村井忠夫のマンション管理ブログ

村井忠夫のマンション管理ブログ
【43年の実感で「マンションの管理」を考える2】マンションが新しかった時期は管理組合の存在感ゼロでも気にならなかったなぁ・・

43年のマンション住まいの初期に管理組合はまだ生まれていなかった

 43年過ごしてきたマンションの日々は、管理組合の歴史よりも2〜3年長い。はっきり言えば、マンションで暮らすようになった最初の2年間は、管理組合がまだなかったからだ。

 マンションの人の大半は、管理組合という言葉など聞いたことがなかった。しかし、全戸入居のあとに生まれた住民の会がやがて自治会となり、さらに管理組合となった。名前が変わっても顔ぶれは同じだったが、きわめて自然な感じだったと思う。

 でも、そうは言っても組織の実感など、まるでなかった。理事会とか総会もなかったし、管理組合が自治会といったい、どこが、どう違うのかと聞かれてもピンと来ない時代だった。

 そんな状態でもよかったのは、格別の問題が何もなかったからかもしれない。この実感を思い起こすと、マンションがまだ新しい間は《管理組合なんかなくても別にそれほど困らない》というのが普通の感覚だったような気がする。

 今にして思えばずいぶん能天気な感覚だったと思うが、実際、新しいマンションではどこもみんな同じように能天気だったに違いない。社会全体も似たような能天気ぶりだった。何しろマンションという言葉だって通じにくさがあったし、関連する仕組みも改正前の区分所有法があるだけで、ほかにはもう本当に何もない時代だった。

 だから、法律論の《区分所有者のいるマンションでは管理組合が必ずあると見なされる》などというお説を聞くと、今でもある種の空々しさと苛立たしさを感じる。いくら《見なされる》などと理屈を並べても、現実の組織は生身の人間集団なのだから、顔をみて名前がわかる人たちのイメージが浮かんでこなければ、結局その組織は《ない》のと同じだと思うから。

 そういう意味で、マンションが新しい間は管理組合が《ない》状態であっても困らないという実感があったのは確かである。

管理組合の存在感がなかった時代は管理会社もさぞかし楽だったろうな

 この時期の記憶を思い浮かべると、名ばかりの管理組合より管理会社の方が鮮明でだ。ほぼ真中の棟の1階に管理事務所があって、そこが全600戸のマンションのあれこれの窓口になっていた。

 創業5年目だった管理会社は分譲したデベロッパー系不動産会社の子会社。その親会社は中堅のローカルゼネコンだった。

 管理事務所には老眼鏡の親会社OBがときどき顔を見せたが、いつも現場にいる初老の「管理人」の方が当てになるという評判だった。

 600戸の中にはいろんな人がいた。偉い人も偉くない人も、有名な人も有名でない人も。

 でも、意見が揃わなくて苦労するような問題はなかったし、入居するとすぐ友だちになった子供同士に引きずられて親同士が家族で付き合うような間柄があちこちで生まれた。玄関やエレベーターで毎日人に会うのが、とても楽しかった。

 そんな時代だったから、管理会社はさぞ気楽だったろう。

 600戸もあれば毎日マンションのどこかで何かがあるが、お互い同士で大抵のことは何とかなった。管理組合や管理事務所が直接言いにくいことのガス抜き機能を務めることもなかった。

 マンションが新しい間はマスコミがそれらしくマンションの解説や論評を流すことも皆無に近かったから、大抵の人は《マンションとは、こういうものだ》という奇妙に予定調和的な落ち着きがあって格別のトラブルも少なかった。

 いま思えば、実は知るべきことを知らなかっただけのことなのだが。

 要するに、みんな鷹揚だったのだ。

やがて鷹揚さの限界が見え始めたころ管理会社が何かにつけて気になってきた

 だが、そういう鷹揚な空気が微妙に変わり始めると、何かにつけて管理会社の存在が気になるような日々が始まった。居住者の目前にいる管理会社は実は現実的な対応が苦手で、話がこじれてくると、最後はいつも分譲した不動産会社が出てくる場面が何度もあるようになった。

 そんな状態だったが、まだ、管理組合は総会を開くこともなく、組織活動の実感は皆無に近かった。これでいいのかな・・という感じはあったが、600戸から毎月管理費を集めて、それを会計処理して・・といった実務を考えると、途端に、もう何も言えなくなってしまう。

 何しろ、電卓を秋葉原まで出かけて1万8000円で買ってきた時代だった。コンピュータはまだ大型しかなくて・・・。

 そんな時代だったから、大規模マンションの実務は管理会社を頼るしかなかったのだ。大戸数の区分所有者から多額のお金を収める管理組合は、その実務を引き受ける管理会社だけが唯一の頼りだった。

 そんな管理組合のマンションにも年月が過ぎて竣工後10年目が近くなってきた。

| muraitadao | コラム | 14:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
【43年の実感で「マンションの管理」を考える1】マンションが語る建物と住む人の姿に浮かび上がる歳月の実情

今回からブログはトーンを実感本位に切り替えて書きます

 ずっと昔、住宅評論家というクレジットでいろいろな原稿を書いていた。当時全盛を極めたリクルートの「週刊住宅情報」にも。

 ある時、中古マンションの選び方を書いた原稿の冒頭に《どんなマンションも買って住むようになったその日から、一日ごとに間違いなく中古マンションとなる日が始まります》と書いたら、たちまち編集担当の人からすぐ《こんな夢の壊れる書き方では困ります》というクレームが入った。

 昔の新築は、今の中古。昔の妙齢の美人も、必ず老婆になるのと同じ。

 自分自身もマンションに住み続けて確かめてきたこの実感は、このクレームを受けた時から今もまったく変わらない。

 43年の居住年数はこのブログを書き続けてきた11年間とも重なる。

 長寿命のマンションが住宅として長い年月を過ごすと、どうなるか。

 きわめて根源的だが、実は、ほとんど確かめた人がいない。ブログを書き続けてきた11年は、それを確かめながら書く歳月でもあった。

 そのブログは12年目に入るが、書きたいことがまだまだ山ほどある。

 そこで、今回から、こうした実感をもっと正直に打ち出しながら書いていきたい。

 ブログを書くことには、マンションの経年変化の本当の姿を、少しでもありのままに多くの人に伝えられるメモを書き綴る意味があると思うからだ。

43年・・・。わが人生の半分をこのマンションで過ごしてきた

 1974年(昭和49年)4月に竣工した時から住み続けてきたマンションで43年余りが過ぎた。数日前の10月1日で86歳の誕生日を迎えたから、人生のちょうど半分をこのマンションで過ごしてきたことになる。

