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    <title>村井忠夫のマンション管理ブログ</title>
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    <description>村井忠夫のマンション管理ブログ</description>
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    <title>ニュースの出来事は必ずマンションでも起こる：管理組合は世の中のことはすべてわが身にも起こる可能性があると考えておく方がいい</title>
    <description>抜けるような青空だけが明るかった正月

　2009年の正月。三が日は抜けるような青空がひときわ明るかった。しかし、明るかったのは天気だけだったような気がする。

　日比谷公園の年越し派遣村の人数が膨れ上がって厚生労働省の講堂を当てにするほどの多数に上ったな...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>抜けるような青空だけが明るかった正月</strong><br />
<br />
　2009年の正月。三が日は抜けるような青空がひときわ明るかった。しかし、明るかったのは天気だけだったような気がする。<br />
<br />
　日比谷公園の年越し派遣村の人数が膨れ上がって厚生労働省の講堂を当てにするほどの多数に上ったなど、明るくないニュースが気になる。<br />
<br />
　暖かい部屋でブログに書くことを考えている今も、一方では、この寒さと空腹感に耐えながら必死になっている人たちが大勢いるのだ。<br />
<br />
　世の中の格差は、昔からいつもあった。富める人と貧しい人の両方がいて、世の中が成り立っている。否定したくても、そういう現実があることは誰にも否定できない。日比谷公園の「年越し派遣村」の人たちと海外でしこたま円高メリットの買い物三昧で新年を迎えた人たちと両方の様子を新年のニュースで立て続けに見せられるのも、実は、世のありようの一端にすぎないのかもしれない。<br />
<br />
　でも、やはり昔とは、何かが違う。以前だってこうしたことをいつも頭に思い浮かべる形で知ってはいたのだが、今は、何しろ、頭に浮かんでいたことを鮮明なハイビジョン映像でありありと目の当たりに見せつけられる。世の常の対比を見るつらさとやりきれなさは、とても以前の比ではない。<br />
<br />
<strong>ニュースで見たことは自分のマンションで無縁なはずがないのだが・・</strong><br />
<br />
　ここまで書いてきた感想は、おのずと身近なところに場面転換する。<br />
<br />
　私の書斎の窓の向こうに、同じマンションの向こう側の棟が見える。約600戸。およそ1200人ぐらいの人が住んでいる。36年住んできたこのマンションも、今ではずいぶん住む人の顔ぶれが変わった。高齢化率も高くなり、棟による世代差も広がった。年金生活者も多い。他方で、独身世帯も増えてきている。ペットを飼っていないのはもはや少数派で、高齢者も独身者も競って犬を飼う・・・・。<br />
<br />
　と考えていくと、世の中で起こることが、集合住宅の中でもまったく同じように起こらないはずがないということになる。<br />
<br />
　どこのマンションでも、今同じ状態が始まっていることを実感する。もう30年近く北海道から沖縄まであちこちのマンションの様子を聞くたびに、この実感を確かめてきた。その実感の深まりは、年とともに大きくなる。<br />
<br />
　が、実感が深くなっただけでは、個人レベルの感想に過ぎない。何の足しにもならない。それではむなしいから、何とか知恵を探ろうと考え続けてきた。大したことがないとはいいながら、辛うじて見つけた知恵のかけらに似たものを伝えようとしてきた。ゴマメの歯軋りの類であることは百も承知の上で、そこそこの発言もしてきた。<br />
<br />
<strong>もうすぐ役員任期交代の管理組合はこれから・・・</strong><br />
<br />
　が、発言が意味を持つためには、それなりの条件が要る。自分が語ることの中身と離れた立場で土俵の外側から他人の視点で適当なことをいうのなら、語ったことに責任をもつことはできない。信用もされない。マンション管理も、この点は同じだ。<br />
<br />
　36年住んでいるマンションで管理組合の役員を５年に一度務めてきたのも、いわば、その発言資格をキープしたいからだったともいえる。<br />
<br />
　その役員の任期が今月末で終わる。この一年、ご他聞に漏れずいろんなことがあった。600戸もあるマンションでは自称専門家もいるから、区分所有法の精神に従って管理組合運営にあたる役員の骨の折れ方は半端ではない。建前と実情とのうんざりするような食い違いは昔からいやというほど見てきたが、以前に比べて手に負えない感じは、近年になってむしろ強くなっている。<br />
<br />
　その難しい問題の山に、これからの新年度役員がどこまで取り組めるか。一応の方法で年度替わりの引継ぎをするのは今までと同じだが、昨今のようにどっちを向いても思うに任せない世情がマンションの中で影を落したら、管理組合はどうするのだろう。年金生活者ばかりではなく経済不安の雰囲気が管理費延滞の増加を生んだらどうするのか。高齢単身世帯の増加に対応する修繕工事をどう実現するのか等々キリがないほど問題が山積している。<br />
<br />
　ニュースに出たことが、いつか自分のマンションでも起こるかもしれない。ニュースに出ないことだって、マンションの問題になるかもしれない・・・。<br />
<br />
　まぁ、しかし、暗く考えることはないだろう。人がたくさんいる集合住宅ならではのメリットを生かす知恵をまだ凝らす余地はまだあると思うからだ。区分所有法などの法律次元とは離れた視点に、その可能性が隠されているような気がする。30年以上住んできた実感から、それを感じる。私ひとりなら自分のマンションでは600分の1だが、ただの１ではない。1が集まって600になるからこその600分の1だ。その600分の1が集積すれば、ただの1にはできないことだって可能になる。それを経験的に承知しているのだから。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2009-01-05T13:20:28+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
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    <link>http://murai.realestate-jp.com/?eid=767340</link>
    <title>日経ＢＰのメルマガ閉幕で２年半のつきあいも終わり：しかし、前向きに考えれば、これもまた新しいスタートの機会になる</title>
    <description>年の終わりにつきあってきたメルマガも終わる：2年半の付き合いもここで一段落

　日経ＢＰのメルマガ『マンション管理新時代』が閉幕することとなった。マンションそのものは500万戸を超えるほど増えたのに、マンション管理というジャンルには昔から専門の媒体が育たな...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>年の終わりにつきあってきたメルマガも終わる：2年半の付き合いもここで一段落</strong><br />
<br />
　日経ＢＰのメルマガ『マンション管理新時代』が閉幕することとなった。マンションそのものは500万戸を超えるほど増えたのに、マンション管理というジャンルには昔から専門の媒体が育たなかった。ときどきそれと思われるものが登場しても、やがて姿を消してしまう。これは、いったいなぜなのか。もう20年以上も前からぶつかり続けてきたこの疑問に対する答の難しさを、今またあらためて実感する。<br />
<br />
　しかし、今度は、いつもとどこが違う。今までと最も違うのは、私自身がこのメルマガで2年半にわたって連載してきた「これからのマンション管理を考える」という対談シリーズの実感だ。2年半の間、対談のゲストとしてお願いしたのは全部で15人。ジャーナリスト会議のメンバーである大久保恭子さんにもおつきあい願った。<br />
<br />
　この対談がけっこう読まれているらしいことを、折々に感じる機会が何度あったことか。こういう経験は、まったく初めてだった。マンションの管理に関わるようになってから間もなく30年近くなるので書いたり話したりする機会は無数にあったが、メルマガという今までなかった媒体につきあったのは初めてだし、そこに対談という形で関わったのも始めてだった。それが、2年半も続く結果になったのも、これまた始めてだった。<br />
　<br />
　何もかも、この歳で初めての経験だった。予想もしなかった貴重な経験をしたと思う。<br />
<br />
<strong>メデイアが成り立つ条件を考え直す機会になった：厳しさもあるが、展望もありそうな気が・・・</strong><br />
<br />
　2年半、このサイトでは関係者にずいぶん支えられてきたことを痛感する。対談の連載を2年半も続けられたのは、運営関係者のサポートがなければとても無理だった。対談のテーマの設定、ゲストの交渉、実施結果の取りまとめなど一連の流れが終始一貫した問題意識に裏付けられていなければ、とてもこうしたことは実現しない。<br />
<br />
　マンション管理のジャンルで建前と実態のズレが急速度に進み始めている危機感がこちらにはもちろんあるのだが、それを実に正確に理解して支えてもらったことを痛切に感じる。今までいろんな仕事をしてきたが、編集サイドとこれほど問題意識を変わることなく共有できたことはまったく始めてだ。<br />
<br />
　その実感があるから、今度のメルマガ閉幕のこともあまり暗く考えてはいない。このサイトへのアクセスは、最近の半年間は月間で17万ページビューから20万ページビューだったとも聞いた。このご時勢にすごい数だと思う。しかし、ビジネスモデルとしては、やはり存続を問われるレベルだったらしい。<br />
<br />
　メデイアの世界の厳しさがあらためてよくわかる。次々に姿を消した雑誌や版元が相次いだ今年の空気の容易でない冷え込みを思い知る感じがする。<br />
<br />
　でも、考えたい。何でも、いつかは終わるものなのだということを。終わるまでのことと、終わった後をどう考えるかで、終わりの意味が一変することを。<br />
<br />
<strong>「紙」を使わずなくても「書く」「読む」という行為ほ流れが成り立つことを実感してきた。この実感にこだわりたい</strong><br />
<br />
　何かを伝えるという行為が、紙の上にせっせと書いた文字を通してだけ成り立つという考え方が、まったく何も疑問の余地がないほど染み付いているのはたいていの人にいえることだろう。私自身、ずっとそう考え続けてきた。正直にいえば、今だって、この考え方を持たざるを得ない心境だ。<br />
<br />
　この考え方に立つ限り、「書く」行為は「読む」行為で対応しなければ意味が完結しない。出版不況の今、紙に「書く」行為はその点で完結しないことが多くなっている。<br />
<br />
　しかし、「伝える」ということが、紙を媒体とした「書く」「読む」という対になった行為以外に成り立つ余地がまったくないとは、もういえなくなってきているのではないか。「書く」「読む」という行為の本質は同じであっても、紙でないものを媒体とした手法がどこまで実現可能かは、メルマガだけでなく、ほかならぬこのブログでも２年間にわたって実感している。<br />
<br />
　メルマガの連載対談を続けてきた時期は、図らずもこのブログを書き始めてからの時期とほぼ重なる。紙を通さない伝達の実感は、このブログでもコメントやいろいろな人との会話の中でいつも確かめている。<br />
<br />
　この実感を大事にしていきたい。この実感から引っ張り出せるものが、何かありそうな気がしてならない。それがいったい何なのかまったくわからないし、もしかすると思い込みすぎかもしれない気もするのだが・・・。でも、やはりこだわりたい気がする。<br />
<br />
　このこだわりで、新しい年を迎えたい。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-12-25T10:33:58+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
  </item>

