村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【43年の実感で「マンションの管理」を考える 8】大規模修繕工事を重ねるうちに直視を迫られる「いま住んでいるマンションの将来」

回を重ねるたびにはっきり見えてくる大規模修繕工事の難しさ、その向う側にだんだん浮かんでくるマンションのこれから

 このブログを書いている窓の外で、大規模修繕工事の足場の解体が始まった。

 43年住み続けてきた11階建て4棟600戸のマンションで、3回目の大規模修繕工事が終わり近くなっている。最初は30年以上前、2回目は13年前。どちらも旗振りを引き受けたが、今度の3回目では、もう引っ込むつもりだった。

 だが、そうもいかず相談相手ぐらいは・・という感じで4年前から関わってきたのが、今度の3回目の大規模修繕工事だった。

 何らかの形で自分の住むマンションですべての大規模修繕工事に関わることになった人はほかにもいるかもしれないが、それほど多くはあるまい。たださえ敬遠されがちなのだから。

 その分だけ、経験して始めてわかることがいくつもあると言えそうだ。実感することは山ほどあるが、二つほど書く。

 第一は生活している空間の中で進める大規模修繕工事は回を重ねるたびに難しくなるという点だ。どんな解説やセミナーでも誰も語らないが、絶対に無視できない実情である。

 二つ目は、40年以上を経たマンションがいずれ迎える建て替えか大規模修繕工事かという将来像選択時期の接近である。何十年も住んできたマンションの現状確保という目標実現の方法をどうするかという最も難しい課題だ。

生活のエリアで進む大規模修繕工事の具体的な進み方が回を重ねるたびに難しくなる。居住者生活への影響が大規模修繕工事の進行を応用問題化する

 大規模修繕工事はリフォーム工事の一種だ。いつもと同じ生活が展開する中で大掛かりな工事が進むのがリフォームだという点では、一戸建て住宅もマンションも同じだと言える。

 しかし、集合住宅であるマンションでは、その難しさが一戸建て住宅と比較にならない。生活場面で工事の影響を受ける当事者が集団レベルの規模で多数かつ多種多様を極めるからだ。

 それも単に《大勢の人》というだけの意味ではない。経年変化の影響によるメンバーの変貌を考えなければならない。マンションの中古化とともに《大勢の人》の顔ぶれは入れ替わるし、同じままで変わらなくても高齢化や世代差が生まれるからだ。

 30年以上前の最初の大規模修繕工事のときは方法も手探り状態だったが、工事の行われる昼間は大半の住戸が留守だったから、騒音も振動もそれなりの方法で対応できた。建物の劣化も経過年数が短かったから、それほどではなかった。

 13年前2回目の大規模修繕工事の時は、ちょっと状況が変わった。リタイアした居住者が最初の時よりも増えて在宅率が大きくなったので、昼間在宅者の生活への配慮事項がかなり多くなったからだ。近隣の新築マンションが増えて「あそこのマンションのような・・」という設備についての要望が外装工事以外にも格段に増えた。

 そして、今度の3度目の大規模修繕工事。築後40年を超えると居住者の高齢化率はもう40%に近くなる。大抵の住戸に高齢者が昼も暮らしているし、その一方で若年単身者も増えた。一人住まいの住戸も目立つ。

 周辺の新築マンションと並ぶ中での外観比較も軽視できなくなった。

 何よりも大きい違いは、居住者の入れ替わりだ。昔のことなど何も知らないし、こだわりもないから、43年もたったマンションの過去など大半の人にはわからない。

 そんな状態のマンションの外側に足場が組まれて薄暗さや狭さが気になる人が増える。仕事の関係で在宅時間が変則的な人には昼間の騒音も無視できない。

 ベランダの使用制限などへの理解も以前とは一変して、過剰な自己主張のために協力したくない居住者が多くなった。工事会社任せにできない場面で、管理組合の対応の判断が試されるケースが続く。

 ほとんどのことは、居住者の生活面への影響によって起こる物件固有の問題ばかりだ。それも「ウチのマンション」特有の・・・。

 それに気づき、それに手を打てるのは、そのマンションの管理組合しかない。

これからも年数がたてば何回目かの大規模修繕工事を重ねるのか、それとも…。やがて何年もたった時のウチのマンションを語れるのはいったい誰か

 漠然としているが、大規模修繕工事には周期がある。30年ぐらい昔は都市伝説的な感じで10年と言われていたが、いまは15年ぐらいが目安か。

 正確な年数や確たる論拠は、今も知らない。だが人間の高齢化と同じくマンションの経年変化は必ず起こるから、それに対応する大規模修繕工事が避けられないことやそれにも対応できなくなる限界があることは今までのマンションの歴史ではっきりしている。

 相当の年数がたったマンションでは、これからもまだ大規模修繕工事を続けるのか、それとも建て替えを考えるべきなのかという選択を迫られる時期が必ずやって来ることを大半の人が頭に浮かべるようになっているはずだ。

 大規模修繕工事も建て替えも、総会で議決しなければならない。総会議決を単に手続きとして考えてはなるまい。これからも修理を重ねていくのか、それとも修理に見切りをつけて建て替えるかを、そのマンションと所有関係で関わりあう多数の人間がどのように思い描くかによって結論を出すべき課題なのだ。

 これは容易なことではない。《総会で決める》という手続きを意味する言葉の背後には、10数年を過ぎたマンションの光景の中でほかならぬ自分自身がどのようにたたずんでいるかを思い描く必要があるからだ。あまり気の進まぬ課題が、だんだんはっきり見え始めるよういになってくるのだ。

 こういう段階になった時、手続きの当事者は管理組合しかない。だが、その管理組合は、手続きの背後の光景をどう思い描いているだろうか。

 これから何十年かが過ぎて建物や居住者に放置できない経年変化が起こった時も、当事者は管理組合しかない。

 メンバーが一変している可能性は少なくないが、そうなっても仕組みの上では管理組合だけが依然として意思決定できる唯一の当事者となるのだから。

 今の制度はそう決めているのだ。 

| muraitadao | コラム | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える7】大規模修繕工事のたびに居住者の世代差が広がり管理組合組織は難しくなる

長い年数が過ぎたとき大規模修繕工事で気づくのは「何年たっても組織力が変わらない管理組合だけがマンション管理の主役を担えること」

 竣工してから同じマンションに住み続けてきたなどということは、もともとどうというようなことではない。まして、わざわざ公言するようなことでもない。

 だが、単純至極な生活感覚で《何年過ぎたら何がどう変わるか》を見つめ続けてきた経験からわかることがいくつもあるのも、確かだ。《マンションは年数がたつほどあらゆる側面が古くなっていく》ことは間違いないのだから。

