村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【マンションに住む実感を確かめるノートァ柬[Г賄てにできるのか・・。すぐ役に立つ手がかりもなく闇夜の手探りが始まった〜法律の頼り甲斐と頼りなさを嫌というほど思い知った日々〜

管理組合?何もわかっていない人、言葉だけわかっていた人、言葉も意味もわかっているが黙っていた人が隣り合わせて住んでいた時代

 率直に書くのだが、45年前、このマンションに住むようになってから最初の10年間に管理組合の通常総会が開かれたことはまったくなかった。

 管理会社が管理組合の名前でつくった形ばかりの予算決算などが各戸に配られて、「あ、そういえば管理組合とかいうのがあったな…」と思い当たる。

 45年前は、そんな時代だった。

 分譲マンションに住んでいるのだし、結構それなりの意見の持ち主もいたのだから、管理組合の存在を知らない居住者ばかりだったはずはない。建設省の人もいたし、大学の先生もいたし・・・。

 大半の人は、少なくとも管理組合という言葉ぐらいは知っていたはずだと思う。

 だが、実際には言葉だけの管理組合だった。そんな状態だったが、「だから、何とかしよう」とまでは考える人はいなくて、みんな黙っていたわけだ。

 かく言う筆者だって、その「黙っていた人」の一人だった。決して、大きなことは言えない。

 そのことを自覚しつつ、以下に書き続ける。

 言い訳がましいトーンで、書き方が回りくどくなってきた。

 要するに、この大規模マンションには「管理組合なんて聞いたこともない人」と「具体的なことはわからないものの管理組合という言葉だけは知っている人」、「管理組合のことは言葉も意味も知っている人」が隣り合わせて同じマンションに住んでいたことは間違いない。

でも「管理組合を知っている」とは言っても「知っている」のは法律だけ。自分のマンションの話になると誰もかも途端に押し黙ってしまう・・・

 ただし、そんな状態だったから、管理組合のことを「知っている」とは言っても、ちゃんとした「知り方」ではなかった。「知っている」とは言っても、その知り方はせいぜい太平洋戦争までの「町内会」や「隣組」と同じイメージだった。

 だが、もはや死後と化した「向こう三軒両隣」という言葉も、もっともらしい感じで居住感覚の片隅に残っていたことも確かである。

 45年前のこの時代は、どの住戸にも「表札」を必ず出すという感覚があった。マンションとか何とか言ったって、自分の住むウチに名前も出さずに住むなんて・・と誰もが思っていた。

 表札のない住戸があると「人前で自分の名を出せないなんて、きっと何かワケがあるに違いない」と誰もが考えた。自分の住戸の玄関ドアを開けて出会った人の名前はできるだけ早く覚えたい。だって、同じ屋根の下に住んでいる人間同士だもの・・。

 素朴といえるかもしれない。今の感覚で言えば、幼稚に近かったかもしれない。

 当然ながら、管理組合もまだ言葉だけの存在だった。存在感がなくて。ピンとくる組織イメージはなかった。「マンション」というカタカナ言葉と「管理組合」という漢字の硬い響きが結びつきにくかったというも気もする。

 だから、漢字言葉の手に負えない難しさが法律に目を向けさせることになったのは自然な成り行きだったかもしれない。

 だが、そんな感じに法律が対応してくれるはずもなかった。

 当たり前だ。

 そんな生活感覚に対応できる文脈が法律の中にあるはずがなかったから。
                   ☆
 そんな状態でも、年月は確実に過ぎていく。そうした時間の経過は、すべてのものを劣化させていく。

 そうした状況を同じところに住む人間同士なら誰もみんなわかっているはずではないかという共通感覚が、一つの方向に足並みを揃えさせた。

 「このままにしておくわけにはいかない」という感覚は「どうしたらいいだろうか」という感覚をもたらした。その感覚は「どんな手を打てばいいか」という感覚に結びついた、こうした感覚の連鎖は、最終的に「一人一人のバラバラな立場では何ひとつ決められない」ことを気付かせた。

 これは、組織の必要性への気付きだった。管理組合という組織の・・・。

| muraitadao | コラム | 09:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノートぁ曠泪鵐轡腑鵑わかる人はまだ少ないと実感した時期に最初の大規模修繕工事が・・〜マンションはまだ公式名でなかったが劣化は確実に進んでいた〜

「マンション」は一戸ずつ買える集合住宅の商品名だった。昔のガソリンのように

 竣工してからの10数年は、あっという間に過ぎた。1974年(昭和49年)からの時期だから、昭和年代末期ということになる。

 マンションという言葉の通じ方が、とても中途半端な時期だったと思う。

 民間住宅ローンはまだ未成熟だったから、住宅金融公庫融資の存在感が圧倒的に大きかった。その公庫融資はもともと一戸建て住宅中心の仕組みだったが、地価が高くておいそれと手が出せない人でも集合住宅なら何とかなるという状態を無視できなくなって、政策的にとうとうマンションを融資対象とせざるを得なくなった。

 だから、最初のうちは「まあ、条件さえ揃えば一戸建て住宅用の融資がマンションにも使えるんだよ・・」という感じの仕組みだった。

 この時代は、とにもかくにも住宅といえば、まず一戸建てという感覚が主流の時代だったとあらためて思う。

 会合などで初対面の人に会って共通の話題がなくても、名刺交換などそこそこの挨拶をすませたあと「お住まいはどちらですか」ときり出せばひとしきりの会話ができたから、住まいはいつも絶好の話のタネになった。

 およその場所を聞いた後「あのへんだったら戸建てが多いですね」などと話の流れを向ける。そんな時「いやいや実はマンションなんです」などという人だったら、けっこう話がはずんだものだ。