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    <title>惨憺たる年の瀬。気の重いニュースの毎日。来年のすべてが気にかかる：中でもニュースが流れない管理費延滞のことが・・・</title>
    <description>ニュースに接して気がめいるが、ニュースがなかったらもっと怖いことになっているだろう・・・

　風邪をひいた。熱がひくまでうとうとしながら、埒もないことを考えていた。この年の瀬の惨憺たる毎日のニュースを・・。見たくないニュースを見、読みたくないニュースを...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>ニュースに接して気がめいるが、ニュースがなかったらもっと怖いことになっているだろう・・・</strong><br />
<br />
　風邪をひいた。熱がひくまでうとうとしながら、埒もないことを考えていた。この年の瀬の惨憺たる毎日のニュースを・・。見たくないニュースを見、読みたくないニュースを読んで、うんざりする毎日。こんな年の瀬になると、いったい誰が考えていただろう。<br />
<br />
　でも、こういうふうに考えていると、気分がめいってくるばかりだ。<br />
<br />
　そもそもニュースを見たり読んだりして落ち込むとはいっても、それはニュースが流されるからこそだ。ニュースがなかったら、いったい何が起こっているのかすらわからないだろう。ニュースがなくて何もわからないケースの怖さを、私たちの世代は知っている。<br />
<br />
　でも、ニュースが流れればそれに該当する事態があり、ニュースが流れなかったら何も問題となる事実がないなどというわけではない。事実とニュースの有無の間には、何も相関関係がないのだから。<br />
<br />
　事態は間違いなく進んでいるのにニュースが何も流れなかったら、誰もその事態には気が付かない。しかし、気がつかない間にも、事態が広がっていく。そして、誰の目にも事態が明らかになったときにようやくニュースが流れて、多くの人がそれを知る。しかし、すでに手に負えないほどの広がりを呈していて、どうしたらいいかわからない・・・。<br />
<br />
　いままでにも、そういう思いのするケースをさんざん見てきた。これから、似たようなケースが起こらないという保証はない。<br />
<br />
　この年の瀬のニュースは、どうも心配症患者を生む可能性がありそうだ。<br />
<br />
<strong>経済事情の影響がこれだけ広がっているならニュースが流れなくても予想できることがいくつもある</strong><br />
<br />
　何といっても、背景の経済事情の広がりが大きい。金の流れで成り立つ部分で無傷なことは、何一つあるまい。いまはまだニュースがほとんど流れないが、住宅ローンの返済延滞がこれから増える可能性など、そう思わせる例の典型だ。かつて利用した住宅ローンの段階金利が返済当初から十一年めを迎えて高い金利を適用される人たちの返済負担増など、いったいどういうことになるのだろうか。<br />
<br />
　でも、このことは、いずれニュースに流れるだろう。過去、いつでも住宅ローンのことは、それなりにニュースが取り上げることが多かったから。<br />
<br />
　しかし、住宅ローンを取り上げることはあっても、まずほとんどニュースに出ることはあるまいと思われるものがある。それが、管理費の延滞だ。正確にいうと、分譲マンションに住む人が毎月払うことが義務付けられている管理費と修繕積立金の延滞である。<br />
<br />
　分譲マンションは五百万戸を超える規模だ。分譲である以上、必ず管理組合があって、メンバーである住戸の区分所有者は費用負担の義務を負う。だから、区分所有法があって、費用負担の義務は何条の何項で・・・といった説明が何十年も前から繰り返されてきた。<br />
<br />
　しかし、この費用を払わない人は昔からいて、管理費延滞は管理組合にとって定番中の定番のような問題になっている。費用を払わない人がいれば、管理組合の組織運営は当然に行き詰まる。管理には、それなりのコストがかかるのだ。そのコストがなくなったら、管理は手薄になるし、放っておいたら住めなくなる。マンションは管理を買えなどという言い方は、この段階でもはや空念仏と化すことになる。<br />
<br />
<strong>管理費延滞のニュースが流れるほど広がる前に管理組合にこの問題を気づかせるべきでは</strong><br />
<br />
　こうなる可能性は、かなり大きいと思う。そう考えざるを得ない理由が山ほどあるからだ。それでなくても、いま分譲マンションの管理組合は高齢化や空き家の発生など今までの区分所有法原則の教科書では答が見つからない問題をたくさん抱えている。そこで、今のような経済不安が重なれば、この状況は心配症患者の妄想とはいえまい。<br />
<br />
　ただし、この問題はニュースが流れる可能性が少ない。少ないからこそ、気がつく人と気がつかない人との差が生まれる。もし、このことがニュースに流れることがあれば、そのときは、もはやこの問題は手のつけようがないほど広がってしまっている可能性も考えられる。<br />
<br />
　ならば、まだニュースが流れない間にこそ、何とか打つ手を考える余裕も少しはあるのではないか。そこに気がつくかどうかで、五百万戸の分譲マンションの今後の様子が決まると思うのだが・・・。<br />
<br />
　ただし、管理組合という組織は理事会次第で様子が決まる。その理事会は、順番制で毎年変わる。だから、ニュースが流れなければ、まず気がつかない。<br />
<br />
　最大の当事者が気づかないなら、気づかせる人が必要になる。筆者自身はもちろんそれを考えて書いたり話したりしているが、もっとそういう人が増えてくれなければ、とても手が回らない・・・。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-12-15T01:15:09+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
  </item>

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    <title>覚えていますか、12月8日が何の日だったかを：マンション管理適正化法が成立した日</title>
    <description>あれから8年。12月8日がまたくる・・・

　あと３日たつと、１２月８日。ただし、真珠湾攻撃の日だというつもりではない。そのことは、誰かがどこかで書くだろう。いや、もうこのごろは、そんな人もめったにいなくなってしまったか・・・。

　書こうとしているのは、...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>あれから8年。12月8日がまたくる・・・</strong><br />
<br />
　あと３日たつと、１２月８日。ただし、真珠湾攻撃の日だというつもりではない。そのことは、誰かがどこかで書くだろう。いや、もうこのごろは、そんな人もめったにいなくなってしまったか・・・。<br />
<br />
　書こうとしているのは、マンション管理適正化法が８年前のこの日に成立したことだ。このごろのわかりにくいニュースを聞くたびに、８年前のことを思い出す。あの法律が国会に提案されるまでの経過の記憶がいろんな感想につながっていく。<br />
<br />
　最初、あの法律案の名称は「中高層共同住宅の管理の適正化の・・・」となっていた。マンションという言葉が原案段階では、アウトだったわけだ。法案作成当局におつむの硬い人がいて、マンションなどというカナ文字は使えないというお説だったらしい。<br />
<br />
　しかし、議員立法で提出されることになっていたために、提案議員側からもうそろそろ「マンション」という言葉を使うべきだと強くいわれて、マンションという言葉がようやく法律名に登場したことになったとあとで聞いた。<br />
<br />
　わが国法制史上最初の画期的なことだった。ときすでに、マンションは４００万戸が目前の時代。マンションという言葉は、すでに身近になって半世紀近かった。もしもこうした経過がなかったら、公式制度の上でマンションという言葉はいまだに日の目を見ないままだったはずだ。住宅用語「マンション」は、２０世紀も残すところあと一か月足らずというぎりぎりの時期で、ようやく公認されたことになる。<br />
<br />
　が、一旦こうしたハードルを越えてしまえば、おつむの硬さはいっぺんでやわらかくなるらしい。何十年もの間カタカナ言葉を頑として拒否し続けてきた硬い信念などはいっぺんで消え失せて、すぐ翌々年には、マンションという名を冠した法律がすぐ続いて登場することとなった。マンション建替え円滑化法が、マンション名を冠した法律第２号である。<br />
<br />
<strong>法案成立、平成１２年１２月８日法律第１４９号が・・・・</strong><br />
<br />
　そんな経過を経て生まれたあの法律だが、成立までにはいろんなことがあった。森内閣の時代。内閣不信任案提案の動きが新聞をにぎわしていた。加藤の乱とかいう騒ぎがあって、誰だかが泣きの涙で動き回るテレビのニュースも流れた。「マンション」という用語採用第１号となって出番を待っていた適正化法は、もしかすると不信任案可決のあおりを食って駄目になるんじゃないかという観測も、秋の半ばになって聞こえてきた。<br />
<br />
　それが、そうならずに、可決成立した。自民党から共産党までが賛成して・・・。<br />
<br />
　「政府は、この法律の施行後３年を経過した場合において、この法律の施行の状況について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる・・・」という附則もついたが・・・。<br />
<br />
　でも、成立した。平成１２年１２月８日法律第１４９号が。<br />
<br />
　こうして、マンション専用の法律がやっと生まれた。間もなく、新しい制度も動き出す。長年、待ち続けていたマンション管理の分野にやっと日があたる時期がきた・・。あの時は、心底、そう思ったものだ。<br />
<br />
<strong>８年たった今、見えなかったものが見え始めた。見えていたものが見えなくなってきた。</strong><br />
<br />
　あれから、８年。熱に浮かされたような気がするほど、マンションマンションで舞い上がっていた人たちは、今とても静かだ。逆に、あのころ、黙っていた人たちの中から、前にはまるで気づかなかった率直な意見が聞こえてくる。<br />
<br />
　あのころ、マンションはもう４００万戸時代が目前に迫っているなどと挨拶代わりに多くの人たちがいっていたものだが、それももう過去の話題になってしまった。まだ１０年にもならないのに、いつの間にか、もうストックは５００万戸をとっくに超えている。<br />
<br />
　そうなった今、前に見えなかった課題が、次々に目に入ってくる。超高層マンションの耐震性はどうなのか、マンションの防犯性能で有効なのは何か、マンションで孤独死があったらどうするかなどなど、もうキリがないほど。逆に、前に見えていたものが、見えなくなってきている。区分所有法で答がみつかるとは限らない、マンション管理士はどういう職業なのかわかる人にしかわからない、などなど。<br />
<br />
　時の経過には、怖いところがある。信じられるものと信じられないものとの篩い分けが進むからだ。<br />
<br />
　８年たって、いろんなことがわかってきた。１０年目になったら、もっと多くのことがわかるだろう。１５年目、２０年目になったら、どうなるのか・・。ま、やめておこう。きりがなくなるから。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-12-05T10:10:27+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
  </item>