 時間がたてば何でも古くなるというわかりきった話がマンションにも当てはまる以上、過ぎた年数分だけ建物は古くなって劣化し、住む人は老いて高齢化する。

 賃貸でも分譲でもまったく同じだ。

 ただし、ここからが違う。古び方に対応する仕組みが、賃貸と分譲ではまったく違うからだ。

 年数経過による資産価値の低下に対応する仕組みが「管理」であり資産所有者自身の課題だから、賃貸マンションと分譲マンションでは管理の当事者がまるで違う。

 賃貸マンションでは所有者が数社か数名という僅かな数だが、分譲マンションでは住戸ごとに所有者がいるのだから、管理の当事者はかなりの複数となる。加えて、そうした多数の当事者に共通の管理を一体の建物で実行しようという現実的な条件があるから、組織レベルで考えないわけにはいかない。

 こういう意味での管理が進められる建物はコンクリート建造物で長寿命だから、その管理も建物寿命に対応した長い年数を前提としたものでなければなるまい。

 マンションの寿命が50年とか60年に及ぶのに、管理の方はもっと短くてもいいと考えるわけにはいかない。

 マンションがある程度の年数を過ぎた時、そのあとは年月の経つまま荒れ放題になるのに任せて住居としての機能を失った無人の廃墟になってもいいとはいえないのだから。まして、市街地の一角で周辺エリアへの影響が一戸建て住宅に比べてはるかに大きいマンションが放置されて廃墟化することになれば無視できない問題となる。

※具体的な表示は控えるが、もう何十年も前から放置されたままの実例がある。

当の管理組合自身は自分の過去年数がわかりにくいのに維持管理の当事者にならざるを得ないという難しさ。でも、大半の人はそこに気づいていない!

 そうなってならないとか、そのためにマンションの管理が必要なこと、それこそが管理組合の役割であることを大半の人は理解しているはずだ。

 問題は、その先である。

 建物が長寿命なのだから管理も長寿命でなければ・・というところまでで、思考停止状態になってしまいがちだからだ。建物の長寿命を考えた後には「管理の担い手となる管理組合もまた長寿命でなければならない」というしごく当たり前のステップを思い受べるはずなのだが、どういうわけか、そこには思いが及ばない。

 管理組合を想定したマンション管理のイメージから時間的側面が抜け落ちてしまう実情があるからだ。自分が住んでいるマンションに当てはまる現実的な課題が当事者としての自分自身の重い課題になるはずなのに、そう思わない。

 思おうとしない、あえて気づこうとしないといった方がいいかもしれない。

 マンション管理が他人事感覚の話になってしまうのだ。

 うすうす気がついている人がいても、それを口にして語ることはめったにない。

 実際、43年住み続けてきたマンションの管理組合でそんなことを語る人に巡りあった記憶はないし、自分のマンションに限らず、いろいろな機会に巡りあったマンション管理分野の人からそういう論点を聞いたためしも全くない。

 こうして、長寿命のマンションを管理する仕組みに時間的な側面が欠かせない重みを持っていることが大半の人の頭に浮かばなくなっている状態のまま、今やマンションストック600万戸時代を迎えていることになる。

マンション居住の実態を把握して管理組合組織の本質を早く見直さないと過去の素性不明マンションがあちこちに続出する!間に合ううちに早く議論を!

 こうなる理由はあるし、手がかりもある。いくつかあげてみよう。

●マンションのイメージを一戸建て住宅の延長上で考える時期は、もう遠い昔のものとなった。一刻も早く生活条件を共有する集合住宅独自のイメージの把握を!
→いつまでたってもマンションを一戸建て住宅の集積体と考える昔ながらの単純なイメージがある限り、集合住宅独自の視点は生まれない。今のイメージのままでは3階建ても30階建ても30戸も300戸も変わらない仕組みの無意味さが解消しない。

●『住む』ための建物には『所有』のみでなく『居住』が最大視される前提でマンション管理システムを見直すこと!マンションを資産価値重視の経済財だけで考えるのでなく、物件ごとに固有の価値を持つ生活財として一体的に考える必要がある。
→マンションを所有という権利面だけで賃貸と分譲に区別する発想のままだと、マンションもホテルも変わらないことになる。マンションは「持って住む」のか「借りて住む」のかを前提とした管理を考えないと《マンションは損が出ないように10年で売り飛ばしなさい》といった本が売れ続けることになる。

●管理組合という組織の本質を基本的に見直す時期が来ている!管理組合を「区分所有者の団体」とだけ考える何十年も昔からの発想では、マンション巨大化時代の管理組合の組織の実情に対応できなくなるばかりだから。
→組織はメンバーの状況で実情が決まる。竣工当時のまま永遠不変の区分所有者などあり得ない以上、現在の区分所有原則だけで管理組合をとらえる素朴な視点ではとうてい組織実情に対応できない。在来のマンション管理をめぐる議論で感じる現実離れした一種のもどかしさは、この点に関係があるはずだと思う。

 今さら、年数経過に伴う区分所有者の交代や年数経過による区分所有者の高齢化などを持ちだすまでもあるまい。
                   ☆
 ブログで書くにしては、いささか大上段になった。これぐらいにしておく。

 ただ、ひとつだけはっきり言っておきたい。売買段階を過ぎて居住段階に入ったマンションの複雑な現状を関係者がもっと的確に確かめることが絶対に欠かせない。

 実情確認抜きの議論は、もういい。

 何も知らないことに気づかない人たちの議論は、もう聞きたくない。

| muraitadao | コラム | 10:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える6】大規模修繕工事を重ねるたびに強くなる実感「管理組合っていったい何だろう?」

このブログを書き始めたのは12年前だったが・・・
      このブログは今回で12年目に入る。日本不動産ジャーナリスト会議(REJA)からホームページに開くブログに参加してほしいという呼びかけがあって応じたのが、きっかけだった。

 戦後10年目の時代から住宅ローンを担ってきた住宅金融公庫を退職して、20年近くが過ぎていた。気がついてみると、住宅ローンを中心にしてきた住宅評論活動の重点が、いつの間にかマンションの管理に移っていた。

 自分自身も竣工以来同じマンションに住み続けてきた年数が30年を超えていた時期でもあった。そんな実感で考えると、マンションストック戸数が500万戸に近いなどとしきりにいう人が多いわりにはマンションの実情について発言する人がいない不安やもどかしさ、腹立たしさがあった。

 このブログを書き始めた時に、そうした気持ちがあったことは間違いない。

 プライベートな実感をベースにして問題提起をしたい人間にとって、ブログはうってつけのスタイルだった。いくらでも書けたが、更新は毎月3回に抑えた。これももう400回近い。

 それでも、イラストもなければ面白くもない不愛想なスタイルのブログに目を向けてくださっている方がおられることは、正直うれしかったし張り合いもあった。
                   ☆
 このブログをスタートしたのは、2回目の大規模修繕工事の翌年だった。12年目のブログを書いている今は、3回目の大規模修繕工事が間もなく終わる時期である。