 新宿から急行なら30分弱で着く都内最小の市。小田急線の駅から15分以上歩かなければならない程度に離れていたから電車の音は遠かったし、まだ畑があちこちに多くて、11階のベランダから丹沢の山並みと富士山が見えた。

 43年住み続けてきた理由の一つは、たぶんこの眺めだろう。4DKのスペースは不十分だったが、何より立地に満足感があった。

“一億総中流時代”の建物が総中流時代でなくなった今も建ち続ける複雑さ 

 しかし、満足しない人の方が多かったようだ。住み続けているうちに知っている顔ぶれがどんどん減って、名前と顔が一致しない人の数が増える一方だった。

 何しろ、入居当初はみんな誰もが似たようなものだった。どの住戸も家族4人ぐらいで40歳代のサラリーマン。東京オリンピックから10年しかたっていなかった蛙の時代のマンションはファミリータイプばかり。

 何度もマンションブームがあったが、売り出し物件の大半はいつもファミリータイプ。売る方にも、同じような間取りと広さだけで特色を出せばよかった。

 《一億総中流》がそのまま絵になったのが、この時期のマンションだった。

 だが、長寿命のマンションが40年以上過ぎると、この状況が変わってくる。

 年数がたって建物自体は竣工時の様子が古びたまま同じ場所に建ち続けるが、人間の方はほとんど入れ替わってしまう。何年たっても住み手が変わらないままというマンションはめったにない。

 43年が過ぎたマンションに住む人の顔ぶれは変わっていく一方で、表札やネームプレートもない住戸が増えていく。そうなるといつも出会う人が「住んでいる人なのか、よその人なのか」の見分けもつかなくなる。

 エレベーターに乗ると、11階から1階に付くまで40秒かかる。誰かと乗り合わせた時この狭い空間で押し黙ったままの気づまりな感じが嫌で、できる限り声をかけるようにしている。反応は様々だが、何人かは何か応答してくれるから、その後も出会った時に声をかける機会が生まれる。

 そんな形でのマンション住まいだから、マンションでのコミュニティ論議も理屈倒れな話であれば、その中身も語る人もすぐ見極めがつく。

 すべて、一億総中流時代にできた当時のままのマンションが、一億総中流ではなくなった時代に建ち続けているからこその実感だと思う。

40年以上過ぎたいま中古マンションの買い手が今も相変わらず

 竣工したころ何もなかった周辺に、この10年足らずでマンションが激増した。この人口減少時代に、市の人口が増え始めたほどである。

 こちらは市内最古のマンションだが、売れ行きに苦労する新築マンションが1年以上チラシをまく中で、連日のように不動産会社の売却勧誘の呼びかけが続く。

 たまさかの成約事例を見ると、間違いなく43年前にここを買った時の価格の何倍かにはなっているようだ。

 そんなことになる理由は、例の「マンションは管理を買え」というご託宣のおかげか。

 でも、あれは、まぎれもない大ウソだ。マンションの「管理」がわかっていない人がありがたそうに唱える嘘っパチである。

 住み続けてきた43年は、こんな言い方の嘘を確かめる年月でもあった。
 

| muraitadao | コラム | 07:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること67:聞く・答える】小学生でも知っている「集団で物事を決める時の大前提」だが

「わからないから聞く」→「わかるように答える」という流れを軽視した時に怖いことが起こる

 もうヤブから棒の感じで、解散とか総選挙とかいうニュースがいきなり流れ始めた。

 よく分からなくて首を傾げているうちに、憲法のどこの決め方の案づくりが、どこだかへの一任で決まる、とかいう話が重なったりして、ますます分からなくなってきた。

 何かあると、この頃の政治家は《丁寧な説明》というのが口癖で《丁寧の上にも丁寧に》とか《真摯に》とか簡単にいうが、実際に「丁寧な説明」なるものを聞いたためしがない。

 ときどきペラペラと早口にテレビのCMまがいの安っぽい言葉が並ぶ演説のニュースを聞いた当座は、それらしい気分にさせられるが、しばらく時間がたつと、はて、さっき何となくわかった気分になった「あれ」はいったい何だったのか…という感じに入れ替わってしまう。
                   ☆
 分からないことがあれば、聞く。それに答える。そのやり取りを重ねて「分からないことが分かる」ようになる、という実に平凡で当たり前の流れが、このごろ、とてもヘンだ。

《当たり前のことがさっぱり分からない》ことが当たり前になってきたのではないか。

 このヘンな感じが日常生活の次元であればとるに足らぬことだろうが、何かを決める場合になると、そうも言ってはいられなくなる。決めようとしていることが重ければ、なおさらだ。

YESだかNOだかわからぬまま黙っている多数も事実上決定には関わる「暗黙の了解」の怖さ!

 いつの間にか、「聞く」ことと「答える」ことが対応しなくなってきているような気がする。

 テレビの記者会見などを見ていると、「聞く」方もヘンだし、「答える」方もヘンだと思うことが多い。聞かれたことにちゃんと答えていないことは、もう日常茶飯で珍しくもない。

 だが、「聞く」ことと「答える」ことの対応関係が物事を決める時の大前提であることは、確かだ。

 何かを決めようとして分からないことがあれば、まず「聞く」。聞かれた方は、それに「答える」。この対応の積み重ねで、大抵のことが決まっていく。家族内のことでも組織のことでも。
                   ☆
 しかし、これが自分の身辺から遠ざかるほど、何となく違ってきているような気がする。とりわけ、自分が属している組織レベルのことになると、そう思う。

 いま自分が関わっていることは知っていても、別に、自分にとって何も影響がない、何がどうなろうと、自分がすぐ困ることなどないという感覚。

 こういう人の場合、聞いたことに納得できていようと疑問があろうと、別に大したことではない。だから、聞くことがなくても、別にどうということはない。

 しかし、かと言って、それほど納得しているわけではない。逆に、そんなに反対しているのでもない。

 よくわからないのだが、何となく・・・という実に曖昧模糊とした状態。これが、今の時代にはとても多いのではないか。

 でも、何かを決める時には、そんな曖昧模糊とした人たちにも、一応は意向のほどをきちんと聞かなければならない。多数決原理の民主主義的意思決定には、メンバーが曖昧模糊かどうか、などということはまったく無関係だからだ。