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    <title>３年目でブログの実感がやっとわかってきた：語らなければならないマンションの問題はますます多くなっていきそうだし・・・</title>
    <description>2年間ブログを書き続けてきてわかったこと、確かめられたこと

　このブログは、今回で3年目に入る。毎月3回、5の日に更新するペースを3年間ひたすら守り続けて、いつの間にか2年が過ぎた。

　正直に言って、最初の1年間は、書きながらわかっているようで、わからな...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>2年間ブログを書き続けてきてわかったこと、確かめられたこと</strong><br />
<br />
　このブログは、今回で3年目に入る。毎月3回、5の日に更新するペースを3年間ひたすら守り続けて、いつの間にか2年が過ぎた。<br />
<br />
　正直に言って、最初の1年間は、書きながらわかっているようで、わからない感じがあった。そもそもブログというのは日記スタイルだが公開を前提とした身辺雑記のようなものだと聞いていた。しかし、身辺雑記をわざわざ公開する意味を理解できない人間には、そこが、いくら考えてもわからない。<br />
<br />
　でも、“ものを書く”ことを仕事にするようになって、もう30年。書くことは、もはや習い性となっている。平和で穏やかな世の中なら、目を細めて身辺の光景をニコニコと眺めてのどかなエッセイでも書けばすむが、実情は、まるで違う。いったいなぜこんなことになるのか、こんな問題があることに誰か気がついているのか、といった心境波立つ不可解さを感じることが日ごとに多くなる。そんな日々、ぶつかる問題の意味を確かめる手がかりとして、個人レベルの心象風景を書き留めていけば、どこかで誰かの目に止まって何かを考えるきっかけになるかもしれない・・・。そう考えるようになった。<br />
<br />
　だから、私のブログはビジュアルな感じがなくて、見た目の面白さがない。ごたごたと不機嫌な感じの言葉が並んでいて、世間普通のブログのような彩りもなければ味わいもない無愛想なものになっている。うっかりすると、相手にされなくなってきて、退場する羽目になるかもしれない・・・。そんな気もしていた。<br />
<br />
<strong>でも、何かが違う・・・。黙って読んでくれている人が想像以上に多いような気がする。ならば・・・</strong><br />
<br />
　でも、２年続けてきて、どうも少し、何かが違うように感じることが多くなってきた。このブログを読んでくれているらしい人に会うことが、想像以上に多いからだ。それに、時折、コメントが届く。このコメントも、それほど頻繁ではないが、ある程度の間隔をおいていろんな人からいただくから、やはり、どこかで、このブログを読んでもらっているらしいことがわかってきた。<br />
<br />
　そんなことで、少しずつ気がつき始めた。様々な現象の感じ取り方の発信が、一種の問題提起となる情報効果をもたらすのかもしれない、と。<br />
<br />
　いま情報は過剰なほどあふれているように見えるが、情報がまったく発信されない分野もある。マンションの情報も売買中心の不動産取引レベルのものが大半で、売り手を離れたあとの管理レベルの情報は、めったに流れない。ならば、そこを見つめ続けてみよう・・・。売り手から買い手に移ったあとのマンションを生活者の視点で見た場合の光景を言葉で綴ってみよう・・・。<br />
<br />
　そう考えるようになった。だから、書くことは、個人レベルの感想風のものになる。しかし、その書き方の中に、問題の意味の広がりをできるだけ浮かび上がらせるようにしよう。そうも思うようになった。<br />
<br />
<strong>これから、何を、どこまで書き続けられるかおぼつかないが、マンションのことを語る人がもっと増えてくるまでのつなぎはつとめたい・・・</strong><br />
<br />
　ブログを書く人は、いま2000万人を超えているそうだ。ものすごい人数だと思う。このブログは、2000万分の１に過ぎない。だから、このブログで発信することなど高が知れたものだとは思うが、1があってこそ2000万も成り立つのも事実だ。だから何かを書くことには、やはりそれなりの意味があるだろう。それが、2年続けてきてわかった。<br />
<br />
　「書く」という作業には不思議な効用があって、書かないままでいるときに比べると「書く」作業を繰り返しているうちに頭の中の概念が予想を超える形で膨らみ始めていくところがある。しかも、その感じはプロフェッショナルな原稿よりも、感想風のものを書くときの方が強い。これも、10日目ごとに、ブログという短文を書き続けてきてわかったことの一つ。<br />
<br />
　こういう感覚がわかる人が増えてほしいと、心底、思う。そういう人が増えるまでの、一種のつなぎの効果も、このブログを続けていく意味の一つかもしれない。<br />
<br />
　また1年書き続けて、来年のこの時期、わかることが少しでも多くなることを来年の楽しみにしよう。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-11-25T05:19:40+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
  </item>

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    <title>買い手がつかないマンションの管理組合はこれからどんな経過をたどるのか：管理組合の基本的な姿は竣工時に決まってしまうのだから</title>
    <description>1年たってまだ1割が売れ残っているマンションは・・・

　今日も、また新築マンションのチラシが舞い込んだ。物件の名前には、記憶がある。そう思って、パソコンに入力している新築マンションのデータを調べてみた。毎週、金曜日と土曜日に新築マンションのチラシが新聞...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>1年たってまだ1割が売れ残っているマンションは・・・</strong><br />
<br />
　今日も、また新築マンションのチラシが舞い込んだ。物件の名前には、記憶がある。そう思って、パソコンに入力している新築マンションのデータを調べてみた。毎週、金曜日と土曜日に新築マンションのチラシが新聞といっしょに届くので、数年来そのチラシの物件概要をパソコンに記録している。最初は大変だったが、この作業のおかげでいろんなことがわかるようになってきた。<br />
<br />
　で、今日の場合だが、こうなっている。あまり具体的に書くわけに行かないから少しぼかして書くが、新宿から急行電車で30分ぐらいの郊外駅からすぐ近くの物件。このマンションのチラシを最初に見たのは、昨年10月の半ばだった。7階建て100戸。売主は知っている人は知っている中堅デイベロッパー。最初のチラシ配布の時期にはまだ未完成だった。その後、しばらくこの物件のチラシを見なかったが、今日久しぶりに見たチラシには販売戸数15戸とある。1年以上の月日が過ぎたのに、1割強の住戸がまだ売れ残っていることになる。<br />
<br />
　実は、この程度のケースは、まだほかにもある。もう一つあげよう。こちらは同じ地域の、同じような知名度のデイベロッパーの物件だが、戸数はぐっと多くてほぼ600戸。竣工は一昨年8月。だからもう2年たっていることになるが、今日のチラシでは販売戸数15戸とある。<br />
<br />
<strong>売れ残りのあるマンションの管理組合はどういうスタートを切ったのだろうか</strong><br />
<br />
　こういう売れ残りのあるマンションの管理組合は、いったい、どういう状態になっているのだろうか。分譲マンションだから必ず管理組合があるはずだが、その管理組合を機能させる仕組みは全戸の区分所有者がそろった状態が前提となっている。<br />
<br />
　だから、売れ残りがあるマンションでは、本来の管理組合が始動できる状態がまだ実現していないことになる。<br />
<br />
　最も気になるのは、管理組合を運営する組織条件はかなりのことが竣工当初の時期に決まる点だ。基本的なルールとなる管理規約の原案は実質上マンションの販売会社が作るのだし、委託先の管理会社も販売会社によって決められている。肝心要の管理組合組織の原形も事実上は販売会社の手で用意されていることが多いし、会計年度もそうだ。長期修繕計画もそうだし・・・。<br />
<br />
　何となく気になるが、これは、ほかに方法がないのだから仕方がない。そもそも管理組合がいかに大事だと力説してみたところで、実際には、そのマンションに縁あっていっしょに住み始めるようになったばかりの初対面同士が管理組合のメンバーなのだ。昨日まではまったく別々に暮らしていて顔を見たこともなければ名前を聞いたこともなかった間柄である。それほど接点がなかった人間同士が、法律の想定する管理組合活動をすぐ始められるわけがない。だからこそ、竣工当初の段階で、販売会社のお膳立てが形だけでもできていなければ、ほとんど動きが取れなくなる。<br />
<br />
<strong>売主が管理組合のメンバーのままでは本来の運営ができない</strong><br />
<br />
　売り手が用意したお膳立てに乗る形で管理組合が動き始めるのだから、どうしてもうまくいかない点が出てくる可能性があるのは否定できない。管理規約も改正した方がいい場合がある。管理組合組織の形もそうだし、長期修繕計画もそうだし・・・。<br />
　<br />
　というわけで、大抵のマンションでは全戸が揃って管理組合が始動して数年たつと軌道修正の動きが始まる。こういう経過で、管理組合という組織のイメージが少しずつ整っていくことになる。<br />
<br />
　売れ残りがあって全戸完売に至っていないマンションでは、当然そのスタートが遅れることになる。遅れている間にもいろいろな問題が起こらないとはいえない。月日がたてば、建物の劣化も進むだろう。<br />
<br />
　管理組合スタートを待たないまま、問題が次々に起こらないとはいえない。この中途半端な状態の管理組合の実情は、いったい、どうなっているのだろうか。前記の例の場合なら、その中途半端状態がもう1年以上続いていることになる。<br />
<br />
　でも、こういう状態の管理組合のことを考えた主張に今まであったことがない、議論が行われたと聞いたためしもない。いいのだろうか、これで。問題はないのだろうか、これで。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-11-15T10:12:35+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
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    <title>初めての「模擬理事会」を見てあらためて考えた:理屈どおりのプロセスを望ましい形で展開する難しさ</title>
    <description>始めて見た「模擬理事会」。管理組合団体が主催者だったからこそ実現したのではないか