 偶然にタイミングが重なって、こうなった。

大規模修繕工事にぶつかれば否応なしに管理組合のことを考えざるを得ない。管理組合の建前とありのままの実情を

 管理組合にとって、大規模修繕工事はやはり大仕事である。何年かに一度、必ずめぐり合わせる課題だ。だから、どんなに気が重くても管理組合はきちんとその役割を果たさなければならない。手を付けなくても別に法律でどうこうということはないが、いつかは自分に先送りした報いがまわってくる・・・。

 と、いう話になるのだが、実際のところ、管理組合の体制はどうなのだろうか。

 大規模修繕工事を自分自身の課題として考える立場の管理組合に、果たして当事者意識があるのだろうか。言葉で言えばそういう役割を担うはずの管理組合に、そんな当事者意識を作れるような意思決定や行動展開ができるのだろうか。

 「区分所有者の団体」である管理組合のメンバーとなる一人一人が建前通りに区分所有法や管理規約で決まったことをきちんと実行できるなんて、そんなことが本当にできるのか。
                   ☆
 そんなことは、間違っても、ありえない。

 大規模修繕工事が必要になるほどの年数がたったマンションでは、いろいろな点で竣工した時とは実情が変わってきている。経過年数に対応して変化するのは建物だけではなく、居住者や区分所有者の方にもそれなりの変化が必ず起こっている。

 となれば、管理組合にも経過した年数の分だけ実情が変化しているはずだ。

 竣工した時に実現できていた建前も大規模修繕工事が必要になるほど年数が経過すれば、どこかが変わっているはずだ。

 マンション管理の本当の重みや難しさは年数の経過が自分のマンションにもたらす変化にどこまで対応するかという点にあるのだ。

 建前と違う実情に対応しながら大規模修繕工事を進めようとする管理組合の実情は、いったいどうなっているのだろうか。

 マンション管理には、そんな不安をもたらす側面があることを、大規模修繕工事は覚らせたような気がする。

管理組合を「区分所有者の団体」だと本気で信じている人と、もう信じていられなくなった人が隣り合って住むマンションではどうしたらいいか

 最初の大規模修繕工事を何とか終わらせることができたのは、区分所有法が年ごとに増え始めたマンションの実情に対応できるようにという最初の改正からちょうど1年余りが過ぎた頃だった。

 その法律によれば、大規模修繕工事も総会で決めなければならないんだそうだ、総会なんて開いたことがないし、いったいどうしよう・・・。

 法律や管理規約は「してはならない」ことはこまごまと書くが「した方がいい」ことは何も教えてくれないではないか・・・。それは当たり前だ、した方がいいことなんてマンションごとに違うんだから、そんなこと法律で言えるはずがないだろう。

 そんな議論が出ていた。竣工したころにはなかった意見が出るようになっていた。

 同じマンションに住んで知っているつもりだった顔ぶれが変わり始めたことに気がついたのは、こんな頃だった。気がついてみると、家賃を払って住んでいる人や社宅として住んでいる銀行勤めの人もいた。外国人も、何人か・・・。

 管理組合が「区分所有者の団体」だなんていくら言ったってそれは理屈倒れだという人と、でもそういう理屈がなかったら600戸もあるマンションは無政府状態になってしまうという人とが隣り合って住む状態が生まれていた。
                   ☆
 《マンションは人の数だけ意見が分かれる世界だ》ということを片時も忘れると、マンション管理は現実的な効果を失ってしまうことを痛切に悟らざるを得ない時期が、こうして始まった。

 このことを読み取れるかどうかがマンションを語る人の言葉の受取り方を左右することを無意識のうちに考えるようになったのも、この頃からだった。

 この実感は、その後ますます強くなって行った。マンションの外側で起こることが、まわりまわって仕組みを変え、マンションに住む人の様子を変わらせることになる。

 《世の中で起こることは姿かたちを変えながら、マンションでも必ず起こる。》そのことを考えないまま法律だけを考えるのでは誰も納得しないから、管理組合はますます動きがとれなくなる。

 その実感が、年ごとに強くなっていった。

| muraitadao | コラム | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える5】大規模修繕工事で知った法律の想定を超える管理組合組織の人間的側面

自分のマンションの過去を覚えている人がどこにもいない!誰も気づいていないマンション管理最大の盲点「組織レベルの記憶喪失」

 人生のちょうど半分を過ごしてきたマンションの43年を書きながら、どうにかここまでたどり着いた。

 実は、正直に言うと想像以上に厄介だった。

 なぜか。記憶を確かめようとするたびに、自分の記憶の曖昧さに気づかざるを得ないことが多かったからだ。書くことには正確を期したいから、間違いないことだけを書きたい。しかし、ほんとにそうだったかなぁ・・という感じがあると、気になる。

 で、その都度、保存しておいた管理組合の広報誌を開いて読み直す。読むたびに、自分ではただ一途に頑張ってきたつもりだが、それでもやはり仕事の合間を縫いながらだったあの頃に気づかないままだったことがいかに多かったか。あの当時、こんなに多くの人が時間とエネルギーを注いでいたのに・・・。

 慙愧の思いがする。
                                           ☆
 でも、ここに気がついたのは、やはり広報誌をみんなで延々と作ってきたからこそだと思う。あの頃、法律にも管理規約にも出てこないのにそんな余計なことをやって、いったい何の役に立つんだという理詰めの意見を気にしながら作られてきた広報誌があったから、今これだけのことが確かめられたのだとつくづく思う。

法律や管理規約になくても必要なら具体化するのが一番。それを教えてくれたのは自分のマンションの実情だけだった

 何か残しておかないと、時間がたてば必ず何もわからなくなる。人の記憶は決して頼りにならない。誰しも忘れっぽいのだから。

 この直感は、当たっていた。それどころか、今や確信に近い。

 いくらマンションが長寿命だなど言ってもそれはコンクリート造建物だけの話であって、住んでいる人間の話になるとまったく違う。誰でも、過去のことなどすぐ忘れてしまう。管理組合だって、実はそんな人間の組織ではないか。

 管理組合が区分所有者の団体という考え方も、《忘れっぽい区分所有者の団体》だということになることにきちんと気がつかなければ・・・。

 管理組合組織には、実は、記憶喪失という無視できない傾向があるのは、れっきとした事実なのだから。

マンションは感覚も生き方も人間の数だけ異なる世界。その実態は権利概念が中心になる「区分所有者」の5字からはほとんど読み取れない!