本音は一戸建て・・。そのうち、いつかは・・と思いながら住む人には管理なんてピンと来なかった時代

 マンションがようやく公庫融資の対象になったとは言っても、まあ、普通の都市生活感覚から言えば、マンションはまだまだ・・の時代だった。住宅金融公庫とか建設省といった政策分野はまだまだ漢字の法律感覚中心の世界だったし、マンションに公的住宅ローンが使えると言っても、それはと東京と大阪を中心の一部地域だけでしか通用しない話だった。

 何百戸もある大規模マンションの一角に住んでいるうちにいろんな人とも付き合いができたが、誰も彼も、やたらに忙しくてマンションは夜更けに疲れて帰るねぐらに似た感じだった気がする。

 マンションという言葉が説明抜きで通用する人が居住者の大半だったから、それなりに理屈っぽさのある人が多かった。知っている人は知っている・・という職業や社会的な知名度のある人もいた。

 黒塗りの自動車が迎えに来ているのに気づいて驚いたこともある。

 いろんな人がいた。
 ・・・・
 後から少しずつわかってきたのだが、多くの人が腹の中で黙ったまま考えていた。

「マンションはずっと住む所じゃない。そのうち、機会さえあれば、越して出ていきたい。○○さんもこのごろ引っ越していったし、あの□□さんも、いつの間にか転出したらしい・・」

 気がついてみると、黒塗りの自動車も見かけなくなっていた。

中途半端な居住感覚のまま10年が過ぎてある日「大規模修繕工事」という話が突然持ち上がった。でも いったいうどうしたらいいのか・・・

 もともと、マンションは。集合住宅が高額商品として市場に出る状況が生んだ商品名の一つだった。商品化された集合住宅が売りだされた初期の時代は、○○ハイツだの□□レジデンスだのという名前をよく見かけたものだった。

 マンションは都市部の居住者はサラリーマンの住まいというイメージだった。本来なら一戸建てだったはずの代替イメージがマンションライフの実質的な中心だったから、「マイホーム」が実は集合住宅の一部分だっだという実感はあまりなかった。

 むしろ、ドアの内側は集合住宅も一戸建て住宅も同じ・・という感覚が、売り手にも買い手にも共通していたという時代だった。

 中途半端な居住感覚だったと言うべきだろう。

 マンションが集合住宅であるという実態を積極的に認めたがらない居住感覚だったのだから、マンション管理という意識も視点も成り立ちようがなかった。
                   ☆
 そんな中で、ある日、突然「マンションはできてから10年を過ぎたら大規模修繕工事とかいうのをやらなければならないなそうだよ」という話が持ち上がった。

 でも、管理組合の総会さえひらいたことがなかった状態でそんな話が出ても何一つわからない。
                   ☆
 マンション管理という未知不可解な世界に入りこんでしまう日が、こうして始まった。

| muraitadao | コラム | 12:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノート】マンションに入居した年の秋の記憶には「岸辺のアルバム」が重なる〜地元感覚はまだまだ未成熟だったな、あのころは〜

マンションに住み始めて半年。9月の日曜日、11階の住まいは地震でもないのにぐらぐらと何度も揺れて・・・
 4月も終わりになる。

 今月でこのマンションの居住年数がまた1年長くなる。

 住み始めた最初の年の9月1日。二百十日の言い伝え通り、台風が襲来した。

 だが、たった半年しか過ぎていない秋だったから、住んでいる町の様子もまだ知らないところの方が多くて、台風がどのくらいのエリアに影響をもたらしたのかまだピンと来ない状態だった。

 でも、住んでいるところから歩いても行ける近くに多摩川が流れていることは承知していた。その多摩川が大水になった。

 記録的な大水だったらしい。

 だが、居住歴が半年そこそこの新住民にはまだその大きさにとても実感がなかった。

 ずっと後になって、TBSで「岸辺のアルバム」(山田太一作)という連続テレビドラマをみた。多摩川の大水で住宅が流されるシーンが毎回トップに出るこの作品は後にテレビドラマ史上の歴史に残る作品とまで評価されるようになったので、今でもときどき一シーンを見る機会があるが、ドラマの舞台となった場所はこのマンションからそれほど遠くはない。ベランダから見ても見当がつくほどの同じエリアだから、およその光景はわかる。
                   ☆
 台風襲来の翌日は土曜日で、台風一過の秋晴れだった。でもどことなく物々しい雰囲気があった。

 多摩川が大水でとうとう堤防爆破という手が打たれそうだ、というローカルニュースを聞いた。昼が近くなったころ、たびたびダイナマイト爆破となった。詳しい状況が何もわからないままドーンという爆破音が何度も繰り返されて、そのたびにこのマンションの11階がゆらゆらと大きく揺れた。

 このときの揺れの記憶は今も鮮明に残っている。

 11階の居住経験そのものが初めてだったせいもあって、このときの揺れ方の記憶は、その後の地震のたびによみがえってくる。何年たってもこの記憶が消えていないことを実感する。こういう感覚的な経験は理屈を超えた形で身体に染みついたまま残るものらしい。

 地震があるたびに、その記憶を確かめている感じがする。

 東日本大震災の時も、そうだった。

住み始めてからの10年ぐらいの記憶は今も鮮明だが、年ごとに通じにくくなるばかり

 しかし、そうは言っても、この時の記憶を語ることは年ごとに難しくなってきた。当然のことだが、住んでいる人の顔ぶれが年ごとに変わり、竣工時から住んできた人はもう僅かになった。話が通じにくくなる一方となるばかり。

 でも、当たり前だ。もう45年も昔のことなのだから。

 あの頃、まだ生まれていなかったような世代の人にいくら力み返って話してみても、一人よがりになるばかりだ。

 年甲斐もないし、みっともない。

 恥ずかしくもある。

 たまに、竣工してからずっと住み続けてきた人に会っても、45年前の話になると向こうもすっかり忘れてしまっているのが普通になってきた。

 考えてみれば、ちょっと前まで健在だったマンションの分譲会社や管理会社も、もう存在しない。個人レベルでその頃のことを記憶している人も、そのうちいなくなるだろう。

 だが、一方では、こうした記憶や感慨が残されていかなければマンションがマンションとして建ち続けるのが難しくなりそうな気もする。 
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 おさまりがつきにくいこだわりだ。

| muraitadao | コラム | 11:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノート◆枳樵阿抜蕕一致する人の数が少なくなるほど自分のマンションの明日が見えにくくなる〜〜人間の数だけ意見が違うことに気づくきっかけになった最初の大規模修繕工事直前期〜〜