　法科系の大学や弁護士会で、ときどき模擬裁判というのを開くことがあるらしい。模擬裁判があるのなら、模擬理事会があってもおかしくない。マンション管理組合の理事会は法律に重...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>始めて見た「模擬理事会」。管理組合団体が主催者だったからこそ実現したのではないか</strong><br />
<br />
<a href="images/s-081026mogirijikai.jpg" target="_blank"><img src="images/s-081026mogirijikai.jpg.200px.png" width="200" height="147" alt="mogirijikai" class="pict" style="float:left; margin-right:5px"/></a>　法科系の大学や弁護士会で、ときどき模擬裁判というのを開くことがあるらしい。模擬裁判があるのなら、模擬理事会があってもおかしくない。マンション管理組合の理事会は法律に重点をおきながら開かれることも多いのだから･･･。昔から、いつもそう思ってきた。区分所有法ではどうで、民法ではどうなって、といった考え方を展開している法律の専門家やマンション管理士などが、それぞれの考えで模擬理事会を開いてくれたらいいのに・・、といつも思ってきた。しかし、何年待ってもその機会はないままだった。模擬理事会開催のニュースは、いまだについぞ聞いたことがない。<br />
<br />
　ところが、その模擬理事会が、この10月下旬、東京･板橋で実現した。主催者は、東京マンションフォーラムと「いたかんネット」。管理組合団体の二つの組織の共催。実現しそうで実現しなかった模擬理事会が開かれたのは、主催者が管理組合団体だったからに違いないことを、あらためて痛感する。<br />
<br />
<strong>リアリテイと説得力が満たされてこそステージ上の「いま何が問題なのか」が鮮明になる・・・</strong><br />
<br />
　会場となった板橋グリーンホールのステージに机を並べて10名近いメンバーの模擬理事会が取り組んだのは、「管理費削減」。きわめてリアルなテーマだから、会場の参加者に配られた資料も会計収支報告や予算案、修繕計画など、かなり現実味の濃いものだった。だから、ステージの上で語られた言葉も配られた資料に出てくる数字も、ともにきわめて実感に満ちていたのはいうまでもない。<br />
<br />
　ついでにいうと、この企画は半年近く前から何回もの入念な話し合いを重ねがら実現したと聞く。プログラム時間の制約の中で、実際には必ずしも予定通りに議論が進まない可能性のある点をどうバランスさせるかが大変だったと思う。実際の理事会が２時間足らずでスイスイ運ぶことなど、めったにない。だからこそ、どこの管理組合でも理事会は難しくて苦労するのだが、参加者にそういった現実的な疑問を持たせずに、しかも説得力を盛り込める工夫が必要だったはずだ。その工夫の成否が、模擬理事会を開くに足る内容のあるものにするかどうかの鍵だったと思う。<br />
<br />
結論をいえば、今度の模擬理事会の試みは、その点で成功したといえそうだ。少なくとも、ステージ上で何人もの人によって話し合われる言葉と会場で配られた予算資料などの数字が相乗効果を生んで、「いま議論されているのはいったい何なのか」という肝心の点が間違いなく鮮明に浮かび上がってきたからだ。<br />
<br />
<strong>模擬理事会と模擬裁判はここが違う：結論が出るまでのいきさつにこそ現実の問題がある</strong><br />
<br />
　模擬理事会と語感の似たものが模擬裁判だ。しかし、模擬裁判は法律という確立された基準に沿って進められるし、登場人物の役割も似たイメージで統一されている。法律的な視点での考え方や判断の当否が最大の目的だろう。<br />
<br />
　模擬理事会は、そこが違う。マンションが舞台だから、取り上げられるケースもまた個別になる。ケースを議論するための基準があっても、それはあくまでも総論的なものに過ぎない。例えば、管理費はどういう性質のお金なのか観念的な説明はできても、金額はいくらなら妥当かといった具体的なことになると、判断基準があるのかないのかわからない感じになる。登場人物も、認識や意欲がバラバラだし人間関係もあいまい。気を遣って角の立たない言葉を選びながら一つの課題を話し合っていくことが、どれほど難しいか。理事会の難しさは、こうした意味で、結論を出すまでのいきさつ自体にあるといってもいい。<br />
<br />
　一つの課題を語り合って結論を出すまでの経過、プロセスこそが急所なのだ。法律などの視点は意思決定のための段取りを手続きの形で示してくれるだけだから、手続き以前の人間くさい部分のごたごたが見えない。実際の問題はわかりのいい人と悪い人とが隣り合って並ぶ場での現実的な空気を読みながら議論を進めないと、答が見つからない。いまどきのはやり言葉でいえば、まさにＫＹが理事会の鍵になる！<br />
<br />
　模擬理事会という手法には、こうしたＫＹ的な場面で物事を決めるときのプロセスでの手法展開を示す実務情報となる可能性があるかもしれない。うまく活用すれば、今までにない情報発信効果が得られるのではないか。<br />
<br />
<strong>模擬理事会と模擬裁判は</strong><br />
<br />
　課題が同じなら答も同じだが、その答が同じプロセスで見つけられるとは限らない。同じ答を見つけるための過程は、その課題が起こった場所や関係者の個別の条件で違う。マンション管理組合の場合は、とりわけこの問題に気づかないと有効な結論が得られない。<br />
<br />
　となれば、同じ課題の答を見つけるまでのいきさつは、マンションごとの個別条件次第で決まるはずではないか。同じマンションであっても、時期によって違うはずではないか。模擬理事会という手法は、そうしたプロセスの違いを浮かび上がらせることによって問題発見の方向を教えてくれそうな気がする。<br />
<br />
　ただし、その個別の差がある中から効果のある共通情報をどこまで搾り出せるかどうかは、まだよくわからない。それを確かめられるまでには、まだまだ何回もの模擬理事会が開かれなければなるまいが･･･。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-11-05T08:46:48+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
  </item>

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    <link>http://murai.realestate-jp.com/?eid=739974</link>
    <title>デイベロッパー倒産のニュースで思い出したこと：売り手が考えたコンセプトを買い手はどこまで実現できるのか</title>
    <description>アーバンコーポ倒産と聞いて思い出した新聞記事・・・

　さんざん世界中を騒がせているリーマン・ブラザーズのニュースが流れたのは９月１５日。そのほぼ１か月前の８月１４日に聞いたのが、アーバンコーポレイション倒産。ニュースを聞いたとき、この会社の建てた超高...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>アーバンコーポ倒産と聞いて思い出した新聞記事・・・</strong><br />
<br />
　さんざん世界中を騒がせているリーマン・ブラザーズのニュースが流れたのは９月１５日。そのほぼ１か月前の８月１４日に聞いたのが、アーバンコーポレイション倒産。ニュースを聞いたとき、この会社の建てた超高層マンションのことを思い出して、竣工当時の新聞記事を出してみた。２００３年８月２９日付日本経済新聞朝刊一面の連載企画記事『働くということ』第４部の冒頭には、こう書かれている。<br />
<br />
　──広島市中区。四十三階建て高層マンションが年末に完成する。下層階は千数百万円のワンルーム。最上階は三億七千万円。最大で二十二倍の価格差がある。分譲するアーバンコーポレイション社長の房園博行が演出するのは「脱・３ＬＤＫ志向」。・・「お仕着せの住宅に飽き足らない世帯」に照準を合わせる。・・・「脱・一律中流」の房園マンションは「三百戸弱の九六％が成約済みだ。・・・」<br />
<br />
　このマンションは、２００４年（平成１６年）３月１２日に竣工したそうだから、もう４年が過ぎたことになる。倒産のニュースを聞いてから２か月以上が過ぎたが、この新聞記事の記憶が今も何かにつけて浮かんでくる。<br />
<br />
<strong>「脱･一律中流」は今も健在だろうか</strong><br />
<br />
　あらためて思った。５年以上前に建てた人が考えた「脱・一律中流」のコンセプトは、それなりに内容のあったものだろう。３００人近い買い手も反響を示したからこそ、この考え方が受け入れられたのに違いない。いろいろな感想が浮かぶが、結果をみただけで軽々しくあれこれいうのは控えたい。ただし、一つだけ曖昧にしないで考えてみたいことがある。<br />
<br />
　それは、マンションという建物を作り出した側のコンセプトと買った方の理解の仕方が、建物寿命の長さに実際上どこまで対応できるのかという点だ。<br />
<br />
　ここに書く例の場合、４年前に建てた人が考えていた「お仕着せの住宅への飽き足らなさ」とか「脱・一律中流」が本当に実現したかどうかを確かめることができたのは、デイベロッパーではなくて２９５戸を買った人たちの方だ。もし、実際に住んでみて触れ込みどおりでなかったとしても、マンションはもう売り手を離れてしまっているから問題は買い手に移ってしまっている。このケースに限らず、分譲マンションというのはもともとそういうものなのだから。<br />
<br />
<strong>マンションに住む人が「ここも昔は時代の先端をいく物件だった」という思い出だけにすがって暮らすことがないように・・・</strong><br />
<br />
　こういうことを考えるのは、今あちこちで目にするようになった古いマンションのことを対照的に思い浮かべるからだ。今のお婆さんが昔の美人だったのと同じで、古くなったマンションもかつて竣工当初はその時代相を反映したピカピカの物件だったはずだ。その当時のコンセプトに期待して買った人たちが住み始めてから長い年月が過ぎた後、かつてのコンセプトが今も変わることなくずっと役に立っているか。どうかして邪魔になるようなことは、ないのか。ちょっと昔にできたファミリータイプのマンションが、いまは家族状況の変化で孤独になった老人の場となり、一人住まいには広すぎて無駄になっていることはないのか。<br />
<br />
　そうしたことがないようにすることこそ、管理の本当の目的なのだが、それは今どこまで実現可能なのか。過去の思い出にすがる一方で現状の矛盾を我慢しながら暮らすようなことがないようにすることは、今の管理手法でどこまで対応できるのか。<br />
<br />
　マンション五百万戸の時代だが、わかっているようでわからないままの課題は、実は、今もかなり多いように思う。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-25T10:07:16+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
  </item>