 33年前、大規模修繕工事を具体的に考えようとすると、最初のハードルは「なぜこんなことが必要なのか」を途方もなく大勢の人にわかってもらうことだった。

 マンションに関係する区分所有法という法律があって、年ごとに増え始めたマンションの実情に対応するための最初の改正からちょうど1年余りが過ぎた頃だった。

 その法律によれば、大規模修繕工事も総会で決めなければならないんだそうだ、総会なんて開いたことがないし、いったいどうしよう・・・。

 竣工後10年を過ぎたマンションにはずっと後になって政府高官になるような人も住んでいたが、だからと言ってそれが何か役に立つわけでもない。通常総会さえ開いたことがない4棟600戸の管理組合にとって、総会決議は未経験の難題だった。

 総会を開いて賛成してもらわなければならないなら、まず「どうして大規模修繕工事が必要なのか」を納得してもらわなければならない。そのためにはまず「大規模修繕工事が必要な理由」を知らせなければならない。それを知らせるためには、いったいどんな方法で、何を、いつ知らせるか・・・。

 竣工後43年たって第3回目の大規模修繕工事が終わりに近づきつつある今も、この点は当時とまったく変わらない課題になっている。

 まして、まだ経験の蓄積もない管理組合にとって、これは重荷だった。600戸に住んでいるのはクブンショユウシャ(区分所有者)という聞いたこともない難しい名前ではなくて、名前と顔の両方か、あるいはそのどちらかが思い浮かぶ人たちだというのが管理組合の感覚だったから。

 もしかすると市役所よりも大きな建物に住んでいる大勢の人に、まず「知らせる」ことが先決だった。

 「知らせる」ことが《広報》を指すことなど、当時は考えもしなかったが・・・。

“賛成してもらう”には“わかってもらう”ことが必要、そのためには“知らせる”ことが必要。こんな当たり前のことを見落とすと本質が見えなくなる

 で、まず考えたのは当時から発行していた掲示板だった。しかし掲示板よりも広報誌の方がはるかによさそうだ・・。

 今は読む人が半分以下になってしまった新聞もこの頃はまだ健在だったから、この紙メディアは疑いもなく頼りになった。

 だから、この時代の広報誌を読み返すと考えに考えた書き方で大規模修繕工事が必要な理由をわかってもらおうとする記事の多さに気がつく。書く方は“知らせたい”と思い、読む方は聞きなれない呼びかけを“納得したい”と思う状況での情報発信だった。素朴といえば、この上なく我流で素朴だったが・・・。

 でも、仕方がなかった。どこからも、頼りになる情報が得られなかったからだ。そうなれば、自分の知恵しか当てにできるものがない・・・。

 結果的にこの考え方は的外れではなかったが、ロスも多かった。

 でも頑張っているうちに、いつかは公的なレベルでこの状態に気づいてくれるだろうと待ち続けた。

 しかし、どうやら期待はずれだったらしい。マンション管理の仕組みを考える立場の人たちがマンション管理現場の実情を知ってくれてさえいれば・・と思っていたが、その当ては外れた。

 この失望は、率直に言って、大規模修繕工事の広報だけに限らなかった。管理組合という組織の現実に対応できないもどかしさは、この頃から増える一方だった。

 それは究極的には「管理組合とはいったい何か」の本質と「マンションとは何か」という実情をことあるごとに問い直し考え直す日々の連続になっていった。

 600戸に1000人を大きく超える人が生活条件を共有しながら住む世界の居住性確保が生易しくないことを、ことあるごとに思い知らされる日々の始まりだった。

 43年たった今もなお答が見つかっていない課題の重さを考え続ける日々が、この当時に始まったと今、改めて思う。

| muraitadao | コラム | 12:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える4】大規模修繕工事に直面してわかったマンションンの本質と管理手法の真実

「マンション住まいのマンション知らず」。一戸建て感覚で集合住宅に暮らす居住感覚がもたらすギャップに大抵の人は気づかない

 年月がたてば、すべてが古くなる。マンションも例外ではない。竣工後の経過年数分だけ建物も住む人間も確実に古くなる。

 だが、ほとんどの人は、それに気づかない。

 このことを否応なしに気づかせたのが、マンションの大規模修繕工事だった。

 このブログを書いている今は3回目の大規模修繕工事が終わる時期だが、自分の住むマンションで関わってきた3回の大規模修繕工事で、この実感は43年前も今も全く変わらない。

 時間が過ぎればどんなモノも古くなることぐらい、みんな知っている。しかし、それは、あくまでも《自分にわかること》の範囲内にとどまる話だ。どれほど自分に関係していても《自分にわからないこと》は、古くなっていることに気づかない。

ある年齢になって自覚する高齢者の健康状況を考えれば、痛切にわかるはずだ。

 普段は気づきもしないが、われわれは《自分にわかること》よりも《自分にわからないこと》の方がはるかに多い状況で生きているのではないか。

 マンションに住んでいると、つい忘れてしまっていることに有無を言わせぬ形で気づかせられることが多い。突然、何かが起こると、自分がどれほど知らないこと尽くめの空間で暮らしているかを、あらためて思い知らされる。

 何かが起こって「突然」と思うのは「知らなかった」だけのことで、実は、見えないところでは異変の因果関係が確実に進んでいたことにあとから気がつく。

 マンションという建物は大きくてわかりにくいための、そうした異変の因果関係が目に見えない。しかし、目に入らなくても、自分の生活空間で起こる大半のことはマンションという巨大で複雑な建物の一角で起こった現象なのだ。

 ここに気づくと、マンションを「わかっている」つもりでもそれは何百戸とか何十戸もある大きな建物の一住戸内で気がついただけの《ちっぽけな限られたほんの一部分のこと》に過ぎないことに気がつく。玄関ドアを開けた外側には「わかっていない」部分や「見たこともない」が膨大な規模の広がりなのだ。

 大きくて複雑なマンションに住んでいながら、居住感覚は一戸建て住宅のレベルで何百分の一にとどまるというギャップが生まれるのだ。

 だが、このギャップに大半の人は気づいていない。

 こうして大半のマンションで「マンション住まいのマンション知らず」が生まれることになる。

組織レベルで「理解して物事を決める」難しさが大規模修繕工事最大のハードルだった

 言葉で書けば《これだけのこと》だが、マンションの管理ではこれが絶対に無視できないハードルになる。自分が知っているのは大きくて複雑なマンションのごく一部分のことであって、実は、知らないことの方がはるかに多いことに大抵の人はまったく気づかない。そんな状態で声高に自分の住戸だけを前提とした意見に管理組合の理事会が頭を抱えるケースがどれほど多いことか・・・。

 大規模修繕工事が実行の課題となった時期の管理組合は、まさにそんな状況だった。総会開催さえもいい加減だったのだから、管理組合にとって、この課題が厄介な重みを持っていたのいは言うまでもない。

 だから、よくわからないままではあっても、10年以上が過ぎて汚れや傷みが気になり始めたマンション全体の修繕工事を管理組合が実行することに対して、認識不足にまったく気づかない状態の反応が表れてきた。

 誰も知らないような個所に多額の金を注ぎ込んで修繕工事をする?

 とてもじゃない感じの、そんな多額のお金をいったいどうやって用意するんだ?