 かくて賛成でもないし反対でもない曖昧な状態で大多数の人が黙ったまま、形だけは「聞く」手順を踏んで物事が決まっていく。

 その結果、《とくに反対もないから》という考え方で、みんなが《わかった》、つまり同意して了解したという暗黙の了解が成り立つことになる。

 形式的な集会決議、惨憺たる低い投票率の選挙・・・。

 内容は別として形だけは何とか…という例が、こうしてあっちにもこっちにも並ぶようになっているのではないか。

「聞く」「答える」の対応状況を再点検した方がいい。マンションで物事を決める時ももちろん

 「聞く」ことは、決めなければならぬ事柄に自分が目を向けているからこその話だ。目を向けていなければ、聞く気など起こりようがない。

 そう考えると、聞くことの前提は《聞くベきことの中身をまず「知る」こと》にあると気がつく。

 しかし、今の時代、「知る」ことは実際には「知らされ方」の問題でもある。

 賛成でも反対でもない、そんなことどうでもいいよという考え方は、知るべきことをきちんと知らされているかどうかとどうかの反映でもある。
                  ☆
 「聞く」から「答える」。「答える」から「わかる」。「わかる」から「決められる」。この対応関係は、いま大丈夫なのだろうか。

 聞くたびに気になって仕方がない。北朝鮮のニュースも、解散総選挙の話も・・・。
                   ☆
 そして、マンションの民泊の話も、標準管理規約の改正の意味も・・・。
 

| muraitadao | コラム | 11:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること66:民泊】管理組合の実感からは程遠いのに早々と標準管理規約改正とは・・・

標準管理規約の改正ってこんなに早くできるのかと驚いた。それにしても何とまぁ・・・

 8月29日、国交省が標準管理規約の改正を発表した。この日は北朝鮮のミサイル報道の物々しさにあふれていた日で、どの新聞もテレビも標準管理規約の改正など流さなかったから、危うく知らずじまいになるところだった。

 北朝鮮のICBMに比べたら標準管理規約の改正などにニュースバリューのかけらもなかったということだろう。

 それにしても、今度の標準管理規約改正は、驚くほど早かった。何しろ昨2016年(平成28年)3月に発表された直前の改正が2012年(平成24年)1月から4年がかりという未曽有の長年月を要する経緯をたどったからだ。この改正ではコミュニテイの考え方などに、かなりの論点があった。肝心の管理組合次元でそうした論点の議論はおろか問題認識さえまだまだ不十分な状態の中に、前回改正から1年そこそこで、もう早々と後を追うような改正が発表されたことになる。

 それかあらぬか、今度の改正についての国交省の発表文を見ると、何とも,まあ素っ気ないものだった。『住宅宿泊事業に伴う「マンション標準管理規約」の改正について』と題された発表資料の冒頭には、次のような3行ほどの前文がある。

――本年6月に住宅宿泊事業法が成立したことを踏まえ、分譲マンションにおける住宅宿泊事業の実施を可能とする場合及び禁止する場合の規定例を示す「マンション標準管理規約」の改正を本日行いましたので、公表します。

 まことにあっさりとそう書いた後の「1背景・経緯」の中には、こんな部分が出てくる。引用が長くなるが、どうしても気になるので関連部分を紹介する。

――分譲マンションにおける住宅宿泊事業を巡るトラブルの防止のためには、住宅宿泊事業を許容するか否かについて、あらかじめマンション管理組合において、区分所有者間でよく御議論いただき、その結果を踏まえて、住宅宿泊事業を許容するか否かを管理規約上明確化しておくことが望ましいと考えられます.・・・

 何とまぁ、他人事めいた感じの言い方だろうか。

たださえ厄介な問題が多いのに「民泊」まで持ち出されたら“区分所有者間の御議論”どころではなくなる・・・

 そもそも今度の改正は、いま大小新旧、様々なマンションで管理組合が直面している実情はいっさい棚に上げて「民泊」だけに焦点を合わせた内容であるところに、不可解な違和感がとても大きい。どこまで実情がわかっているのか、非常に気になる。

 民泊、民泊としきりに言うが、そんなに全国のマンションに広がっているのか。

 民泊は、一部の地域の、一部の限られた問題ではないのか。

 マンションで民泊がそれほど火急な対応を迫られる問題になっているのか。

 民泊よりももっと優先する事態はないのか。
                   ☆
 今度の改正の発表文を見ると、1年前に改正された標準管理規約の第12条だけが改正されている。全体ではない、こういう部分的な形の改正は初めてだが、それは、まぁいい。

 細かいことをここで書く気は全くないが、この第12条というのはまことに古くからのなじみのある条文だ。(専有部分の用途)と題した条文は「区分所有者は、その専有部分を専ら住宅として使用するものとし、他の用途に供してはならない」とあるだけの簡単な条文である。

 コメントも相応にシンプルだから、これもそのまま紹介しておく。

――《コメント》住宅としての使用は,専ら居住者の生活の本拠があるか否かによって判断する。したがって利用方法は、生活の本拠であるために必要な平穏さを有することを要する。

 このコメントには前回の改正から△箸靴橡塾話調慙∋項が加えられたが、それ以外は昔からここにあげた内容が一字一句変わっていない。

 ちなみに、ここに紹介したものは1994年(平成6年)8月発行の縦書きのものから引用した。(1994年8月・住宅新報社発行・中高層共同住宅標準管理規約の解説。この第1刷は1987年・昭和62年)

 つい数年前まで、標準管理規約のことについて話す機会は数え切れないほどあったが、いつもこの条文については、かなり言葉を選んで慎重に語ってきた。

 自分自身が住む600戸のマンションはもちろん、どこのマンションでも《専有部分を専ら住宅として使用する》という言い方がつねに物議のタネになる厄介千万な実情を見続けてきたからだ。

 そうした実感と上記の引用を考えても、ついこの間に発表された改正は、20年以上にわたって管理組合を悩ませてきたこの問題に、あっと驚くほど、いとも単純な形でけりを付けてきたことに驚くばかりだ。

いっそマンションに住む国交省の職員を対象に民泊の実情を調べてみては

 でも、本心を言えば、こんなに長い間苦しみ続けてきた課題に今度の改正できちんとした答えが出たとは全く思わない。むしろ、逆に、新しい論争のタネが増えたような気する。

 《専有部分を専ら住宅として使用する》という言い方と実情のギャップに視線を向けないまま、いとも簡単に「民泊」だけに焦点を当てた考え方は、もしかすると「寝ていた子を起こす」結果になったのではないか。

 その上、管理規約でYESかNOかをはっきりさせるように言いながら、新築マンションではペット飼育などと同じレベルの使用細則で対応してもいい、というのもよくわからない。まさに《ああ言ったり、こう言ったりする》感じに見えて仕方がないが、そのわかりにくさをどう説明するのか。
                   ☆
 で、ひとつ提案を。6万人近いと聞く国交省の職員の中にもマンションに住む人は必ずいるだろう。そういう職員を対象にしてマンションの実情を調査してもらえないだろうか。そんなに民泊が広がっているのかどうか、管理規約の改正ですぐ対応できるような状態なのかどうか、確かめてほしい。自省の職員に聞くのであれば、この方法でストレートにわかるのではないか。

| muraitadao | コラム | 04:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること65:アラート?】「知らせ方」の条件次第で仕組みの作り手の実情認識程度がわかる!