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    <link>http://murai.realestate-jp.com/?eid=734387</link>
    <title>ＮＨＫテレビの面白さを見直す：マンションの社会的な意味にも目を向けてくれることをあらためて望む</title>
    <description>民放テレビに愛想が尽きて・・・

　このごろ民放テレビが、まるで面白くない。騒がしくてわけのわからないバラエテイとか、井戸端会議スタイルの報道番組とか。ちょっと前までは、同じ民放でもＢＳを見て少し満足できた時期があった。何しろ、以前はこれが民放かと思う...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>民放テレビに愛想が尽きて・・・</strong><br />
<br />
　このごろ民放テレビが、まるで面白くない。騒がしくてわけのわからないバラエテイとか、井戸端会議スタイルの報道番組とか。ちょっと前までは、同じ民放でもＢＳを見て少し満足できた時期があった。何しろ、以前はこれが民放かと思うほどＣＭが少なかった。経営的には問題だったはずだと思うが、視聴者としてはうるさくなくて助かったし、大人の視聴者を前提にしたセンスのいい長尺番組も多かったから。<br />
<br />
　でも、このごろは、このＢＳも駄目になった。何しろ通販番組ばかりが、やたらに多い。ＢＳは番組表が放送されるから、これぞと思う番組を見つけるのも楽しみのうちだったが、それも、もう期待できなくなった。朝から夜中まで、何とかショッピングといったものばかり。電波の公共性とかいう言葉は、いったい誰がいっていたんだっけ・・・。その公共財である電波を使って、広告にほかならない通販番組をこれほど明けても暮れても垂れ流し続けて放送することに正当性があるとはどうしても思えないのだ。<br />
<br />
<strong>ＮＨＫには通販番組がない･･。だけではなくて、腰の据わった見方を教えてくれる。改めてその実力を再認識</strong><br />
<br />
　当然ながら、公共放送のＮＨＫには、通販番組がない。民放に愛想がつきてＮＨＫを見ると、通販番組がないという当たり前の状態がいかに落ち着けるかを再認識できる。それだけではない。このところ、腰をすえた取り上げ方の番組が多くなったことに気づく。<br />
<br />
　ハイビジョン特集や教育テレビのシリーズものに、中身の濃いものが多い。9月に見たものの中から例をあげると、ハイビジョン特集では「日本の風景を変えた男たち▽廃墟から超高層ビル　池田武邦が語る戦後」が2時間近い力作で説得力のある内容だった。超高層建築の第一人者が数々の超大規模建築物を作り続けながらも次第に疑問をもつようになり、やがて環境との調和の必然性に気づく・・・。池田さん自身の戦中戦後体験と重ねながら、何十年ものそのプロセスを追っていく。作り物ではないずしりと来る充実感が確かにあった。<br />
<br />
　しかし、この人が建ててきた超大規模建築物は、今もそのまま、壊される日まで建ち続ける・・・。この事実は、いったいどうなるのだろう。が、番組は、その答を出さない。それだけに、重いものが残った。見た後に残るそういう問いかけも、テレビの効用だろう。<br />
<br />
　ＮＨＫでは教育テレビの「知るを楽しむ」という毎月のシリーズが、とてもいい。9月は「この人この世界・神になった日本人」、「私のこだわり人物伝･伊丹十三　カメレオン男のトリック」、「人生の歩き方・岩沢信夫　生きものの豊かな田んぼ」などがよかった。どれも、もしもこの放送を見なかったら知らないままだっただろうと思われる視点を、いくつも教えてもらった気がする。<br />
<br />
　ＮＨＫは、一時、相次ぐスキャンダルや何かでイメージに傷が付いただけに、こうした質のよい番組の放送を見ると、ほっとする。有料制の公共放送本来のあり方を、また取り戻してくれた気がして安心もする。かつてＮＨＫの業務縮小論が出たときに教育テレビやラジオの第二放送などの廃止が主張されたと聞いて心配したものだが、このレベルのものをこれからも放送して実績を重ねていくのが一番いい答の出し方になる。後は、こうした良質の番組にできるだけ多くの人が関心を寄せてくれることが大事だろう。<br />
<br />
<strong>ＮＨＫがマンションの問題を本式に取り上げてくれる日を待つ</strong><br />
<br />
　・・・と、ここまで書いてくると、どうしても注文が浮かんでくる。マンションの問題に本腰を据えた取り組み方をしてほしいのだ。あえていうが、別にマンション管理という限定はしなくてもいい。マンションという昔の日本人が経験しなかった住居形態がこんなに増えてきた実情はいったい何を物語るのか。一目で全貌をつかみきれないほど巨大化した住居形態の群立は都市の現状や社会の実情にどういう影響をもたらしているか。マンションを正面から見据えた包括的な政策は成り立つのか。マンションに住む本当の感覚的自立は可能なのか。在来の専門分野の別にとらわれず住居そのものとしてのマンションをとらえる研究はいったい誰が取り組んでいるのか。考えだしたら、もう次から次へ浮かんできてきりがない。<br />
<br />
　昔から、それを望み続けてきたが、時期尚早とか何とか言われて実現しなかった。しかし、マンションは500万戸を、もう超えている。そろそろ実現してもいいころだろう。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-15T08:30:31+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
  </item>

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    <link>http://murai.realestate-jp.com/?eid=729723</link>
    <title>聞き手の幅がピンからキリになる一方のセミナー：「わかっている人」も「わかっていない人」も区別しないマンション管理原則の限界が・・</title>
    <description>ピンからキリまでを絵にしたような感じのマンション管理セミナー

　１０月に入って、少しほっとしている。この９月は忙しかった。この一か月間で４回のセミナーを引き受けていたからだ。十年近く前までのことを考えればこの程度の回数はどうということもないのだが、相...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>ピンからキリまでを絵にしたような感じのマンション管理セミナー</strong><br />
<br />
　１０月に入って、少しほっとしている。この９月は忙しかった。この一か月間で４回のセミナーを引き受けていたからだ。十年近く前までのことを考えればこの程度の回数はどうということもないのだが、相応に年をとっているから、正直なところ一か月に４回となると今は少しくたびれる。<br />
<br />
　私の場合、セミナーと名が付くものの大半は分譲マンションの管理組合向けのものになる。参加者は、めぐりあわせで心ならずも管理組合の役員になってしまったもののどういうことをすればいいのかわからないといった人たちが多い。年齢も本業も千差万別だ。本来の仕事ではそれなりに経験を積んだ専門家なのだが、管理組合の理事などを引き受けたばかりに、やらなければならないことがさっぱりわからない。でも、自分の住まいのことだし、何とかきちんと役目を果たしたい・・・。そう考えている人が圧倒的に多い。参加者を見ると、誰の顔にも、そう書いてある感じだ。<br />
<br />
　こちらもそれがわかっているから、そのつもりで話す。しかし、ときとして「そのつもり」が不満の種になることがある。理事や理事長を経験した人が、また参加することがあるからだ。一度経験すると、何も知らなかったときには気づかなかった根深い疑問が多くなる。だから、わからないことづくめの人ばかりだと考えて話す説明法は、「そんなこと、もうわかってる」という不満を呼ぶことが多くなる。ここが、むずかしい。<br />
<br />
　参加者の理解と認識のレベルが、まさにピンからキリといえるほどの幅に広がるからだ。でも、こちらにとっては、顔をみるのも初めてという大勢の人が相手なのだから、いったい誰がピンで誰がキリだか見当もつかない。そこをどう考えるか。ピンに焦点を合わせればキリがわかりにくくなるし、キリにレベルを合わせれば、今度はピンがもどかしがる。管理組合向けのセミナーを引き受けるようになってからもう二十年を超えるが、今もって、この難しさは一向に変わらない。<br />
<br />
<strong>「ピンからキリ状況」はまずアンケートで、次に質問で浮かび上がる</strong><br />
<br />
　セミナーでは、大抵参加者のアンケートを集める。時としてこのアンケートを見せてもらうことがあるが、それを見ると、このピンからキリまでの状況が手にとるようにわかる。このピンキリ状況がもっとわかるのは、セミナー参加者からの質問だ。<br />
<br />
　もともと、通常のセミナーでは、予定のプログラムが終わると、会場の参加者から質問を受けることが多い。私の場合も、ずいぶん以前はこの方法だった。<br />
<br />
　しかし、この方法をとると、いくつもの問題が浮かび上がってくる。まず、第一は質問者自身が、自分自身の知りたいことをはっきり語れないことが多い点だ。ああでもあって、こうでもあるが、そうではない･･･、という「わからないことがわからない」状態の人が少なくない。質問点がはっきりしないのだ。第二は、質問だか演説だかわからない長広舌にぶつかること。このタイプにぶつかると、時間がいくらあっても足りなくなる。そして、第三が、本当は聞きたいことがあるのだが、大勢の人がいるところで聞く度胸がなくて、何も聞かずじまいになってしまう人が多いこと。アンケートなどに、その思い残しを書く人がけっこう多い。<br />
<br />
　で、やむなく、かなり前から事前に質問を紙に書いて出してもらい、これを会場で答えるという事前の質問記入方式に切り替えた。このやり方は回答する方にとって骨が折れるのだが、質問と回答の内容に「あ、うちのマンションでもそうだ」と思わせる共通性があれば普遍的な情報を得られるので、喜ばれることが多い。いわば、ケーススタディ効果である。二十年近くたった今も続けているこの方法を、9月のセミナーでも取り入れた。<br />
<br />
　ところが、このごろ、この方式で集まる質問で、年々ピンからキリの広がりが大きくなってきている。ピンの方は管理者管理のことなどを聞いてくるが、キリの方は管理組合と町内会の区別がまったくわからない類のものも少なくない。<br />
<br />
　昔から、マンション管理の世界にはピンからキリの状況があった。しかし、その広がりがこんな極端な形で開くことは、それほどなかった。今は、そこが違う。<br />
<br />
　かなりよく「わかっている人」とどうにもならないほど「わかっていない人」が、同じマンションの中でいっしょに住んでいる状況が浮かび上がってくる。<br />
<br />
　マンションストックが５００万戸を超えた状態の難しさが、今ありありと姿をあらわし始めた感じだ。わかっていようとわかっていまいと、すべて同じカウントで考える<span style="color:#FF0000">区分所有原則の限界</span>がこんなところにも見えてくる。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-05T09:43:47+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://murai.realestate-jp.com/?eid=724702">
    <link>http://murai.realestate-jp.com/?eid=724702</link>
    <title>「支持率」という統計数字は間違いないのか：出でよ、調査データを活用できるプロのマンション管理士</title>
    <description>何かといえば調査、調査の時代だが・・・・