マンションでオープンした鮮魚店は半年そこそこで閉店してしまった。お客のバラバラな注文に付き合いきれなくて・・・

 数棟あるマンションの中ほどの棟の1階は店舗になっていた。45年前に公的住宅ローン付きで分譲された数棟のうちの1棟は、1階が店舗付きで設計することが融資条件になっていたからだ。

 まだスーパーマーケットなどができる前の時代で、近隣に店らしい店がほとんどなかった。子供が2人いる4人家族がテレビCMでも標準的なファミリーイメージだったから、構内に生活利便施設を求めたのは妥当な分譲条件だった。

 そんな考え方を前提にしてつくられた店舗の中の1軒に鮮魚店があった。けっこう好評だった。

 ところが、この鮮魚店が半年そこそこで閉店してしまった。

 理由はいくつもあった。開店してしばらくすると予想しなかったほど苦情や注文が続き、とうとう店がそんな客の言いたい放題に対応しきれなくなったためらしかった。確かに、やれ生臭いだの、魚を焼く煙が迷惑だのという人がいて、手に負えなくなってしまったらしいという話は、それまでに聞いていた。

 何しろ4棟で600戸あまり。いろんな人がいる。ものわかりのいい人もいるし、逆に文句の多い人もいる。

 これだけの人が住んでいれば、人の数だけ暮らし方も考え方も違う。まして個人の好みが別れる魚のことになれば呼び名も違うだろうし、食べ方も様々に異なる。

 そんなにわがままでバラバラな客を相手にした商売は想像以上に厄介だろうなと、ひそかに思ったことを覚えている。

 名前と顔が一致する人もいるけれど、そうでない人もいる。

 何しろ、バラバラだ。4棟600戸のバラバラワールド。

 マンションって、こういう世界か・・・。

 でも、そのとき同時に思ったのは、住む人たちのこんなバラバラぶりが、いずれ商店の成立ちにとどまらず、もっと身近な場面で目の前に立ちはだかる日がくるのではないかということだった。

 だが、こうも思った。ほとんどのことは管理会社が対応するはずだ。そのために安くもない費用を払って管理会社に委託しているのだから、と。

 大抵の人も、そう考えていた。

別に問題もなくて管理組合も名ばかり。そんな開店休業状態で誰かが言い出した「大規模修繕工事をしなければならないそうだが、一体どういうふうにやればいいんだ・・・」

 管理会社は、このマンションを建てて分譲したディベロッパーの子会社だった。マンションの中の管理事務室には親会社で定年を迎えた感じがありありとわかる人が何人もいた。

 だが、こんなに何人もいるにしては・・・という意見が、ときどき出るようになっていた。管理会社には親企業の分譲会社にいた人が多いとは聞いていたが、「それにしては痒いところにほとんど手が届いていないね」という声も出るようになった。

 分譲マンションには管理組合という団体があるということだけは、多くの人が、一応は知っていた。しかし、それは建前がそうなっているというだけの話であって、具体的に考えた時には何がどうなるのか、分譲マンションの一戸を持っている自分はその管理組合とどう関わるのかという肝心のことになると、わかっている人は一人もいなかった。

 もしかすると、わかってはいたが黙ったままの人がいたのかもしれないが、それが誰なのかとなると、まったく見当がつかなかった。

 大抵の人にとって、管理組合は町内会と同じような組織だという程度の認識だったからだ。町内会がわかっているようで実はあまりはっきりしないのと似たようなあいまいさが管理組合という言葉に漂っていた。天下国家のことを論じたりする理屈っぽい人も、管理組合のことになるとそんなものだった。

 必ずしも低いとはいえない管理費を収めていながら・・・

 あるにはあったが、名ばかりの管理組合。

 その管理組合は、竣工後10年あまりは総会も開いていなかった。
                   ☆
 そんな状態で竣工後10年を過ぎかかったころ、誰かが心配顔で言い出した。

 「10年経ったら大規模修繕工事というのをやらなければならないんだそうだよ。でも、どういうふうにやればいいんだ?」

 東証一部上場の大企業の丸の内本社に務めていた人が会社で聞き込んできた話だった。

| muraitadao | コラム | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
【マンションに住む実感を確かめるノート 杠も覚えている住み始めた時の不思議な実感。これがマンションというものか・・・〜45年前には考えたこともなかったことばかり〜

あわただしく決めて入居したマンション。45年はアッという間だったが実感は一口に言い尽せない

 このマンションに住み始めたのは1974年(昭和49年)4月1日だった。
 43歳だった。成り行きで勤め始めた住宅金融公庫で19年目。万博の終わった直後に転勤した大阪勤めが3年目に入る直前になって、また東京に呼び返された。

 住宅金融公庫は住宅問題に直面する人々が「自分の家」を確保するための資金づくりのバックアップ機関だったが、その仕事に携わる当の人間が自分の住宅を確保しなければならなくなってもまったく何一つお構いなしだったから、東京勤務で必要な住まいはすべて自分で探せという話があっただけだった。