「Jアラート」って何だかわからないが昔の「警戒警報」や「空襲警報」を連想させるなぁ・・・

 8月最後の月曜日は、朝から物々しかった。北朝鮮のミサイルが・・というニュースなのだが、前にも同じようなことがあったと思う。確か、今度が初めてではない。

 でも、今度の“北朝鮮ミサイル”はどこが、どう違うのか。いくらニュースに気を付けていても、肝心のことがわからない。

 おまけに、Jアラートというのがしきりに出てきて、今までになく騒がしい感じだ。不安そうな人の表情に新幹線や首都圏の電車が止まったというニュースまで混じって、もうただ事ならざる大災害並みの感じになったが、それにしては肝心要のことがまったくわからない。

 首をかしげているうちに9時を過ぎる頃になるとみるみるうちに落ち着いて、それからはいつも通りの感じに戻ってしまった。いったい先ほどまでの物々しさは何だったのかという消化不良気味の気分の中で、「Jアラート」という言葉だけが印象に残った。
                   ☆
 改めて考えた。「Jアラート」という言葉だけは知っているが、具体的なことになるとほとんど何も知らない。

 ただ、この言葉を聞いて直感的に思い出したのは、73年昔の8月まで日常茶飯に聞いていた「警戒警報」と「空襲警報」だった。
                   ☆
 「警戒警報」と「空襲警報」。思えば、小学生になってからの日常生活にはこの二つの言葉がセットになって、いつも日常生活の中にあった。

 どこで何をしていても、いつ警戒警報が出るかもしれない。そうなれば、いろんなところに「警戒警報発令中」という木札が出る。警戒警報はやがて空襲警報が出る前ぶれだから、いつもそのつもりで動かなければならないという意識があった。空襲の覚悟を迫る予告の警戒警報がいつでも出る可能性によって緊張感が強いられる日常生活があった。誰にとっても、防空壕と防火用水と防空頭巾が身近な生活の中でこの二通りの「警報」がいつも頭にあった。

 ふと気づいて国語辞典をひいてみると、【警戒警報】は「警戒を呼びかける警報。特に、戦争中、敵機の来襲が予想される場合などに出される」と説明されている。確かにそうだったな、と思う。

 国語辞典に「警戒警報」が出ているのに「空襲警報」が出ていないのは片手落ちの気がするが、今の時代にはこうした「警戒警報」の説明だけで十分だと気がつく。

 だが、今度の「Jアラート」が昔の「警報」を連想させたのは確かだった。

 とすると、「Jアラート」は、かつての「警戒警報」が「空襲警報」に展開していく危機的事態を予告していたのと同じようなイメージの情報なのだろうか。

 幸か不幸か、実際に「Jアラート」の想定するような事態に接した経験がないから、そこがわからない。どうなのだろうか。

思い返すと「警戒警報」と「空襲警報」を有効にしたキーワードは「B29」だった

 あらためて思うのだが、「警戒警報」とか「空襲警報」という言葉が子供にも大人にも通用する効果を持っていた理由を考えて何となく思い当たったのは「B29」という言葉だった。

 B29というのはアメリカの大型爆撃機だった。いつ頃この言葉を聞き覚えたのか今となってはもう思い出せないのだが、戦争末期にはもうB29という言葉が耳タコだった。B29のBはボーイングのBだったとか「空の要塞」といわれたなどということは戦後になって知ったが、あの頃B29と聞けば、すぐ焼夷弾という連想が働いて遅かれ早かれ空襲で丸焼けになるというストレートなイメージが説明抜きで大人にも子供にも染みわたっていたのは、間違いない。

 そんな中で、警報はいつもラジオから流れた。天気予報さえなかったラジオも、警報だけは必ず流した。つけっぱなしのラジオから「○○地方に警戒警報発令中」と伝えるアナウンサーの上ずった声が、今も記憶の片隅に残っている。

「アラート」って「警報」なんだから《誰が、誰に、何を、どうやって知らせるか》という本質は同じでは

 Jアラートについて、ニッポニカには《大災害や武力攻撃などの危険情報を全国民へ短時間で伝える警報システム》という説明が出ている。《誰かが、誰かに、何かを急いで知らせる》という点では、昔の警報も今のJアラートも同じだろう。

 だが、仕組みそのものは同じでも、仕組みの成り立つ条件がまるで違う。《緊急事態に気づいた発信者とまだ気づいていない受信者》という関係を前提としているのは同じだが、情報の受け手の状況がまったく違う。

 情報の効果は送信手段で決まるが、情報の送り手と受け手の実情に対応した送信手段は情報の送り手が受け手の実情をどこまで把握しているか次第で決まる。

 それに、そもそもアラートと呼んで知らせようとしているのが《どんな緊急事態なのか》という最も肝心なことが何一つわからないままだった。地震や台風といった説明抜きで誰もがわかる緊急事態ではなくて、大半の人にとって中身がわからない緊急事態だったのだ。

 今度のJアラートをめぐるニュースで、《急に気を付けろとか安全な場所に避難しろとかいわれても、どうしたらいいかわからない》という当惑を示す人が多かったのは、明らかにこういう点と関係しているだろう。

 《相手のこと》がどこまでわかっているかという極めて平凡だが無視できない事情は、情報の送り手の想像力が決め手になり、その想像力は現実認識で決まることを改めて示している。《情報の受け手は、いつ、どこで、それを聞き、普通の言葉で語られる光景を思い浮かべる想像力がまだまだ足りない気がする。
                   ☆
 多ければ何千人もが住むマンションでも、この点は見落とせない。防災訓練だけでは対応できない課題であることは間違いない。
                   ☆
 ここまで書いてきたら、北朝鮮が過去最大の核実験というニュースが流れてきた。しかし、今度はJアラートの話ははニュースに出てこない。