 いつも通りに暮らしている生活空間で、そんな騒々しい工事がなぜ必要になる?
 ・・・
 大部分の意見は「そんな厄介な修繕工事をしなくても別にウチは困らない」とか「そんな修繕工事をやらなくたって今日明日すぐ困るわけでもあるまい」という類のものだった。結局、マンション全体には思い及ばず自分の住戸のことだけしか考えていない意見ばかりだったことになる。

 でも、そんな考え方の持ち主にも賛成してもらわなければ大規模修繕工事など実現できない。しかし「賛成してもらう」ためには「わかってもらう」ことが大前提になる。「わかってもらう」ためには「知らせる」ことが絶対に欠かせない。

 《知らない➡わからない➡賛成しない》という負のサイクルを断ち切ることが、目前の課題となった。

 名ばかりの存在だった管理組合に、この課題は途方もない難しさをもたらした。どこにもお手本やモデルはないのに、「やらなければならないこと」だけは明確に法律が決めている。しかし、「やらなければならない」ことをやるために必要な具体的な方法には全く知る術がなかった。

 一戸建ての居住感覚で集合住宅全体には思い及ばない「マンション住まいのマンション知らず」に取り組む方法は、どこの誰も教えてはくれなかった。

 一つだけ、はっきりわかっていたことがある。

 それは、大規模修繕工事をきちんと実行するためには、すべての手順とその考え方を法律が示す管理組合という組織レベルで進めていくしかないということだった。 

「管理組合」という組織は「四つの漢字で説明できる理詰めの組織」ではなく4棟600戸の人間世界そのものだという実感は43年過ぎた今も続く

 ここから先は、すべてが現実論になる。

 11階建て4棟600戸の大規模マンションに住む「マンション住まいのマンション知らず」を相手に、法律の考え方を実行するためには徹底して自分たちのマンションの実情を見て判断したことを説得するしかなかったからだ。

 例えば、総会決議。総会というからには管理組合のメンバーである600人を超える区分所有者が集まらなければならない。マンションには集会室があるが、どんなに詰め込んでも60人しか入らない。600人収容可能なスペースなどマンションにはない・・・。

 ただマンションにはある棟の1階に幼稚園があって、そのホールに100人以上の収容能力があった。このホールが実際には管理組合にとって利用可能な集会スペースとなったので、大規模修繕工事の総会もここで開くことになった。全部はとても入りきれないが・・・。

 が、そのうち委任状という便法があることに気がついた。この手を使えば、全員が集まれる場所がなくても建前はちゃんと守れる、と。

 大規模修繕工事を提案して決める総会の開催計画づくりは、建前と実態の辻褄合わせの始まりでもあった。

| muraitadao | コラム | 09:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える 3】マンション管理を巡る都市伝説を真に受けていたあの頃はまだよかったな・・

もう新しさはないが それほど古びてもいない・・差し迫った問題もない状態で竣工後10年目になった

 マンションと駅の間は、不動産広告ルールの表現で言えば、徒歩16分。今では小田急線と京王線の駅との間のバスが何本もあるが、竣工後20年ぐらいは駅まで徒歩だった。季節の移り変わりを見ながら朝夕に駅まで歩きながら親しい人とかわす会話は、いま思えば、けっこう手ごろなコミュニケーションのチャンスだった気がする。

 そんな状態での話題の一つが、マンション入居同期生として迎える竣工後10年目の感想だった。

 そんな話の中に、誰が、どこで聞きこんできたのかわからない説ながら、《どんなマンションでも竣工後10年で外壁塗装工事をしなければならないらしい・・》というのがあった。

 竣工後10年目。確かに、節目だし、言われてみれば、そうかもしれない。それなりに色も褪せてきているし、薄い汚れも目につくし・・。

 でも、外壁塗装の重要度はわかるが、いったい誰が、それをやるんだろうね・・、お金だってかなりかかりそうだし・・・。管理組合なんて名前だけだし・・・。自分がその話に関わるなどという実感はほとんどなくて、どことなく他人事めいた感じが、そんな会話にはいつもただよっていた。

 この頃に聞いた説は、《竣工後10年目は外壁塗装工事の実行時期だが、その費用の財源となる修繕積立金は月間管理費の一割が目安である》というものだった。

 そうかもしれないなと、思った。でも、なぜ、こういう考え方になるのかはわからなかった。今は、根拠も怪しいこんな説は都市伝説の一つだと思っているが・・。

 でも、この当時は、けっこうこの都市伝説が気になり、とても無視できなかった。

 もしこの説が本当ならば月間管理費が修繕積立金の10倍なければならないが、ウチの管理費はとてもそんな金額ではない。そもそも修繕積立金の残高が今いったいどれだけあるのかさえ誰も知らなかったし。

 何よりも、まず11階建て4棟600戸の外壁塗装工事の費用がいったいどのくらいになるのかという最も肝心な所要金額すら、はっきりしなかった。・・・

手探りで回り道をしながら進むうちに見え始めた「大規模修繕工事」という言葉、「専門委員会」という方法 

 わからないことがあれば、誰かに聞くしかない。しかし、聞く相手がどこにも見つからない。当時は「マンション管理センター」などなかったし、区分所有法の改正がこれからという時期で、どこにもマンションの外壁工事のことがわかる人などいなかった。

 こうなれば、大したこともないのを承知の上で自分たちの知恵を絞るしかない。

 で、駅までの行き帰りに意見を交わした数人が集まった。

 大手の企業で課題の解決に取り組むプロジェクトチームの経験を持っていた人にはずいぶん助けられた。休暇を取り、すでに外壁塗装工事をすませた埼玉県の管理組合を訪ねて、その経験を聞いたりした。

 総勢で10人にも及ばなかったが、話が通じ合うメンバーで少しずつ話が固まって いった。こういうスケールで進める工事が「大規模修繕工事」と呼ばれていることも、あとで知った。実質的な組織運営がどうであれ、こういう大規模修繕工事はすべて組織レベルで進めることが絶対条件であることも、否応なしに気づかされた。

 そうなれば、マンションの600戸がすべて当事者になる。何であれ、まず600戸に理解してもらい、600戸に賛成してもらわなければ、何一つ進まない。

 でも、お手本は何もない。暗闇を手探りで歩く心境だった。大げさに言うつもりはないが、肚をくくる心境になった。気がついた人間には、それなりの責任もあるはずだと一途に思った。

 こうして、最初に外壁塗装工事のことを語りあった40歳代前半の10人に及ばぬメンバーがチームになった。このチームを「専門委員会」と呼ぶらしいことも、しばらく後で知った。

思い知らされたのは工事会社選定や資金調達を組織レベルで《決める重さ》。言葉だけの制度や仕組みの限界も・・・

 「専門委員会」とは言っても、専門家がいるわけではなかった。《何かの片手間に手がける》のではなく《かかりきる》という意味で「専門」という言葉を誰かが使っていたのが、このチーム名の始まりだったと思う。

 この頃、住んでいるマンションには実質的に動く管理組合の存在感は全くなかった。仮に、管理組合が組織として動いていても、実際は毎年交代する役員が中心だから、長い日数がかかる仕事への取組みは管理組合にとって容易ではない。