 住まいの確保に苦労する人と同じ苦労をすればその経験が仕事の支えになるのは間違いないのだから、自分自身でこういう苦労を経験してみることは決して無駄ではない・・・。

 わかったようなわからぬような、そんなことを言われたっけ・・・。

 理屈はともかく自分が住む所を大急ぎで何とかしなければ、たちまち困ることははっきりしている。

 だから、仕事のあいまにカレンダーに何度も目を向けながら心当たりのあちこちに声をかけた。

 そんな時に聞きこんだのが都下某市の民間マンションでキャンセルが1戸出たという話だった。

 どうしようかと思い悩んだりしている状態ではなかったから、すぐ申し込んだ。

 そんな決め方で住み始めたマンション。45年前だった。

いろんな人が住んでいた45年、人は様々と思い知った45年

 わかりきったことを正確に言えば「今も人が住んでいるマンションの45年」である。マンションが建てられた時のまま「住居としてマンションであり続けてきた45年」だ。多摩川のこちら側、新宿まで30分足らずだが、東京の田舎だったこの辺りにどんどんマンションが建ち並ぶようになった45年でもある。
                   ☆
 何十年も前、毎朝、黒塗りの車が迎えに来る偉そうな人が住んでいた。めったに顔をみることもないままだったが、いつの間にか見かけなくなった。・・・と思っていたら、国会議員になったらしいと、後で聞いた。建設省の官僚だったらしい。

 そう言えば、高名な作曲家や劇作家もいた。難しそうな顔の大学の先生もいたし、まるで能天気な人もいた。

 管理組合の集まりなどで会うことは一度もない人ばかりだったが・・・。

 でも、600戸の大半は普通の人たちだった。そんな普通の人たちも、45年たてば様子が変わっていく。

 それを思い返した時の実感はかなり複雑にして多様である。だが、その実感を通して、マンションが紛れもなく「人の住まい」であることを確かめさせる記憶がいくつも浮かび上がってくる。

かつては言葉を知っていただけの管理組合が身近になってきた竣工後10年のころ

 もともとは商品名だったマンションという600戸の集合住宅に住むようになり、いつのまにか10年を迎えようとしていた。分譲マンションには管理組合というものがあるという程度のことは何人かの人が知ってはいたが、「町内会と同じようなものだね・・」というレベルの認識だった。

 名ばかりに近い管理組合でも時折り役員が集まる程度のことはあったが。そんなところで「マンションは竣工後10年目になると大掛かりな外壁塗装工事をしなければらないらしい」という話が出た。

 しかし、そんな話が出ても具体的にどうしたらいいか肝心なことがわからない。

 何回も話し合ったが、見当もつかないまま、どうしたらいいかという相談が舞い込んだ。

 思えば、これがマンション管理という底の知れない分野へ足を踏み入れたきっかけになった。

| muraitadao | コラム | 19:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
【あらためて「マンション管理の常識」を見直すと・・・】一戸建て住宅との違いをわかった上でマンションを語るジャーナリズムは今までにあったか?そして これからは・・・

マンション管理専門紙の草分けの頃から書いてきた原稿が終わって次から次へ思い出すことは・・・

 「マンションタイムズ」というマンション管理専門紙に連載していた最終回の原稿を送って、一息ついた。最終回のナンバーは209回だった。

 何度か休んだこともあったが、17年あまり書いてきたことになる。掲載紙の名前も、最初は「マンション管理研修情報」というあか抜けしないものだった。

 この専門紙を創業した佐藤量一さんとの縁で、初期からのボランテイア寄稿者だった。

 そんなこともあって、彼はいつも年末になると故郷青森のワカサギの佃煮を必ず送ってくれた。これが年の暮れの楽しみだった。

 高度経済成長期のころマイホームコースという双六まがいのイメージがあり、一戸建て住宅にゴールインするまでの途中にマンションがあるが、いずれはここを抜けだしてこそ一人前・・というのが世間の常識だった。

 マンションなんて、いつまでも住んでいるところじゃないと誰もが考えていた時代だった。

 そんな時期に生まれた数少ないマンション管理専門紙の一つが、のちに「マンションタイムズ」と改名する「マンション管理研修情報」だった。

 世が世ならマンションなんて・・という時代に、早くも佐藤量一さんは専門紙の送り出し手となっていた。

 あらためて、マンションを説明抜きで語れた数少ない一人だったと思う。

 そんなころに書き始めたのが「マンション管理研修情報」の連載だった。正直にいって、最初の頃はせいぜい1年ぐらいもてば・・と思っていたが、そうならなかった。

 1年たっても2年たっても、そうならなかった。・・・・・

 マンションは着実に増え続けて、国会で語られるような時期がやってきた。

 原稿の位置づけも、もうボランテイアではなくなり、それなりの原稿料をくれるようになった。

 その後、もう年末の楽しみだった青森のワカサギはもうこなくなったが・・・。

 でも、でも、連載原稿は相変わらず書き続けていたし、時々急にやってきて会うこともあった。

  先年、そんな佐藤量一さんは、外出先で突然亡くなった。

  言葉もなかった・・・・・。

 そんないきさつで書いてきたマンション管理関連の連載も、これで一区切りついた。たぶんマンション管理だけに焦点を絞って連載原稿を書く機会は、もうないだろう。

マンション専門のジャーナリズムなんて、今だってあるかどうか。ましてマンション管理専門ジャーナリズムなど・・

 思えば、市販の新聞や雑誌に原稿を書くようになってから久しい。

 最初のころ、原稿執筆者として「○○評論家」などと書かれるのが、嫌で仕方がなかった。でも、この頃、すでに「住宅評論家」というクレジットで活動していた人は何人もいた。

 その一人から「もうそろそろ住宅評論家と自分で名乗ってもいいんじゃない?」と言われたことがある。

 それで、腹をくくった。不動産ジャーナリスト会議のメンバーにもなった。発足したばかりのマンション学会にも入った。87歳のいま発言している基盤が揃ったのはこのころからだった。