 Jアラートが出る時と出ない時は、どういう違いがあるのだろうか。

 わからないことが、また一つ増えた気がする。

| muraitadao | コラム | 05:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること64:築後・居住年数】43年住み続けて見届けたマンション管理の建前と実情のギャップ

管理組合の存在感などなかった竣工後の10年が過ぎて最初の大規模修繕工事に直面した頃まで

 1974年(昭和49年)4月から住み続けてきたマンション。竣工したころ周辺はまだごく普通の郊外住宅地だった。多摩川のこちら側で、世田谷の成城はすぐ近くだ。都内最小の市であることが幸いしたのかどうか、NTTの市外電話番号03が、さも誇らしげに語られた時期があった。

 11階建て4棟、約600戸。大半はサラリーマン家族が住む文字通りのマイホームだった。マンションが少しずつ大衆化して区分所有法が始めて改正されたが、マンションに関係する仕組みは何もなかった。全国のマンションストック戸数もまだ50万戸に及ばぬ時代だったから・・。
  自分のマンションに管理組合などあるのかないのか、住んでいてわからない時代でもあった。わからなくて特に困ることはなかったし・・・。

 しかし、せっかく同じマンションでいっしょに住むようになったのだからという意見が出て、まずいくつかのサークルができた。そのあとで、自治会も生まれた。

 きちんとした管理組合が生まれたのは、そんなことがあった竣工後2年が過ぎたころだった。でも、その管理組合も、多くの人に関心を持たれることもないまま年月が過ぎた。存在感がない管理組合だったから、総会を開くこともなく管理費を集めるといった実務は文字通りの管理会社任せだった。この期間に何があったか、あとから片鱗めいたことを何度か聞いたが、今は、もう確かめようもない遠い昔のことである。

 そんなのんきな年月が10年を越える頃、さすがに以前とはマンションの空気が変わり始めた。時間が経つと住む人も顔ぶれが変わり齢を重ねて、入居当時の様子がどんどん変わっていく。

 建物の劣化が目立つようになり、その取り組みに迫られて名ばかりだった管理組合の存在感が次第に大きくなってきたのは、最初の大規模修繕工事が課題になった頃である。

 このころ、いくつかの都市伝説めいた通説があった。その一つに「竣工後10年経ったら大規模修繕工事をしなければならない」とか「修繕費の財源となる修繕積立金は管理費の1割が標準である」というのがあった。でも、そういう通説を確かめようとしても、どこの誰を当てにすればいいのか途方に暮れるほど何もわからなかった。

 でも、どんな方法で大規模修繕工事を実行するにしても、1年任期の管理組合の理事会にはとても手に負えないことだけは誰の目にもはっきりしていた。

 やむなく肚をくくって理事会をサポートするプロジェクトチームを有志で作ることになった。これが、特定の課題に取り組んで理事会に意見具申する組織として、今では標準管理規約にも出てくる「専門委員会」の始まりだった。

 だが、現実には修繕積立金がわずかで、お金が足りなかった。で、ほぼ1か月分の給与を上回るほどの臨時負担金を集めて取り掛かることになった。そのために、それまでめったに開いたこともなかった総会を開かざるを得なくなった。

 初めてのことで心配したが、結果は何とかなった。ずいぶん文句も言われたが、どうしても必要ならやむを得ない、という空気だったから。

 みんな若かった。文句も賛同もみんな同じように実現した。何しろ一億総中流の時代だったから・・・。

管理の意味の重さを切実に感じた竣工後20年目の配管工事、2度目の大規模修繕工事、そして・・・

 この時期からあと建物の劣化に対応した大規模修繕工事の都度、居住実態の変化と管理組合組織能力を思い知る機会がどんどん増えていった。

 相次ぐ水漏れに対応する給排水管改修工事に取り組んだ時、全戸の室内リフォームの実態確認に迫られて実施したアンケート調査の一項目で全戸の居住歴を調べた。回収率が90%を超えたその時の結果で、竣工後20年を迎えたマンションで、竣工時から住み続けてきた人は全600戸の25%だったことがわかった。ちょうど4分の1である。管理組合組織運営と居住実態の変化の関わりの大きさを痛感せざるを得ない時期が来ていた。

 この頃から管理組合の難しさは、年々増える一方だった。放っておけず、さりとて答えが見つかるわけでもない難題に苦しむ年が続いた。

 経済事情の激変がこれに重なった。

 竣工以来の委託先だった管理会社が変わった。かなりの管理組合で委託先管理会社の変更がリプレイスという名で相次いでいたが、私のマンションではそんなことを誰も考えていなかったのに、委託先管理会社の親会社が最大手の不動産会社に合併したためにこちらの意向と全く無関係に相手が一方的に変わってしまう結果になった。

 別段どうということもないが、今まで《管理組合にわからなくても管理会社に聞けばわかる竣工以来30年の経過に関係したことがわからない》不安が出てきた。

 それぞれのマンション固有情報の保有量は管理組合よりも管理会社の方が圧倒的に多いと、20年前からセミナーなどで管理組合の人たちに話してきたことを、ほかならぬ自分のマンションで確かめる羽目になってしまった。
                   ☆
 書き始めると思い浮かぶことは際限がないからもうやめるが、一つだけはっきり言えることを書いておく。

 時間が過ぎると、すべて物事は変わっていく。人は老い、建物が老朽化するのは当然。しかし、その当たり前のことに長寿命のマンションの管理がどこまで対応できるかという点の心もとなさは想定をはるかに超える。43年かかって確かめたそのことは、次回に書く。

| muraitadao | コラム | 14:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること63:実感的住宅問題】戸数不足から空き家続出までの経過を見てきた62年目の実感

海の物とも山の物ともわからぬまま住宅金融公庫で住宅と関わり続ける日々が始まった・・・

 1955年(昭和30年)8月1日が、住宅に関わって33年に渡る長い歳月の始まりだった。この年は就職難で、卒業したときも就職口を探していた。

 そんな中で、偶然聞き込んだ話を頼りに住宅金融公庫に入った。公庫なんて、名前も聞いたことがなかったし、いったい何をやるところなのかもまるで判らぬままだったが、そんなことをいちいち気にしてはいられなかった。

 2か月ほど過ぎて「今月からもう公務員ではなくなる。ついては住宅公団というところができたので、そちらの方がよければ移ってもいいし、このまま公庫に残ってもいいが…」という奇妙な通知を受けた。考えるのが面倒くさくて、そのまま残った。