 少しずつ聞こえてくるよそのマンションの実例からも、そんなことがうかがえた。

 やらなければならない問題に気づいている人間が、まだ気づいていない人に問題を知らせることからすべてのことが始まる。

 こうした経験の重なりから、マンションの問題はつねに《知らせること》で始まり《理解すること》へ進み、《物事を決めること》で解決する道筋を組織レベルで追っていくことだけしかないという確信が自然に生まれてきた。

 手がかりほしさの一心で参考書や文献を探したのは当然だが、滅多にこれはというものはなかった。やっと見つけても、役に立つものがなかった。

 どれも、総論で物事の「決め方」だけが中心となる手順手続きの法律論ばかりだったからだ。こちらがほしかったのは「知らない人に理解して必要なことを決める」こと、つまり「決める前のこと」だったのだが、そんなものはまったくなかった。

 竣工して住み始めた後のマンションで何が起こり、どうしたらいいかを知るための情報が皆無であることを、こうして嫌というほど思い知らされた。
 

| muraitadao | コラム | 05:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える2】マンションが新しかった時期は管理組合の存在感ゼロでも気にならなかったなぁ・・

43年のマンション住まいの初期に管理組合はまだ生まれていなかった

 43年過ごしてきたマンションの日々は、管理組合の歴史よりも2〜3年長い。はっきり言えば、マンションで暮らすようになった最初の2年間は、管理組合がまだなかったからだ。

 マンションの人の大半は、管理組合という言葉など聞いたことがなかった。しかし、全戸入居のあとに生まれた住民の会がやがて自治会となり、さらに管理組合となった。名前が変わっても顔ぶれは同じだったが、きわめて自然な感じだったと思う。

 でも、そうは言っても組織の実感など、まるでなかった。理事会とか総会もなかったし、管理組合が自治会といったい、どこが、どう違うのかと聞かれてもピンと来ない時代だった。

 そんな状態でもよかったのは、格別の問題が何もなかったからかもしれない。この実感を思い起こすと、マンションがまだ新しい間は《管理組合なんかなくても別にそれほど困らない》というのが普通の感覚だったような気がする。

 今にして思えばずいぶん能天気な感覚だったと思うが、実際、新しいマンションではどこもみんな同じように能天気だったに違いない。社会全体も似たような能天気ぶりだった。何しろマンションという言葉だって通じにくさがあったし、関連する仕組みも改正前の区分所有法があるだけで、ほかにはもう本当に何もない時代だった。

 だから、法律論の《区分所有者のいるマンションでは管理組合が必ずあると見なされる》などというお説を聞くと、今でもある種の空々しさと苛立たしさを感じる。いくら《見なされる》などと理屈を並べても、現実の組織は生身の人間集団なのだから、顔をみて名前がわかる人たちのイメージが浮かんでこなければ、結局その組織は《ない》のと同じだと思うから。

 そういう意味で、マンションが新しい間は管理組合が《ない》状態であっても困らないという実感があったのは確かである。

管理組合の存在感がなかった時代は管理会社もさぞかし楽だったろうな

 この時期の記憶を思い浮かべると、名ばかりの管理組合より管理会社の方が鮮明でだ。ほぼ真中の棟の1階に管理事務所があって、そこが全600戸のマンションのあれこれの窓口になっていた。

 創業5年目だった管理会社は分譲したデベロッパー系不動産会社の子会社。その親会社は中堅のローカルゼネコンだった。

 管理事務所には老眼鏡の親会社OBがときどき顔を見せたが、いつも現場にいる初老の「管理人」の方が当てになるという評判だった。

 600戸の中にはいろんな人がいた。偉い人も偉くない人も、有名な人も有名でない人も。

 でも、意見が揃わなくて苦労するような問題はなかったし、入居するとすぐ友だちになった子供同士に引きずられて親同士が家族で付き合うような間柄があちこちで生まれた。玄関やエレベーターで毎日人に会うのが、とても楽しかった。

 そんな時代だったから、管理会社はさぞ気楽だったろう。

 600戸もあれば毎日マンションのどこかで何かがあるが、お互い同士で大抵のことは何とかなった。管理組合や管理事務所が直接言いにくいことのガス抜き機能を務めることもなかった。

 マンションが新しい間はマスコミがそれらしくマンションの解説や論評を流すことも皆無に近かったから、大抵の人は《マンションとは、こういうものだ》という奇妙に予定調和的な落ち着きがあって格別のトラブルも少なかった。

 いま思えば、実は知るべきことを知らなかっただけのことなのだが。

 要するに、みんな鷹揚だったのだ。

やがて鷹揚さの限界が見え始めたころ管理会社が何かにつけて気になってきた

 だが、そういう鷹揚な空気が微妙に変わり始めると、何かにつけて管理会社の存在が気になるような日々が始まった。居住者の目前にいる管理会社は実は現実的な対応が苦手で、話がこじれてくると、最後はいつも分譲した不動産会社が出てくる場面が何度もあるようになった。

 そんな状態だったが、まだ、管理組合は総会を開くこともなく、組織活動の実感は皆無に近かった。これでいいのかな・・という感じはあったが、600戸から毎月管理費を集めて、それを会計処理して・・といった実務を考えると、途端に、もう何も言えなくなってしまう。

 何しろ、電卓を秋葉原まで出かけて1万8000円で買ってきた時代だった。コンピュータはまだ大型しかなくて・・・。

 そんな時代だったから、大規模マンションの実務は管理会社を頼るしかなかったのだ。大戸数の区分所有者から多額のお金を収める管理組合は、その実務を引き受ける管理会社だけが唯一の頼りだった。

 そんな管理組合のマンションにも年月が過ぎて竣工後10年目が近くなってきた。

| muraitadao | コラム | 14:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える1】マンションが語る建物と住む人の姿に浮かび上がる歳月の実情

今回からブログはトーンを実感本位に切り替えて書きます

 ずっと昔、住宅評論家というクレジットでいろいろな原稿を書いていた。当時全盛を極めたリクルートの「週刊住宅情報」にも。

 ある時、中古マンションの選び方を書いた原稿の冒頭に《どんなマンションも買って住むようになったその日から、一日ごとに間違いなく中古マンションとなる日が始まります》と書いたら、たちまち編集担当の人からすぐ《こんな夢の壊れる書き方では困ります》というクレームが入った。

 昔の新築は、今の中古。昔の妙齢の美人も、必ず老婆になるのと同じ。

 自分自身もマンションに住み続けて確かめてきたこの実感は、このクレームを受けた時から今もまったく変わらない。

 43年の居住年数はこのブログを書き続けてきた11年間とも重なる。

 長寿命のマンションが住宅として長い年月を過ごすと、どうなるか。

 きわめて根源的だが、実は、ほとんど確かめた人がいない。ブログを書き続けてきた11年は、それを確かめながら書く歳月でもあった。

 そのブログは12年目に入るが、書きたいことがまだまだ山ほどある。

 そこで、今回から、こうした実感をもっと正直に打ち出しながら書いていきたい。

 ブログを書くことには、マンションの経年変化の本当の姿を、少しでもありのままに多くの人に伝えられるメモを書き綴る意味があると思うからだ。

43年・・・。わが人生の半分をこのマンションで過ごしてきた

 1974年(昭和49年)4月に竣工した時から住み続けてきたマンションで43年余りが過ぎた。数日前の10月1日で86歳の誕生日を迎えたから、人生のちょうど半分をこのマンションで過ごしてきたことになる。