 もう30年をはるかに超える昔だが、胸の底には、いつも屈折した思いがあった。

 ・・・マンション専門のジャーナリストなんかいない。まして、マンション管理ジャーナリストなんているはずがない。・・・

やがてマンションが増え「買った後のマンション」を気にする人が増えてくると「マンション管理」という聞き慣れない言葉を聞くようになったものの・・・

 「マンションは広い意味での住宅の中の一項目に過ぎない。マンションは一戸建て住宅イメージの延長線上にあるものなのだから・・・」と誰もが考えていた時代だった。

 そんな時代、どうしても住宅評論家は一戸建て中心の活動になるから、住宅ローンの実務を取り上げる人は少なかった。

 そうでなければ、都市問題とか地域開発が中心の天下国家を論じる感じだった。日本列島改造論がどうだとか、ニュータウンがどうだとか・・・。そんなことが主流のテーマだった。

 そうした時代は、いつも長々とした議論があってもしばらくすると「理屈はわかるが、そう言っても土地がねぇ・・」というため息交じりのつぶやきが出るのが常だった。

 何しろ土地価格がこんなに高いのだから立体的な土地活用を考えるしかないという発想が広がった。そんな雰囲気の中で、昭和40年代前半にマンションという言葉が生まれた。

 マンションというのは、しかし、最初は商品名だった。

 発足後20年目だった住宅金融公庫がマンションを融資対象にした頃も、全国各地で生まれた住宅公社が住宅公団といっしょにニュータウンづくりに乗り出したときも、まだ正式用語として認知されていなかった「マンション」は使わないようにと周到に遠ざけられて、「分譲住宅」の名称で供給された・・・。

「ドアの中」の室内中心の時代感覚は「ドアの外」への無関心を生んだ。一戸建て住宅そっくりそのまま感がマンションのイメージを支えた時代だった

 この記憶とともに浮かんでくるのは、集合住宅であるマンションを一戸建て住宅に何とかして似たものに見せかけようとしたことである。

 芝生の庭こそないが、満員電車にもまれてウチに帰っても、わが家のドアを開けて一息つけば、もう一戸建て住宅もマンションも同じではないかという感じだ。

 この感じに『土地価格の高騰や都市への人口集中といった事態をどうにかする決め手は一戸建て住宅へのこだわりを捨てることだ。だから、これからの住宅は上に伸ばして高層化するのが一番だ』という呼びかけが重なった。

 この流れの背景に《一戸建て住宅の代替機能を担うもの》としてマンションが描かれていた。いわば、一戸建て住宅そっくりなイメージづくりに支えられてマンションが登場したことになる。

 こうした感覚づくりの工夫は室内の作り方で集中的に行われた。こうして、ドアの中はもう一戸建て住宅もマンションも変わらないという感じが全国に広がっていった。
                   ☆
 今にして思えば、大きな建物の一角に住みながら玄関ドアの外に広がる共用部分をほとんど視野に入れない発想の産物だった。

 集合住宅も一戸建て住宅も同じという居住実感は、言い換えれば、共用部分を抜きにした生活感覚である。
                   ☆
  この経過が、いまのマンション管理の実情に様々な影を落とすことなった。現在も続くマンション管理の実情は、こうしたいきさつが生みだしたものだった。

 マンション管理を語る専門ジャーナリズムの様子との関わりについても、感想は尽きない。

| muraitadao | コラム | 14:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
【あらためて「マンション管理の常識」を見直すと・・・】マンション管理関連の連載に一区切りつけて改めて思う「書く言葉」「話す言葉」の重さ

「マンション」を語る専門ジャーナリストはめったにいなかった。まして「マンション管理」となれば・・・

 マンションタイムズというマンション管理専門紙に連載していた最終回の原稿を送って一息ついた。最終回のナンバーは209回だった。

 いろいろな場所で書いてきたマンション管理関連の連載も、これで一区切りになる。たぶんマンション管理だけに焦点を絞って連載原稿を書く機会は、もう、これでおしまいだろう。

 思えば、市販の新聞や雑誌に原稿を書くようになってから久しい。

 最初は、住宅評論家というクレジットだった。住宅そのものを語る文筆家は昔も何人かいたが、住宅ローンの実務を取り上げる人はとても少なかった。実務出身の書き手が少なかった事情もあって、お金や生活との関連でリアルに住宅を語る日々は30年以上になった。

 やがて、いつとはなしにそんな状況も変わり、今度は、マンションに絞って語ったり書いたりすることが多くなった。

 さらに、それが「マンション購入」や「マンション選び」から「マンション管理」という限定された分野になると、「マンションとは・・」といったそもそもの総論よりも、「マンションの何がいま気になるか」という側面について書いたり話したりすることが多くなっていった。

 この状況はまた変わって、今度は、新聞や雑誌がマンションを取り上げること自体が激減していった。

 そうなると、新築分譲マンションが増え続けるのに具体的なことがわからなくて不安を持つ人も増える結果になった。

 だからということではないはずだが、マンション管理センターに協力していた事情もあって、北海道から沖縄までセミナーや講座に足を運ぶことが一気に増えた。都道府県市区やNPOなど公的なケースだけ引き受けることにしていたが、それでも実に様々な人に出会って、熟知していたつもりのマンション管理の認識を改めて確かめ直すことが何度もあった。

もっと勉強しなければ・・という感想を聞いた時の苦々しさ。マンションに住むならまず勉強・・という奇妙な空気の腹立たしさ・・・

 こんなころ、ときどき予想外の人に出会った感想の苦々しさを今も思い出す。気分の悪い記憶でもあり、そこはかとない腹立たしさを覚える記憶でもあったが、同時に、この屈折した記憶がこのブログを現在まで長い年月にわたって書き続けさせたことにもなったような気がする。
                   ☆
 それは、ある大都市で開かれたセミナーが終わった時だった。

 「ぜひお会いしたいという方がホールのロビーでお待ちです」という連絡があった。まったく心当たりもないままロビーに行ってみると、中年の人がひっそりと待っていた。銀行員だと名刺できちんと名乗ってから、その人は次のように言った。

 『今日のお話を聞いて、私も、もっともっと勉強しなければと思いました。』

 で、こう答えた。

 『お越しいただいてありがとうございました。でも、そんなふうには考えないようになさってください。だって、自分のウチに住むのに勉強しなければならないことなんて、ないですからね。』