 その時は、公庫とか公団とか聞きなれない名前の組織がどう違うのかなどを知りたいとも思わなかったし、聞いてもわかる人はいなかったろう。

 でも、公庫とか公団の区別は、その後、住宅に関わる年数が長くなるにつれて折あるごとに気になるようになってきた。

 住宅金融公庫での33年間、いつも頭の上には建設省から来た人たちがいた。天下りなどという言葉もまだなかったが、住宅のことがわからない割には見当違いの文句が多くて、我慢の日々だったことを思い出す。

 だが、住宅のことはわからないし、まして金融なんて・・・という人たちでも唱え続けていたスローガンがあった。「住宅建設五箇年計画の公営・公団・公庫の三本柱」だった。《住宅は道路と違って票にならないからねぇ》という政治家にもこのスローガンはそこそこに有効だったらしいが、やがて、これに住宅建設の景気刺激効果という強力なメニューが加わった。

 アメリカ仕込みのご託宣に従って、1970年代後半(昭和50年代初頭)から融資政策による住宅建設で内需拡大が景気テコ入れ効果を生むというキャンペーンが有無を言わせぬ形で現場に持ち込まれた。マイホーム、マイホームというCMそこのけのスローガンで。

 住宅政策という名だけが残って、実は、もう、まぎれもなく中身が経済政策にすり替わったのだと思った。

時が流れると住まいと人がどう変わるかをわが身の住生活史に重ねて確かめてきた歳月

 終戦当時の《住宅不足戸数430万戸》のトーンが弱まるのと入れ替わりに「日本人の住宅はウサギ小屋並み」と外国に言われて「量から質へ」といきり立ち、住宅ローンが本格化した。「一億総中流」という言葉と「マイホーム」というスローガンは相性がよかったのだ。住宅ローンの広がりが支えになって関連業界も関連ジャーナリズムも熱気に覆われた。それから、バブルがやってきた。

 だが、その後、かつての熱気は冷めて様相は一変した。湧きに沸いた業界もジャーナリズムも「今は昔」。人は老い、減った。子供が少なくなった住まいには静けさだけがた漂う。・・・・・

 人間にとっても住まいとしての建物にとっても、流れる年数は変わらない。ひたすら住宅に関わり続けてきた者には、何年たったら、何が、どういうふうに変わるかを見つめ続ける歳月でもあった。

 この歳月は、住宅金融公庫での政策実現効果の見極め→住宅ローンを通じた評論活動→自分自身のマンション居住スタート→管理組合組織への関わり→マンション管理センターへの協力→マンション管理サポートという形で、「住まい」が人間存在の根幹に関わっている実感をわが身の住生活史に重ねて確かめる結果になった。

 歳月は流れた長さだけ、すべてのものを確実に変貌させる。何年たつと、何が、どのように変わるかを見つめ続け確かめながら人は誰もが老いていくのだが、私の場合、その実感は住宅に集中していることを、いま、つくづく実感する。

いま見えている光景は過去の流れの中に始まりがある。そこは住宅も同じ。マンションも同じ。

 2017年のいま見えている光景は、脈絡もなく突然生まれたものではない。住宅の現状も、その点は同じだ。

 いま課題となった空き家も、実情は昔から確かめられていた。住宅戸数が世帯数より多いことがわかったのは1968年(昭和43年)、マンションブームを受けてマンションが公庫融資の対象になったのは1970年(昭和45年)、物件情報誌を無視できないほど住宅市場が存在感を増した一方で、「過疎」という言葉を新聞でみて気になり始めたのが1967年(昭和42年)ごろ・・・。

 そんなころ自分自身がマンションに住み始めた。1974年(昭和49年)4月だった。今も、そのマンションに住んでいる。

 居住歴43年ともなれば、管理組合とは無縁でいられない。いやおうなしに、マンションで起こる様々なことに降りかかられて過ごした年月でもあった。

 何年たてば、マンションでは建物がどう変わるか、住んでいる人間が齢を重ねてどう変わるか、世間一般の感覚や常識がマンションの中ではどのくらい通用するか、時がたつとマンションでは竣工時に考えたこともなかった事態がどのくらい起こるか、実情に照らし合わせた建前と実情がどうなっているか、法律などの仕組みをどれくらい当てにできるか・・・。

 際限もないほどのことを山ほど見てきたから、《マンションは管理を買え》などという言い方が、実は、途方もなく真っ赤な大嘘であることもよくわかった。

 ここからあとのことは、次に書く。

| muraitadao | コラム | 09:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること62:年数感覚】字の向う側のイメージで本当の意味が読み取れる戦後72年

何もかもがすっかりなくなってしまった8月。でも明日からの日々への思いを取り戻したのも8月

 今年も、また8月。
                 ☆
 72年前。14歳の少年だった。

 8月14日までひたすら聞いてきたこと、一途に信じてきたこと、未熟ながら懸命に考えてきたことが、すべて8月15日にひっくり返された。「あれは、もう、みんな違うんだよ」と否定された。何もかも「なかったことになる」・・・。そんなことがあるものか、と思った。

 だが、「戦争に負けたんだ」と思いながら、一方で「あぁ、これで、やっと戦争が終わったんだ・・・」とも思った。ほっとした、というのが実感だった。

 夜になるとその実感がさらにはっきりした。電灯をつけても、もう灯りが漏れるのを心配しなくていい。夜になっても明るいってこんなにいいものだったかと思った。

 ラジオの天気予報を聞いて、あ、ずいぶん聞かなかったけれど、そういえばこんな放送があったんだな・・と思った。明日がどうなるかわからない毎日、誰もが天気予報など、とっくの昔に忘れていたが、ラジオを聞いて思い出した。戦争がないから、これからの天気を聞いて明日のことを考える意味があったんだな・・・と気がついた。

 時代や年数は、その時代に生きてきた人間の記憶と切り離せない。

 今、あらためて、しみじみ、そう思う。

終戦後の年月は「その日その日の生活光景」の積み重なりのシーンだった

 正直に言って、言葉としては「敗戦」よりも「終戦」の方に実感がある。でも、その「終戦」後の日々は長かった。

 何もかもがない中で「明日がある」という気持だけにすがる毎日だった。朝が来て、夜になって、「今日も、何とか一日終わったな・・」と誰もが思った。そんな日が続いて一か月過ぎ、気がつけば季節が変わり、そして年が過ぎていった。