 新宿から急行なら30分弱で着く都内最小の市。小田急線の駅から15分以上歩かなければならない程度に離れていたから電車の音は遠かったし、まだ畑があちこちに多くて、11階のベランダから丹沢の山並みと富士山が見えた。

 43年住み続けてきた理由の一つは、たぶんこの眺めだろう。4DKのスペースは不十分だったが、何より立地に満足感があった。

“一億総中流時代”の建物が総中流時代でなくなった今も建ち続ける複雑さ 

 しかし、満足しない人の方が多かったようだ。住み続けているうちに知っている顔ぶれがどんどん減って、名前と顔が一致しない人の数が増える一方だった。

 何しろ、入居当初はみんな誰もが似たようなものだった。どの住戸も家族4人ぐらいで40歳代のサラリーマン。東京オリンピックから10年しかたっていなかった蛙の時代のマンションはファミリータイプばかり。

 何度もマンションブームがあったが、売り出し物件の大半はいつもファミリータイプ。売る方にも、同じような間取りと広さだけで特色を出せばよかった。

 《一億総中流》がそのまま絵になったのが、この時期のマンションだった。

 だが、長寿命のマンションが40年以上過ぎると、この状況が変わってくる。

 年数がたって建物自体は竣工時の様子が古びたまま同じ場所に建ち続けるが、人間の方はほとんど入れ替わってしまう。何年たっても住み手が変わらないままというマンションはめったにない。

 43年が過ぎたマンションに住む人の顔ぶれは変わっていく一方で、表札やネームプレートもない住戸が増えていく。そうなるといつも出会う人が「住んでいる人なのか、よその人なのか」の見分けもつかなくなる。

 エレベーターに乗ると、11階から1階に付くまで40秒かかる。誰かと乗り合わせた時この狭い空間で押し黙ったままの気づまりな感じが嫌で、できる限り声をかけるようにしている。反応は様々だが、何人かは何か応答してくれるから、その後も出会った時に声をかける機会が生まれる。

 そんな形でのマンション住まいだから、マンションでのコミュニティ論議も理屈倒れな話であれば、その中身も語る人もすぐ見極めがつく。

 すべて、一億総中流時代にできた当時のままのマンションが、一億総中流ではなくなった時代に建ち続けているからこその実感だと思う。

40年以上過ぎたいま中古マンションの買い手が今も相変わらず

 竣工したころ何もなかった周辺に、この10年足らずでマンションが激増した。この人口減少時代に、市の人口が増え始めたほどである。

 こちらは市内最古のマンションだが、売れ行きに苦労する新築マンションが1年以上チラシをまく中で、連日のように不動産会社の売却勧誘の呼びかけが続く。

 たまさかの成約事例を見ると、間違いなく43年前にここを買った時の価格の何倍かにはなっているようだ。

 そんなことになる理由は、例の「マンションは管理を買え」というご託宣のおかげか。

 でも、あれは、まぎれもない大ウソだ。マンションの「管理」がわかっていない人がありがたそうに唱える嘘っパチである。

 住み続けてきた43年は、こんな言い方の嘘を確かめる年月でもあった。
 

| muraitadao | コラム | 07:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること67:聞く・答える】小学生でも知っている「集団で物事を決める時の大前提」だが

「わからないから聞く」→「わかるように答える」という流れを軽視した時に怖いことが起こる

 もうヤブから棒の感じで、解散とか総選挙とかいうニュースがいきなり流れ始めた。

 よく分からなくて首を傾げているうちに、憲法のどこの決め方の案づくりが、どこだかへの一任で決まる、とかいう話が重なったりして、ますます分からなくなってきた。

 何かあると、この頃の政治家は《丁寧な説明》というのが口癖で《丁寧の上にも丁寧に》とか《真摯に》とか簡単にいうが、実際に「丁寧な説明」なるものを聞いたためしがない。

 ときどきペラペラと早口にテレビのCMまがいの安っぽい言葉が並ぶ演説のニュースを聞いた当座は、それらしい気分にさせられるが、しばらく時間がたつと、はて、さっき何となくわかった気分になった「あれ」はいったい何だったのか…という感じに入れ替わってしまう。
                   ☆
 分からないことがあれば、聞く。それに答える。そのやり取りを重ねて「分からないことが分かる」ようになる、という実に平凡で当たり前の流れが、このごろ、とてもヘンだ。

《当たり前のことがさっぱり分からない》ことが当たり前になってきたのではないか。

 このヘンな感じが日常生活の次元であればとるに足らぬことだろうが、何かを決める場合になると、そうも言ってはいられなくなる。決めようとしていることが重ければ、なおさらだ。

YESだかNOだかわからぬまま黙っている多数も事実上決定には関わる「暗黙の了解」の怖さ!

 いつの間にか、「聞く」ことと「答える」ことが対応しなくなってきているような気がする。

 テレビの記者会見などを見ていると、「聞く」方もヘンだし、「答える」方もヘンだと思うことが多い。聞かれたことにちゃんと答えていないことは、もう日常茶飯で珍しくもない。

 だが、「聞く」ことと「答える」ことの対応関係が物事を決める時の大前提であることは、確かだ。

 何かを決めようとして分からないことがあれば、まず「聞く」。聞かれた方は、それに「答える」。この対応の積み重ねで、大抵のことが決まっていく。家族内のことでも組織のことでも。
                   ☆
 しかし、これが自分の身辺から遠ざかるほど、何となく違ってきているような気がする。とりわけ、自分が属している組織レベルのことになると、そう思う。

 いま自分が関わっていることは知っていても、別に、自分にとって何も影響がない、何がどうなろうと、自分がすぐ困ることなどないという感覚。

 こういう人の場合、聞いたことに納得できていようと疑問があろうと、別に大したことではない。だから、聞くことがなくても、別にどうということはない。

 しかし、かと言って、それほど納得しているわけではない。逆に、そんなに反対しているのでもない。

 よくわからないのだが、何となく・・・という実に曖昧模糊とした状態。これが、今の時代にはとても多いのではないか。

 でも、何かを決める時には、そんな曖昧模糊とした人たちにも、一応は意向のほどをきちんと聞かなければならない。多数決原理の民主主義的意思決定には、メンバーが曖昧模糊かどうか、などということはまったく無関係だからだ。