 そのときに話した内容はもう覚えていないが、このやり取りは、その人が「勉強・・」という言い方で法律談義を持ちかけてきたからだったことを記憶している。

 こうした経験は、ところを問わず何度もあった。郵便や電話だったりしたこともある。神田神保町のマンション管理センターまで遠方から訪ねてきた人もあった。

 大半の人が、ある種の思い違いをしていた。それは、マンションに住むには欠かせない予備知識が要るという思い違いだった。

 この当時、新聞や雑誌、テレビなどが今までと打って変わって、マンションのことをしきりに取り上げていた。普段は、あまりマンションがどうだとかいう情報を聞き慣れていないために不安を覚えた人が増えたはずである。

 そんな時期にセミナーや講座に足を運んできたのだから、マンションに住んで直面している問題の答えを何とかして見つけたいと切実に思っていたはずだ。

 そうは思ったものの、マンションに住むという当たり前のことに「勉強」という言葉が結びつけられているのが正直に言って嫌だったのだ。
                   ☆
 今も、まったく変わっていない実感がある。

 書くにせよ話すにせよ、必ず使わなければならない言葉をどう考えるか、という点だ。言葉がきちんと通じるためには、その言葉を使う人の想像力が裏付けになっていなければならない。だから、誰でもきちんと「わかっている」ことしか語れない。わかっていなかったら、使う言葉が借りものになる。身につかなくて浮いたものになってしまう。
                   ☆
 「語る言葉」は「理解できた言葉」に限られるのだ。誰が、いつ、どこで、何を語るときも、そうなる。・・・

 逆に言えば、理解できないことは語れないということになる。
                   ☆
 とすると、語られることが少ないのは、それほど理解されていないことが多いからだろうか。

 そうことなら、マンション管理を語る人が今もこんなに少ないのは・・・。
                   ☆
 もう、やめておこう。

| muraitadao | コラム | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
【あらためて「マンション管理の常識」を見直すと・・3】まさか国会でマンション管理のことが・・20年前の2月がすべての始まりだった

国会の、それも衆議院の予算委員会でマンション管理のことが質問されたって?そんなことあるはずないじゃないか・・・

 2月になると、必ず思い出す。1999年(平成11年)2月4日の国会の衆議院、それも予算委員会で分譲マンション管理の問題が議論されるという、それまで誰も考えなかったことが起こったからだった。

 そんな話、あるわけないじゃないか・・・。

 国会でマンション管理の話が出るなんて、そんなはずない。何かの間違いに決まってる。

 でも、間違いではなかった。分譲マンションの管理の仕組みについて現実的な視点で具体的なやりとりが展開されたのだ。

 その記憶は、ちょうど20年過ぎた今も鮮明に残っている。

 それぐらい思いがけなかった。

 実際、あの時の質問がきっかけでマンションをめぐる様々な動きが起こり、マンションという言葉を名称に取り入れた「マンション管理適正化法」が生まれ、この法律による国家試験資格としてマンション管理士などが生まれることになったのだから。

 当然マスコミの視線も一変した。それまでとは豹変した感じの視線が、にわかにマンションの管理に向けられた。テレビも新聞もマンションの管理のことを連日にわたって取り上げた。ある全国紙は、社説でマンション管理のあるべき姿を堂々と論じ立てた。たぶん、社説でマンション管理が論じられたのは日本新聞史上初めてだったのではあるまいか。

 雑誌や単行本にもみるみるうちにマンション管理ブームが広がり、神田の書店街ではマンション管理コーナーまでが売場に特設される光景まで現れた。

 住宅ローンで付き合いがあった新聞や雑誌が、ひっきりなしに電話をかけてきた。テレビやラジオもそうだった。電話で聞いただけでわかったつもりになられると困るし、それがまた新しい問題になりかねないから、きちんと取り上げるつもりならこちらに来なさい、それが嫌だったらもう細かい話はしないから・・とはっきり言ったこともあった。

 でも、こんなにざわめいた様子が長続きするはずがないと思っていた。果せるかな、この熱っぽさは短命だった。その後のことは書くまでもあるまい。

368万戸から644万戸へ。20年間でこれだけ増えたマンション。今や超高層も珍しくはない時代となったが・・・

 国交省の「分譲マンションストック戸数」のデータで見ると、この20年間でマンション戸数は368万戸から644万戸と276万戸の増加となっている。これだけのマンションは規模や立地など様々に違うはずだが、過ぎた年月に対応して古くなっているのは間違いない。

 そんなマンションで、大規模修繕工事とか長期修繕計画などはどうなっているのだろうか。マンションは良きにつけ悪しきにつけ、経過年数が長くなるほど居住性のレベルが下がりやすくなるが、管理の様子はどうなのだろうか。

 空き家は?
 高齢化は?
 外国人は?
 大災害は?
 ・・・・
 そして
 管理組合は?
 管理会社は?
 マンション管理のプロたちは?

 東日本大震災もあったこの20年間で未経験のことが一気に増えたと、あらためて思う。マンション管理の世界は、ある意味で経験原則が重視される分野だ。それだけに、在来の総論原則では手に負えない物件ごとの問題があると固有の練達した経験があっても立ち向かえなくなることが昔から心配だったし、今もそうだ。

 大震災など未曽有の自然災害に超高層マンションの増加という言葉から浮かび上がるシーンは次にどう展開していくのか。経験に裏付けられた予測ができない不安を否定できない。
                   ☆
 マンションが建てられれば、その数だけマンション管理の対応度の必要性が大きくなる。何年たってもマンションがマンションとして同じ場所に建ち続けるのは管理の裏付けがあればこそだ。その意味で言えば、マンションの管理はあくまでも居住性の確保に視線を向け続けてきた経験の集積だと断言していい。

 管理という課題は過ぎていく長い年月の経過への対応なのだ。マンション管理の本質は、物件ごとに固有の居住者としての経験に支えられた時に、初めて真価が実現する。短時間で通り過ぎる旅行者の滞在経験と、長年月にわたる居住者の生活経験は基本的に違うからだ。
                   ☆
 大丈夫なのか。

| muraitadao | コラム | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
【あらためて「マンション管理の常識」を見直すと・・・ 2】45年目の実感:管理組合のわかり方はマンション管理実務への関心次第で決まる!

