書き続けて12年目・・

2006年11月にメモを書く気分で始めたら、いつまでたっても書き終えた気分にならなくて・・・

 このブログも11年が過ぎて12年目に入る。

 と言っても、年数が過ぎたことなど書き手がやっと気づく程度のことにすぎないが・・・。

 普通は、同じテーマを同じ視点から語り続けていれば、いずれは語り終えるところにたどり着く。たどり着いたといえなくても、何とか一区切りつく状態になる。

 しかし、マンション管理ブログと銘打って始めたこのブログは、10年過ぎても一向にそうならないままだ。

 ブログは論文やエッセイと違うから、折々の感想を気持ちのまま日記風に書きとめるプライベートなものである。何を、どういうふうに書こうと、そこは自由だ。書きたければ書けばいいし、書きたくなくなったらいつでもやめればいい。

 それだけの話である。締め切りとか行数なども、いっさいフリー。気にしなくていい。気楽この上なし。

 そう思って、書き始めた。

 書きたいから書く。書きたくなくなったら、いつでもやめよう・・という気分は、今も頭の真ん中にあるのだが・・・。

 だが、毎年11月の今ごろになっても一向に「いつでも・・」という気分にならない。今年も、そうなった。書きたいことがなかなか書き終わらないからというのに尽きる。

 なぜ、書くのか。

 書きたいからだ。

 なぜ、書きたいのか。

 自分が感じ、考え、納得し、逆に納得できず、おさまりきれないことをほかの人に知ってほしいからだ。

 なぜ、そう思うのか。

 まだ、知ってほしいことを書き終わっていないからだ。

 それどころか、むしろ増えているような気がする。

だから、もう、書くしかない。

まだ珍しかった「マンションの大規模修繕工事」の連載記事を雑誌に書いたころ、発足早々のマンション管理センターへの協力を理事長から求められて・・・

 ブログを書き始めたのは、住み続けてきたマンションで2回目の大規模修繕工事を終わって間もない時期だった。

 2回目の大規模修繕工事が必要だという話になった時、最初の大規模修繕工事に携わった者に旗振りの求めが来るのは当然の成り行きだっただろう。

 でも、正直に言って、10年ちょっと前の大規模修繕工事の初めから終わりまでを経験済みなのだから、今度は何とかなるだろう・・という気持ちがどこかにあった。

 でも、これは、ある種の思い上がりだった。やってみて大違いだと思い知ることの連続だったからだ。

 第1回目の大規模修繕工事は昭和50年代の末期で、専門の組織もルールもなく、ただ、もう闇夜の手探りの気分だった。

 このころは、まだマンションの大規模修繕工事そのものが珍しくて、雑誌に連載記事を書いたこともある。情報価値が雑誌の売れ行きを動かすだけの重さを持っていたから、大規模修繕工事の記事が出ればそれなりに売れ行きが伸びたのかもしれない。

 そんなころ、できたばかりのマンション管理センター理事長から声がかかった。センターの初代理事長は住宅金融公庫の総裁でもあったから、どこかから大規模修繕工事の旗振りを務めていた私のことが伝わったのだろうと思う。

 確かに発足したばかりのマンション管理センターには、実情がわかっている人がほとんどいなかった。

 でも、自分が納得して関わったのだから、手は抜けない。もともと引き受けたことには一途になる性分がある。

 そう思ったのが、30年を超えるマンション管理との関わりの始まりだった。

マンション管理に関わる30年あまりが始まったが、書くことも語ることもそれほど変わってはいない実感が・・・

 自分の苦労が大きかった分だけ余計な苦労をしなくてもいいような効果をもつ情報を知らせたい気持ちは、マンション管理センターとの関わりでひときわ大きくなった。

 だが、具体的な手段は実に乏しかった。知恵を凝らした月刊誌「マンション管理センター通信」は大して役に立たなかったし、何よりマンション管理センターが知名度の低い超マイナーの組織だったから、存在感がほとんどなかった。

 さすがに、これでは・・・と思ったらしいセンターの担当者から、どうしたらいいでしょうかと相談を受けたときの驚きを今も覚えている。

 センターの人は、こう言った。『ウチのセンターのことを知ってもらえる案内状を郵送します。マンションがあれば必ず管理組合があるはずだし、そこに理事長がいるはずです。名前なんかわからなくてもちゃんと郵便は届くはずですから』

 何だかピンと来なくて、郵便封筒にどう書くのかを確かめてみると《リクルートの「週刊住宅情報」の後ろの方に中古マンションの欄が何十ページもあって、そこでマンションの名前も所在地もわかりますから。》という。

 思わず《名前がわからなかったら、大半の郵便が宛先不明で返送されてきますよ。はずだ、はずだとおっしゃるけれど、実情は違いますからね》と切り返した。

 正直なところ、実情知らずの能天気ぶりに腹が立ったのだ。

 最終的に固まったのがこちらから提案したマンション管理セミナーの開催だった。当時の新聞は開催行事の告知を生活情報として掲載していたので。かねて「住宅評論家」のクレジットで縁ができた各紙に記事の掲載を頼んだ。不安だったが、かなりの新聞がこの要望に応じてくれたのは正直に有難かった。

 それほど有名ではない会場で平日に開いたイベントだったが、自分自身が関与する最初のマンション管理セミナーがこうして実現した。
                   ☆
 セミナーという具体的な機会の実現で、マンション管理という課題が六法全書に出てくる法律や設計図の次元から人間の体温にあふれた現実感を一気に増した。

 竣工以来ずっと住み続けてきたマンションで生活感覚レベルになったマンション管理は、顔の見えるリアルな課題に予想を超えるほど大きく変わった。
                   ☆
 知りたい人へ、知りたいことを知らせる・・・。自分にわかっていることを残すところなく伝える。書くことも話すことも、すべてここに集中している・・・。
                   ☆
 この思いはブログを書き続ける最大の支えになってきたし、今も、そこは全く変わらない。 

| muraitadao | コラム | 08:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
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