 かくて賛成でもないし反対でもない曖昧な状態で大多数の人が黙ったまま、形だけは「聞く」手順を踏んで物事が決まっていく。

 その結果、《とくに反対もないから》という考え方で、みんなが《わかった》、つまり同意して了解したという暗黙の了解が成り立つことになる。

 形式的な集会決議、惨憺たる低い投票率の選挙・・・。

 内容は別として形だけは何とか…という例が、こうしてあっちにもこっちにも並ぶようになっているのではないか。

「聞く」「答える」の対応状況を再点検した方がいい。マンションで物事を決める時ももちろん

 「聞く」ことは、決めなければならぬ事柄に自分が目を向けているからこその話だ。目を向けていなければ、聞く気など起こりようがない。

 そう考えると、聞くことの前提は《聞くベきことの中身をまず「知る」こと》にあると気がつく。

 しかし、今の時代、「知る」ことは実際には「知らされ方」の問題でもある。

 賛成でも反対でもない、そんなことどうでもいいよという考え方は、知るべきことをきちんと知らされているかどうかとどうかの反映でもある。
                  ☆
 「聞く」から「答える」。「答える」から「わかる」。「わかる」から「決められる」。この対応関係は、いま大丈夫なのだろうか。

 聞くたびに気になって仕方がない。北朝鮮のニュースも、解散総選挙の話も・・・。
                   ☆
 そして、マンションの民泊の話も、標準管理規約の改正の意味も・・・。
 

| muraitadao | コラム | 11:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること66:民泊】管理組合の実感からは程遠いのに早々と標準管理規約改正とは・・・

標準管理規約の改正ってこんなに早くできるのかと驚いた。それにしても何とまぁ・・・

 8月29日、国交省が標準管理規約の改正を発表した。この日は北朝鮮のミサイル報道の物々しさにあふれていた日で、どの新聞もテレビも標準管理規約の改正など流さなかったから、危うく知らずじまいになるところだった。

 北朝鮮のICBMに比べたら標準管理規約の改正などにニュースバリューのかけらもなかったということだろう。

 それにしても、今度の標準管理規約改正は、驚くほど早かった。何しろ昨2016年(平成28年)3月に発表された直前の改正が2012年(平成24年)1月から4年がかりという未曽有の長年月を要する経緯をたどったからだ。この改正ではコミュニテイの考え方などに、かなりの論点があった。肝心の管理組合次元でそうした論点の議論はおろか問題認識さえまだまだ不十分な状態の中に、前回改正から1年そこそこで、もう早々と後を追うような改正が発表されたことになる。

 それかあらぬか、今度の改正についての国交省の発表文を見ると、何とも,まあ素っ気ないものだった。『住宅宿泊事業に伴う「マンション標準管理規約」の改正について』と題された発表資料の冒頭には、次のような3行ほどの前文がある。

――本年6月に住宅宿泊事業法が成立したことを踏まえ、分譲マンションにおける住宅宿泊事業の実施を可能とする場合及び禁止する場合の規定例を示す「マンション標準管理規約」の改正を本日行いましたので、公表します。

 まことにあっさりとそう書いた後の「1背景・経緯」の中には、こんな部分が出てくる。引用が長くなるが、どうしても気になるので関連部分を紹介する。

――分譲マンションにおける住宅宿泊事業を巡るトラブルの防止のためには、住宅宿泊事業を許容するか否かについて、あらかじめマンション管理組合において、区分所有者間でよく御議論いただき、その結果を踏まえて、住宅宿泊事業を許容するか否かを管理規約上明確化しておくことが望ましいと考えられます.・・・

 何とまぁ、他人事めいた感じの言い方だろうか。

たださえ厄介な問題が多いのに「民泊」まで持ち出されたら“区分所有者間の御議論”どころではなくなる・・・

 そもそも今度の改正は、いま大小新旧、様々なマンションで管理組合が直面している実情はいっさい棚に上げて「民泊」だけに焦点を合わせた内容であるところに、不可解な違和感がとても大きい。どこまで実情がわかっているのか、非常に気になる。

 民泊、民泊としきりに言うが、そんなに全国のマンションに広がっているのか。

 民泊は、一部の地域の、一部の限られた問題ではないのか。

 マンションで民泊がそれほど火急な対応を迫られる問題になっているのか。

 民泊よりももっと優先する事態はないのか。
                   ☆
 今度の改正の発表文を見ると、1年前に改正された標準管理規約の第12条だけが改正されている。全体ではない、こういう部分的な形の改正は初めてだが、それは、まぁいい。

 細かいことをここで書く気は全くないが、この第12条というのはまことに古くからのなじみのある条文だ。(専有部分の用途)と題した条文は「区分所有者は、その専有部分を専ら住宅として使用するものとし、他の用途に供してはならない」とあるだけの簡単な条文である。

 コメントも相応にシンプルだから、これもそのまま紹介しておく。

――《コメント》住宅としての使用は,専ら居住者の生活の本拠があるか否かによって判断する。したがって利用方法は、生活の本拠であるために必要な平穏さを有することを要する。

 このコメントには前回の改正から△箸靴橡塾話調慙∋項が加えられたが、それ以外は昔からここにあげた内容が一字一句変わっていない。

 ちなみに、ここに紹介したものは1994年(平成6年)8月発行の縦書きのものから引用した。(1994年8月・住宅新報社発行・中高層共同住宅標準管理規約の解説。この第1刷は1987年・昭和62年)

 つい数年前まで、標準管理規約のことについて話す機会は数え切れないほどあったが、いつもこの条文については、かなり言葉を選んで慎重に語ってきた。

 自分自身が住む600戸のマンションはもちろん、どこのマンションでも《専有部分を専ら住宅として使用する》という言い方がつねに物議のタネになる厄介千万な実情を見続けてきたからだ。

 そうした実感と上記の引用を考えても、ついこの間に発表された改正は、20年以上にわたって管理組合を悩ませてきたこの問題に、あっと驚くほど、いとも単純な形でけりを付けてきたことに驚くばかりだ。

いっそマンションに住む国交省の職員を対象に民泊の実情を調べてみては

 でも、本心を言えば、こんなに長い間苦しみ続けてきた課題に今度の改正できちんとした答えが出たとは全く思わない。むしろ、逆に、新しい論争のタネが増えたような気する。

 《専有部分を専ら住宅として使用する》という言い方と実情のギャップに視線を向けないまま、いとも簡単に「民泊」だけに焦点を当てた考え方は、もしかすると「寝ていた子を起こす」結果になったのではないか。

 その上、管理規約でYESかNOかをはっきりさせるように言いながら、新築マンションではペット飼育などと同じレベルの使用細則で対応してもいい、というのもよくわからない。まさに《ああ言ったり、こう言ったりする》感じに見えて仕方がないが、そのわかりにくさをどう説明するのか。
                   ☆
 で、ひとつ提案を。6万人近いと聞く国交省の職員の中にもマンションに住む人は必ずいるだろう。そういう職員を対象にしてマンションの実情を調査してもらえないだろうか。そんなに民泊が広がっているのかどうか、管理規約の改正ですぐ対応できるような状態なのかどうか、確かめてほしい。自省の職員に聞くのであれば、この方法でストレートにわかるのではないか。

| muraitadao | コラム | 04:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
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