「お住まいのマンションは何戸ですか」「名前と顔がわかる人は何人ぐらいですか」と聞かれてすぐ答えられる人は・・・

 同じマンションに45年も住み続けていれば、居住年月の記憶に管理組合組織との関わりの記憶が重なるのも当然だろう。

 もっとも、これは目の前の事態から目をそらすことができない人間の話かもしれない。人は様々だから、全然そんなことがない人もいるだろう。

 いや、むしろ、そっちの方が多いのではないか。

 同じマンションに住んで同じ年月の間に同じようなことを見てきたのに、そんなことどこ吹く風・・・という人は、確かにいる。それも、一人や二人ではない。どこ吹く風ではあっても、けっこう社会的な地位の高いその辺とは違う人もいるのだが・・・。

 同じマンションに住んできた人の顔ぶれを思い出すと、竣工後10年ぐらいまでは高級官僚もいたし、大学教授もいた。一部上場大企業の幹部もいたし、劇作家もいた。大メディアの人も、ハイレベルの作曲家もいた。

 みんな、いつとはなしに顔も見なくなってしまったが・・・。

 マンション住ま45年の記憶は、こんな人たちと顔を合わせてきた年月の記憶であり、いつとはなしに顔を合わせなくなってしまった年月の記憶でもある。玄関やエレベーターで出会った時に何気なくとりとめもない言葉を交わしてきた記憶の積み重ねかもしれない。

 しかし、こんな人たちとの交流の記憶が、管理組合と関わってきた記憶に重なることはまったくない。こうした人たちの記憶に管理組合との関わりは、40年以上に渡って、いつも無関係だった。

 同じマンションに住んでいても、年齢や仕事、生い立ちなどはみんな違う。人づきあいに関わる感覚も、性格に応じてかなり違う。加えて、最近は名前さえ出したがらない人が多いから、顔に見覚えがあっても誰だかわからないままの人もいる。何年も前から「○階の○○号あたりの人」といった見極め方しかできない人もいる。

 実感から言えば、そんな人たちが確実に増えている。

 決して名乗らないからどこの誰だかわからないものの、玄関などで見かけるあの不愛想な人は何号室の人だろうとか、何かにつけて見当違いのクレームを持ち込むのに名前がわからないといった人がめっきり目立つようになった。

 何かとこちらの生活感に影を落とす人が壁や床を隔てただけの至近距離のところに住んでいるのに、名前がわからないという不可解さやもどかしさは、もしかすると長期滞在型のホテル住まいと似ているのではあるまいか。

 人は「親を選べない」というのと全く同じ重さで「隣人を選べない」という固い実感がいつの間にか生まれていた。

 こうした環境であれば、マンションだの管理組合だのという言葉など、この人たちには思いも及ぶまいと思うようになる。

 黒塗りの車で送り迎えのあの人物は、自分の住戸以外のことなどほとんど関心を持ったこともないのではあるまいか。
                   ☆
 この実感には、エレベーターで始めて乗り合わせた人に会った時の感じとどこかで通じるものがある。最上階に住んでいるので、1階に着くまで1分足らずのわずかな時間でも、途中階から乗ってくる人の顔ぶれが自然となじみ深くなる。「今日、○階で乗ってきたあの人は、もしかすると昨年の秋に越してきた人だろうか…。あれは、ちょうど3回目の大規模修繕工事が終わった直後だったが…」などと、とりとめない感想がしばらく続く。
                   ☆
 でも、そういう人はマンションの管理組合のことまで確かめて買ったとは、正直なところ考えにくい。チラシの物件概要に出ている管理費や修繕積立金ぐらいは見ているかもしれないが・・。
                   ☆
 このマンションでは役員が当番階方式で決まるルールになっているから、中古マンションとして引っ越していたばかりの人と管理組合の役員会などで一緒になることがある。やり取りを重ねているうちにその人が「このごろ越してきたばかりで、管理組合のことはあまりよくわかりませんので…」などというのを聞いて、「あ、そうか、やっぱりな…」と思ったことが何度もある。

建築後年数が経ったマンションほど 自分の住むマンションの過去がわかりにくくなっていく

 実感で言うと、どこであろうと古くなったマンションでは竣工以来の居住者が確実に減っているはずだ。そうなれば、自分が住んでいるマンションの過去を知る人は間違いなく減っていきつつあるはずだ。

 竣工したあと、いつごろ管理組合が生まれて実質的に動き始めたのだろうかであろうと…。こんな疑問がわいた時「法律の考え方では区分所有者が複数いれば、そのマンションには管理組合が存在していると見なすものだ」などという理屈は全く役に立たない。

 管理組合では誰にもわからないことがあっても管理会社なら知っているはずだなどと訳知り顔で言う人がいても、その管理会社が倒産したり、企業統合などで一変したりしていることも、もう珍しくない。そんなことがなくても、古い時期のことは担当者だった社員が定年退職でいないなという話はザラにある。

 もう、やめておこう。キリがない。
                   ☆
 どんなマンションでも、竣工してから重ねられてきた管理の年月は、こうしてわからないことばかりになっていく。

 どれほどリッチでデラックスであろうと、マンション住まいは大きな建物の一角で暮らすことに変わりがない。そこに気がつかない人は、自分の住戸が位置している建物の全貌についての無知さに自覚がないまま、あたかも自分の住戸だけがぽかりと空中に浮かんでいるかのような錯覚にとらわれている…。
                   ☆
 どこのマンションにも、それぞれ固有の歴史がある。だが、今のマンション管理のシステムには、そういった人間感覚に対応できる仕組みがない。