　テレビや新聞でうんざりするほど似たようなニュースばかりの毎日が終わった。自民党の総裁選挙。この後、総選挙という場面が続く。今までもそうだったが、毎回、支持率の動向が大きく伝えられる。支持率が上がったらどうだ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>何かといえば調査、調査の時代だが・・・・</strong><br />
<br />
　テレビや新聞でうんざりするほど似たようなニュースばかりの毎日が終わった。自民党の総裁選挙。この後、総選挙という場面が続く。今までもそうだったが、毎回、支持率の動向が大きく伝えられる。支持率が上がったらどうだとか、こんなに下がったらどうなるとか。支持率が政治の行方を動かし、その結果となる政治の様子がまた次の支持率調査に反映する。その支持率が、また政治情勢に反映して・・・。もうやめよう。きりがない。<br />
<br />
　ＩＴ化で調査技術が進んだから短時間で調査結果がまとめられるようになった賜物だろう。人の意見のばらつきの大きさが目立つだけに、こうした調査結果が持つ情報価値が大きくなっていることは、間違いはない。<br />
<br />
　ただし、その先に、気にかかることがある。<br />
<br />
<strong>調査データの信憑性を考えると、気になることが次々に出てくる：回答率、回答者、質問方法、質問設計・・・</strong><br />
<br />
　調査結果の精度は、どれだけの人が答えたかで左右される。回答率だ。次が、回答者。これは調査標本の選び方で決まるが、調査方法と大きく関係する。調査方法は、最近では電話調査が多いらしい。しかし、これが気になる。電話調査といっても、大抵は固定電話による調査だろう。固定電話なら回答者は自宅にいるわけだが、時間帯が昼間なら在宅ビジネスでない限り高齢者が多い。主婦ということもあろうが仕事に出ていることが多いから、結局、昼間、固定電話を使った調査では本当に働いている人の意見がどこまで反映できるのかがわからない。<br />
<br />
固定電話で働き盛りの人の意見がどこまで把握できるのかという疑問が浮かぶのだ。マンガに詳しいという今度の総理大臣に熱狂的な拍手を送った秋葉原のオタクたちは、ほとんど携帯電話だけしか使っていないのではないかという気がして仕方がないのだが・・・。<br />
<br />
　質問のつくり方や聞き方も気になる。電話方式の新聞社もあれば訪問方式の新聞社もあるそうだし・・・。質問の内容もよくわからないことが多い。例えば、支持の有無の理由を聞く質問で「人柄が信頼できるから」という項目。そんなことを聞かれても別に付き合いがあるわけでもない人柄などが、フツウの人にわかるのか。テレビでニコニコしている《顔》を見ただけで、人柄がわかるものなのか。気にしだしたら、もうきりがない。<br />
<br />
　が、しかし、支持率を信用しなかったら、どうなるか。支持率調査に代わるものが思い浮かばない。だから、困る。結局、調査の仕方と、その結果の読み方、使い方に絞られることになりそうだ。<br />
<br />
<strong>マンション管理分野の調査は不安が年々多くなる</strong><br />
<br />
　そこで、マンション管理分野の調査が気になってくる。マンション管理という現実的な課題では、具体的な対応を考えようとすると、どうしても判断の手がかりとして調査データの情報価値が大きくなってくる。<br />
<br />
　では、その調査は、どうなのか。かなり気になる状態が今も続いている。全国規模の調査といえる国土交通省の「マンション総合調査」はほぼ5年おきだから、現在でも最新版は「平成15年度」版しかない。そろそろこの後の調査がほしいころだが、確かなことは筆者も知らない。<br />
<br />
　この調査で回答率をみると、回答した管理組合の率が回を追って下がり続けている。昭和63年の51.3％が最高で、以後49.0%、45.4%、42.3%。裏返すと、答えなかった管理組合が増え続けて、今や半分をはるかに超えている。「答えたくても答えられなかった管理組合」や「問題意識が低くて答える気もしなかった管理組合」が半分以上あったわけだ。<br />
<br />
　しかし、マンション管理上の<span style="color:#FF0000">本当の問題</span>は「答えなかった管理組合」の方にある。だから、こんなに回答率が減り続ける傾向は、正直にいって、かなり気になる。<br />
<br />
　個々の管理組合の様子となると、調査という課題の気がかりはさらに膨らむ。例えば、アンケート。問題の多い管理組合ほど何かにつけてアンケートという話が出る。が、たった一桁の回答しかなくて、アンケートで「意見を聞いた」という事実にしばられて意味のない制約を受ける結果だけが残る。かと思えば、テレビなどで覚えた「50人に聞きました」ふうな安易なアンケートで意味のあいまいな質問をしたばかりに、かえって混乱が深まった例もある。きちんとした調査能力のある管理組合は滅多にないとしか思えない。<br />
<br />
<strong>待望する、調査のプロとなるマンション管理士の出現を</strong><br />
<br />
　マンション管理が集合住宅のメンテナンスという本質を持つ限り、そのキーポイントはつねに意思確認になる。さればこそ、法律も標準管理規約もコンセンサス作りの条件をくどいほど重視する。しかし、肝心の具体的な方法を考える手がかりが。どこにもない。もともと調査の仕方とかその活用の仕方などは法律など抽象的な言葉による規範とは異次元の話だから、法律しか頭にない人の感覚では調査データの問題が大きな盲点になる。ところが、その盲点を埋めるプロがいない。調査能力の貧しい管理組合をサポートできる玄人がいない。<br />
<br />
　マンション管理士の出番は、こんなところにあるのではないか。プロのリサーチマンとなるマンション管理士の登場を切望する！
]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-09-25T00:59:24+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
  </item>

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    <title>『戸建て住宅』にマンション管理のシステムを導入する発想に注目：住宅業界と金融機関が手を結べばこんなことができる！</title>
    <description>戸建て住宅の世界でこのことに気がついている人がいた！：管理の発想は同じだという当たり前のこと