 少なくとも1946〜1947年(昭和21〜22年)ごろを思い出すと、そんな気分がよみがえる。
                   ☆
 終戦後の日々を記録文献だけで語ったり論じたりするケースに接することがある。

 一概に文献だけで何かを言うのを非難できないだろう。人によっては文献を頼りにするしか方法がないこともあるから、そういう語り方もやむを得まい。

 しかし、語ろうとする時代によっては、自分が語ることと照らし合わせながら、もう少し謙虚であってほしいと思う場合がある。想像で空疎なイメージをふくらませてほしくないのだ。

 昨年のブログにも書いたのだが、講談社から出た井上寿一著「終戦後史」のことは、この点で気にかかる。この本は一昨年に出たのだが、《押し寄せるアメリカの大衆文化》という見出しの東京裁判にふれた部分にこんな記述がある。

「・・・その時判決が下る。国民は街中で、駅のプラットフォームで、家の中で、ラジオの実況中継に耳を傾けた。・・・」

 ここを読んで、反射的に、あ、これは想像で書いたなんだな・・と思った。

 戦後間もないこの頃、ラジオに実況中継などまだなかったし、ラジオ自体が真空管式の大きくて重い箱状だった。携帯ラジオなど想像したこともなかった時代だったから、《街中で》とか《駅のプラットフォームで》とか書かれると、《そんなこと、いったいどこの話なんだ》と言いたくなる。

 どう考えても文献資料で読んだ時代記録にあとから著者が独自の想像イメージをかぶせて書いたとしか思えない。

 (この本にはほかにもこういう感じの個所がいくつかあるのだが、ここでは書かない。)

 ただ、著者は有数の実績がある高名で有数のな政治学者・歴史学者だ。そんな人の書いたこの本は説得力のある立派な本であって、この時代を生きてきた人間も知らなかったことや気づかなかったことをたくさん教えてくれた。そのことは、きちんと明記しておきたい。

 その上であえて言うのだが、この本の書名は「終戦後史」ではなく『政治外交面からの終戦後史』とすべきだった。この時代を鮮明に記憶している人間が想像したこともないようなイメージを書くべきではなかった。読後感は複雑である。

住宅の絶対的戸数不足で始まった戦後72年のいま、空き家が課題となる意味を考える手がかり

 年数を考えるときには、文字の向う側に何を読み取るかという点で、特有の感覚が欠かせないと痛感する。経過した年の積み重ねから浮かび上がる連続した時の流れから何かを思い描いた時に、はじめて年数の語る意味が浮かび上がるのではあるまいか。

 そう考えないと、《現在が過去から続く時間の流れの上にある》というわかりきった肝心なことが読めなくなってしまう。

 時代や年代のイメージの思い描き方が人によって難しくなるのは当然だが、語ろうとする時代や年代によってこの点が重い意味を持つのは間違いない。
                   ☆
 終戦の時、住宅不足戸数は430万戸だった。

 72年が過ぎた今、人口減少や少子高齢化に直面して、いま空き家が深刻な課題となる。

 住宅という側面から見た戦後年数を読み取るヒントはどこかにあるのだろうか。
 

| muraitadao | コラム | 17:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること61:特区?民泊?】二つの記事の“民泊”が語るマンションの実情認識レベル

「マンション民泊可否を規約に 国交省、管理組合に要請へ」という日経の記事が伝えていること

 まず、この7月21日の日本経済新聞朝刊に出た1面の記事を確かめてみよう。見出しと記事をできる限りそのまま引用する。

見出し
マンション民泊 可否を規約に/国交省、管理組合に要請へ/新法施行控えトラブル防止

記事の前文
住宅に旅行者を有料で泊める民泊を全国で認める法律の成立を受け、国土交通省はマンション管理組合に民泊の受け入れ可否を管理規約に明記するよう、8月にも要請する。同省は規約のひな型を改正して民泊の対応に関する文案を盛り込み、業界団体などを通じて周知する。法施行前に各組合で方針を決めてもらい、トラブル防止につなげることが狙いだ。

記事の主要部分
 国交省が改正するのは「マンション標準管理規約」と呼ばれる管理規約のひな型。同省によると全国のマンションの管理組合の8割以上が憑依順管理規約を参考にして各自が規約を定めている。…改正案はこの条項の後に「専有部分を住宅宿泊事業に使用できる」「専有部分を住宅宿泊事業に使用してはならない」などの文言を盛り込むよう求める。

 家主が民泊をおこおなう際は「事前に管理組合へ届け出るよう規約に定めることが有効」と記載。・・・同省は・・8月にも業界団体や自治体に対して、管理組合へ周知を求める通達を出す。・・民泊は訪日外国人の宿泊の受け皿となる一方、ごみ出しや騒音などを巡り近隣住民とのトラブルが頻発。国交省は各管理組合で民泊可否の方針決定に時間がかかることを考慮し、法成立直後に標準管理規約改正を決めた。・・・

『「特区民泊」現状は・・・』など専門紙の記事がたびたび伝えていること

 次に、専門紙のマンション管理新聞が2月15日号で伝えた記事を同様にできる限り見出しと記事をそのまま引用して紹介する。

見出し
東京医・大田区 分譲マンションは7件/「特区民泊」、現状は/大阪市は1止まり/ごみ出し・騒音「苦情相談ない」

記事の前文
 昨年2月に東京都大田区が「特区民泊」を開始して約1年。その後も大阪府・市が特区民泊を始め、今年1月には北九州市も申請の受け付けを開始した。各地で特区民泊が広がりを見せる中、この4特区に実情を聞いてみた。

記事の主要部分
 ・・・(本紙の調べでは)大田区は・・分譲マンションは7件38室投資型マンションが多いようだ。…ごみ出し・・によるトラブル・・の苦情や相談は1件もなく、・・今後も管理規約の提出などを義務化する予定はない・・・。大阪市も…分譲マンションは1件1室のみ・・、北九州市は…解禁から日が浅いこともあり、申請はまだないようだ。・・・

 この後、同紙が伝えた民泊関連記事は、見出しだけをあげておく。

●3月24日号  東京都大田区「特区民泊」マンションの現況/ファミリータイプも1件認定/大きなトラブルはなし

●5月25日号  国交省 管理適正化でアンケート 管理組合・区分所有者対象に/民泊 9割が「NO」

●6月25日号  国交省 標準管理規約改正案公表 民泊可否 条文例を提示

●7月15日号  管理協 民泊対応で意見提出 マンション管理業と民泊事業 宿泊者が違い分からず/管理事務室に『トラブル持ち込みも』

加計学園も「特区」、マンション民泊も「特区」。でも「特区」っていったい何だ?