 辛うじて自分の必要に迫られながら見つけてきたことも、だんだんおぼろげに消え失せ始めている。
                   ☆
 自分の住むマンションのことも知らないのに、物事を決める仕組みではそこにまったく関係なく意思表示できる…。

 おかしくはないか。

| muraitadao | コラム | 08:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
【あらためて「マンション管理の常識」を見直すと・・・ 1】年が変わっても昔からの常識は今までと同じように通用するのだろうか

お住まいは戸建てですか、それとも・・・と聞いて大ざっぱに話が展開したものだが・・・

 この頃はあまり顔を出さなくなったが、年が変わるこの時季は何かと集まりで初対面の人と会話をする機会が多い。

 初めて会ったばかりの人と向き合うとあまり共通の話題がないが、幸いにして住宅やマンションの関係の集まりの場合であれば《お住まいはどちらですか》と聞くと、そこそこに会話のきっかけがつかめる。

 地名を聞けば、ごく自然な形で住宅やマンションに話題を持っていけるからだ。

 「お住まいは・・・」と問いかけると大抵の人は大ざっぱに地名をあげて「○○です」と答えるから、その地名でおよその見当がつく。これで話のきっかけができれば「あ、なるほど」とか何とか意味不明の相槌を打ちながら《戸建てですか、それともマンションですか》と聞いて会話のイメージを絞っていくことができる。

 でも、このやりとりができたのは、戸建てとマンションという住宅スタイルの対比で誰にも共通するイメージがあったからだ。

 以前は住宅双六といったイメージがあって、上りは「庭付き一戸建て住宅」だった。この語り方にはマンションにも戸建て住宅にも定型化されたイメージがあったものだ。

 だが、この頃は、ちょっと違う。

 向かいあってやり取りしている同士が頭の中で考えている戸建てとマンションのイメージが必ずしも同じようなものとは限らない場合が多くなってきたからだ。

 特に、マンションは規模の大小、経過年数の新旧を考えると、もはや単純な言い方ができなくなったと思う。

言わず語らずのうちに新築か中古かを探る微妙な展開が自分の住まいの光景を決める・・・

 戸建てかマンションかの区別に話が展開すると、その先が微妙な展開になる。新築か中古かの違いがあるからだ。集合住宅でも一戸建て住宅でも、今や新築か中古かの違いでそこから先の話の進み方が微妙に違ってくることになる。

 マンションの場合は、物件の場所や建築時期で、ここから先の展開がさらに細かく決まってくる。戸数や階数がはっきりすると、もっと話の展開が大きく変わる。場合によっては、管理の様子や建て替えなどにまで話が及ぶ。

 そうした会話の展開は、対話の相手が分譲マンションに持っている関心の度合いによってかなり違う。戸建てにはないマンション特有の生活感覚をどの程度に持ち合わせているかによって、それまでの《どうでもいい》といった取り留めのなさが現実的な共鳴感に絞られていく予感を帯びてくるからだ。

 マンションのイメージに共有できる見込みがありそうだと思わせる感じになると、話の展開によっては、お互いの持っている《住宅への関わり方》も分かってくる。いま住んでいるのが持ち家か借家か、今のところには何年ぐらい住んでいるのか、今の住まいにこれからも永住するのか、それとも・・・といったことにまで話が及ぶことだってある。

 こんな会話を重ねるほどになると、初対面だった相手との距離がぐっと近くなってくる。会ったばかりの人への親近感が生まれてくるという思いがけなさが、こうした会合への期待を大きくする。
                   ☆
 住まいへの関わり方、とりわけマンションなのか戸建て住宅なのかによって対話の展開は一変するのは、当事者としての関わり方が感覚的にまるで違うからだ。住んでいる当事者としての関わり方という意味では、マンションと戸建て住宅との形態的な違いに加えて、住んできた居住年数の長さも大きく関係する。

 新築か中古かという物件条件は、実は、生活感覚の深さや幅の広さを浮かび上がらせる指標にもなるからだ。

 新築か中古かを意識しながら住まいをどんな言葉で語るかによって、暮らしてきた年数の長さがきわめて自然な形で浮き彫りになってくる。

 特に、壁や床を隔てただけの至近距離で多くの人と生活空間を共有するマンションでは、そういう感じになる。

 例えば、年末年始のマンションのゴミ置き場を考えてみるだけでいい。

 《人が生きていく》というのは、実は《ごみを生みだしながら生きていく》という意味にほかならない。それほど住まいにごみの問題は表裏一体なのに、建前やルール、仕組みの上では、具体的なことが何も示されていない。

 標準管理規約の別表の中に「ごみ集積所」という言葉が出てくる一例を除けば。

「自分の言葉で自分の住まいをどのくらいまで語れるか」―この問いかけの常識感覚が難しくない人はどのくらいいるだろうか

 「住む」ことは「生活する」ことに裏付けられなかったら、意味を失う。住んできた年数の長さは生活してきた年月の長さで支えられてこそ意味を持つ。さらに、もともとは個人レベルの意味だけだった「住む」という言葉に、生活展開の背景となる居住環境というバックグラウンドの意味を重ねると、それなりの広がりを持つエリアの変遷が経過年数によって一場面のシーンとなって、えも言われぬ現実感を持ち始める。
 ・・・・
 自分の住まいが過ごしてきた年数は、そこに生きてきた人間の物語でもある。物語の展開はどんな場所に住んできたかというステージによっても大きく異なる。

 自分の住まいを、どんな言葉で、どう語るか。

 簡単ではない難しさがあるが、時間をかけながら、答探しをしなければなるまい。

 《当り前》の一語でわかっているつもりだった常識を、あらためて見直したい気持ちが、今さらにして強くなってきた。

 齢甲斐もなく・・・。

| muraitadao | コラム | 06:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
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