　９月５日の日経産業新聞一面の記事に目をひかれた。見出しには「戸建てに修繕積立金制／国興と八十二銀　ローン金利優遇」とある。記事自体は、長野県松本市の住宅会...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>戸建て住宅の世界でこのことに気がついている人がいた！：管理の発想は同じだという当たり前のこと</strong><br />
<br />
　９月５日の日経産業新聞一面の記事に目をひかれた。見出しには「戸建てに修繕積立金制／国興と八十二銀　ローン金利優遇」とある。記事自体は、長野県松本市の住宅会社と地方銀行とのタイアップを伝えたローカルな内容だから、うっかりすると見落としかねない。しかし、この記事が伝える事業の着想には、ともすると盲点になりやすい点を見事にとらえた感じがあると思う。<br />
<br />
　それは、マンション管理の仕組みを戸建て住宅にも取り入れた点だ。この記事自体が伝えているが、修繕積立金という仕組みの持つ意味を戸建てとかマンションという区別を超えた住宅そのものの基本的なバックアップシステムとしてとらえた点が注目を要すると思うのだ。<br />
<br />
　分譲マンションでは、管理費のほかに修繕積立金が必ず要る。ところが、この管理費や修繕積立金の意味が、正確に理解されているかというと、必ずしもそうはいえない。例えば、“一戸建て住宅ではマンションで必ず必要になる管理費や修繕積立金という費用が要らないのが大きなメリットになる”といった見当違いな論調を展開する人が、今でもいる。専門家と称する人でもそういうことを述べたてる人がいて、驚くことがある。<br />
<br />
　管理費とか修繕積立金というコストは、できたら払わなくてすむ方がいい余分な費用負担だといわんばかりの見方だ。よく考えれば常識的なことなのだが、管理費や修繕積立金は、自分の持つ住宅の資産価値維持のためのコストであって、何もマンション特有のものではない。こうした費用を計画的に用意して将来に備える必要性そのものは、マンションも戸建て住宅もまったく同じなのだ。<br />
<br />
　しかし、そんな当たり前のことに気づく人がほとんどいなかった。現に、この記事は『分譲マンションで修繕積立金制度を取り入れて共用部分の維持管理をする例は多い。住宅生産団体連合会によると戸建て住宅で採用する例は全国でも例がない』と伝えている。<br />
<br />
　だから、日本中の誰も考えなかった発想を、松本市の住宅企業が地元の地銀と手を結んで具体化しようとしているわけだ。そのこと自体、目をひくが、どちらかというとマンションが際立って多いわけではない地方都市で、マンション管理の仕組みを戸建て住宅に取り入れることを考えた会社があったことも、いささか意表をついた感じで興味が深い。<br />
<br />
<strong>うまくいけば「修繕」という切り口がマーケットの奥行きを掘り下げる効果を期待できるかもしれない</strong><br />
<br />
　修繕、すなわちリフォーム。今では説明抜きで通用するが、この言葉が示すビジネスは、率直にいって昔から不遇だったと思う。住宅の世界は、これまで、景気がよければただもう新築一本やりで、リフォームなど間口が狭くて手間がかかるわりに利幅が薄い仕事という感じで敬遠されてきた。が、景気が悪くなってくると、それまで目も向けなかったリフォームが急に注目される・・・。そして、景気が立ち直ると、またぞろリフォームは見向きもされなくなる。その繰り返しだった。住宅業界の見方はそうだったし、住宅ローンの世界でも、そういう見方が普通だった。<br />
<br />
　しかし、リフォームのニーズは、そんなものではない。住宅が人の住まいである限り、必ず継続的に反復してニーズが発生する。人が住む住宅は建物の寿命が尽きるまで住む人と同じだけの年数を経過するのだから、住まいのあり方は、そこに暮らす人の生活の在り方との間にギャップが生まれないようにしなければならない。そのための手法としてリフォームが必要になる。たったそれだけの理屈だが、新築一辺倒の時代には目を向けられることがなかった。<br />
<br />
　人口減時代を迎えれば、当然マーケットサイズは小さくなる。しかし、小さくなったパイも、掘り下げれば奥行きが深くなる。国興と八十二銀は、そこに気がついたのだろう。マーケットを２次元ではなくて３次元でとらえる発想といえるかもしれない。<br />
<br />
<strong>公庫融資や建設省の政策がなくても着手できる可能性を見出したい！</strong><br />
<br />
　今までだって、おりおりに新しい発想の事業イメージはあるにはあった。しかし、大抵の場合、それは全国レベルで語られてきたし、一昔前までは、公庫融資の政策効果を見込んだ建設省の政策展開という形を取ることが普通だった。しかし、そういう前提で事業イメージが生まれる時代は、もう終わったのではないかという気がする。<br />
<br />
　とりわけ、マンションと戸建て住宅を区分する発想にとらわれるのではなく、住宅という基本的な性質に着目することによっていい効果を得られる点がまだまだあるような気がする。<br />
<br />
　それは、今度のようにマンションの仕組みを戸建て住宅に援用する場合だけでなく、逆に、戸建て住宅の仕組みをマンションに取り入れるという形になるのかもしれない。<br />
<br />
　いろんな可能性があると思う。可能性を探るためには、いろんな議論が必要である。長野県松本市で生まれようとしている動きが、そのきっかけになるといいのだが・・・。
]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-09-15T08:53:43+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
  </item>

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    <title>またしてもウィキペディア本のことを・・・：読めないと思っていた本が書店に並ぶこともある</title>
    <description>版元が代わって出版されることになったウィキペデイア本

　2回ほどこのブログで書いた「ウィキペディアで何が起こっているのか」という本のことを、もう1回だけ書く。“仏の顔も日に三度”という言い方もある。ほかに書くことがないではなし、ウキペデイアのことばかり書...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>版元が代わって出版されることになったウィキペデイア本</strong><br />
<br />
　2回ほどこのブログで書いた「ウィキペディアで何が起こっているのか」という本のことを、もう1回だけ書く。“仏の顔も日に三度”という言い方もある。ほかに書くことがないではなし、ウキペデイアのことばかり書くのは、もういい加減にした方がよくはないかと思った。何しろ、9月だ。災害のことも気になるが、2年続けて起こった総理大臣の突然の心境変化にもいろいろ言い分がある。ウィキペデイアのことは棚に上げてそちらのことにしようかとも一旦は考えた。<br />
<br />
　しかし、こういうときに、みんなが考えることは、だいたい決まっている。どこかで、誰かが言いそうなことを、このブログでもまた尻馬にのって書くことはない。ほかの人が言いそうなことを一緒になって書くのは、ある意味で、情報発信チャンスの無駄遣いでもある。そう考えたので、何とかの一つ覚えではないが、もう1回だけウィキペデイアのことを書くことにした。<br />
<br />
　結論から言えば、1度刊行された本が版元を代えて再び出版されることになったという話題を取り上げたいのだ。書店に並び始めて間もない段階でそれなりの反響を得た本が版元の営業不振で読者の手に届かなくなってしまったが、別の版元の手で、また世に出ることになった。本が売れなくて売れなくてどうにもならない今どき、珍しいことではないか。同じ日の新聞は、講談社の月刊総合誌「現代」がこの年末で40年の歴史を閉じることになったと伝えている。そんな時代に、危うく消えかかった1冊の本が別の版元の手で再び世に出る。注目したいことではないか。そう思うから、もう1度だけ書く。<br />
<br />
<strong>九天社からオーム社へ。いきさつ明示の新刊広告</strong><br />
<br />
　思いもかけず「ウィキペデイアで・・・」という本の出版広告を見たのは、8月31日の朝日新聞朝刊だった。ほかの新聞にも出たかもしれないが、それはわからない。<br />
<br />
　朝日新聞朝刊の1面下の「天声人語」の下にある見慣れた出版広告で「ウィキペディアで・・・」という字を見たときは驚いたが、よくよく見ると版元がオーム社になっている。簡単なその広告の一角には、こう書かれていた。（当書籍は、2008年5月に九天社から発行された書籍を一部改訂して、オーム社から再発行するものです）。9月4日発売とあるから、まだ現物は見ていないが、今度こそ大丈夫だろう。<br />
<br />
　オーム社なら、心配がない。この版元なら、理科系の老舗中の老舗といえる出版社だ。余計なことだが、ウィキペディアは、もちろん「オーム社」に2ページを当てて説明している。ついでに書くと、ウィキペディアは「九天社」にも1ページを当てて1項目取り上げた説明を「事実上倒産した」と書いて結んでいる。「オーム社」の方はもちろんもっと念入りな説明だが、この版元が建築などの分野も手がけていてマンション管理関係の本も数冊出していることまでは触れられていない。<br />
<br />
<strong>本を出す、本で知る、ということがどれほど大変かを思い知らされる時代になった</strong><br />
<br />
　それにしても、本を出すということがどれほど大変かを、あらためて思い知らされる。1冊の本が版元から世に出されるということが、どれほど大変で貴重なことか。「品格」という書名の本が売れると、もう何でもかんでも品格をつけて売れ行きを期待する発想の貧しさは度し難いなどと、いつも息巻くが、売れなければどうにもならないのだから、こんな憎まれ口をたたいてみても仕方がない。本はまず売れる商品でなければ形にならないのだ。<br />
　　<br />
　基本的には「字を読む」という形の情報摂取を嫌う傾向の広がりがあるのだろう。「くだくだと並ぶ字を読む」のではなく「形になった具象的なイメージを一目で見る」という方法が情報摂取の主流になってきているとしか思えない。いい年をした大人が「絵文字」などという奇妙奇天烈なものを使うご時勢なのだから。<br />
<br />
　500万戸になったマンションを管理するという課題の説明が、大抵の場合、いまだにぎっしり字で書かれた抽象的な論理を「読む」という方法だけで語られることがどれほど現実離れしているかを、関係者はもっと直視すべきだろう。<br />
<br />
　必要な論理を「読む」という手法のみで説明できると考える感覚が、もうマンションの現場では通用しなくなっている。どうしても字で語るなら、その字の背後に絵が浮かぶような語り方で説明すべきだろう。「大規模修繕工事」という言葉がどういう場面で、どう使われているか、肝心なことがどれだけ伝わっているかを考えてみるがいい。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-09-05T09:00:52+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
  </item>

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    <title>ウィキペディア本・後日談：いまの時代でも買えないものは買えないという当たり前の話だが・・・</title>
    <description>アマゾンからも最後は断られた