 このブログを書いている横のラジオが国会の閉会中審査の様子を伝えている。問題の一つは加計学園の特区のこと。

 この話はいくらニュースを用心して聞いてもわからない。そもそも「特区」というのが、いったいどういう趣旨なのかがわからない。

 マンションにも「特区」とやらがあって「民泊」というのが前から問題になっているのだが、どの新聞もテレビも全く取り上げない・・・と思っていたら、日経が書いてくれた。

 でも、書いた記者が記事の内容の問題をどこまで理解していたのかどうかがわからない。

 そもそもいまのマンションには「民泊」なんかよりももっと早く考えてほしい問題が山ほどある。国交省のデータではいま全国で600万戸をはるかに超えるマンションがあるのに、その中で、あるかないかといったごく僅かなマンションの「民泊」がなぜ現実の課題になっているのだろう。わざわざ法律を作ったり標準管理規約をいつになく早々と改正するのは、いったいなぜなのか。

 そこがわからない。

 わからない、わからない、わからない・・・。

| muraitadao | コラム | 10:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
【語り尽くされていないこと、見逃されていること60:過去不問】「記憶がない」と答える空々しさはマンションでは命取りになるかも・・

「たった1年前のことを覚えていないエリート役人がこんなに多い」という空々しさは・・・

 7月8日の朝日新聞朝刊1面の記事が目に留まった。見出しは、こうなっている。

『公文書廃棄指針、見直しへ/内閣府管理委 保存「1年未満」縮小』。

 地味な見出しだし、1面のほぼ中ほどとはいえたった3段しかない。もしかすると、このニュースは朝日新聞だけだったかもしれないような気がする。

 しかし、一見つまらない感じのこの記事の裏側に浮かんでくる光景が気になる。

 もうこの何か月も問題になり続けてきたことが、結局のところ「言ったか言わなかったか」のやりとりであり、それも肝心なことになると必ず「記憶がない」という定番中の定番の応答になり、最後に「公文書が見つからない」という言い分にすり替わってしまう様子ばかりをうんざりするほど繰り返し見せられてきたからだ。

 そんなはずはないだろう。かつて暗記力を磨きに磨きながら難しい競争をくぐり抜けて出世してきた頭脳明晰で有能な人たちがそんなに忘れっぽいはずはないじゃないか・・・。本当にそれほど忘れっぽかったら、今のようなエリートになれるはずがないじゃないか・・・。

 それもこれも、記憶喪失は「言った」事実を裏付けとなる公文書がないからの言い分だ。公文書があれば、たちまちにしてよみがえる記憶力。過去のことは、すべて公文書次第。《公文書がない→記憶がない》という公式は《公文書を残すかどうか》という判断の結果であり、その判断は《どんな公文書を残すか》、逆に言えば《どんな文書は残さない方がいいか》という判断も、手がかりになるルール次第となる。

 結局、すべて仕組みの問題だから《判断》という属人的な個人能力の問題にならないように制度のレベルでガードできるように、何とか対応しようという役人世界特有の回りくどさが浮かんでくることになる。

「記憶にない」のは「文書がない」から・・という過去を不問にする感覚はマンションでも他人事ではない?

 見え透いているなどとは言うまい。

 ただし、こういうやり取りが臆面もなく展開されるということは、今の世の中では「過去のことは文書があるかないかで、すべて決まってしまう」という不文律めいた感覚が、いつの間にか世の中全体に広がりつつあることを否応なしに考えさせられる。

 これは、もう間違いなくれっきとした官僚主義感覚の産物だが、《こういう場合には、こういうふうにやり取りすればいいんだ》という感覚や風潮の広がりは、マンションでも決して無視できないだろう。

 その結果、言い方次第、文書の有無次第で過去のことは不問になるというおかしな風潮が生まれることになる。

 世の中で起こることは、必ずマンションの中でも起こる。世の中で通じる言い方や言葉遣いは、必ずマンションの中でも再現する。

 多くのマンションで、その様子は管理組合の総会など一定のルールで意見の発言が許された機会にまざまざと実感されることが多いはずだ。

 こういう機会にだけ顔を出して、マンションの維持管理についての理解や関心の有無とは全く離れて、マスコミ情報の受け売りで聞き馴染んできた論理や言葉遣いの主張を並べ立てる。それに応答する方もまた、そういう感覚で発言する。

 やり取りの大部分は「いま目前に見えている問題」ばかりであることが普通だ。マンションでは、きょう見えている光景の背後に過去までさかのぼらないと問題の本質がわからないことばかりなのだが、そこがまるでダメなのだ。管理組合の役員は毎年変わるのが普通だし、発言する方も過去のことなどわからぬままの展開になる。

 かといって、過去のことを確かめる資料もこれというほどのものがない。管理規約や法律の条件に対応した議事録などが中心だから、《いったい、いつ、そんなことを、誰が決めたんだ》という肝心のことになると、もう誰にもわからない。

 管理組合の世界には、こんな形で積み重ねられた組織運営慣習が驚くほど多い。その大部分はいつから始まったのか確かめようがないのだ。

 まさに「記憶がない」状況そのものである。その状況は「文書がない」から確かめることもできない。まして、そうしたことを想定したルールもない。・・

 かくて、連日のニュースがもたらすもどかしさは、マンションでも他人事ならざる不安な現実感を呼び起こすことになる。

ストックの増加でマンションごとの過去の再点検が管理の命綱になるはずなのだが・・・

 ここまで考えれば、問題はもうはっきりする。過去の経過を記録する感覚も手段もないのだから、竣工以来の長い歳月の間に、それぞれのマンションごとにどんな課題が生まれ、どう取り組んできたかという物件固有の歴史が誰にもわからない状態が広がっている。

 マンションは長寿命の建造物だが、同じ経過年数が住む人間の方には建物の経年変化とはまるで異なる変化を生む。高齢化や空室住戸の発生は、その典型だ。こうした事態を生んだマンション固有の歴史を探らなければ対応の仕方も考えようがない。

 国交省のマンションストック戸数は633.5万戸。歴史の再点検による管理の充実が命綱となるマンションが増えていることは誰に目にも明らかだろう。

 霞が関の役人とは違って、マンションの方は、もう「記憶がない」などと言っていられない状態なのだ。

| muraitadao | コラム | 14:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
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