　「ウィキペディアで何が起こっているのか」という書評を新聞で見て書店に注文したら版元が倒産していたと聞かされ、驚きもし失望もしたとこのブログで書いたのは7月15日だった。その後、オンライン書店に注文したら手に入るかもしれな...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>アマゾンからも最後は断られた</strong><br />
<br />
　「ウィキペディアで何が起こっているのか」という書評を新聞で見て書店に注文したら版元が倒産していたと聞かされ、驚きもし失望もしたとこのブログで書いたのは7月15日だった。その後、オンライン書店に注文したら手に入るかもしれないと教えてくださった方があった。で、片端から、探してみた。ビーケーワン、紀伊国屋ブックウエブ、セブンアンドワイ、楽天ブックス、ジュンク堂・・・。どのサイトも駄目で、申し込めなかった。しかし、アマゾンだけは駄目だという意味の表示がない。これは大丈夫かもしれないと思い、オンラインで早速注文した。<br />
<br />
　そのアマゾンから注文確認のメールが届いたのは、7月15日の夜。「ご注文いただきありがとうございます」という書き出しの文面の終わりの方に「配送予定日：2008/8/7−2008/8/20」とあった。ずいぶん日数がかかるが、まぁ待ってさえいれば届くはずだと思った。それから数日。<br />
<br />
　何しろ、もう暑くて、注文したことすら忘れかけたころ、「ご注文いただいた商品の配送予定日がまだ確定しておりません」というメールが、アマゾンから届いた。はっきりした書き方ではないが、「もしかすると手に入らないかもしれませんよ」というニュアンスだった。これが、8月21日。<br />
<br />
　それから、また何日か過ぎて8月23日。「誠に申し訳ございませんが、大変残念なご報告があります。お客様のご注文・・・商品については入手できないことが判明しました」というメールが来た。一か月あまり待ったが、やっぱり駄目だったというわけだ。買えないものは買えないという当たり前の話に過ぎない。<br />
<br />
　待たされているうちに、何とかして読みたかった気持もいい加減、薄らいできた。正直、もうどうでもよくなっていたので、このメールを見ても、“あ、そうか”という感慨がわいただけだった。<br />
<br />
　しかし、アマゾン以外のオンライン書店は、この本をどう表示しているのか確かめて見たくなった。で、いくつかのサイトを開いた。ほとんどのところでＮＯの表示が出ている。その言い方が千差万別で面白いと思った。「購入できません」というお役所風の無愛想で単刀直入のものもあるし、「ご注文をお受けできません」というのもある。中には「品切れ」とか「売り切れました」というのもあって、うっかりしていると、そんなに売れたなら、まったく知らないうちにベストセラーになったのかと勘違いしそうなものもある。<br />
<br />
<strong>「Ｗｉｋｉｐｅｄｉａ：なぜウィキペデイアは素晴らしくないのか」というサイトがあって・・・</strong><br />
<br />
　そんなことを検索サイトで調べているうちに、「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E9%99%B0%E3%81%AE%E5%81%B4%E9%9D%A2" target="_blank"><span style="color:#0000FF">Ｗｉｋｉｐｅｄｉａ：なぜウィキペデイアは素晴らしくないのか</span></a>」というサイトに出くわした。これはいったい何だろうと思って開いてみた。「この文書は私論です・・・」という断り書きの後に「ウィキペデイアは素晴らしいものではないという意見があります。」とあって、いろいろなことが出てくる。8ページもある詳しさで、予想外に面白かった。かなり説得性があるとも思った。<br />
<br />
<strong>あらためて「Ｗｉｋｉｐｅｄｉａ」で「マンション」の説明を確かめて見たら・・・</strong><br />
<br />
　これを読んで、あらためて、Ｗｉｋｉｐｅｄｉａをきちんと開いて見たくなった。そこで、「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3" target="_blank"><span style="color:#0000FF">マンション</span></a>」の項をひいた。念のため更新日を確かめると、2008年7月7日7時41分とある。この「マンション」の項を数年前のＷｉｋｉｐｅｄｉａで始めて見たときは、そのあまりの短さと説明内容のお粗末さに仰天したものだ。Ｗｉｋｉｐｅｄｉａの「履歴」というタグで今も確かめられるが、2003年10月28日付の説明はたったの1行で「マンションとは、住居のひとつ。2階以上で構成される。」だけしかなかったのだから、いまは、もう見違えるほど中身が充実しているといっていい。<br />
<br />
　しかし、その実感には説明の量的な内容が広がったという感じでもあって、“間違いではないらしいが、でも本当なのかどうか”というもどかしさがあるのを否定できない。「マンション」の項はえんえん15ページに及ぶ説明ぶりだが、その中には「長屋マンション問題」などというのも出てくる。正直にいって、マンションに30年以上関わり続けてきた私も、こんな言葉があるのを知らなかった。不勉強を反省しなければならない。<br />
<br />
　でも、「長屋マンション問題」なるものの説明が、どういう立場の、どういう人によるものなのか、まるでわからない。見当のつけようもない。Ｗｉｋｉｐｅｄｉａの大きな特徴の一つは、執筆者が誰だかわからない匿名性にあるからだ。<br />
<br />
　でも、それを気にするのは、Ｗｉｋｉｐｅｄｉａを百科事典と思って読むからではないか。昔々からの感覚で言えば、百科事典は、事物の「意味」の確認ができるところに最大の存在価値があった。たぶん、いまでもそうだろう。百科事典は、一語一義性の保証をしてくれるから安心なのだ。<br />
<br />
　Ｗｉｋｉｐｅｄｉａは、どうもそこが違う。時間の経過とともに説明の意味や内容が刻々と変わっていく。信じがたいことが次々に起こる今の時代だから、百科事典の一語一義性もいまや容易ではなくなっているのだから。<br />
<br />
　結局、Ｗｉｋｉｐｅｄｉａを使うコツは読み方にあるのではないか。百科事典ではなく、いろいろな手がかりの参考文献の一つとして読めばいい・・・。そんな気がする。<br />
<br />
　読むつもりだった本は読めなくても、もう、別にかまわない・・・・そんな気分になってきた。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-08-25T13:00:09+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
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    <title>景気判断「悪化」のご託宣で思い出した30年前のこと：火事で焼けたところへ公庫融資を持ちかけようか・・・・</title>
    <description>北京オリンピックの前日に流れた「景気後退」公認のニュース

　物情騒然とした感じの中で、北京オリンピックが始まった。その前日の7日、景気後退公認の報道。しばらく前からのオイル高騰に続くニュースだ。こういうことが、確かずいぶん昔にあったなぁ、と考えるうち...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<strong>北京オリンピックの前日に流れた「景気後退」公認のニュース</strong><br />
<br />
　物情騒然とした感じの中で、北京オリンピックが始まった。その前日の7日、景気後退公認の報道。しばらく前からのオイル高騰に続くニュースだ。こういうことが、確かずいぶん昔にあったなぁ、と考えるうちに思い出した・・・。昭和53年（1978年）だった、あれは。<br />
<br />
　イランがどうとかこうとかいうニュースが流れるうちに石油がどんどん高くなった第2次オイルショック。「内需拡大」とかいう言葉を聞くことが、急に多くなってきた。やがて、景気対策の触れ込みで財投追加があり、めぐりめぐって当時まだ健在だった住宅金融公庫融資の融資予算枠追加となった。<br />
<br />
　もともと、景気が悪いからこそ、景気対策が必要になる。しかし、景気の悪いときに家を建てようとする人はそんなにたくさんいない。それなのに、公庫融資を当初の要求以上に年度の途中で追加する政策がとられた。<br />
<br />
　当然ながら、これが、公庫融資の現場では頭痛の種となった。「要る」といってもいないのに、想像以上の融資枠が霞ヶ関の方から舞い降りてくる。国家予算は一文でも使い残したら一大事。だから、何とかして、このジャブジャブの追加枠を消化しなければならない。で、それまで考えたこともなかった予算消化のキャンペーンが始まった。<br />
<br />
　需要開拓も民間企業なら日常茶飯事だが、建設省の庭先である公庫では、それまで経験したためしがない。そこで、お役所感覚の組織の中で右往左往の議論が始まった。消防庁に協力を求めて、火災があったらすぐ知らせてもらい、火事で焼けた人に早く自分の住まいを建て直すための公庫融資をすすめたいなどという途方もない珍説までが出てきた。<br />
<br />
　時に、福田赳夫改造内閣の終わりごろ。マイホームという言葉を、お役所が使うようになったのも、この時期からだったと思う。当時、マイホーム向けの公庫融資は木造が25年、耐火構造で35年。マンション向けの公庫融資は始まってからまだ8年しかたっていなかった。そんな時代だったが、やがて名だたる存在となった住宅産業界は、こんな情勢を背景にしながら、どんどん力をつけていった。<br />
<br />
　その後も需要喚起の掛け声は年々続く。住宅産業界はその波に乗って市場を拡大した。マイホームという言葉が広告にあふれるにつれて、住宅は永の住まいではなくなり、古くなったら建て替えるのが常識だと考えられるようになった。公庫融資にも建て替え加算などの優遇措置がつく。都市部ではマイホームと呼ばれるもののかなりが、そうして建て替えられていった。それから・・・。<br />
<br />
<strong>それから30年たった。今や・・・・</strong><br />
<br />
　それから、30年が過ぎた。30年前は福田赳夫改造内閣、いまは福田康夫改造内閣。<br />
<br />
　事態の展開に似通ったところは多いが、現象の見かけが似ていても意味が逆転していることも少なくない。何よりも、今は、30年前に考えなかった人口縮小時代に入っているところが違う。30年の間に、住宅産業界は急成長を続け、爛熟し、やがて衰退期に入った。住宅ローンの世界では公的制度が姿を消し、昔は目もくれなかった民間機関が熱い目を注ぐ飯の種となった。<br />
<br />
　まだ「住宅すごろく」意識が残っていた30年前に建てられたマンションは、その後もどんどん増え続けた。30年たてば、マンションも高経年物件となる。<br />
<br />
　かくて、建築後30年を過ぎたマンションが大都市圏で100万戸の大台に乗るのは、そう先ではないというご託宣が実感を持って迫ってくるようになった。<br />
<br />
　30年たったいま、見えているものから目をそらさずに意味を確かめてみるべきことが、たくさんあるように思えてならない。いずれこうなるとわかっていながら、今まで手をつけず棚にあげてきた問題が、30年たって続々と棚から降りてきて目の前に並んでいる。気がついていながら手つかずにすごしてきたが、もうこれ以上の先送りはできないよ、と、その問題たちが口々に叫びたてている。<br />
<br />
　真夏の白昼夢・・・。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <dc:date>2008-08-15T18:39:30+09:00</dc:date>
    <dc:creator>村井忠夫</dc:creator>
    <dc:rights>村井忠夫</dc:rights>
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